かくもめんどくさき世の中
十七年の生涯で五度目の転校。昔はそれが嫌いではなかった。新しい環境、新しい友達、新しい何か。そんなあれこれに心躍らせられた。けれども新鮮さには慣れて、世相も変わり、ついでに自分がさほど外交的でないことにも気づいてしまう。しかも今回は初日から遅刻だ。迎えてくれた担任の中野先生が眉をハの字に降ろしていたのを見ても、順調な滑り出しとはいかないだろう。とにかく、事務的な説明を事務的に受け、先生の背中を追って教室に向かう。
「大丈夫? 緊張してない?」緊張した面持ちで中野先生が尋ねてくる。
人も子供も少ない時世だ。見たところ二十代の彼女自身、転校生を受け入れるのは初めてなのかなと邪推する。
「いえ、慣れているので」
「そう? なら、よかった。ちょっと待ってて」
先生が教室に入って、数分。合図をもらってから後を追う。慣れた顔合わせだけど、この瞬間が嫌いになったのは、たぶん間違いなくあの災害が起きてからだ。
立て付けの悪い引き戸を静かに開け、上履きでフローリングのワックスをこすりながら教壇に向かう。黒板に書かれた自分の名前を横目で確認し、改めて生徒方面に向き直る。
私の目に飛び込んできたのは、視線。好意でもなく奇異でもなく、きっと心もありはしない。熱した氷のような十四対の双眸が全身を突き刺す。
横を見ると、先生の目は「こわい」と言っていた。ああ、この人は「これ」を経験しなかった世代の人間なのか。自分でなんとかしないと。
「夜廻から来ました、柏木天音です」
上からだとちょっと印象悪いかな。意識させないように教壇を降りて、それから慎重に言葉を選ぶ。
「趣味は音楽鑑賞で、あと、犬とか占いとか好きです。当たらないやつ」
自分が敵ではないこと、相手の深みに興味がないこと、それでも仲良くはしたいこと。それらを一つ一つ、たわいのない自己紹介に込めていく。望まぬままに身に着けた、気分の悪い処世術。そこまでしてようやく、にらむ視線が敵対から警戒にまで融解してくれる。
「えっと、質問とかある人?」
ようやく中野先生が遅すぎる助け舟を出す。いくつかの手が上がり、そのうちの一人が勝手に声を上げた。
「柏木さんって能力者?」
「はい?」
ぎょっとして音の方を向くと、今朝見た男の子の顔があった。「俺は常盤凪な」と名乗りつつ、隣の席の女子生徒に平手を見舞われ、後ろの席の男子生徒に連れていかれた。なにあれこわい。
「それじゃあ、柏木さんの席はあそこだから」
先生が声を震わせつつも最後尾の空席を指す。そして出て行った二人が戻らないのに、授業を始めてしまう。
「いいんですか?」
「うん」いや先生、うんじゃなくて。
「いいよ別に。凪と侭がいないのはいつものことだから」
代わりに前方から声がする。さっき常盤君を叩いた女生徒だ。彼女の言う通り、周囲の生徒たちも動じた様子がない。むしろこのほうが自然だとでも言いたげに教科書を開き始めている。
「私は雪村理香ね。理香でいいよ」
ちょっとつり目がちで怒っているようにも見えたけど、口調は穏やかだ。頼むでもなく教科書のページを指で示してくれるところから、世話焼き気質な印象がうかがえる。なんだか仲良くなれそう。
「一応言っておくけど、あの二人が異常なだけでこの学校は普通だから」
「あ、うん」
その情報はつまり、常盤君じゃない、侭と呼ばれたほうも異常にカテゴライズされるってことだよね。クラスの十五パーセントが異常者だとすると、果たしてそれは普通の環境と言えるのだろうか。
不安の元はとりあえず筆箱の奥にしまって、代わりにシャーペンを取り出した。
数学の授業は前の学校より少し遅れた段階にあるらしい。中野先生も兼任教師のようで、教え方もたどたどしさがある。あ、違う。複素数は素数の親戚じゃない。
ぼんやりと板書をノートに書き写すうち、さっきの二人が教室に戻ってくる。後ろの扉からこそこそ教室を縦断し、席に着く。先生は曖昧な笑顔を浮かべたけれど、特に何も言わないみたいだ。
