地下室と秋隣の風
昨日見たドキュメンタリー動画によると、人の歴史は克服の積み重ねとも表せるらしい。火をもって闇を制し、法を作って群れを統治する。そうやって何千年も進化し続けてきたすんごい生き物なんだとか。とはいえ、それはあくまで社会レベルの話で、人という生き物は今日も愚かに過ちを繰り返す。
「天音、手が止まってる」
「困るよ。事務仕事は天音の担当分野なんだからしっかり責務を果たしてくれないと」
「過ちどもがうるさいなあ」
いやまあ、ある意味私の過ちでもあるんだけどね。カシオペアの件もあって、ちょっと気分を良くして二人を信じてみようと思った私が悪かったんだよ。
夏休みだったし、男所帯に甲斐甲斐しく通ってやる義理もなし、急いでやるべき仕事もなし。だから二人にサボタージュと有給取得を宣言して、残りの休みを普通の友達と普通の遊びに費やしてしまった。私は働かないから、二人ともギルドは休んで友達でも作りなさいと。楽しかった。その結果がこれだ。
夏休み明けに招集がかかって赴いた落日荘の地下アジト。そこに乱雑する書類の束を見た瞬間、私は理解したね。こいつら、やりやがったな。
しょうがないから事務所にこもって、彼らの夏休みの仕事を振り返る私。なんて優しいんだろう。
「天音、四丁目の市民会館の件だけど」
「いや、それ私知らないし。資料見せて」
凪からフロートで投げ渡される紙束。隅っこににじむ汗の跡は、彼らの不毛な夏休みを知らせるに十分な物証だ。
「大掃除の手伝いって、完全に便利屋じゃん」
「いいんだよ。で、手続きどうやんだ? なんか特例なんとか書類? 的なもの書けって言われて、侭も教えてくれないし」
「特例業務請負申請書類ね。侭も教えてあげなよ」
文句をつけるも、侭は涼しげにアイスティーをすすっている。
「それじゃ凪のためにならない」
侭は侭で書類仕事の面倒くさそうな仕事ばっかり受けちゃってるし。普段孫請けとかやらないじゃん。絶対わざとでしょこれ。
「それじゃ天音のためにならない」
「せめて理屈をこねてほしいんだけど」
侭は柳のごとく小言を受け流すし、凪が法律を学ぶには時間が足りない。でもいいんだ。歩みは遅くても、なんだか作為を感じても、それでも人は過ちを顧みて、弱さを克服できる生き物だ。そう思いたい。
「天音、変化が進歩になるとは限らないし、諦めは克服とは別のものだよ」
「またよく分からないこと言う」
「……そうだね。仕事に戻るよ」
なんだろう。少し侭のトーンが低かったような。
「天音、次これな」
「わ、ちょっと待って」
胸に刺さった小さな違和。気にすることを許してくれず、時間が私を押し流す。
書類の束が片付くころには夜七時を回っていた。椅子から浮いて出ようとした私の腰を、侭の言葉が止める。
「さてと、ウォーミングアップが済んだところで、そろそろ本題に入ろうか」
「だよね。そんなことだと」
だってもう九月。恒例の不法侵入の時期だ。
「周期通り、来週に次の死源が開く」
せっかく片付けた机の上にばらばらと写真を並べながら、侭が会議を取り仕切っていく。
「前回最南端だったし、北に戻る感じ?」
「井垣さんいわくね」
予想が当たって嬉しい反面、死源の開閉という法則に対する疑問は尽きない。何の意味、どんな原理で異界が国土を縦断するのか。というか井垣さんはどこからそんな情報を得ているんだろう。
「天音の好奇心には悪いけど、僕が教えられるのは被害者の数くらいだよ」
「それは知ってるからいい」
「勤勉だね。そんなに死地に赴きたいなんて」
私は過去を顧みる女なのだ。北だけでなく各死源の下調べは終わらせてるし、なんなら部屋に戻れば鞄に必要道具も一式用意できている。いつでも行ける。行きたくないけど。
「じゃあ細かい説明は省くとして――」
側面の凪が「俺知らんよ」と素朴に首をかしげるのを平然と無視しつつ、侭は目的地について情報をまとめていく。
死源の発生地点は北雷道の百国市。行政の中心でこそないものの、娯楽施設が多い遊覧街だ。今はまあ廃墟だけど、災害以前は死源の区画だけで一万人くらいの人間がいたらしい。生還者数は二十八人。六ケ所の死源の中でも圧倒的トップの致死率だ。
「死人が多かったのは単純に開くのが遅れたのが理由だろうけどね」
侭の言う通り、この死源は生存者が見つかるまでに長い時間、それこそ二か月もの時を要している。つまりは異界化だ。内部の状況については調べても得られなかったけど、人が生存できる空間にはなっていると肯定的に捉えよう。
