世界を穿つ六の弾丸
旅。旅行といえば友達と集まってワイワイ楽しむものだというのが通説だけど、個人的には一人旅のほうが真骨頂だと思う。新しい土地で新しい情報を鼻腔から脳に蓄積し、思うがままに思案にふける。価値観と風土のすり合いにこそ人間的思考の真髄があるというのが私の信条だ。
とはいえ、気の合う仲間との旅行も嫌いじゃない。友達と過ごすのは時と場所を選ばず楽しいものだ。そして残念ながら、よく分からない仲間と行く旅行が楽しいのかは、私は知らない。
「大丈夫かなあ」
侭は準備はいらないと言ったけれど、一般的な災害跡地に入る程度の備えはしておくべきだろう。小さめのナップザックに軍手と医療用具、あとは携帯バッテリーを入れ、動きやすいハーフパンツをカラーボックスの底から引きずり出す。
「よし」
意気揚々と家を出る。せめて気分くらいは旅行でいようじゃないか。
待ち合わせの午前十時。休日の陽だまりを浴びながら、向かう場所は駅近くのスーパーヤクマル。私が着いたころにはすでに二人の姿があった。揃ってラフな服装に空いた両手、これから遊びに行くと言われても疑えない格好だ。
「二人とも早いね」
「おう」
学校で会う時と変わらない凪の返事。死源に行くと言ったのは嘘で、実は私の歓迎会のサプライズだったりしないかな。
「しないよ」
「……だよね」
漏れ出ていた希望に侭が蓋をする。こっちはこっちで普段以上に楽しそうだ。よほど不法侵入が好きなのだろう。
「さて、揃ったしそろそろ行こうか」
軽く手を叩いて歩き出す侭。
「あと二人いるんじゃなかったっけ?」
最初に話を聞いた時にそんなことを言っていたはずだ。
「よく覚えてるね」産地偽装の笑顔が上機嫌に歪む。「ほかのメンバーは今回は休み。三人いれば十分だからね」
「そもそも私はほかのメンバーを知らないんだけど」
「必要になればおのずと分かるよ」
これ教えてくれないやつだ。
ずいずい歩いていく先は当然駅の方。尾張市駅の看板が私たちを迎える。改札口と小さなコンビニのみで構成される、質素でいい駅だ。そういえば、引っ越し以来使ってなかったっけ。旅費は――経費で落ちそうだ。侭が一万円札を取り出している。なら、帰りにコンビニでアイス買って帰ろうかな。
「お、晴だ」
雑多な私の思考を引き留める凪の一言。ハル。確かに今日は過ごしやすい天候だけど、春というには少し蒸し暑い。ややあって、凪がそんな名前を挙げていたと思い至る。
視線の先には人影。あの子かな。駅に背を向け、大きめの鞄を抱えている。もう初夏の賑わいだというのにスカーフと手袋で肌を覆っていて、ちょっとおかしな感じ。
「おーい」と声をかけ近寄る凪。影がこちらを向く。
きれいな子だと、一目で思った。日長石の明るい瞳、肩までふわりと流れる髪質、空間と境界が薄れるほど華奢な体。
憂いを感じさせる儚さが、凪を見つけてぱっと輝く。そして、ふらふらと体を傾けながら近づいて、凪にひしと抱きついた。
「わ」
声を上げたのは私。いやだって驚きもするよ。転んだ拍子にとかじゃなくて、確実にハグの姿勢だし、凪も凪でまったく動じず受け止めに行ったし。
一瞬だけ垣間見えた女の子――晴の表情はともすれば焦がれてもいて、どうしても浮いた話を想像してしまう。
しばらく体を押し付けていた晴は、途中で人目に気づいたのか「もう行くね」と名残惜し気に凪から離れる。なんだかもったいない。
凪はどう対応するのかとドギマギしたけれど、晴の服のシワを丁寧に払っただけだった。スカーフの角度を整えながら、顔を近づける。
「なんか熱ないか?」
「だいじょうぶ」
「いやあるって」
凪の声音は、若木のせせらぎのごとく穏やかに聞こえた。今までに聞いたこともない優しさに、激烈な違和感が去来する。
「悪い、ちょっと晴送ってくる」
言うや否や、凪は晴の鞄を受け取って、代わりに自分の腕を持たせて住宅街の方向へと歩いていく。歩幅を小さくゆっくり進むさまは涼やかで、やっぱりいつもの彼のそれではない。通りざま、申し訳なさそうに会釈をする晴と目が合う。こちらはやはり、熱を帯びていた。
