痛みを分かつ戦い
ひとりきりの孤独。それは一人でいることじゃなくて、一人にされること。突き放されてどこにも身を寄せられない心細さは、私もよく知っている。翔人の置かれていた状況も、つまりそういうことなのだ。当然それはカシオペアの子供たちのせいじゃない。ただ彼は、今まで立っていた地面をひっくり返されてしまっただけ。
因果も理由も分からないけれど、翔人は超能力を後天的に得てしまった。能力者と非能力者という対岸の狭間で、ただ一人断崖絶壁に残される孤独。それがこの事件の本当のきっかけ。私には理解も想像も及ばない悩み。でもそれこそが翔人の孤独を証明している。
「斎藤さんは、全部知ってたんですね」
「まあね」
同じタイミングで同じケガ、必要以上の秘密主義、何よりカシオペアの世話よりも優先すべきこと。その他もろもろいろんなことが腑に落ちる。たぶん、翔人にこっそり能力の手ほどきをしていたんだろう。最初に会った時、なんかひんやりしてたし。
「ちょうど入院中だし、いい機会だと思ったんだ。終わってみれば、愛子さんに相談すべきだったとも思うけどね」
笑い声は苦々しい。でも、難しい話だ。斎藤さん自身も超能力を隠すべきという常識に縛られている。それを捨ててでも翔人のために動く。私に同じことができただろうか。
「今は、二人を迎えに行こう」
「ですね」
窓の向こうで困惑する目が四つ。あれが糾弾に変わる前に、早めにネタばらししないとだ。
「斎藤さん、見てたの?」
翔人の反応は恥ずかしさが半分、怒りが半分だ。それを「ずっと見てるよ」と大人のはぐらかしで受け流しつつ、今度は唯花の頭を撫でている。
「……天音さん、見た?」
「ばっちり見たよ」
これぞはぐらかしと並ぶ第二の大人秘技、開き直りだ。隣で晴が話に入るべきか迷っていたため、「晴も見てた」と手前に持ってくる。
「どうすれば黙っててくれる?」
「ちゃんと自分の意志でみんなに話すならね」
カシオペアの子供たちがどんな反応をするかは分からない。でも、唯花の表情を見れば分かる。少なくとも今翔人はひとりじゃない。これなら、大丈夫だろう。
「分かった。全部話すよ」
「え?」
一人満足している私に、翔人は不満げだ。
「天音さん、死源の話が聞きたかったんでしょ?」
「あ、うん」
話せって言葉をそう解釈しちゃったわけだ。否定しようとする晴を手で制して、続きを促す。
「天音さん?」
「いいから」
後天的な能力者変化。侭とかに知識で頭上をとれる要素は貴重なんだ。話してくれるというのなら、もらっておかない理由もない。
汚い大人の攻防をつゆ知らず、翔人は語り始める。
「髪飾りを探していたら、変な穴を見つけたんです」
「地面の穴ボコ?」
「いえ、壁になんか、ブラックホールみたいなのが」
想起するのは、過去二度の死源への旅。鍵によってこじ開けられた空間の裂け目は、表現するならブラックホールのイメージ図にも似ていた。隣の晴を見ると、気まずそうな顔。やっぱり、晴が出て行った時の出口が見つかったらしい。
「中に入った?」
聞くと、翔人の首は縦に落ちる。まあ、子供の好奇心があの光景の魔力に勝てるわけもない。
「どんな場所だった?」
「……静かな場所でした」
語られる情景は晴の印象とまったく同じ。不思議なことに、中は真っ暗で本当に何もない世界だったらしい。髪飾りをすぐに見つけて、翔人は闇の中に立ち尽くす。
「怖くて、不安になって、でも足が動かなかった。たぶん、罰なんだと思いました」
「罰?」
「唯ちゃんを傷つけて、斎藤さんに無理言って、迷子になって迷惑かけて、全部僕のせいだから」
「違う。全部わたしのせい」
会話に割って入るのは唯花。二人してありもしない罪悪感に潰されそうで、少しいたたまれない。
「それで、それでどうなったの?」
