ギルド
放課後。夕暮れの河原にどういうわけか私は戻ってきてしまっていた。朱色で上書きされた若草の群れと、こちらに背を向けてしゃがみ込む制服の男が二人。そのうちの一つが私に気づいたのか、缶詰を浮かせながら立ち上がる。
「やっぱ来たか」
常盤君は顔をほころばせる。もう一方の椎名君は座ったままだ。虚空を手でさらいながら「一時間半遅刻だけどね」と皮肉だけよこしてくれた。
「……来るんじゃなかった」
二人の言葉にため息を投げ返す。本当は来るつもりなんてなかったのに。理香が門限で早々に帰宅したせいで市内案内は中途半端。夕ご飯まで時間があるから、ちょっと猫の様子でも見て帰ろうと思ってただけ。まさかばったり出くわすとは。
「二人ともずっとここにいたの?」
「いや、一度帰ったよ」常盤君はなぜか椎名君の方を指さす。
「いろいろ回って猫を探してたんだ。今はどっかに行っちゃったみたいだな」
見ると、浮かぶ缶詰の中身は減ってない。そりゃまあ、猫がいつも同じ場所にいるわけないよね。逆に言うと、猫の移動経路を探ればどこで透明になったのかも分かるかもしれない。けれどもだ。
「二人はやっぱり、透明な猫を追いかけるつもり?」
少しだけ逡巡して、問いかける。私が知る限り、六年間の異能史において動物が能力を発現したことはない。つまり猫を透明にしたのはきっと人間で、人間が能力をひけらかすときはたいてい理解不能な動機を伴っている。いわゆる異能犯罪というやつだ。
理解不能な思想に関わると人は火傷をする。私だってそれなりに知っている事実だ。一滴の侮蔑を沈めた私の言葉に、常盤君は大仰にうなずく。
「この手の手合いはエスカレートすると困る」
「まあ、うん」
犯人?が猫を消す動機によるけど、確かに動物を消したから次は人間、なんてケースはよくある話だ。
常盤君は正義感に燃えるといった感じで拳を握る。
「柏木さんもそう思ったから来たんだろ?」
「別に、そういうわけじゃないけど」
私のはそんなに高尚な理由じゃない。劣等感を悟られないように、少しだけ上を見る。雲が夕焼けに色づいてきれいだ。
「いや、柏木さんは手伝うよ」
常盤君は謎の自信、というか他信?で断言し、未だしゃがんだままの椎名君の方を見やる。
「侭、成果は?」
「痕跡なし。消えたのは猫だけだ」
「了解。じゃあ案内が先だな」
「だね」
話題が昼のものに戻ってきた。そういえば案内したい場所があるって話だった。河原じゃないとすると、どこだろう?
「来れば分かる」
言って歩き始める常盤君。断る暇すらくれなくて、これでは家に帰れない。偏見を言ってもいいかな? 能力者ってなんて身勝手なんだ。
ずいずいと進む男二人を後ろから追いかけること十五分。常盤君はその間もずっと猫缶を空中でもてあそんでいる。油の一滴も落とすことなく出したりこねたり戻したり、恐ろしい練度だ。そして純粋に奇行としても恐ろしい。
奇行は市内でもわりと有名らしく、すれ違う人も一瞬びっくりした顔をしたあと、「なんだこいつか」と言わんばかりに通り過ぎていく。
河原を出て商店街の跡地を通り抜け、住宅街を横目に何かの工場を通り抜けた先。そこには二階建ての古びたコンクリートがあった。
見たところアパートのようで、玄関から横に窓が並んでいる。壁の表面にはところどころひびが入っていて、災害からろくにメンテナンスされていないことをうかがわせた。キャスター付きの鉄門も開けっ放しで錆びついている。
「落日荘」目に映った建物の名前を読み上げる。
「そう。これが俺らの今の家」
「ここに住んでるの? ここに?」
「これで中身は快適なんだよ」
椎名君は半笑いのまま開き戸を開けて玄関に入っていく。半信半疑で後を追うと、なるほど確かに小ぎれいな玄関口が迎えてくれる。床のタイルは経年劣化で少したわんでいるけど、ホコリ一つなく、掃除も行き届いていそうだ。
共用の下駄箱には靴が三つ。さっき入った二人と、もう一回り大きな靴。住人は三人らしい。それぞれ101、206、199とある。最初から靴があった199は番号の法則的に管理人室かもしれない。無意味に思考を巡らせながらお客さん用のスリッパを取る。
「そこの紙にサインだけよろしく」
椎名君に指さされた先には小さな机。鉛筆と「来客者」とだけ書かれたコピー用紙が張り付けられていた。そこには幾人かの名前が並ぶ。
「思ったより人来てるね」
郵便配達とかかな。リストの一番下に名前と日付を書いて、先に行ってしまった二人の後を追う。
どちらかの部屋に向かうのかと思ったけど、どうやら違うらしい。キッチンや洗濯場などの共有スペースを通り過ぎ、応接室らしき広い部屋に入っていく。そこにあったものを見て、私の首は少し傾く。
「地下室?」
ソファの裏側に隠すように設置されていた、鉄製の下開き扉。アパートにはあまり似つかわしくない、やたら頑丈そうな扉だ。常盤君が重々しい音とともに扉を持ち上げ、壁に立てかける。扉の先にあったのは階段で、予想通り地下へと続いていそうだ。促されるまま下ると、白い扉が一つ。
「とりあえず、柏木さんの疑問に一つずつ答えていこうか」
椎名君が扉を開け、照明の電源を入れる。そこにあったのは想像より広い横長の空間だった。十人は座れそうな長いテーブルと、それを囲う中世的なデザインの椅子とソファ。長テーブルの上にはインテリアなのか燭台が置かれている。いや、使用形跡あるなこれ。今どきロウソク?
