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異界の砂は真下に落ちる

 砂嚢という臓器がある。いわゆる砂肝とも呼ばれる、鳥類なんかがよく持つ消化器官だ。あれは歯を持たない生物が食物を効率よく消化するための本能の知恵のようなものらしいけれど、もしかすると今の私と重なるところがあるのかもしれない。咀嚼しきれない量の謎に対し、与えられるのは同量の砂。ざりざりじゃりじゃり。こんなに不快を飲み下したんだから、何かの役に立ってもいいのでは?


「はあ、起きよ」


 現実逃避から帰還して目を開ける。傘地蔵がごとく積もり積もった砂を振るい落としつつ、状況確認。隣で砂に埋もれてもがいているのは侭、凪のほうはやっぱり砂を全部防ぎ切ったみたいだ。中腰のまま視線をぼやけさせているけれど、その体に砂は一粒もついていない。イタズラ心で足元の砂を掬って投げると、目の前で左右に避けていく。


「すご」


 かつて本人が言っていた通り、超能力とは意志そのものだ。でも寝たままでも発揮できる意志というのは、すなわち人格や人間性そのもので、つまり凪にとって人生そのものが超能力だということになる。ならばと真上から頭に砂を落とすと、今度は浮かんだまま固定される。これは面白い。重量限界を超えたらどうなるんだろうか。


「人の能力で遊ぶな」

「あ、おはよう」


 能力使用で意識が冴えたのか、目を開ける凪。ちょっと残念。立ち上がる凪から盛大に砂が飛び、偶然か故意かはともかく隣の患者に直撃する。


「ひどい死源だよ、まったく」


 砂を吐き出しつつもまだふらついている侭。復旧までの間に現状把握をしてしまおう。

 周囲にはまばらな家屋、そのうちの一つには積まれた食料と衣類、水、そしてタケノコ。さっき私たちが調べていた日暮氏の隠れ家だ。過去二回を踏まえても、毎回同じ場所に戻されるわけではないらしい。

 同時によみがえる意識を失う前の思考。慌てて周囲を見渡すも、そこには私たち三人だけ。


「どした」挙動不審の私に凪が水を差しだす。これ、飲んでも大丈夫なやつ?

「ううん、もしかしたらリセットのせいで外に出た人たちも戻るかもって思ったから」


「ああ」凪は納得し、「いないな」とすぐに結論を出す。


「また追い出さずに済んでよかった、でいいのかな」


 鍵の力で異界に穴を開けるには回数制限がある。だから、敵対者の数が減ったままなのは素直に喜んでいいはずだ。不気味の中に納得を見出し、思考を進める。


「次、どうしようか」

「シドだろ」


 臨戦態勢をとる凪。戦いはともかく、シドという人間には私も興味がある。少なくとも会話は成り立ちそうだし、伝聞する限りは理性もありそうだ。


「じゃ、それで」


 日暮氏の隠れ家から食料を少しだけ拝借して、未だに涙目の侭を立たせて、準備完了出発だ。


「こっちだ」


 遠目に見える高いビルを目印に歩き始める凪。おそらく最短距離で向かおうとしているのだろう。さて、ここで私の頭の中に疑問が一つ。


「そのシドって人、移動したりするんじゃないの?」

「ん、ああ」


 私なら、危険人物と遭遇した場所からなるべく距離をとりたいかなあ。


「でも、ほかに手がかりないぞ」

「それはそうだけど」


 だとしてももう少し効率的に探すべきだ。


「先にあっち行こ?」


 こういうときは高いところから探すのが定石だ。目標を手ごろな砂丘に定め、探索再開。頂へ登らんとする私の右足が、すっと砂に沈む。


「ん?」


 違和感のまま左足を踏むと、それも沈む。


「あれ」


 いや、沈むという感覚は正しくない。あまりに砂の感触が柔らかすぎる。これはどっちかというと泥とか水に近くて、つまりは落ちている。


 どぶん。そうオノマトペできそうなほどスムーズに、気づけば私は砂の中に腰まで落ちていた。


 砂漠の罠、底なし流砂だ。慌ててもがいてもすでに四肢は重苦しい砂の中にとらわれてしまっている。ずぶずぶと沈んでいく体に、砂ごしの恐怖が伝う。まずいまずいまずい。このままじゃ首まで浸かって窒息する。


「いわゆるクイックサンドというやつだね」


 頭の方から響くのは侭の声。気のせいか、いや絶対気のせいじゃない。楽しそうに砂をキュウキュウ鳴かせて歩いてきている。


「砂漠の砂特有の粘度の低さが作る実体のある蜃気楼。見た目にはそう見えない水たまりが、急にラクダや人を呑み込むんだ。動けば動くほど沈んでいく構造は遥か昔の時代の拷問にも使われたんだとか」

