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弱者の手の内

 思いついた作戦はある。けれどもそれを実行に移すには、一つの決断が必要だ。夕食直後の下腹部に負担をかけつつ落日荘に馳せ参ずる。下駄箱に靴があることを確認し、そのまま206号室のベルを鳴らす。


「いらっしゃい柏木さん。今日は見張りはやらないつもりなんだけど」


 一人部屋のスリッパを置くためだけの小さな玄関に入り、それでも一応扉を閉める。一度深呼吸を入れて、服のしわも整える。よし、平常心。


「炭酸水くらいしかないけど、飲む?」

「いらない」


 硬そうなベッドに一人用のちゃぶ台、小さな冷蔵庫。トランプ、リバーシ、そのほかボードゲームがいくつか。ゲームが好きなのかも。それ以外は、私物がほとんどない殺風景な部屋だ。見たかったテレビとやらはやっぱり存在しない。目を凝らし、耳を澄まし、息を殺して判断材料を探す。


「気分を悪くするかもしれないし、答えたくないなら答えなくてもいいけど」


 絶対そうは思わないと思いつつ、念のための確認を入れる。


 反論は返ってこない。侭は何も言わず、いらないと言った炭酸水を紙コップで差し出すだけだ。一口だけ含み、喉の奥で気泡が弾けたのを合図にして、私は話を切り出す。


「椎名君の能力さ、アンチサイキックじゃないよね?」

「……どうしてそう思う?」


 変える言葉のニュアンスは疑問ではなく、確認。これまでと同様、侭は私を試すような振る舞いを見せている。


「アンチサイキックって名前のわりに、一度も能力を完全に消してはいない。能力を解除する能力って説明と合わないよね?」

「そのほうが疲れないし、現象の解析にも便利だからね」


 はぐらかしは想定内だ。次の手を打つ。


「これまで透明化や透過に対処した時、椎名君は対象をいつも手で持ち上げてた。時間もかかるし、汚れたお皿みたいにさわりたくないものもあったのに」

「僕の力は、手で触れないと作用しないんだ」

「違うよ。触れると作用しちゃうから持ち上げてたんでしょ」


 アンチサイキックが本当に名前通りの能力なら、触れた場所に何があろうと異能だけを消し去ることができたはずだ。あえてそうしなかったのには必ず理由がある。例えばそう、異能以外のものにも効いてしまうとか。


 私の暗黙的な暴露に対し、侭は薄く笑う。笑うけれども何も言わない。あくまでしらを切り続けるつもりらしい。だったらこっちも手札を切るしかない。ポケットからそれを取り出す。


「ガラス片?」


 目を細める侭。私の手元にあるのは何の変哲もない鱗型のガラスの欠片だ。ある一点を除いては。


「喫茶店でお皿の透明化を解除した時、実はこっそり混ぜてたんだ」


 意図に早くも気づいたのか、侭の顔から笑顔が消える。


「小さいし透明だから気づかなかったよね。消されたお皿に紛れて、透明なガラスも能力に巻き込まれてたこと。これが証拠」


 かつて透明だったガラスは、向こう側が透けて見えないほど白く変色している。


「超能力が関係ないのに、透明じゃなくなってる。どう頑張ってもアンチサイキックじゃ不可能だよね?」


 侭は透明化を解除したのではない。透明なものを不透明にする能力があるだけだ。

 動かぬ証拠を突きつけられ、さすがの侭も自分の虚偽を認める。


「やれやれ。能力の詮索はマナー違反、だったっけ?」

「今はマナーに構ってる余裕がないの」

「……参考までに聞いておこうか。どこで気づいた?」


 実のところ、ずっと疑ってはいた。


「おかしいと思ったのは、最初に常盤君が言った『なんとかできないか?』って言葉。アンチサイキックなら対処できて当然だよね? 逆説的に椎名君の能力はそうじゃないってことになる」

「なるほどね」


 侭は真顔のままくつくつと含み笑いを漏らす。


「たったそれだけの根拠しかないのに、矛盾を見つけたからマナーをかなぐり捨てて僕の異能を暴きにかかったわけだ。別にアンチサイキックでも調査に支障は出ないのに。清々しいまでの自己中心性だ」