机の奥にはホワイトボードが二つ。移動式の大きなものと、壁掛け式の小さなものだ。小さいほうには安物のマグネットで「Spin off」の英字と、欠けた星型のようなマーク。よく分からない。
「ここは?」と疑問が漏れたタイミングで、椎名君が答えを示してくれた。
「ようこそ。サバイバーズギルド『スピンオフ』の本拠地へ」
「サバイバーズ、ギルド」
聞き慣れない言葉を復唱し、記憶の渦から情報を取り出す。そうだ。思い出した。
サバイバーズギルド。よく似た罪悪感をもじってつけられたその名前は、私が知る限り、正式名称を行政管轄外自治組織認可制度という、いわゆる組合システムの俗称だ。
「サバイバーズギルドの説明は必要?」
「ううん、知ってる」
椎名君の言葉をとどめ、もう一度自分の理解を整理してみる。
六年前の災害で能力者が発生した直後、能力犯罪の横行に政府が暴行され投降して強行した行政施策。よく言えばインスタントヒーローライセンス、悪く言うならいろいろだ。能力犯罪を警察の管轄外にし、認可を受けた個人の判断で制止・逮捕してもよいという法律、そう教えられた覚えがある。
「ちょっと待って、二人ともギルドなんてやってるの?」
あとに「正気?」とつけたくなる気持ちを抑えて尋ねる。確かにこの制度は実在するけど、最近はほとんど機能しなくて形骸化していたはずだ。骸と化した理由はシンプルで、いつからか追加された、ギルド所属者の人権の部分放棄という重すぎる条件のせい。たぶん、治安が安定したから扱いに困ったんだろう。
「まだね」椎名君は当然と言わんばかりに肯定する。「これが僕らが透明化事件を追う理由の一つ」
「なんでまたギルドなんか」
「それは凪が教えてくれるよ」
話を振られた常盤君は、パタリパタリと音を立てながら長机の最端まで歩き、それから口を開く。
「柏木さんはさ、超能力・能力者ってものの現状についてどう思う?」
「……正常ではない、と思う」
抽象的な聞き方だったけれど、私自身も思うところはあった。言葉を選びながら、問いに答える。
「みんな恐れすぎてる。ちゃんと知ろうとせずに怖がって、遠ざけて、だからもっと分かり合えなくなる。災害の恐ろしさを能力者に押し付けてるみたい」
六年前、正確には六年と三か月半前。国内全土を突如として襲った大災害、ジエンド。災害と言っても、地震や津波のように物理的な破壊をもたらしたわけじゃない。一部区域を除けば、せいぜいタワーが一つ傾いたくらいだ。
じゃあどうして災害と呼ばれるのか。答えは単純に、人が大勢死んだからだ。五千万人。都市部を中心に、それだけの人間が命を失った。爪痕は大きく、災害から六年経った今でさえ、この国は海外からの支援を受けて国を成り立たせている。
未曽有の災害が収まり、恐怖と悲しみを溜め込んだ人たちが何を探したか。その矛先だ。だからメディアの復旧と同時に傾いたタワーが象徴に祭り上げられ、人権問題が放り投げられてからは能力者と能力にも恐怖心が集められた。やっぱりこんなの間違っている。
「俺もそう思う。でも、能力者とジエンドを切り離して考えるのは難しい」
「……災害が能力者を生んだから?」
「ああ」
常盤君の言葉は短かったけど、濡れたぼろ布を絞ったかのような息苦しさを帯びていた。私は実感する。飄々としていても、彼も災害の被害者なのだ。それも、死ななかったほうの。
五千万人規模の大災害。それが異様に恐れられる理由はもう一つある。生き残った人々にもたらされた、奇妙な超常現象だ。念動力、肉体強化、物質創成。種類は様々だけど、宿った力はいずれも人の域を超えていた。細菌災害とか放射能汚染とか考察俗説がいくつも用意されたけど真因は明らかにならなくて、けれどもただ一つ分かっていることがある。
能力者はみな、近しい人間を災害で失っている。
「人が能力を使わないのは、きっと思い出したくないから」いつだったか、父はそう言っていた。
「でもだ」突如、常盤君が両手を叩き合わせる。沈んだ雰囲気を打ち消すように、弾んだ声を出す。
「俺は思ったんだよ。せっかくこんなに便利な力をもらったんだ。どうして隠す必要があるのかってね」
言いながら、ホワイトボードに視線を向ける。「Spin off」のマグネットが星型の角から外れ、七文字同時に空中に舞う。
「柏木さんはスピンオフの意味って知ってる?」
「ええと、漫画とかの、主人公を変えた外伝?」
「それも正解なんだけど、本来は民事転用って意味らしい。軍で作られた技術を、人の役に立つよう解き放ち知らしめる。俺は超能力でそれをやりたい」