「へえ」


 隣で興味なさそうにうなずく凪。


「動くと沈むんだとさ」


 藁をもすがる気持ちで動きを止めると、なるほど確かに沈まなくなる。ありがたいんだけど、助けてくれないかな。


「なあ侭、こういう時どうすりゃいいんだ」

「まずは片足を沼の外に出すことだ。足が上がれば階段を上るように沼から出られる」


 言われるがままに爪先を動かす。泥を吸ったデニム生地が、砂水の抵抗を受けて嫌になるほど重い。けれども確かに脱出の足がかりになりそうだ。なりそうなんだけど。


「もうちょっと直接的に助けてくれるとありがたいかなぁ、なんて」

「なんだ、最初からそう言えよ」


 私の腕をつかんで引っ張り上げる凪。泥を吸った私の数十キロの体を軽々と引っ張るのはさすがだ。


「わわっ」

「あぶね」


 脱出成功、したはいいけど見事に泥だらけのまま砂地に落ちる私。この際受け止めてもらえなかったことに文句は言うまい。白い砂が水気を吸った全身に吸着して、気持ち悪いことこの上ない。


「天ぷらみたいだね」


 文句を言うとすれば安全地帯から嫌味だけ投げてくるあっちのほうだ。握った砂を投げておすそ分けしてやろう。


「この流砂、さっきはなかったよね?」


 行きがけにも砂山には上ったけれど、落とし穴に落ちた記憶はない。というか、山の位置や大きさが少し変わっている。リセットを経由したことで、何らかの変化が起きた?


「死源の仕業だ」凪の言葉は確信的に端的だ。

「リセット現象の一部ってこと?」

「さあな。ただ、死源は核に近づく者を妨害する」


 おそらく過去の経験に由来する凪の言葉。仮にそれが正しいとすると、今この丘の上には私たちの目標たる死源の中心があるということになる。


「思いっきりジャンプすれば流砂を抜けられたりしないかな」

「助ける側がつらいからやめてくれ」


 凪のわりとガチ目の嘆願。こりゃ、土中遊泳は断念するしかなさそうだ。


「でもそうなると、どうやって飛び越えよう」


 飛び越える方法以外にも考えることはある。さっきまで普通の砂山だったこの場所がなぜ死源の中心(仮)に変貌しているのかだ。ここから分かるのは、中心が動くという事実と、私がまだその法則を知らないという事実。


「いったん諦めとけって」

「もうちょっと」


 地面に手を添わせながら砂山を探る。途中で沈む手のひらと泥。どうやら傾斜に入る瞬間に底なし沼は始まるらしい。そして、砂丘自体を囲うように広がっている。確かめつつぐるりと砂山の外周を回る。


「あ、オブジェ」


 山の反対側に出たのだから当然といえば当然か。帰り道の少し先で私を迎える日暮氏の忘れ形見。砂の味を思い出してげんなりしつつ、首を傾ける。


「元に戻ってる?」


 私の記憶が確かなら、あのオブジェは白鳥さんと遭遇した時のもの。つまりとっくに爆発して土くれの残骸だったはず。けれども眼前のそれは当然のように直立していて、爆発などなかったかのようだ。まさかリセットは物にも作用するのだろうか。加えて、こちらの塔にもやはり埋め込まれている偽の鍵。未知という不可避が私の思考を分断する。

 無意識のまま前に出る足、頭蓋骨を抜ける怪奇音、全身に衝突する泥の塊たち。


「わっわっ。うぶ」


 痛みと驚きに転がる体が、体にできた泥の層を厚くしていく。耳鳴りとメンタルダメージで身動き取れない私に手を差し伸べつつ、凪がため息を一つ。


「柏木さんってけっこうバカだよな」

「うう、否定できない」


 それを背後から実に楽しそうに眺めている侭の姿。言葉こそ発しないけど、あれは絶対バカにしてる。凪のそれなんて目じゃないほどにバカにしてるね。むかつく。


「あはははは。」

「わっ」


 何事かと思ったら、砂漠のノイズがまた人の声に聞こえただけだった。ここの耳鳴り現象にはもしかすると意思があるのではないだろうか。そう錯覚するほどのタイミングで、笑い声のようなノイズが響く。

 全部気のせいだ。でも、みじめな感情が湧いてきて、何なら涙も出てきた。ちょっと調査は中断。


「ねえ、二人とも」

「なんだ」

「何かな」

「進路変更してもいい?」


 さすがに一人だけここまでエビフライ状態になるのは精神に堪える。同情的な二人から許しをもらって、一行はオアシスを目指す。

死源の広さは異界の種類によります。今回の場合は直径二・三キロぐらいのイメージで書いています。

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