広い宇宙に星屑ひとつ
泣き疲れて寝てしまった唯花を凪に背負わせて、カシオペアへと戻る。その道すがらも、私は頭に浮かんできた一つの仮説を捨てきれずにいた。
「ああ、帰ってきた。無事?」
「問題なし」愛子さんに背中を見せて安心させる凪。
「裏山で迷子になってたみたいだね」侭もフォローを入れる。
愛子さんはその言葉のすべてを信じたわけではないようだけど、何も聞きはしなかった。いや、何か聞こうとしたそばから凪が唯花を押し付けて黙らせただけか。
「さてと」
文字通り肩の荷が下りた凪は両腕をぐるぐると回し、それから様子を見に来た子供たちににっと笑いかける。
「続き、やるか」
「嘘でしょ?」
この状況でまだ続けるのか。苦言を呈そうと思ったけれど、意外にも子供たちは文句も言わず近づいてくる。乾いた笑いを見せてはいたけれど、スローターを再開することに異存はないらしい。
「これも一つの星の導きってことなんだろうね」
私の後ろをすり抜けながら侭も乗り気を示す。確かに、不安と不満の募る状況では、こういう分かりやすい目標が必要になるのかも。
「私も参加しよっかな」
たまには思いっきり泥玉を投げるのも面白いだろう。ちょうどジャージみたいな服着てるわけだし。
「天音はダメ」勇み足を踏み出す私を、侭の手が止める。
「え、なんで」
「仕事、あるだろ?」
「侭の仕事でもあると思うけど」
「僕らは子供の世話で忙しいんだ。それは天音の仕事」
反論の余地なく断言して子供たちに交ざっていく侭。まるでずっと悩んでいろと言われているようで心外だ。
開け放たれた窓の外で繰り広げられるスローター。対決の様相は崩れ、もはやストレス解消のための大運動会と化しつつある。夕飯前の大虐殺を眺めながら、私はぼんやりとサラダ野菜を小皿に散らす。
「……どうしよ」
私の仕事。思いつきはある。けれどもそれが真実につながるかは分からない。確かめようとすると、みんなを傷つけることになるかもしれない。
唯花は寝顔に涙の跡を残している。いろはたちはスローターにかかりつつもその様子を心配そうに見ている。翔人は傷ついたままだ。本当に、私がやるべきことなどあるのだろうか。
「仕事は順調か?」
窓の外から凪がひょこりと顔を出す。子供たちを追いかけついでに来たのか、息を上気させている。窓枠伝いの腕からは熱気が感じられて、なんというか男の子って感じだ。田舎の水道がいかに冷たいか思い知るがいい。首元めがけて手を伸ばすも、一歩引かれて届かない。
「なんだその手」
「いや、暑いかなと思って。お茶飲む?」
「いる」
適当に空いたグラスに麦茶を注いで手渡す。
能天気に茶を飲む凪は、悩みと無縁というわけではないのだろう。他者に白い目で見られ続けても能力を使うことを選んだ。今だって無意味に周囲に葉っぱを浮かべている。私よりも多くの困難を乗り越えて、決断してきた。だから悩みに動じない。
ふと凪と目が合う。いや、凪はじっと私を見ていて、私が目を逸らしていただけ。少し考えて、悩みを言葉に変換する。
「もしさ」
「ん?」
「もし、凪が世界に一人だけの超能力者だったとして、そしたらどうする?」
「なんだよそれ」
笑い飛ばすかのように一陣の風が吹く。凪は飛ばされていく木の葉を視線で追いかけつつ、「なんだそれ」と繰り返す。
「『ひとりきり』はさみしいよねって話」
「……」
こういうとき、凪は詳しい話を聞かないでいてくれるから好きだ。そのうえで真剣に考えて、凪自身の世界を私に明け渡してくれる。
「オレだったらそうだな、晴に会いに行くよ」
「いつもと変わんないじゃん」
「ちょっと違う。いや、大いに違うか。たぶん世界が変わる」
何を言っているのかよく分からないけれど、あるいは分かってほしくないのかも。少し独りよがりな凪の言い分。
「難しいよな。世界は自由で、いろんなものがよく見えて、だからひとりきりに意味を探す。みんな、ただの一人に過ぎないはずなのに」
凪の言葉は私を見ているようで、もっと遠くに向けて放られているようにも見えた。
「実はさ、迷ってることがあって」
胸中のわだかまりを曖昧に濁して言葉に変える。一つの問題を解決するために、別の一つが困るかも。そんな感じ。
