ヒールエンド
女子供とケガ人一人。行きがけよりも増えた足音で、私たちはぞろぞろと家路につく。空はすっかり暗くなってしまったけれど、代わりに現れた星々が夏のあぜ道を照らす。
「あ」
頭上にはちょうど、明るく並ぶ五つの瞬き。カシオペヤ座だ。名前のせいか、ちょっと親近感を覚えてしまう。とすると、北極星はあっちかな。
「何があるんですか?」
空を見上げながらニヤつく私を不思議に思ったのだろう。翔人が真似して上を向く。
「星を見てたんだ」
「星? なんで?」
言葉の裏には「星なんて珍しくもないのに」という翔人の疑問がうかがえる。実際、空気が澄んだここでは当たり前なのだろう。
「うん、いい空だね」斎藤さんは朗らかに指を掲げ、翔人を導く。
「あれが白鳥で、あっちが竜だね」
「どれ? え、ただの光じゃん」
「ただの星、ただの光だ。意味は人が見出すものなんだよ」
「分かんないよ」
斎藤さんのロマンほのめく解説に対しても、実に男の子な反応だ。頭にハテナマークを浮かべる翔人の背中をグイと押しながら、斎藤さんは笑みをこぼす。
「星はただ、そこにある。でもそれってすごいことなんだ」
「何がすごいの?」
「ほとんどすべてのことは、変わっていく。今日翔人が一歩踏み出したように、唯花が一歩歩み寄ったようにね」
言葉につられて唯花と翔人が互いを見る。照れくささと気恥ずかしさが混じる、いい笑顔だ。涙の跡は見えたけど、それもきっと乾いて、変わっていく。
「忙しく変わっていく世の中と自分とに疲れたとき、迷ったとき、嫌になったとき。身近なところに変わらない輝きがあると、迷わずに済むだろ?」
「それが大人、ってことですか?」
「分かってきたじゃないか」
当人同士にしか伝わらない、私と斎藤さんのやり取り。大ケガを押して冷静であろうと努める姿は、きっと燃え続ける恒星のごとき覚悟の賜物なのだ。
首をかしげる唯花と翔人。その二人の手を後ろからつかんで、斎藤さんが一歩前に出る。
「でも僕は、先人の教えはそれだけじゃないって思うんだ」
まだ何か深い教訓があるのか。ちょっと期待している私に、斎藤さんは苦笑を見せる。
「迷ったときは上を見ようっていう、ポジティブシンキング。スキヤキメソッドだね」
「スキヤキ?」
「今日はカレーだってアイちゃん言ってたよ」
「おかしいな、伝わらない。音楽の授業で習わなかった?」
微妙に緊張感の抜ける雑談が、夏の空へと溶けていく。体をすり抜けるこの風が、いつかこの子たちにとって忘れられない思い出になってほしい。そう思った。
「あれ? まだ遊んでる?」
とっくに就寝時間かと思ったけれど、カシオペアの庭にはまだ活気ある声がこだましている。活気があるっていうか、もはや悲鳴?
人類には言葉がある、その概念を忘れさせる程度には本能本位な叫びが絶え間なく響く。なんだろう、すごく嫌な予感。
「ねえ」
手ごろな穴ボコに身を潜める健太を見つけて、声をかける。
「そろそろ寝る時間じゃない?」
「それどころじゃ――翔人じゃん、治ったの? 斎藤さんまでいるし」
ややこしくなりそうだ。「そっちは後で」とはねのけて、先を促す。
「何があったの?」
「いや、唯花が戻ってくるまでご飯食べない、ってみんなで意気込んで戦ってたんだけどさ、途中からアホ二人がケンカ始めちゃって」
「アホ、二人」
困った。非常に困った。何が困ったって、カシオペアの子供たちはみんな賢いから、あんまりアホと表現できないことだ。存在しないはずのアホが二人、いったいどこから発生したのやら。
「天音さん、なんとかしてよ、あれ」
追加で困ったことに、それらをどうにかするのは私の管轄らしい。仕方がない。能力の余波で飛んでくる泥を顔面に受けながら、私は本日最後の勇気を絞る。
月と星とに照らされる、大人げなき大人もどきの影二つ。
「観念しろよ。素手のお前に何ができる」
「この数日で僕がエタニティを張りなおしたことに気づかなかったのかな? 暴力が支配する時代は終わったんだよ」
風を切るコインの群れ、突如として地面から立ち上る水柱、強度を失って崩れ去った古木たち。そこはまさに大人げなさの博覧会とでも言おうか。
「二人とも、何やってんの」
「「見れば分かるだろ」」
息ぴったりに質問意図を誤解する二人は、再び殴り合い探り合いで間合いを計り始める。なんかもう仲良くケンカしなって言いたいんだけど、後ろで子供たちが見てるんだよね。
「ねえ侭、大人げないよ?」
「僕が子供をやめるのはこいつと決着をつけてからだ」
そういうこと言う子はいつまで経っても大人になれないよ。
「ねえ凪、晴が見てるよ。危ないって」
「俺が勝てば問題ない」
さっきの私の感動を返せ。いや、勝手に想像した私が悪いんだけどさ。こっちもダメだ。話にならない。
さて、どうしたものか。言葉が通じなくなってしまったアホ二人相手に、私ができることは実はほとんどなかったりする。間に晴を投げ入れるという最適解を選ぶには、私の人間性はまだ健全だし。
かつかつと、サンダルの音。
「二人とも」
「邪魔すんなよ愛子さん」
「僕らは今ルールに則った決闘を――」
その時私は初めて、人骨が反響し、共鳴する音を聞いた。そして、二人の頭上に舞う。
「星だ」
なんだっけ。争いとは最も古くより培われてきたコミュニケーション手段で、ええと、勝った者が正義だっけ?