「どう見えた?」
「うわっ」
二人が曲がり角に消えたタイミングで、侭が後ろから声を出す。
「『どう』とは」
「あの二人の関係だよ。面白いだろ? だまし絵みたいで」
なるほど。抱いていた違和感が耳から腑に落ちる。二人の関係性はちぐはぐなのだ。一方から見ると恋慕、他方から見ると兄と妹。まるで見る方向によって姿を変えるだまし絵のような関係だ。
「それ以前に、あの子は誰なの?」
あんなかわいい子の知り合いがいるなんて聞いてないんだけど。羨ましいんだけど。紹介してほしいんだけど。
「気持ち悪いなあ」
私の剣幕に一歩下がる侭。ところで無関係な罵倒が飛んできたのはなぜだろう。
「いいから教えて」
「天崎晴、末日高校一年。趣味は料理とピアノ演奏。最近の悩みは読んでた本が現国のテストに出てきてネタバレされたこと。僕が知っているのはこれくらいかな」
「絶対もっと知ってるでしょ」
出てくる情報が当たりも障りも局所的すぎる。いやでも、一周回って実のある情報なのかも。もうちょっと教えてくれないかな。
「まあ晴についてはおいおい分かるよ」
残念ながら外道情報屋は店じまいらしい。食い下がるべきか迷ううち、噂の当人が小走りで戻ってくる。
「ただいま」
「晴はどうだった?」
「寝かせてきた。疲れただけ、とは言ってたけど」
やっぱり、凪の口調はお兄ちゃんのそれだ。
「でも珍しいね。晴が凪の部屋以外に出かけてるの初めて見たよ」
「学校の課題なんだとさ」
三人の関係性を根掘り葉掘り聞きたい衝動に駆られたけれど、凪は語りたがりはしないらしい。「行くか」と強引に話を打ち切ってしまう。あの子自身もスピンオフの関係者らしき情報もあることだ。今はチャンスを待つとしよう。
かくして始まる未知への門出。無駄にタイミングよく来た各駅停車に乗り込んで、災害の麓へと私たちは行く。窓の外を過ぎゆく景色は青く澄んでいて、目的はともかくなんだか清々しい気分だ。
流されるまま新幹線。情報の代わりに差し出されたトランプゲームで暇を潰すこと数時間。追加で在来線をいくつか経て、駅を出る。死源の最寄り駅は非停車指定されているから、ここからは徒歩だ。ひと気のない街の残骸、雑草が支配する元住宅地、前をどんどん進む凪と侭の背中を追いかけながら、行く先について考える。
死源。その物騒な名前はもちろん俗称だ。正式な名前はなんだっけ、第一種災害閉鎖区域だったかな。実のところ、この死源という概念について私が知っていることは多くない。確かなことは、その場所が災害の中心になった、つまり最も多くの死者を出した空間であるということと、現在は立ち入り禁止になっていることくらいだ。
全国六か所にほぼ等間隔で存在することから災害の人為性を主張する論拠になったり、単なる偶然だと一笑に付されたりして、結局は情報の更新がないために人々からは心霊スポットのような扱いになっている。行けば死ぬというのがここ数年のトレンドだ。私はまだ死にたくないんだけど。
「着いたな」
凪の声で、私の思考は現実へと戻る。そこにあったのは、意外なことに小さな立て看板とロープでできた簡素なゲートだけだった。
「ここが、死源?」
てっきり関所か何かがあって、凪か侭かが犯罪的手法で不法侵入するのかと思っていた。
「ゲットアウト。出ていけって言われてもなあ」
数か国語で併記された看板はぐらついていて、封鎖の頼りなさを主張している。
「封鎖がこれだけって、大丈夫なのかな」
「そこはまあ、入れば分かる」
含みありげな凪の言葉。後ろ髪を引く常識氏に内心で謝りつつ、促されるまま膝下のロープをまたいで中に入る。
「入ったよ」
何も起きない。まあ当然か。落胆、いや安堵する私を、凪の手が急かす。
「違う、もっと先だ」
「え?」
言われるがまま前方に進む。三メートルほど歩いてようやく、凪の言葉の意味が理解できた。
「何これ、進めない」
