夏空の感想戦
長いようで短い夏。四泊五日などあっという間に過ぎていく。予定の旅程を終え、予定してないアクシデントも乗り越えて、そろそろ家路につく時間だ。
「いろいろ助かったよ」
玄関口でお菓子の袋を手渡してくるのは斎藤さん。まだ本調子じゃない背中に子供たちを張り付けて、とても楽しそうだ。
「勉強になりました」
「こちらこそ」
相対的な大人と子供。でも少し、近づけた気がした。
「もう二週間くらい泊まってけばいいのに」
凪と侭に賞味期限切れの保存食を押し付けつつ、愛子さんは本気ともつかない冗談をめかす。
「もう十分だよ」「凪に同じ」「あんたらにゃ言ってない」「ひでえ」
なすすべなくやり込められる凪と侭もしばらく見納めだ。情けない顔を写真に撮っておかないと。
「天音ちゃんにはこれ」
手渡されたのは、一冊の本。リビングでホコリをかぶっていた、「先手必勝、護身術入門」だ。
「なんです? これ」
「たぶん、必要になるかなと思って」
なるかなあ。
「なんだかんだ、ガキどもに一番効くのはゲンコツだからね。あいつらがやりすぎちゃったとき、私の代わりに殴っといてよ」
難しい注文だ。乗り気の愛子さんに手取り足取り、ファイティングポーズらしきものを作らされる。
「ほら、正拳突き」
「えい」
愛子さんの手のひらにまっすぐ飛んだ私の握り拳。すさまじい威力だ。
「……いたい」
ダメージがこちらにしか飛ばない不具合はあるけれど。
「まあ、要練習だね」
「やりませんって」
「護身術の基本は虚を突くこと。不意打ちすれば、私らみたいな華奢な女の子でも男二人をどうにか倒せる」
「やりませんってば」
それ以前に正面から力で打ち砕いてた気がするけど。私の抗議むなしく、鞄の中に詰め込まれていく護身術入門。まあいいか。暇つぶしにはなるだろう。
一方隣では、騒がしい声。
「晴姉次はいつ帰るの?」「来月かなあ」
「凪と侭はもうこなくていいぞ」「負けるのが怖いのか?」「なんだと!」「愛子さん、言いたくないけど礼儀作法の教えが足りてないんじゃないの?」「うーん、そうかも」
このハイデシベルな環境ともお別れか。なんやかんやで凪と侭も子供たち仲良くなれたようで何よりだ。
「天音さん」
私のこともちゃんと見送ってくれるらしい。
おずおずと前に出てきた唯花は「また、来てくれますか?」と小首をかしげる。後ろ髪を結ぶヘアゴムがなんだかジャージ臭くて似合ってない。まあ、すぐにもっとかわいいのに変わるから大丈夫だろう。
「うん。また来るよ」
その手をぐいと取って、指を結ぶ。顔を上げた唯花の瞳に、外の光が反射する。
まぶしくて目を細めると、玄関口の電話機が目に入る。いつの間にか張り紙が一枚書き足されていた。スピンオフの電話番号だ。そこには「なんでも屋」「超能力者」のキーワードと一緒に、「ともだち」とたどたどしい筆跡で記されている。
私はこの子にとって道標になれただろうか。大人として光を示せただろうか。答えは分からない、今はまだ。
「あ、そうそう」
扉を閉めようとした時、愛子さんが思い出したように私たちを呼び止める。
「報酬は雄吾のとこに振り込んどくから、四人で分けてね」
「あ、いえ、そんな」
旅行に行ってお金までもらうなんて、なんだか申し訳ない。相場の通りなら、六桁くらいの金額が動くはずだし。辞退を提案すべきかと悩み、周りを見る。
「もらえるもんはもらっとけ」
「一応言っておくけど、旅費は無から生まれるわけじゃないからね」
「わたしは凪に呼ばれただけなのでいらないです」
三者三様の主張。なのになぜか、視線は戻ってきてしまう。私が決めていいのかな?