民事転用。その単語は多少の虚しさを伴って発せられた。確かに、現状犯罪にしか使われない超能力は、軍隊の戦闘技術と同じような立ち位置なのかもしれない。
「つまり、能力者のイメージを変えるためにギルドを作ったってこと?」
「その通り」
「じゃあ、能力を隠さないのも同じ目的?」
「そういうこと。将来的にみんな俺と同じような考え方になるのが理想だな」
「それは……大変だね」
平然と言ってのけてはいるけど、常盤君の目的は容易に達成できるものじゃない。事実として異能をひけらかす彼は学校で浮いていたし、同じ組織にいる椎名君でさえ、この考えに心からは賛同できていないように見える。視線をやると、眉を下げた困り顔だ。
「凪の思想自体は興味深いものだと思うけど、まだまだジエンドの爪痕は深いからね」
「先は長いな」常盤君はマグネットを一つ弾き飛ばして現状への不服を訴え、話をまとめる。
「だからこそ、少しでも能力者のイメージを下げるような事件は起きてほしくない。一刻も早く解決する必要があるってこと。ほかに質問はある?」
こめかみに右手を当てて、少し考える。
「結局、私は何のために呼ばれたの?」
昼間のやり取りと合わせて、二人は私に事件解決につながる何かを期待しているはずだ。ただの手の込んだ自己紹介って可能性も否定はできないけど。私が危惧した一つの可能性を、常盤君はこともなげに言ってのける。
「入ってほしいんだ」
「どこに」
「このギルドに」
「……無理」
常盤君の考えは分かったし、共感もできる。でも、共感だけで所属するにはギルドは重すぎる。私は普通に大学を出て普通に就職したい。内申に響きそうな活動はできない。
「そっか、仕方ない」
常盤君は露骨にがっかりそうな顔をしたあと、息を長く吐く。
「あんまりこの手は使いたくなかったんだけど。侭」
「はいはい」
「へ?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「悪いけど、柏木さんに決定権はないんだ」
話をトスされた椎名君がポケットから四つ折りの紙を取り出してこちらに向ける。仔細は距離があって読めないけど、とりあえず一番上に「契約書」と書いてあって、自分の筆跡と名前が読み取れた。
「手続きはもう終わってるからね」
「いつの間に」
いや、心当たりがあった。玄関で来客者のサインをした時、机に紙が固定されていることを疑うべきだった。きっとあの下には契約書とカーボン紙が敷かれていたのだろう。そんなバカな浅はかな。
「こういうのって無効契約になるんじゃない?」
「裁判したいならそれでもいいけど」
普通、同級生相手にそこまでやる? けれども椎名君は薄ら笑いを崩さない。なんだかもう腹が立ってきた。
「なんでそこまで私を引き入れようとするの?」
「人手がいるんだ。たった五人じゃ事務処理もままならない」
「おい侭、勝手に晴をメンバーに加えるな」
「うるさいな。四人だとしても、とにかく人が足りないってこと」
「別に私じゃなくてもいいじゃん」
「能力に理解がある人は少ないんだ」
常盤君は言うけれど、私だって能力に理解があるわけじゃない。というか、すでに彼らの思考が理解できない。
「そもそも――」言いかけて、言葉を止める。そもそも私は能力者じゃない。その言葉は彼らにとって残酷に響く気がしたから。
沈黙する私に椎名君は「しょうがないなあ」とわざとらしく息を落としたあと、指を一本立てる。
「じゃあこうしよう。この事件が解決したら返してあげるから。それまでは仮契約ってことでさ」
いや、そんな「最大限の譲歩です」みたいな言い方をされても難題なことに変わりはないんだけど。「もう帰るから」と踵を返す。扉が開かない。唖然とする私に椎名君が一歩近づく。
「少なくとも僕は柏木さんの転校理由を知ってる。だからこれは譲歩だし、お互いにとってのメリットだ。『断ることはできない』、今はそう思うべきだと思うよ」
背筋が冷える。本当に? どうやって? その先は言葉にできなかった。いずれにせよ、過去をダシにされた以上、私に選択の余地はない。
「……本当に仮だけだからね」
「そう言ってくれると思ってたよ」
椎名君の端正な声が、初めて喜びで歪む。
四月十日、夕方。過去を人質に取られたせいで半犯罪集団に入ることになる。人でなしどもめ。この恨み言はどこに残せばいいのやら。楽器でも始めてみようかな。
ギルドに仰々しい名前がついていますが、今後登場することはないため忘れても大丈夫です。本作にはそれっぽさを出すために設定だけ存在する正式名称が無数に存在します。