まるで見えない壁に阻まれるがごとく、というか実際阻まれているのだろう。膝を前に突き出すと、空間が歪んで私の動きを止めに来る。そうか。封鎖はあくまでこの謎空間を定義するための目印に過ぎないということか。
足元から石ころを拾って投げてみると、あっさり通り抜けた。人か、あるいは生き物に限定して隔壁を展開しているらしい。誰が? おそらく死源そのものがだ。
殺傷性はなさそうと判断して手のひらを置いてみる。ぐにゃりと何かをつかむ感覚。思ったより硬度がない。壁というよりは膜と称したほうがいいのかも。ひんやりとした空気の冷たさが手を流れていく。なんだか気持ちがいい。これ持って帰っていいかな。
「堪能した?」
侭の声で我に返る。しまった。つい夢中になってしまった。
「楽しんだから帰る、って運びには?」
「もちろんならないよ」
でしょうね。
「椎名君の弱化で通れるの?」
「いいや。一個人がどうこうできるほど柔らかい壁じゃない」
「じゃあ例の謎物質、使うんだね」
「ご名答。凪」
「あいよ」
侭の指示で凪が懐から例のチェスピースもどきを取り出す。この物質については二人ともほとんど教えてくれていないけれど、真実に至る鍵というからには何らかの作用を持つのだろう。そして鍵という言葉は、扉を開く行為を連想させる。
「柏木さんには教えたくないんだけど」
この期に及んで情報を渋るのはもう趣味なんだろうなあ。楽しげな侭を横目に壁へと近づく凪、けれどもそれを「待った」と侭の声が止める。
「何だ?」
歩く片足をあげたまま器用に固まる凪。侭の視線はその少し右側。伸びきった雑草の影にしゃがんで手を伸ばし、何かを拾い上げる。
「……」
訝しげに眉をひそめるその手元には、空っぽのペットボトル。ポイ捨て許すまじ、なんて善良な精神を発揮するわけじゃないよね。私が首を斜めにする間に当人は自己納得に至ったらしい。「後回しにしよう」とこちらに拾得物を横流ししてくる。捨てろと?
「凪、続きを」
「了解」
侭の態度に興味もないのか、淡々と謎物質を壁に押し付ける凪。瞬間、空間の狭間がたわんだように揺れる。揺れは捩れとなり、渦を巻き、ぐるりぐるりと壁を巻き込んで肥大化していく。十秒と経たずに、そこには人が通れるほどの大穴が開いていた。
いや、穴という表現は果たして正しいのだろうか。見えない壁が見える壁に変わっただけとも見えるし、人が通れるかはさらに不確かだ。
「先行くぞ」
とか考えているうちに凪が次元の裂け目へと足を踏み入れて見えなくなってしまう。やっぱりあれ通れるんだ。
「これは一般には知られていないことなんだけど」
侭が穴に足をかけながら言う。
「死源の壁は、一定周期で強弱を繰り返しているんだ。六ケ所が順番に、まるで僕らを誘い込むみたいにね。そして、あの鍵には弱まった世界の境界に出入口を作る効果がある」
「今日はこの場所が開いていると?」
「そう。何の因果と原理がそうさせているのかな。イライラするよ」
ぎしぎしと空気を震わせながら侭が笑う。初めて見る表情だ。
私は眼前に広がる災害の出所を注視する。音もなく揺らめく死源の内側との境界。風もなく音もなく、けれども確かにこの反対側には何か別の世界がある。そう思わずにはいられない存在感だ。
「さて、僕も行くよ。覚悟ができたら入ってくるといい。できたらね」
「嫌な言い方するなあ」
言い返す間もなく消えてしまう侭。そもそも私はこの中に入りたくなんてない。
「ないんだけど」
異空間、非常識、私にはない何か。ぶら下げられた餌を前に止まってくれるほど、私の好奇心は理性的ではないのだ。
「よし」
両手で頬をペチンと叩いて、勢いのまま壁にぶつかる。立ち止まれない私にできることは、侭に「日が暮れるかと思ったよ」なんて嫌味を言わせないことだけだ。
最初に触れた時とは違う、くにゃりとした感覚。沈みこんでいく体を御しながら、私は覚悟を決めたフリをする。
天崎晴①:本作のヒロイン。凪との関係性含め重要なキャラですが、序盤は出番が少ないため性格やバックボーンは時が来たら語っていきます。




