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フェイク・コンタクト

 箱庭とその創造主に思いを馳せながら外周を回り、砂山を上り下りして数十分。箱庭なのに空間は丸い、などと無意味に思考を輪転させる私を迎えるのは、数棟の小さな家屋。


 死源中央の街並みをメインストリートとすると、ここは辺境魔女の家と言った趣だ。明らかに人が住める環境ではないそこに息づく、何かの気配。そう思ってしまうのは、きっと私がすでにその場の主の存在を知ってしまっているからか。


「着いたよ。ここからは静かにね」


 白鳥さんはさっそく手近な建物の陰に身を隠し、私たちを引き込む。


 半壊した家屋の隙間から見えるのは、ホコリっぽいテーブルと荷物の入ったリュックサック、泥の爆発を想起させる痕跡。それから。


「おい、あれ」隣で鋭い声を出す凪。

「そう、あれが日暮さん」


 二人の視線の先には人影が一つ。大学生という前情報通りの体躯を猫背気味に曲げ、テーブルの周囲を徘徊している。フード付きの白い服は白鳥さんが着ているものと同じ意匠で、けれども袖をまくらずに余らせている。さっきの話と相まって宗教っぽさを感じてしまう。


「あの人が、神様みたいな人ですか」


 口から洩れる疑問。その由縁は、日暮氏の見た目が思ったより普通だったから。フードから除く顔立ちは穏やかな青年のそれで、白鳥さんとさほど変わらない。本当にただの大学生に見えてしまう。


「日暮さんがすごいのは見た目じゃなくて中身だからね。俺とはまるで違う」


 よく分からないけど白鳥さんは自慢げだ。

 凪は何か言おうと口を開き、けれどもやめたのか私の方を見る。判断に迷っているらしい。


「あ、挨拶とかしてみる? 話成り立つかもしれないし」

「ああ」


 いわく、相手は豹変した異能犯。でも話が成り立たないほどの極悪人にも見えない。ここ一か月の経験からして人前で能力を使う人間は話が通じないことが多いけど、それでも希望を捨てるにはきっとまだ早い。相手の目的が分かれば交渉もできるはず。そうだ。まずは白鳥さんから情報を集めよう。


「柏木ちゃん、柏木ちゃん」

「なんですか?」


 白鳥さんが私の肩を指でつつく。何かいいアイデアでも浮かんだんだろうか。


「あれ、ほっといて大丈夫?」


 指さした先には凪の姿。堂々と顔を晒して日暮氏と向き合っている。しまった、いつの間に。


「柏木さんが考え込んでる間にだよ」

「椎名君、見てたなら止めてよ」


 今さら止めに入っても仕方がない。ここは様子を見守ろう。幸い、凪の表情は戦うときのそれじゃないし。


「よう」

「人間か。何をしに――」


 ぐしゃり。そんな音を立てながら落ちていく何か。なめらかに地面に降りてくる凪の爪先。あまりに急だったから、落ちた何かが日暮氏の頭部だと気づくのに、少し時間がかかった。


「え?」

「決まったね」


 何事もなかったかのようにつぶやいて、日暮氏の方へと歩いていく侭。


「いや、ちょっと待って」

「何を驚いてるのか分からないけど、僕らはあの人を追い出すためにここに来たんだろ? 予定通りに事が運んだ事実を喜びなよ」


 コミュニケーションに暴力が介入すると、人間の思考は著しく低下するのだとか。昔そんな話を本で読んだような。


「すごいね、今の」横の白鳥さんも放心状態だ。

「常識なくてすみません」

「それもなんだけど、今の常盤君の技だよ」

「技、ですか」


 確かに凪の蹴り(さっきのはきっと蹴りだったはず)の練度は素人の私にも分かるほど高い。


「あの蹴り、ほとんど無音だった」

「音?」


 少し困惑する。非常識に言葉が出ないのは私のほうだ、というセリフを呑み込む。


「普通、あの勢いで蹴りを放つとどうしても音や風が生じるはずで、だからこそ正面からの不意打ちは通用しづらい。でも彼の技にはそれがなかった。あのフェイクは並みの手練れじゃないよ。俺はあれにゼロモーションと名付けたいんだけど、いいかな?」