「うーん」
今までもスピンオフの仕事として報酬は得てきたはずなのに、なぜだか重みが違うように感じられた。きっとお金以外に得るものが多かったからなのだろう。
逡巡する私の頭の上に、愛子さんがぽんと手のひらを置く。
「働くことは学ぶこと、与えることはもらうこと。人生の先輩からのアドバイス。天音ちゃんたちはいい仕事をしたんだ。誇りなさい」
つむじに触れる手のひらは私のそれより大きくてゴワゴワしていて、温かい。こうなりたい、こうありたいと感じた。
「そうします」
持たされた最後の土産は、何もないはずなのにズシリと重く肩にかかった気がした。
電車が緩やかに、しかし確実に加速していく。見える田舎の風景は飛び去って行き、田畑はセメント、木々はビルの群れへと風景のバトンを渡す。
凪は窓枠に頬杖をつきながら、ぼんやりと外の景色を眺めている。逆の肩には疲れて眠ってしまった晴の肩。堂に入ったお兄ちゃんムーブは、これはこれで絵になる一コマだ。
「どうだった?」
隣からは侭の声。
「どうって?」
「結局僕らはことの真相を知らないままだからね。一応、聞いておこうと思ってさ」
そういえば、今回は珍しく侭も遊んでいただけだ。裏で根回しをしていたのかと揶揄してみても、「子供相手にそこまでしないよ」と胡散臭い笑みが返る。
「でもまあ、久々に楽しかったかな」
言葉は少し頭を押さえつつ。なんやかんやで侭にとってあのゲンコツは思い出の一つらしい。
「常識やしがらみを全部忘れて遊ぶのも、たまには悪くない」
まるで普段は常識に基づいて行動してるみたいな言い草だ。教えを説くべきか迷う私を無視して、侭の言葉は静かに続く。
「楽しい時間は永遠じゃない。いずれは法の整備も進んでいく。こんな風に好きに異能を使えるのは、きっとあと数年だろうね」
視界がふっと暗がったと思ったら、電車がトンネルに入ったようだ。サバイバーズギルド、社会を巻き込んだはた迷惑なモラトリアム。この奇妙な制度も、きっと永遠ではいられない。そこに寂しさを感じるのは私だけではないのだろう。
「で、真相はどうだったの?」
「……」
私たちは有限を生きている。時の歩みは今を過去に変え、大人であることを強いられる場面も、きっと増えていくのだろう。しがらみ、苦難、責任、すべては未来への行き先知らずの渡航切符。
でも今、この一瞬は今だけだ。
「教えてあーげない」
せめて、友達の前でくらいは子供でいてもいい。そうだよね?
「やれやれ、性格が悪いな」
少しだけ崩れる侭の作り笑い。暗がりに隠れたつもりだろうけど、ちゃんと見てるよ。
「二人して何話してんだ」
「何でもないよ。天音が意地悪だってだけ」
「侭、お前今度は何言ったんだよ」
「ちょっと僕の信用なさすぎない?」
自然と、息がこぼれる。客の少ない新幹線の中に少しだけ満たされる笑い声。青春の一ページ、きっとそう。
でも、もしも。
もしもこの時、私が二人に真相を話していたら、どうなっていただろうか。
もしもこの時、私の猜疑が真実の一歩先へと届いていたら、何が起きただろうか。
変わらない。今でもそう断言できる。だってそう、大事なものは壊れないのだから。
トンネルを抜け、光が窓に差し込む。
今年もきっといい夏だ。私たちの夏休みが、日常が始まる。
五章終わり。テーマは縮図。派手な謎や戦闘があるわけではないですが、天音の思考や行動を通して前半の集大成が描写できたと思います。次章から後半戦、引き続き作中で最も悩み多き人間として苦悩と困難に立ち向かってもらいます。




