猫殺しの結末
不意に提示された事実が、私の視線をくぎ付けにする。
フリークハイド。異形の隠れ家。翻ったホワイトボードは、二つの組織が文字通り表裏として両立していることを示している。
なぜ? 表層の困惑を深層が否定する。そこにはある種の納得があった。
小競り合いをしているだけを自称するギルドにしては妙に荒事慣れしていたこと、浮ついた目的に対し過剰なまでの情報網、そしてこの、どこかの地下組織のような部屋の趣。
「スピンオフというのは、僕らの組織の一つの側面でしかないんだ」
侭はホワイトボードを一度表返し、そしてまた裏に戻す。
「気のいい善人に力を見せびらかすだけじゃ、世界は変わらない。そんなこと十歳の子供にだって分かる。だから僕らには、悪意を従える力が必要だった」
今の世の中で最も能力者の印象を貶めているのは、言うまでもなく異能犯罪だ。だから侭は、自ら犯罪者を根絶するために動く。そう言いたいのだろう。
「悪人を減らすために自分たちが犯罪者になるって、矛盾してない?」
疑問と軽蔑を半分ずつ込めた私の言葉に、しかし侭は薄い笑みを張り付ける。
「誤解しないでくれよ。いつ僕らの目的が超能力者の待遇改善だって言った?」
「え? 言ったじゃん」
「あー。それ、俺の個人的な目的なんだ」
凪が照れ臭そうに頭をかく。なんなんだこの二人は。
「じゃあ、二人の目的はいったい何なの?」
「六年前、俺らの世界は終わった。なぜだと思う?」
問いに対して、返ってきたのは別の問い。山なりに放られた凪の言葉は、不思議と投げやりには聞こえなかった。
考える。答えはもちろん、災害が起きたからだ。人がたくさん死んで、超能力が現れて、私たちは物理的・精神的に「これまでの普通」を保てなくなった。
私が答えを述べると、凪は首を小さく振る。
「違う。終わったのは、終わらせた奴がいるからだ」
「え?」
想定していたのとは違う答え。そして気づく。これまで二人が、一度たりともジエンドを災害と称していないことを。
けれども私の知識がそれを否定する。ジエンドが人為的なカタストロフだと断ずる声は、確かに当時からいくつも挙がっている。あまりにも突然起きた、あまりにも大規模な災禍。地殻変動でも熱源異常でも炉心融解でも隕石落下でもないそれが、一種の攻撃として解釈されることは何度もあった。
それができないと断定された理由は、むなしいほどにシンプルだ。
「待ってよ。あんなこと人間にできるわけないでしょ」
私の結論を凪が言葉で遮る。
「だからあれは人間の仕業じゃない」
瞠惑する私に畳みかけるように、侭が言葉を継ぐ。
「六年と四か月前。魔の十二月二十八日。ジエンドの死の果てで僕は見た。すべての元凶たる、あの男を」
「あの、男?」
それ以上、凪も侭も「元凶」の詳細について話そうとはしなかった。凪は拳をきつく握り、侭は無表情を保つ。語りたくないという意志が、無言の中に見え隠れしていた。
代わりに、決意を表すよう言葉を立てる。
「異能制圧組織、フリークハイド。その存在意義はただ一つ。『世界を終わらせた存在』を探し続けることだ」
幻視するのは、手の甲から引き抜かれた血塗れのナイフ。鋭くも痛々しい侭の言葉は、私に同じ痛みを強要しているようにも、痛みを止めてくれと嘆いているようにも聞こえた。
「入ってくれるよね?」再度投げられる侭の恐喝。私はそれをぴしゃりと撥ねる。
「無理」
サバイバーズギルドと異能犯罪組織は違う。れっきとした犯罪者だ。法に守られないのと法に追われるのは、私の中では大きな隔たりがある。
大災害は人為的に引き起こされた事件。仮に真実だとしても、別にそれは目的達成の易化を意味するわけではない。六年間一般人に存在すらつかませなかった虐殺犯の捕獲。まだスピンオフで草の根活動を続けたほうが現実的とすら思える。
「干し草から藁を探し出すプランはあるの?」
「あるよ」
侭が懐から取り出したのは、小さな物体。白い陶磁器のような物体は円柱状、ポーンのチェスピースのような形状をしていた。
「これは真実に至る鍵」
言葉とともに、ピースの裏面をこちらに向ける。一見するとただの丸底。けれども侭が小突くと、周囲の空間に光が灯り文字列が円陣を生む。日本語で書かれたそれを、私は読み上げる。
「【<】【世界を俯瞰せよ、向かい合う者こそ真なる敵だ】?」
文字を発生させた現象は確実に異能で、しかし弱化の領域を外れたものだった。まさか侭はなお能力を偽装していた? いや、これは偽装とかそんなレベルの力じゃない。なんだかすさまじい異能の圧を感じる構造物だ。というか敵って何?
「……これは?」
「もちろん部外者には教えない。情報だけ受け取って逃げようなんてズルは良くないよ」
侭がピースの底面にもう一度指を触れると、文字列は消失する。
「さあ入ってくれるよね?」
「い、嫌。入らない」
考える。どうすればこの状況を打破できる?