 嫌味を言っているのかと思ったけれど、どうやら本心らしい。初めて屈託のない笑顔を見せる。


「アンチサイキックは嘘だった。じゃあ、柏木さんは僕の能力をどう推理する?」


 与えられた情報は少ない。透明なものを不透明にできる。立体映像の出力を下げる。少なくとも物体の性質に作用する能力だ。これらを共通して実施できる異能核、それは。


「椎名君の能力は物質の弱体化。違う?」

「違う」

「え?」


 それなりに自信をもって指摘したつもりが、ピシャリとはねのけられて見舞いたじろぐ。


 侭はやれやれと言いたげに息を吐いたあと、照明のスイッチに手を置く。すると、押してもいないのに蛍光灯がぼんやりと暗がりに侵食される。


「弱体化じゃなくて、弱化だ。僕は強化の対を弱体化と呼ぶような物知らずが大嫌いなんだ」


 その二つ、そんなに違う?


「まあ、よくぞ突き止めたとは言っておこうか」


 なんだか推理小説の犯人みたいな台詞を吐きながら、侭はスイッチから手を離す。


「僕の異能は『抗源弱化』。触れた物体の属性を弱化させる能力だ」


 よし。侭の紛らわしいこだわりにヒヤリとさせられたけど、ひとまず予想通りだ。あとは、実際に計画に使えるかどうか。


「この際だから遠慮せずに聞くけど、何が弱化できて何が弱化できないのか教えて?」

「そうだなあ」侭は指を一つ二つと折り曲げ思案したあと、能力の詳細を教えてくれた。


 いわく、弱化できるのは慣れ親しんだ概念だけ。未知の物理法則に干渉したりはできない。

 いわく、弱化できるのは対象の物理的特性だけ。ロウソクの燃焼性を弱めて炎を小さくはできるけど、炎そのものの持つエネルギーを弱められるわけじゃない。

 いわく、あくまでできるのは弱化だけ。壊れにくさを弱めるなどの屁理屈は通用しない。


「なかなかひねくれた能力だろ?」


 自慢げに自虐する侭は、ともすればこの能力があまり好きではないのかも。まあ、そんなことはどうでもいい。開示させた侭の異能は、なかなかに理屈のこねがいがあるいい能力。やれそうだ。

 私は考えてきていた案の一つを提示する。


「一つ、弱めてほしいものがあるんだけど」

「聞こうじゃないか」


 私の態度に確信を感じ取ったのか、侭の目に不気味な笑みが戻る。後手に回るのはもう折り合い。ぼんやりと明るさを取り戻す部屋の光が、反撃の狼煙を伝えていた。




 土曜日の深夜帯。今日も今日とて、手分けして猫のたまり場を探しに行く。残念ながら透明人間を呼び寄せる手段は思いつかなかった。いつの世も探偵の切り札は草の根だ。けれどもインビジブルは今日も現れる。異能犯の執念は世界がある限り消えはしない。


 図書館の前に張り付くこと十五分。今日は私が当たりを引いたらしい。透明人間は足音を殺しながら現れた。

 今日は逃がさない。スマホの短縮ボタンで二人にメッセージを送り、観察を続ける。


「よし」


 作戦は無事効果を発揮し、私の両目は透明人間の姿を捕らえている。やや緑がかかった視界にうっすらと、でも確実に見える小さな姿。ようやく見つけたインビジブルは、予想よりも小柄だった。