「はあ」


 なんとなく侭の解説を思い出す興奮っぷりだ。男の人はやっぱりみんな格闘技とか好きなのかな。


 私の思考はいつだって異常者に届かない。無力感を携えて、手招きする混乱の元の方へと向かう。


「急げ、早く調べないと起きる」


 ぐったりと倒れる日暮氏。首元には爪先型の大きな痣。砂の大地に叩きつけられてできた擦過傷と合わせて、実に痛々しい。


「常盤君、なんでいきなり蹴ったの?」

「いいだろ別に」


 よくないから言ってるんだけど。話し合いの機会損失だし、首も腕もケガもさせちゃってるし、そもそも挨拶しようって提案に「ああ」って言ってたじゃん。ああどうしよう。


「済んだことだ」


 私の追及を開き直りでかわし、手際よく日暮氏の持ち物を探っていく凪。出てくるのはハンカチ、充電切れのスマホ、かすれたレシート。死源の鍵が出てくることを期待したけれど、どうやら持っていないらしい。参ったな。これだと罪もない一般人を蹴り倒したみたいに見えるんだけど。


「柏木さん、こっち来てくれない?」


 今度は侭の声。並行して日暮氏の住処を調べているらしい。凪に平和を説くのは時間がかかりそうだし、いったん諦めて侭の方に向かう。


「何か見つかった?」

「とりあえず、食料確保」


 手渡されるのは手のひらサイズの厚紙の箱。コンビニでよく見る携行食のパッケージだ。


「同じのがいくつもあったよ」


 言ってどんどんパッケージをよこしてくる侭。何、これ食べるの?


「鍵は?」

「探した感じなさそうだ」

「地面に隠したりする可能性は?」

「ゼロじゃないけど、掘り返してる時間がないね」

「そっか」


 やっぱり泥の塔に埋まっていた鍵がこの人の持ち物なのだろうか。碑文は実は一部の鍵にしか現れないとか。でも、法則性を論じるには明らかにサンプルが足りない。少なくとも私なら死源の鍵なんて大事な物質は手放さないし、何か引っかかる。


 侭が探索していた建物はおそらく日暮氏の居住地なのだろう。ギリギリ崩壊していないコンクリートの内側には、食料や服などが積まれている。


「オートミールと、水と、フライパンに、着替え、それからタケノコ」

「柏木さんはどう思う?」


 背中から放られる侭の言葉。ニュアンスは懐疑だ。言いたいことは分かる。白鳥さんの話を聞く限り、この人も偶然死源に誘い込まれたはずだ。あまりにも周到すぎる。

 いったん家を出て、日暮氏を取り囲む凪と白鳥さんの方に戻る。


「白鳥さん、服とか食料って全部日暮さんが持ってきたんですか?」

「半分は俺のだね。なんか、遭難するかもだから備えておけって言うから」


 やっぱり変だ。荒れ果てた無人区域とはいえ、死源近くの山林は遭難するほどの複雑さじゃない。そもそも、想定するにしても食料の量が多すぎる。


「どうする柏木さん」

「一回本人に話聞いてみる」

「やめとけ」


 答えたのは凪。日暮氏を自身の上着で縛り上げつつ、私の前に立ちふさがる。


「どうして?」

「リスクがでかすぎる」


 やけに深刻な言い方だ。一撃で意識を沈めておいて、今さら何を恐れているのだろうか。


「凪に従うべきだね」


 拘束を代わりながら侭が凪の肩を持つ。


「雑魚相手に不意打ちするほど凪は弱くない。それだけの相手ってことだ」

「うーん」


 その辺の感覚は男子じゃないから分からないんだけど、二人がそう言うなら正しいんだろう。


「じゃあ、その人どうするの?」

「追い出す」


 言って、白鳥さんの方にも顎を向ける凪。


「出口はあっちだ」

「あ、うん」


 白鳥さんは白鳥さんで混乱の最中にいるらしい。あれほど望んでいたはずの離脱にも生返事だ。なされるがまま気絶した日暮氏を押し付けられ、家屋の先にある死源の端まで歩かされている。茫然自失が壁に到達するのを見届けて、侭は片手を上げる。


「凪」

「あいよ」


 侭が器用に白鳥さんの視界を遮蔽する中、凪が壁に触れる。入ってきたとき同様に空間が歪み、すぐに世界が道を示す。

 凪の鍵で開けられたということは、当人の言っていた一回限りの制限は入り口と出口で別カウントらしい。侭の鍵を使えば秘匿できていた事実を考えると、ある意味二人なりの情報提供と見ていいのかな。