「そうだ、猫殺し。今回の事件で、椎名君は事件を長引かせた。その結果被害を受ける野良猫が増えたよね? その点について釈明はあるの? 私は何かを犠牲にしてまで真実を得ようとはしたくない」
私がどうにか絞り出した反論に対し、侭はただただ冷めた目を見せる。
「ああ、あれはダミーだよ」
「え?」
「とある筋に用意させた偽の死体。本物はほら、そこ」
いつの間にか部屋の隅に置いてある見慣れない大きな荷物。かぶせてある布を剥がすと、出てきたのはペットのケージが四つ。中身はうっすら透ける、借りてきた猫たち。このあとまた井垣さんを叩き起こして元居た場所に返すのだとか。
「さっき、避けられない犠牲って言ってたのに」
「宗像が四匹殺した事実を忘れないでほしいな」
「う」
動き回る証拠を出されては、私も閉口せざるを得ない。まさかこの外道がそこまで気を回して事件をコントロールしていたなんて。どうしよう。そろそろ糾弾も弾切れなんだけど。
「でも、メンバーの性格悪いの、嫌だし。成績にも、響くし」
「言い訳が苦しいよ。どうしてそこまでフリークハイドへの加入を拒むのさ」
侭は私が組織に入って当然と言わんばかりに息を吐く。けれども私にとってはそれも不安材料の一つだ。
「逆になんで私をそこまで引き込もうとするの? 結局何の役にも立たなかったのに」
確かに私は犯人にたどり着いた。けれども二人の犯行動機についてはついぞ推し量ることができなかった。ただ、得られた情報を整理して、誤解して、組み立てなおして、どうにか最後につなげることができただけだ。
「別に僕らは、探偵が欲しいわけじゃない」
「どういうこと?」
「僕らは僕らに足りない資質を求めて、柏木さんを勧誘しているんだ」
資質。その正体を語ってくれないまま、侭はわがままに語り続ける。
「ついでに言うと、柏木さんの推理は自分が思っているほど役立ってない。名探偵の理屈が通用するのは、十戒と二十則が生きている世界だけだからね」
そんなことは私が一番理解している。でも、大嫌いな探偵の理屈に頼らないと、私は彼らに向き合えない。
「それに」
言葉を一度呑み込む。その先はきっと二人にとって残酷に響く気がした。けれども、うねる衝動となった思いは、喉元を突き抜けてこぼれ出る。
「……能力者組織に普通の人はいらないでしょ」
能力者と非能力者。その二つの間には、目には見えない大きな隔たりがある。だから私は孤独になった。
「どうやらまだ分かっていないみたいだね」
侭は楽しげに、あからさまにため息を吐く。
「今回の事件を通して僕が何を見たかったのか、教えてあげるよ」
「……なに?」
「好奇心だよ。真実を知るために思考できるか、真実を得るために行動できるか。真実を得てもなお考え続けられるか。巨大な敵に挑むに足る戦力になり得るか。少なくとも、僕の満足する基準には達していた。だから誘ったんだ」
「でも、好奇心は身を滅ぼす」
私は知っている。ただ真実を知りたいというだけで行動すると何が起きるか。好奇心によって滅ぼされた後に何が残るか。行動には善悪と意志がある。けれども結果にそれはない。私が善意によって起こした事件が、結果として私を孤立させた。だから私はもう、超能力者には関わらないと決めたのに。
「それでも、柏木さんは猫を助けようとした。行動を起こしたじゃないか」
侭は私の心の内を見透かしたかのように、言葉を射る。
「僕はさ、大嫌いなんだよ。何も考えない奴も、願えば何かが叶うなんて考えてる奴も、願うだけで何かが叶ってしまう幸せ者も。成果は常に歩みを進める者が勝ち取るべきだ。前を行く者は孤独で、批難を浴びることもあるだろう。でもだからこそ、その轍には価値がある」
そして、言葉を止めて私の目をずいと見る。
「だから、柏木さんのやり方は嫌いじゃない」
違う。私は肯定してほしかったわけじゃない。ただ知りたかっただけだ。
「さっきから柏木さんは何度も組織に入れない理由を提示しているけどさ、一度も入りたくない理由は話してないよね。それってつまり、柏木さんの好奇心はもう真実に興味を持ちたがってるってことじゃない?」
心の奥を見透かされている。能力者に関わるべきじゃない。能力犯罪に興味を持つべきじゃない。どれもが後付けで決めた私の理性。裏切られて居場所を失いたくないという浅ましい保険。私は真実を知りたいんじゃない。ただ、分かり合いたかった、分かり合いたいだけだ。
思考は沈み、視界は暗み、言葉は淀む。私にその資格などないのだから。
じわじわと黒に侵食される視界は、突如光に包まれた。チカチカする両目が、光の源が凪の方向にあると教えてくれる。
「侭はいろいろ言うけどさ、俺は単純に柏木さんに入ってほしいと思ってるよ」
言葉の主、凪は悩む私をまぶしい笑顔で肯定する。
そして侭は、光に目が眩んだ私に再び意志を突きつける。
「契約も義務もない。柏木さん自身が決めるんだ。入るか、入らないか」
困った。ちょっともう、断る理由がないじゃないか。
「入ればいいんでしょ、入れば」
こうして私は、サバイバーズギルド・スピンオフと、異能犯罪組織・フリークハイドという二重の沼に足を引きこまれた。好奇心を人質に取られてしまっては断りようがない。
侭が事件を動かし、凪が犯人を下し、天音が真相に歩み寄る。これが本作の基本構造です。