私がくだらない締めの一句を考える間もなく、男二人は問答無用で地面に叩き伏せられてしまった。
「飯が冷める。家に、帰れ」
これが力だと言わんばかりの、最小限の号令。子供たちが弾かれたように玄関に向かう。それを満足げに見送って、凪と侭にもう一度蹴りを入れ、ようやく私に気づいたらしい。
「お帰り」
そして、後ろにぞろぞろ続く予定外の帰宅者たちを見て、ふっと笑みを崩す。
「ほら晴、カレーにしといてよかったでしょ?」
「さすがは愛子さんです」
子供と大人が背中を押されていなくなり、残ったのは私と晴と愛子さんと、半死人二つ。ひしめき合う玄関先を片手ひさしで見て、それから私に一言。
「天音ちゃんには特別にミートボールを三個あげよう」
「ありがたき幸せです」
玄関先は子供たちでひしめき合い、皆がいち早く食卓に着こうと躍起だ。まだケガが治っていないだろうに、斎藤さんがさっそく仲裁に走らされている。おしくらまんじゅうだけど、敵意はなくてみんな笑顔。ようやく子供たちの間でわだかまりが解けたのだと実感する。
「……僕らが争う必要なかったな」
転がされて冷静さを取り戻したのか、侭が地べたから目だけこちらに向ける。凪は立ち上がりつつ、「同感」とジーンズの表面からゴミを吹き飛ばす。
「いんや、このケンカは実際、必要なものだったんだと思うよ」
意外にも、愛子さんは朗らかだ。
「譲れないもののために戦うこと、相手の譲れない何かを知ること、ケンカって結局は、分かり合うための手段の一つだからね」
凪と侭の視線が、互いに向く。きっと二人の友情はぶつかり合うところから始まったのだろう。そして今なお、ぶつかることで磨かれている。
「譲り合うことは分かり合うことじゃない。もちろん、ときには相手の価値観に寄り添って、自分を捨てることも必要かもしれないけど。でも、最初から争わない選択を取れるほど、人間って賢くないからね」
愛子さんは凪と侭、そして凪に寄り添う晴を見て、最後に子供たちに目を向ける。
「あの子らはこれからも、たくさんの違う思想を持つ誰かと出会う。そのたび逃げ出して怯えてたんじゃ、一生先に進めない。だから今なんだ。ぶつかっても家族なら、壊れない。絆は星になって、あの子たちを導いてくれる。それが家族ってものだと、私は思うよ」
「愛子さん」
話をしみじみと聞いていた凪が、意を決したように口を開く。
「酔ってる?」
「ほろだよほろ。夜はこれから」
「いや酔ってんじゃん。どうりで軽いと思ったよ」
凪は頭のコブを押さえつつも、愛子さんに肩を貸す。途中の信じがたいワードはさておき、気丈に見えて愛子さんも心配だったのだろう。
でも、もう大丈夫。力強く引っ張っていく凪の姿が頼もしい。
さて、あとはこっちの廃棄物だけど。
「介抱、いる?」
「間に合ってるよ」
差し出した手を予想通りにはねつけて、侭もどうにか復旧したらしい。よろよろと立ち上がって、結局姿勢を崩して私の手をつかむ。
「ふう、予定通り、最後には僕らが悪者になることで、子供たちは気兼ねなく、このケンカを一つの思い出にすることができるように、なった。すべては計算通りと言ってもいいだろう」
「へーすごい」
歩くのもおぼつかないような状態でまず出てきたのがそのしょうもない言い訳っていうのが、もう筋金入りって感じだ。
「格好、つけなくてもいいのに」
まあでも、こうなってしまうのもやむなしというものだ。凪と晴はいつもベタベタしてるし、愛子さんはちょっとスパルタ。誰もこの子を甘やかしてはあげられなかった。自然体の侭を認めてあげる大人がもう一人、必要だったのかも。
「……天音」
「ん」
「この手は何?」
「いや、なんかちょうどいい位置にあったから」
変なことを考えていたせいで、無意識に侭の頭を撫でていたらしい。
「侭の知られざる努力への、ご褒美?」
「それはどうも」
似合わないぶっきらぼうな返事。
茶化すかのように、諫めるかのように、狙いすましたタイミングで星が光の筋を描く。
「あ、流れ星」
「……いつもありがとう」
言葉は聞こえないように差し出されたから、聞こえなかったフリをしてあげよう。代わりにもう一度、ぐしゃぐしゃと侭の頭を撫でる。あ、逃げられた。
侭は迷惑そうに頭を振ってから、少しだけ感慨深げに撫でつける。
「前哨戦は終わりだ。そろそろ帰り支度をしないとね」
故郷はいつか、帰る場所じゃなくなる。そう言っている侭は私の少し先を行くようで寂しくて、でも今は同じ場所に帰ってくれること。それが少し、嬉しい。
翔人のケガがほぼ治っているのに入院を続けられたのは田舎だからで、翔人と斎藤さんが病院を叩き出されたのも田舎だからです。見舞い時間をオーバーしても追い出されなかったのも、もちろん田舎だからです。