「ちなみに、二人はこの死源に挑戦したの?」
「いや」
じゃあ事前情報は期待できないか。どうでもいいけど、この二人は準備期間があったわりにはあんまり死源に行ってないんだよね。理由を聞いてみると、凪は困った顔。
「金がなかったんだ」
「なるほど」
だからこそのスピンオフというわけだ。高校からギルドを立ち上げてコツコツ実績を積み上げて、余裕ができたのが今年の頭からなんだとか。なんというか、自転車操業だなあ。
「今回も目的は碑文の調査でいいんだよね」
「いいと思うよ」
侭が興味もなさげに答える。たぶん私と同じで期待していないのだろう。碑文は意味深に文章を並べ立ててはいるけれど、今のところ大きな意味をなしていない。調査の大義名分として挙げているだけ、といった感じだ。
「あとはマステマが情報をくれると期待しよう」
「俺あいつ嫌い」
凪の感想はともかく、侭の意見通りマステマの存在は重要だ。ジエンドの本質に近しい性質を持ち、おそらく情報も持っている。私たち三人が中心に到達すると現れるというカラクリはよく分からないけれど。
「味方、とも言い切れないよね」
「あれは敵だ」
断言する凪。自分たち以外は全部敵扱いなのだろう。
「敵といえば、シドとThe rENDについても考えるべきだろうね」
「あれも敵だ」
「凪には聞いてないよ」
侭は片手ジェスチャーで凪を議論の隅に追いやって、私に意見を求める。
「私は、もうちょっと平和的に話したい、かなあ」
「へえ。その心は」
理由は単純で、シドの正体が晴だからだ。晴を凪と敵対させるのはかわいそうだし、本人にも争う気はない。どうにか軌道修正してあげたいだけ。The rENDはおまけだ。
「会話ができるなら争うべきじゃないでしょ」
けれど晴の仮面が剥がれていない以上、真の理由を言うわけにもいかない。結果私はおためごかしで場を濁す。侭も分かっているのかいないのか、「ふうん」と意地の悪い納得顔を見せるだけだ。
「現代における争いというのは、そのほぼすべてが会話に端を発していると聞くけどね」
「私としてはせめて現代には到達したいんだけど」
「凪に言ってくれ」
「え、俺?」
心外だと言いたげに頬杖をつく。態度は一人前だけど、凪が好戦的すぎるせいで対話の機会が減っているのも事実。そのせいで私は未だThe rENDが何をする組織なのか計りかねているところもある。
「俺は、あいつらと話しても無駄だと思うけどな」
「なんで?」
「あいつらには意志がない」
「……」
それはたぶん、事実だ。由宇さんたちに意志がないというわけではないけれど、少なくともThe rENDの思想は彼女たちから離れたところで構築されている。
「ヴォイド(笑)、だったっけ、悪の組織の親玉は。そろそろ拝謁賜りたいね」
「うん」
白鳥さんの情報がどれほど信じられるかは謎だけど、話を聞く感じヴォイドは秘密主義者でインドア派の印象だ。現場には顔を出さないタイプの人間かも。
「引きずり出すか?」
「どうやって」
「白鳥あたりをつるして晒す」
「発想が怖い」
というか私がさっき言ってたこともう忘れているし。暴力厳禁だってば。にらむと「冗談だって」とケタケタ笑う。
「まあ、そのうち会うだろ」
「そうかなあ」
凪はいつも通りの楽観主義。気にしても仕方がないと言っているのかも。The rENDについては会ってから考えよう。
「でも、シドとは戦わないでね」
「なんで」
「なんでも!」
「お、おう」
最近分かってきたのだけど、凪は理屈よりも感情で訴えるほうが聞いてくれやすい。念押しでシドへの防衛線を張りつつも、次は味方の戦力計算だ。
「来週って、理人戻ってくる?」
「いや、文化祭まで戻らないって言ってたぞ」
「そっか」
学校に戻ってこない高校生ってどういうことなんだろうね。
「事前共有はこんなところかな。二人とも今回は隠し事ないよね」
「ない」
「今回はないよ。今回は」
「よし」
若干一名胡散臭いけど、ある意味いつも通りだし良しとしよう。残りの時間で旅程の調整をして、経費で出前を取って、それからその日は解散となった。
背景はどうあれ、旅行というのは楽しいものだ。自然と弾む足を抑えつつ、私は次の死源へと思いを馳せる。藍色に輝く星空が、私の足元を明るく照らしていた。
六章開始。異界と当たり前の話です。