「声が聞こえてきました」
「声?」
口ぶりからして唯花や斎藤さんの声ではなさそうだ。まさか死源の怪物? 私の疑念に対し、翔人は穏やかだ。
「『ここにいてはだめ』って、女の子の声がしたんです。気のせいかもだけど、迷子なら助けに行かなきゃって、奥に向かおうとしたら、斎藤さんが大きな声で呼んできて、びっくりして」
「あとは柏木さんの想像通りだよ」
つらそうな翔人から言葉を引き継いで、斎藤さんは自分の胸元を示す。驚いた拍子に飛び出た異能、翔人本人すら知らなかったそれが斎藤さんと翔人自身を襲ったのだ。
状況証拠から考えるに物質の三態に干渉する能力だろうか。個体を作る時に温度変化が起きて、それで二人とも凍傷を負ったと考えると筋は通る。いや、気になるけどここは本質じゃない。気になるけど。
つまり真相は紛れもなく、ただの事故だということだ。ただの事故、ただの不運。でも、子供が一人で罪を感じて、孤独になるには十分な理由。小さな小さな大事件。
「せっかく見つけた髪飾りなのに、それも壊しちゃって、だから」
思い出してまた泣きそうになる翔人。懐から取り出したボロボロの髪飾り。きっとその時に壊れたのだろう。
ここで私は、一つ思いつく。
「たぶんね、髪飾りは翔人を守ってくれたんだと思うよ」
「え?」
疑問の声は二つ。唯花と翔人から。
「これは秘密なんだけど、超能力って、強い思いがこもったものには効きにくいんだよね。髪飾りは砕けたんでしょ?」
「……そういえば、凍ってない」
「うんうん」
厳密には少し違うのかもしれない。髪飾りに宿る唯花の思いが能力暴走を妨げうるかは知らないし、そもそもそれが可能な位置に髪飾りがあったのかも分からない。
私は事故の瞬間を見たわけじゃない。髪飾りは翔人を守ったのではなく、本当にただ余波で割れたのかも。でも、誰も見ていないのなら、私は私の案を信じたいし、信じさせたい。
「よかった」
初めて、唯花から漏れる安堵の声。それが翔人にも伝播したのが見て取れた。
「それで、翔人はどうする?」晴が壊れた髪飾りを取り上げ、唯花に渡す。
「唯花はどうしてほしい?」
ボロボロの髪飾りを愛おしそうに抱きしめながら、唯花はこれも初めてだ、イタズラっぽく笑う。
「新しいの、プレゼントしてくれたら、許してあげる」
ぱあっと輝く翔人の顔。光る涙と、交わされる約束。ようやく私も言えそうだ。
「これにて一件落着かな」
窓の外はきっと星空。帰って遊び人どもに自慢してやろう。少し視線を上向けて、キラキラと輝く窓ガラスを覆う氷の塊を見る。
「ん?」
一度戻して、もう一度。霧と消えたはずの氷の塊が再び天井を覆っている。おかしい。氷の出元は唯花の足元から、嬉し泣きに呼応するように急激に、急速に室温が下がっていく。
「え、あれ?」
本人も気づいたらしい。その場から逃げようとして、けれどもその足すら氷漬けになっていく。
「境界破壊だ」
観鈴の時と同じ。絶望のままに異能を使い続けた反動。トリガーの破壊。制御を失った異能が冷気になって、部屋を侵食していく。
冷気が氷柱を作り、私たちを包囲していく。先端が私の背中に触れる。唯花の表情に恐怖がにじむ。冷や汗、圧迫感。まずい。これはまずい。
晴は手袋に手をかけている。でも、さっき自分が言っていた通り、この状況で氷を砕いても大ケガは避けられない。
「翔人」
もう一度勇気を。けれども翔人の表情は蒼白で、虫のいい私の希望だと否定する。翔人自身もなりたてだ。不慣れな異能に精神がもつはずもない。
数ミリ、氷が背中にめり込む。足首を削る。痛みよりも焦り、焦りよりも悔しさが脳を支配していく。
部屋の中心には唯花と翔人。二人を守らないと。
「晴、いける?」
「やります」
氷を砕く。子供たちは守る。斎藤さんには、うん、頑張ってもらおう。合図を出そうと息を吸い込む。