告白を受けた凪は、一言。
「晴に会いに行け」
「また?」
「最適解だからな」
ある意味、「俺に聞くな」と袖にされている気もしたけれど、凪の誇らしげな顔を見ていると、不思議と私も嬉しい気持ちになる。きっと、私の知らない二人の物語の中で培われた不文律のようなものがあるのだろう。
「それは経験談?」
ちょっとしたイタズラ心で聞いてみる。どんなのろけ話が飛び出すかと思いきや、意外にも返ってきたのは自嘲気味な作り笑顔。
「俺は、晴に会いに行かなかったんだ」
晴、忍び込んできたって言ってたけど。食い違いの詳細を聞く間もなく、凪は麦茶のグラスを置いて背を向ける。
「望む答えは、いつも心の内側にある」
お土産代わりに持たされたのは、抽象的なアドバイス。上げた片手一つだけを残して、再び大虐殺の震源地へと消えてゆく。
「洗濯のこととかちゃんと考えてほしいなあ」
悩みは晴れず、けれども道は示された。友達がそこまで言うなら仕方がない。おすすめ通りに相談するのも一つの手だ。
晴のことで悩んでいるのに、その当人に相談を持ち掛けるのはいかがなものか。自問したところでもはや止まれない。空元気の鼻歌交じりで洗濯物の取りこぼしを捕まえていた晴の後ろに立って、一呼吸。
「ちょっと聞いてもいいかな」
「なんでしょうか?」
反応はたじろぎ。私の態度から、唯花に関する案件だと察したらしい。一歩下がりそうな晴に、だから私は一歩近づく。
「死源に現れた不審者のことなんだけど、やっぱり晴もその人が犯人だって思う?」
「はい」首はためらいがちに縦に傾く。
「どうして、そう思うの?」
「だって、一番怪しいですし」
その通りだ。私もそう思う。でも、勝手なイメージだけど、晴は違うとも思う。この子はきっと、見ず知らずの人間に疑念を押し付けたりはしない。
「唯花のためでもあります」
「うん、だよね」
疑念の逃げ場は必要。それも分かっている。事態を丸く収めるのであれば、不審者という不透明な存在にすべてを委ねればいい。それでも私が問いただすのは、なぜだろう。
見上げた先にはまばらに散らばる黄昏入りの星明かり。生ぬるい風が、背中を揺らす。
「不審者を突き止める方法があるって言ったら、どうする?」
「……突き止めるんですか?」
気弱ながらも芯を感じる晴の言葉。心に去来するのは、動揺と納得。たぶんこれが、凪の言う「晴に会いに行け」の正体なんだろう。鏡のように澄んだ目で是非を問うから、おのずと自分の本心が透けてくる。
「私が唯花を助けるには、それしかやり方が分からないんだ」
誰かではなく、私が助けたい。人の秘密を巻き込んだ、はた迷惑な好奇心とエゴ。でもそれがきっと、私の本質。
「どうしたらいいのかな?」
我ながら情けない告白だ。でも、晴は真剣に私を見る。星を見て、凪がいるであろう方向を見て、一度だけ祈るように目を閉じる。
「天音さんの心は、天音さんの中にしかないですよ」
晴は一度言葉を止め、目を開ける。
「でも、わたしも唯花を助けたいです」
開いた瞳の中に、夜空の星が瞬いて見えた。少なくとも、私たちは同じ光に照らされている。脳内を揺蕩う悩みのもやが、胸の内側に集まって形を成す。そんな感覚だ。
「じゃあ、言うね」
心が決めるままに、指先をゆっくりと、晴の方へと向ける。
「不審者の正体はシド。違う?」
「当たりです。――え?」
はにかむように笑う晴。その顔が、ワンテンポ遅れて固まる。
「やっぱり、晴がシドだったんだね」
ここまでくれば駆け引きも必要ない。私はただ、左手を突きつける。意図は晴にも伝わったらしい。眉を下げながらも手袋を外し、自身の左手を私に沿わせる。
数秒、時が止まり、そして流れる。時間とともに流れ出したため息は、私の仮説が正しいことを証明してくれていた。
「詳しい話を、聞かせてください」
手を放す晴は諦めたような、困ったような顔で笑っていた。
常盤凪⑧:ひとり――の――の世界。それは――だ道で、望ん――悔だ。でももしも天音があの時いてくれたなら、空――も――ていて、――凪――なず――んだのだろうか。