「これが出口か。どうやって作ったの?」


 急に開いた壁の穴に目を丸くするのは白鳥さん。侭の「企業秘密で」という冷たい言葉も何のその、ひとしきり大仰に驚いてから深々と頭を下げる。


「とにかく、助かったよ。君らがいないと俺はここで野垂れ死んでいたかも。今度会ったらまたお礼させてほしい。新鮮なタケノコをごちそうするよ」

「ちゃんとその人連れて帰ってくださいね」


 喜んでいいのか分からないお礼の言葉をバッサリ切る侭。なんだろう、全体的に不機嫌そうなのは気のせいか。ちょっと作り笑顔を崩している。


「じゃあ、また」


 何度か振り返りつつ、虚空の向こう側へと消えていく白鳥さん。その背中が見えない渦に呑み込まれ――


「ん?」


 私の目に、一瞬の違和感。なんだろう。少し考えて答えに至る。背中だ。日暮氏を背負っていたはずの白鳥さんの背中が、私たちのほうから見えるはずがないんだ。でも、背中が見えたから何がおかしい? 日暮氏のほうが早く死源から脱出したということ? 前提情報が奇怪すぎて、何が違和感の元なのか整理できない。


「さて、理解できたかな?」


 困惑する私に畳みかけるように侭が口を開く。


「あまり話したくはなかったんだけど、これが死源の鍵が持つ権能の一つだ」


 鍵は入るときと同様に出口を開くことができ、一度開くと三回人間が通るかおよそ二時間が経過するまで開きっぱなしになる。そんな感じの内容を早口でまくし立てる侭。


「じゃあ、この穴はあと二時間は開きっぱなしってこと?」

「そうなるね。そしてそれは困る」


 侭の懸念は侵入者の可能性。まさか出たばかりの白鳥さんがまた迷い込むことはないだろうけど、例えば日暮氏が目を覚まして死源に戻ろうとするとか、そういう可能性は残っている。


「あと一人通れるけど、柏木さんどうする?」

「……今回はパスで」


 ものすごく逃げたいけれど、今出たらそれはそれで危険な状況だ。私の思考をしっかり掌握しつつ、意地の悪い笑みを浮かべる侭。


「じゃあ離脱するのは僕の役目だね」

「一回出て、また鍵開けて入ってくるってこと?」

「そういうこと」


 一度の開閉で三回なら、合計四回通れる今の状況ならちょうど出入口を塞ぎつつ戻ってこられる。


「善意によって僕らはリトライの権利を失う。全部柏木さんのおせっかいのせいだ」

「はいはい」


 いらない皮肉を残して、侭が穴の向こうに消えていく。残ったのは静寂に成り代わる砂漠の幻聴だけだ。


「ちょっと散歩」

「ダメ」


 凪を止めつつ、手のひらはナップザックの内側へ。侭を待つ間にいろいろと試しておこう。とりあえず感触は入り口側と同じらしい。ふよふよと柔らかく、温度のない不可侵だ。この場合、壁の外に広がる砂漠はダミーなのか、それとも私たちが異界の一部にしか侵入できないのか。


 思考を重ねつつ、次だ。偽の鍵を手に取って壁に押し当てる。異界の壁はそよ風ほどの反応も示さない。


「……やっぱり、開かないか」

「だろうな」


 つまりこの鍵は完全なる模造品ということになる。日暮氏が作ったのか、あるいは死源に最初から置かれていたのか。全然分からない。


 理解不能を一つ得て、次。異界の壁にどこまで手を突っ込めば侵入判定になるのか確かめたいけど、でもそれで消えたら困るしなあ。


「あれ?」


 違和感。その所在は当然、指を伸ばしかけた先。


「穴、まだ消えてない?」

「だな」


 謎の渦は不気味を持て余したまま世界と異界とをつないでいる。


「三回通ったら消えるんだよね?」

「ああ。それは間違いない」


 凪の認識ともずれるようで、その首が傾いていく。こういう場合はどうすればいいんだろうか。戸惑ううち、穴の中から足音一つ。


「お、おかえり?」

「ただいま。なんか変だね」


 首を傾けつつ戻ってくる侭。その足が穴を離れた途端、異界は再び私たちを閉鎖していく。

 法則通りにいかず困惑している二人と、そもそも法則を把握できていない私。今回が例外なのか、それとも二人の理解が間違っていたのか、確かめる手段はない。反響するノイズが、私たちの混乱をいたずらに煽る。


 黙り込む侭と思考を諦める凪。私としては、正直三回でも四回でもどっちでもいいんだけど、このまま時間を無駄にするのは困る。


「とりあえず、調査を再開――」


 心機一転、無理してあげた私の声は、急激に遠くなっていく。ああ、そうだった。いつの間にか一時間のリミットが過ぎていた。耳の奥に響く反響音と、おそらく降ってきている砂の感触、リセットという概念が、私の中で一つの悪寒を作る。けれども抵抗すらできず、意識は吞み込まれていった。

常盤凪④:物事に明確な優先順位をつけるキャラです。迷わないことは強さですが自己中心性の表れでもあるので、天音にはしっかり不満を漏らしてもらいたいものです。

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