 長い髪、重めのスカート、体格から見て間違いなく女性。手にはバットらしき形状の物体を抱えている。ちょっと手首が下がっているから、筋力はなさそうだ。


 インビジブルがしゃがみ込み、猫の亡骸に肩を震わせ、それから手をかざす。触れられた遺骨は無音のまま喉を鳴らし、再び猫へと回帰していく。


 数分ほどして、凪と侭が現着する。


「マジだ、見える」


 透明人間が見えていることにひとしきり感動する凪。それを横目にこちらに侭が歩み寄る。


「見た目はどんな感じ?」

「小柄な女の子」

「へえ」


 聞いてきたわりに、特に興味もなさそうだ。ちなみに会話が示す通り、この薄情者は自分の目には能力を作用させていない。いや、いいんだけどね。


「作戦は?」犯人を凝視しつつ、凪が侭に問いかける。

「普通に捕獲」

「了解」


 ちょっと雑すぎない? まあ、最大の問題が完全透明化による離脱だったのだから、確かにそれで問題はないのだけど。


「できるだけ穏便に」私からも注文を付けくわえる。

「了解。五体満足な」違うってば。


 バットで殴られたんだから凪としても思うところはあるだろうけど、彼女は重要な情報源だ。うまく心証をコントロールしておきたい。私の打算的温情に凪は「はいはい」と曖昧に了解を示す。


「じゃ凪、よろしく」


 侭の号令で凪が生垣から顔を出す。戦闘開始だ。


「また会ったな透明人間」


 凪がギプスを強調しながら透明人間につかつかと歩いていく。


「スピンオフの常盤凪だ。聞きたいことがある」


 バカ正直に正々堂々と名乗りを上げても返事はない。その場で靴を脱ぎ、そろりそろりと逃げ出そうとしている。どうやら見られなかったことにしたいらしい。


「無駄だ。今夜は逃がさない」


 その歩き出しをコインで射抜きながら、凪が若干誤解を生みそうな宣言をする。二度三度、威力のないコイン弾は透明人間の四肢を正確に打ち、秘匿への対策が十分であることをアピールする。


 インビジブルは自分の姿が捕らえられていることに困惑を隠しきれていないようだった。両手で自分の二の腕を抱き、おそらく込める力を増幅しているのだろう。そんな動きを見せる。けれども私たちの目にはその実体がくっきりと分かっている。姿だけでなく、攻撃に転じようしている姿勢もだ。

 あとは、最後まで気づかれなければいいだけ。


「あまり手荒な真似は――」


 凪が言葉を終えるより早く、透明人間は不透明な敵意を振りかぶる。身をかわす凪。ガキンと音を立ててバットが地に踏み落とされ、次の攻撃が始まる。


「交渉決裂か」


 言葉と同時、落ちたバットを左足で蹴り飛ばしながら、凪が不服そうに言葉を吐く。


「じゃあ悪いが、力ずくだ」


 透明人間は透明でなくなり、唯一の武器も地面に転がっている。両者の戦力差は火を見るよりも明らかだ。拾おうとしたバットは凪の力で遠くに捨てられ、防犯的スプレーは気体の軽さゆえに能力で阻まれ、最後に繰り出された正拳突きは悲しいことにギプスをしたほうの腕で止められる始末だ。

 悲しいほどにあっさりと凪はインビジブルの背後を捕らえ、後ろ手に拘束してしまった。


「はいお似合い」

「……放して」


 インビジブルがか細い声を出し、異能を放出する。凪の体は透明化したけれど、それで何かが変わるでもなし。結局は諦めておとなしくさせられてしまった。

 時間にしてわずか四十五秒。あまりにもあっさりした決着で、透明化事件の犯人はお縄に着いた。


「どうして」


 一瞬の間を置いて、空間を割いたのはインビジブルの悲痛な声、嗚咽だった。今までは無理して張りつめていたのか、しくしくとかさめざめとかオノマトペされそうな声を上げている。


 凪は「どうすんだこれ」と言わんばかりに侭を見る。


「どうしてですか」


 虚空から再びか細い声がする。


「どうして姿を隠しきれなかったか、教えてあげようか」


 あからさまに露骨な悪役ムーブで、侭がインビジブルの前に立つ。


「俺も知りたい。今俺の目どうなってんだよ」


 事情を教えないまま弱化に巻き込まれた凪が、若干文句あり気に話題を振る。


「僕が弱めたのは、屈折率だ」

「屈折率?」

「そう」


 侭は大げさに靴音を立てながら凪の周りを歩く。


「詳しい説明は省くけど、僕らの目は特定の波長の光のみを捕らえるようにできているんだ。そして、光の波長は通り抜ける物体によって変化する。僕らが光を捕らえている眼球の水晶体の屈折率はおよそ1.40。これを弱めてやれば、目に映る光の波長は相対的に長くなるわけだ」


