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シド

 淀んで乾く異界の表層。砂を異能で巻き上げながら、常盤凪は淡々と死源の外周を行く。世界を塗り替える怪異も、凪にとっては歩みを緩める理由にならない。


「どうなるかな」


 独り言つのは裏面を行く二人のこと。天音が侭についたのは少し意外ではあったが、納得する部分も多い。戦力分散の懸念も、敵意が薄いこの異界であれば問題ないと判断する。


 さしあたっての課題は、頭脳担当が二人ともいなくなってしまったことだ。もともと戦闘に専念する予定だった凪は、やむなく放棄した思考を拾い上げ、持て余し、結果それを足元で揺蕩わせている。


「ま、なんとかなるか」


 足元の風が止む。異界の謎については天音と侭に任せておけばいい。自分の役割を情報収集に定め、砂の波間に足跡を刻んでいく。

 遠めに見るオアシスの茶色い水面、外周に設置された泥塊の爆発、無意識に迂回される足元の違和感。砂粒一つもかぶらずに、凪にとっては何の変哲もない探索が続く。


 異質に感づいたのは十分ほど歩いてから。ランドマークにしていた高いビルの角度からして、死源の四分の一を踏破してからだ。


「何だ?」


 疑問が口をつく。視線の先に見える黒い点。目を凝らすと人の形をしているその影は、不気味ながらも凪の言葉の源泉ではない。不可解だったのは、凪がそれを視認するよりも早く、彼自身の手が仮面をまとわせていたことだ。

 無意識の警戒、すなわち脅威の可能性。凪の心が静かに躍る。


 黒い影は虚空を仰ぎ静止している。まだ凪の存在は気づいていないらしい。凪もそれを悟り、建物を影にして気取られぬよう距離を詰める。

 フルフェイスのヘルメットに、二メートルを超える体躯。それらを黒いローブで覆っている。鮮明化してきたのは、およそ現代にふさわしくない風貌の持ち主。


「さて、あれはどっちだ」


 凪の思考は二つの可能性を手繰り、すぐにやめる。死源が生成する防衛反応か、あるいは侭が示唆していた侵入者か。対応は変われど、いずれを排除しない理由もない。

 手持ちの道具を吟味し、戦略を立てる。手始めに十二枚のコインと一本の寸鉄を空中に静止させ、死角からの一撃に狙いを定める。


 瞬間、影が凪を覆う。


「――っと」


 反射的に後ろに飛びのくと、落下してきた灰色の塊が突き刺さる。


 地響きを立てて砂にめり込むのは、二メートルほどのサイズをした鉄筋交じりのコンクリート。先刻まで黒ずくめの視線の先、遥か遠くにあったはずの物質が、ここまで「落下」してくる可能性はゼロ。崩落と異界化で多少は脆くなっているとはいえ、自然落下で石が地面に「突き刺さる」可能性もゼロだ。


「何者、ですか」


 ゆっくりと近づいてくる黒衣の怪物。低くこもった声がフルフェイスの内部に反響する。ボイスチェンジャーで加工されていると、凪は判断する。


 無言のままに、凪は鍵を取り出して正面にかざす。互いに仮面、名乗る意味もなし、これ以上に己の正体を晒す手段もないだろう。


 相手が何者にせよ、反応を見れば鍵の所持者か判断できる。そう考えての行動だったが、フルフェイスの内側は暗黒であり、凪に感情の揺らぎは読み取れない。判断を誤ったかと思った刹那、黒衣の手も正面に上がる。


「やはり、あなたもこれを集めているのですね」


 グローブの内側には、凪のそれと同じ形状の死源の鍵。確定だ。仮面越しに口角が上がるのを感じつつ、凪は構えをとる。空中に浮かぶコインはさらに増えて二十五枚。殺傷能力こそないが、それなりに本気の臨戦態勢だ。


「争いは、無益」


 黒衣は一度ため息らしき音をにじませた後、小さく腕を振るう。呼応するように、巨石が黒衣の眼前に追従する。構えられた盾の様相、しかし速度は剣のそれだ。


「本当に、戦うのですか」


 ニュアンスは質問ではなく、勧告。この時点で両者は、互いの異能と技が同じ性質を持つサイコキネシスだと認識する。浮かぶ巨石とコインは、そのまま戦力の差を示すようにも見えた。