別に意識したわけではないけれど、なんとなく二人の姿を観察する。単に斜め前に陣取られて視界に入ってくるだけとも言える。
常盤凪という男子は、私が今まで見てきたどのタイプとも違う能力者だった。シャーペンを浮かせてノートを書き写し、あまつさえペン回しさえも手に触れずにやってのける。今朝の件と合わせても、サイコキネシスの類で間違いない。視線や手によるサインもなく、文字が書けるほどの正確さで物体を動かす。すさまじい練度だ。授業態度は良くないよね。
しかしだ。いくら鍛え抜かれた能力であっても、普通は人前でひけらかしたりはしない。それなのにときおりこっちを見て「どうだ」と言わんばかりに浮いたペンを指さしてみたりするものだから、どんどん授業に集中できなくなっていく。
一方で侭と呼ばれていた男子は、いまいち異常と言われる理由が分からない。比較的真面目に授業を聞いているように見えるし、ちゃんと手でペンを握っている。先生に「椎名君」と呼ばれているから、名前は椎名侭でいいのかな。当てられたらちゃんと答えてるし、ちゃんと正解だ。うん。普通。
ただ一つ気になる点があるとするとだ。教科書をついたてに、教壇から戻る椎名君を見る。
「うーん」
なんだか申し訳ないんだけど、顔が胡散臭く見えてならない。胡散臭い造形をしているというわけではなくて、むしろ目鼻のバランスがいい整った顔立ちをしている。柔和な態度で笑顔を絶やさない、一見するとモテそうだ。でも、胡散臭い。
なんというか、サンプルっぽいんだ。「笑顔」で検索をかけるとすぐ出てきそうな、でも「喜び」で検索しても出てこなさそうな感じ。
「気になる」
気にしてはいけない。能力者に関わってはいけない。それでも、考えるのはタダだ。午前の授業はそうして過ぎていく。
「あの二人には関わらないほうがいいよ」
あんまりじろじろ見ていたせいか、昼休みになると同時に横から声がかかる。委員長(推定)だ。
「だって雪村さんが」
「理香でいいって。名字好きじゃない」
「理香、が言うから気になっちゃって」
「気にしないでいいように忠告したんだけどなあ」
理香はショートヘアの毛先を手でくるくる遊ばせながら言う。早々に呆れられてしまったらしい。
「天音は変人が好きなの?」
「そうじゃないけど」
むしろ平平凡凡を愛する正真正銘の小市民だ。
「あの二人は変人だよ。普通、変人に関わると変人扱いされる。分かる?」
「うん」
「変人はクラスから浮くし、私も関わりたくない。私は天音とは仲良くなりたい。分かる?」
「うん」
「よかった」理香の目がぱっと輝く。「じゃあ、あんな奴ら忘れてお昼にしよう」
「そうだね。先に食べてて」
「購買? 案内しようか?」
「ううん。ちょっとあの二人に会ってくる」
「……私の話聞いてた?」
もちろん聞いていた。私だって浮きたくはないし、たぶん彼らと馬が合うこともないと思う。それでもだ。
「二人が本当に変人かどうか、私はまだ知らない。確かめないと」
それに、さっき二人が教室を出る時、なんだか呼ばれたような気がしたのだ。少なくとも常盤君は明らかに私に一瞥をくれてから出て行った。わざとらしく「例の件、屋上で」なんて言ってたし。
「だからごめん。行ってくる」
理香には申し訳ないと思うし、ひょっとしたら転校初日の友達づくりのチャンスを投げ捨てているのかもしれない。それでも私は彼ら、常盤凪と椎名侭の思考を理解したい。納得したい。
私の思いが通じたのか、逆に通じなかったのかは知らないけれど、理香は「はいはい了解。あっちで先食べてるから」と女子グループの面々を指さしながら言う。その態度が思ったより暖かくて、ちょっとだけ安心する。指先の面々は恐れ交じりの目で私を品定めしてるけど、時間をかけて分かってもらうしかない。
「さてと」
ちょうど筆箱に温めかけの不安があったはずだ。取り出して、屋上に捨てに行こう。
1更新あたりの平均文字数は4500~5000となる予定です。文字数よりも話の進捗で区切っているのでけっこうばらけます。