 赤方偏移。いわゆる光のドップラー効果とも呼ばれるこの現象により、私たちの可視波長は丸ごと少しだけ赤方向にずれている。つまり星明かりの赤外線を通し、透明人間の姿を見ているということだ。


 私がたどり着いた違和感。それは猫たち自身だ。透明にされた猫たちは不安がるでもなく平穏無事に世の中を謳歌していた。あの子たちがなぜ自分を見失っていないのか、その理由は犯人が人間だったから。


 超能力の起こす現象は個人の主観に依存する。インビジブルにとって透明になるとは自分から見えなくなることを意味していた。つまり、インビジブル自身が視認できない赤外線・紫外線成分は透過の対象外となっていたということだ。であればあとは可視外光線を捕らえる手段を用意してやればいい。


 もちろん、屈折率を変えるということにも相応のリスクはある。眼球の集光効率が著しく低下するから正面以外はよく見えないし、変質してしまった性質はしばらく治らないだろう。


「君の敗因は、君の常識そのものだってことだよ」

「……ちがう」


 得意満面で解説を続ける侭。しかし反応は予想と食い違う。


「どうしてあんなことをしたんですか?」

「『どうして』とは困った物言いだ。聞きたいのは僕のほうなんだけどな」


 神経を逆撫でする侭の言葉。インビジブルが拘束を解こうと暴れ出し、けれども凪の筋力に阻まれて動けない。


「落ち着けよ」

「なんで、気づいてくれないの」

「待って」


 妙だ。何か、私たちとインビジブルの間に認識の齟齬がある?


「話を――」


 私の言葉を遮って、侭が一歩前に出る。


「教えてもらおうか。僕たちがいったい何をしたのか」


 その表情は相手に戦慄をもたらす笑顔。威嚇しているかのようだ。そして、インビジブルに一歩また一歩と近づき、ついに相手が激昂する。


「あなたのせいでみんなが生き返らなくなった!」


 悲痛な声が夜の駐車場に響く。少女は透明な空間から透明な涙をこぼしながら、それでも抵抗の意思を緩めない。ひどい興奮状態だ。


「ちょっと待って、どういうこと?」

「私はただ、あの子たちが死なないように隠して、生き返していただけです。どうして邪魔をするんですか?」


 理解が追い付かない。この子はいったい何を言っているの? 彼女の能力は物体の概念を視覚的に秘匿するだけのはず。何か見落としがあった?


「なるほどね」


 侭だけがすべてを理解したかのように目を三日月型に歪める。


「柏木さんの推理には、一つの誤算があったんだ」


 近づく歩みを進ませて、とうとう透明人間の前に訳知り顔で立つ。


「能力者がみんな能力に詳しいわけじゃないってこと」


 そして、少女の首元に手を触れる。弱めたのは、おそらく筋力かな。力を失った体はだらりと侭の腕の中に落ち、気力も抜けたのか目蓋も閉じていく。


「残念だけど、死人を連れ戻す能力はない。そこは世界の外側だ」


 誰に聞かせるでもなくこぼれ落ちた凪の言葉。そんなはずはないのに、空と地面に反射して幾度も耳に入ってくるような気がした。




 倒れたインビジブルをアジトに運び、侭がソファに座らせる。縛り付けるのかと思ったけれど、タオルケットをかぶせるだけで何もしない。


 目を覚ました透明少女は冷静さを取り戻していたらしく、私の言葉を静かに聞いてくれた。


「私たちの行動が事件にどう影響していたのか、そもそも何が起きていたのか。教えてくれない?」

「……はい」


 そして少女は言葉を紡ぐ。未だ見えない不可解の澱、その一抹の真相を。

作中における超能力への忌避感は人物たちの倫理と常識を表すバロメーターとして機能しています。大災害によって得られた力であることもあり、超能力を普段使いすることは死んだペットの遺灰を枯れ木にばらまくようなものだと思ってください。

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