「そうだな」


 巨石が慣性を残して黒衣の傍らに携えられる。静謐が戻ったのを待って、凪は指を一つ立てる。


「ルールを決めよう」

「ルール」


 困惑を示す黒衣。問いを挟む隙を与えず、凪の周囲で二十五枚のコインが列をなす。


「殺しは禁止、こいつを落としたら負け、でどうだ?」


 浮かぶコインを一つつかみ、黒衣の方へと放る凪。


「そっちは一枚、俺は残りの二十四枚、一つでも地面に付けたら負けだ」


 異能によりコインは空中にとどまり、しかしすぐに別の力で遥か上方へと念じ飛ばされる。


「そのようなルールに従う理由がありません」

「死にたいのか?」


 凪の言葉は穏やかだ。けれどさざめく死源の喧騒を裂いて、黒衣の耳元にこだまする。


「異能の差は明らか。死ぬのはあなたでは」

「なんだ、殺したいのか」


 揚げ足を取るかのような凪の言葉に憮然とする黒衣。けれども少しだけ、凪の意図を介する。


「このレベルの超能力に本気で抵抗すれば、ケガでは済まない。だからセーフティラインが必要と、そう言いたいのですね」

「ああ」


 凪の肯定とほぼ同時に、打ち上げたコインが黒衣の頭上に戻る。それをビタリと止めながら、静かにフルフェイスが縦に傾く。


「私はシド。真実を探す者。この戦いを制し、あなたの『真実』をもらい受けます」

「真実?」


 名乗りとともに手渡される不明瞭な目的。けれどもすぐに合点がいく。加えて指さされた先は凪の鍵。その望みは明らかだ。


「問題ない。俺が勝ったらお前の鍵をもらう」

「承りました」


 制約と報酬。両者の間にルールという名の見えない線が引かれ、戦場を形作る。空間から音が一つずつ消え、死源のノイズのみが残されていく。


「精霊がずいぶんと騒がしいですね」

「は?」


 意図の分からない謎かけ。ひときわ喧しくノイズが響く。まるで嘲笑うかのようなその音が、開戦の狼煙となった。




 瞬発。砂煙を上げる凪の右足。自身を上回る異能への恐怖と警戒の一切を置き去りにした、先手必勝の攻勢。対して黒の異質は、ゆるりと右手を正面に向ける。直後、肩口のコインが上空へと跳ねる。


「ん?」


 凪が疑問を口にするのと、その体を真横に跳ばしたのはほとんど同時。わずかな遅れをもって、突風が真横を抜けていく。


「あぶね」


 驚きつつも動きは止めない。直進しながら、浮かばせた二十四枚のコインを前面に射出する。金属はフルフェイスにカツンと音を立てて反射し、それだけだ。


「これは、攻撃ですか?」


 あざける様子もなく、純粋な疑問の言葉。真横で再びコインが真上に跳ねる。衝撃波に備える凪、けれども跳んできたのは風ではなく、飛ばしたコインたち。


「お返しします」

「おう」


 困惑しつつも、高速で自陣に戻るコインを捕縛し、再び自身の真上へとセットする凪。再びシドが掌を構えるより早く、その懐に潜り込む。


「ハッ」


 気合いとともに放たれる回し蹴り。ふわりと飛んでかわす黒づくめ。浮遊ではなく、飛翔と称するのがふさわしい速度が突風を巻き起こす。代わりに落ちてくるのはコイン。掌を伸ばすも、指先の間際で上へと逃げていく。


「触れるのはルール違反では?」

「禁止してないだろ」

「そうですか」


 淡々と差し向けられる右手。反射で身を引く凪と、その残像を通過していく衝撃波の軌跡。砂を吹き飛ばす威力は人の生み出す域を超えている。


「まだ、やりますか」


 地上へと降り立つ黒衣。大砲を突き付けての降伏勧告。気に留めることもせず、凪は冷静に状況を観察する。

 両足をピタリと揃えての着地、腕を突き出す際の下半身の静止、あらゆる面でシドの運動能力は高くない。能力の操作も卓越しているとは言いがたい。大威力を発動するには右手の補助が不可欠で、おそらく同時に操作できる物質は二つか三つ。


「ルール、間違えたかな」

「あなたが定めたルールです」


 意図を理解せずに、黒衣は再び凪に降伏を求めてくる。


「まあいい」


 まずは勝利を得るべきだ。不得手である熟考を捨て、凪は再び前に出る。構える黒衣がコインを浮かばせる、掌を前に突き出す。それよりも早く、斜め前へと切り込む凪の体。


「遅すぎる」


 加減をやめた肉体の躍動が異能の砲身をすり抜け、その懐へと届く。完璧に不意を突いた奇襲。拳が触れる、瞬間。


 衝撃とともに、黒衣が遠のく。


 離れていく黒衣の姿に凪が驚愕したのは、その光景が相対的情報として五感に入ってきたためだ。黒衣だけでない。打ち捨てられた巨石、砂の波模様。それらが少しずつ縮小されていく。背中に押し付けられる空気の層、風の冷たさ。