「よし?」
途中から疑問形になったのは、違和感から。氷がいつの間にか消えていた。いや、違うか。氷の柱たちはまだ部屋にある。ただ、サイズが小さくなっているんだ。手を伸ばして粒になった柱をつまむのは、斎藤さん。
「危なかったね」
冷や汗を拭いながら、拾い集めた柱を窓から空中に投げ上げる。
大人には大人の常識がある。大人は人前で能力を使わない。だって、自分の立場が危うくなるから。
力の制御を離れた氷塊が肥大し、反動で破裂し、空気に舞って降り注ぐ。細氷を背に微笑む斎藤さんは、まるでコミックの中のヒーローみたいに見えた。
「マンガ、全部意味ないじゃん」
抱えられながら、翔人がつぶやく。その目の中にはなぜだろう、曇っているにもかかわらず、星が瞬いていた。
「子供に非常識を見せびらかすなんて、マナーがなってないですよ」
「僕は悪い大人だからね」
大人だから。その言葉の意味が、今日は少し違って聞こえた。
看護師さんにお説教を受けて、院長先生にもお説教を受けて、騒ぎを聞きつけたほかの患者さんに慰められて、解放されたころにはもう深い夜。その場で退院許可という名の退去命令を突きつけられたから、帰りは総勢五名の大所帯だ。田舎道も並んで歩くには少し狭い。
「やっぱり、帰るの怖い」
「帰らないと心配されちゃうよ?」
興奮が去ったのか弱音を吐き出す翔人と、イタズラっぽく笑う晴。
「でもぉ」
なおもごねる翔人の頭を似合わない乱暴さで撫でつける。
「昔ね、わたしもお兄ちゃん二人と大ゲンカして、家出したことあるんだ」
「そうなの?」
大人げなく割り込んでしまったのは私の驚き声。でも仕方ないと思う。私の方を振り向いて、晴は気恥ずかしそうに笑う。
「二人ともケンカばっかりで全然構ってくれないって、大した理由じゃなかったんです。でも、昔のわたしにとってはすごく大事なことだったから」
晴は言葉を止めて、空を見る。
「さみしくて、ずっと泣いてた。冬だから外は寒いし、都会と違って誰もいないし。でもそれ以上に、二人がわたしを探しに来てくれないんじゃないかって思ったら、もっとさみしかった」
「来てくれたの?」されるがままの翔人が、つられて上を向く。
「ううん」
意外にもその首は横に揺れる。
「でも、すぐ近くで、じっとわたしが帰ってくるのを待ってくれてた」
晴の瞳が曇り空に星を反射する。きっと、その日の星空を見つめているのだろう。
「凪に怒られて、侭さんにも怒られて、星がきれいで、冬だったから、呑んだ息が冷たくて。だからかな、針千本呑むより、ずっと痛かった」
「怖かった?」
不安げに聞く翔人。晴は朗らかに首を振る。
「お兄ちゃんたちに引っ張られて家に帰ったらね、愛子さんがココア出してくれたんだ。みんなで飲んでたら、なんだか、怖くなくなっちゃった。甘くて、ちょっとしょっぱくて、頭が痛くて。今でもはっきり覚えてる、思い出の味」
凪と侭。二人がケンカをしなくなった理由が、なんとなく分かった。二人はやっぱり、晴にとっては等しく兄でありたいのだろう。己の意志を変え、その関係性をも変えるほどに。
一つ、納得がいった。カシオペアにとって約束はある種の呪縛かもしれない。けれどもそれは、確かに揺るぎない道標なのだ。超能力という自由を不条理に与えられた子供たちが、まっすぐ歩むための星。星と星はつながっていて、だからこそ一人じゃないと実感できる。
ひとりきりからの脱却、自分であること、自由。
約束は廻る。過去の光は今を照らし、照らした先にあるのは未来。
雲が晴れて、星が出てきた。晴が指を伸ばして、それをなぞる。
「だから帰ろう。わたしたちの家に」
斎藤さんは大人ですが、見方を変えるとそれなりに未熟に見えるようにも書いています。彼もまた迷える星の一人なのです。