「嘘だろおい」


 つまり自身がものすごい勢いで空中に投げ出されていた。


 どんどん離れていく地面を見ながら、凪の中に浮かぶ一つの可能性。言葉でそれを握りつぶす。


「クソ、話が違う」


 想起されるのは天音の教え。抗精神力の概念により、他者への直接的な介入は著しく威力を減衰させるはずだ。そもそも一般的なサイコキネシスでは人間一人を浮かせる威力はないはずで、さらに言うと二十メートルを超えてなお勢いを保ち続ける射程というのも横紙破りだ。


 グラム単位センチ単位で頑張る凪としては、ここまでスケール違いの能力を出されるとどうにも理不尽を感じてならない。


「ぐ」


 思考の無意味を諫めるかのように、背中を中心にして広がる衝撃。文字通り反射で受け身をとりながら、凪は自身が高層ビルの残骸に衝突したことを察知する。暴発も骨折もないことを確認しつつ、花火のように炸裂する瓦礫の破片を相対的に見送る。鉄骨がなくてひと安心だ。


 勢いを保ち上昇は続く。驚異的な速度で冷静さを取り戻す凪の目に映る、砂漠の街並み。ビルの破片、砂山と点在する焦土色の人工物、人影らしき白いかたどり。


「まだ浮いてるか」


 シドの右肩に揺らぎながら浮かぶ硬貨。大出力が制御を乱していることは間違いないが、落とすほどではなさそうだ。能力規模の違いに笑いさえ出てくる。一方で、これほどの速度で吹き飛ばされながらも凪に追従するコイン。両者の雌雄はまだ決さない。


「なんだ?」


 ゴンと、背中に再度の衝撃。上昇が止まる。いや、勢いはまだ止まっていない。ただ単に、壁にぶつかったのだ。


「ガラス?」


 叩きつけられながらも背中側に手を回す。分厚いガラス特有の、柔らかい反響が凪を困惑させる。


「どうでもいいか」


 細かいことは天音が考えるべきだ。割り切りつつ、凪の思考は下へと向かう。

 手持ちの道具はコインと寸鉄、死源の鍵と持たされたペットボトル。トン単位の出力を相手取るには心もとない。


「そろそろだな」


 勢いが止まり、重力が戻る。


 能力を体の周囲十五センチに集中、両手でバランスを取りながら斜め向きの空壁を生み出し、自己操作と併用して落下速度を緩めていく。ひらけた砂漠でのスカイダイビング。不思議なことに、シドの追撃は来ない。


 制限か、あるいは鍵を警戒しているのか。いずれにせよ好都合だ。そのまま砂漠の地面に転がり落ちる凪。相殺してなお砕けんばかりの衝撃が全身に襲うが、運動に支障はきたさせない。


 能力の全容は見えた。攻略の糸口もある。あとは実行するのみ。

 背後に浮かぶ二十四のコインから一つを前に進軍させ、再びの前進軌道。脚力で衝撃波攪乱しつつ距離を詰め、あっという間の状況再現。


「させません」


 黒衣がはためき、異能が発動する。掌が照準を定めるわずかな隙を凪は見逃さない。


「そこだ」


 するりと差し出されたのは拳ではなく、それを模する風をまとわせた一枚のコイン。本体の身代わりに異能を受け、歪曲するほどの勢いで空へとはじき出されていく。上向きの衝撃波を気合いで耐えて、今度こそ拳を握る。その行く手には、浮力を失って落ちようとする一枚の銀貨。


「獲った」


 別に、コインを落としたからといって相手が約束を守る保証はない。けれども凪は自分が定義づけた勝利に迷わない。


「――っ」


 気迫にシドがすくむ。

 加速する凪の手が敵の懐に伸び、コインを地面深くへと叩きつけ――




 気づくと凪は、砂漠の中心に立っていた。


「は?」


 意識が連続しない。今まで自分は、確かに敵と戦っていたはずだ。仰ぐは空なき灰色、無味のざわめき。けれども全身の疲労と痛みが、記憶の確かさを証明してくる。


「どういうことだ」


 遠巻きには高層ビル。奇妙なことに、凪の背中が破砕したはずの頂上部は健在していた。視界を奥に渡すも、その先にシドの姿はない。逃げたか、あるいは同様に移動させられたか。確かめに走る凪を、膝関節の悲鳴が止める。


「戻るか」


 さすがに無理をしすぎた。ぼんやりと街の方へと向かう体に操縦を任せつつ、凪の思考は勢いを止める。


 勝敗はつかなかったが、悔しさはなかった。その理由に、凪の心は蓋をする。

シド①:本章での凪の対戦相手です。作中における超能力作用の天井を示唆するとともに、好き勝手する凪を足止めするために物語に配置されました。

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