ギルト
唯花が消えた。行方不明、誘拐、家出、自暴自棄。スローターどころではない。緊急事態だ。
建物に戻る間もなく、唯花捜索作戦に参戦する。ぼうっとしていた晴も事情を聞いて考えてる場合でないと思ったのか、すぐに気持ちを切り替えたようだ。
「二人とも、どこまで探した?」
凪と侭から状況を把握する。少なくとも建物内と近くの森はあらかた探したらしい。私自身、午前中に唯花と会った茂みや隠れ場所になりそうな穴を思いつく限り調べ、痕跡すらないことを確認する。
「誘拐の可能性はありますか」
「否定はできないけど、悲鳴も車の音も聞こえなかったからない、と思う」
子供たちから距離をとらせて確認すると、愛子さんからは自信なさげな返事。みんなの安全を預かる身としては気が気でないのだろう。何度も同じ場所を探そうと歩き回っている。
私はというと、少しだけ思い至る場所があった。玄関に戻り、下駄箱を開ける。
「靴はなし」
唯花用の運動靴が消えている。サンダルから履き替えたということは自分の意思で出かけたということ。翔人のお見舞いに行く可能性も、今その一本道を通ってきた私自身が否定している。だとすると、もう答えは一択だ。
「二人とも、ちょっと」
今度は凪と侭を呼び出して確認する。
「死源に案内して」
その一言に首をかしげる凪と、ほぼすべてを察したのか顔を歪める侭。子供たちと愛子さんの意識の影をついて、凪の案内のもと死源に向かう。
「ここだ」
十五分も経たずに到着したのは、何もない荒野のような場所だった。伸び放題だった雑草には、少し古い痕跡と、今しがたついたばかりのような折り目。まだ草の汁が湿っている。
「天音の予想通りっぽいな」
慣れた様子で進む凪の後ろを、私と侭で追いかける。
茨道を歩きながら、背筋に緊張が溜まっていくのが分かる。凪と侭の話しぶりからしてこの死源は閉じていて、異界自体も危険なものではないらしい。けれども周囲を覆う圧迫感、近づくにつれ消えていく自然、増えていく不自然な陥没や隆起、そのどれもが、この場所の異質を説明する由縁として、私に警告を加える。
「どうした天音」
穴ボコと倒木まみれの周囲をキョロキョロ見回す私を案じたのか、凪の呼び止める声。
「ここ、変じゃない? ほかの死源と違って外までおかしい」
「ああ」
「やっぱり、何かあるんじゃ」
「いや、あれやったの俺だから。その、修行とかで」
「……ああ、そうなの」
後ろの侭を見ると、含み笑いが漏れ出ている。本当らしい。徒歩圏内の広い場所、確かに隠れて能力を鍛えるにはもってこいか。
「紛らわしいことしないでよ」
「五年前に言ってくれよ」
「五年後に言ってるの」
いつもながらお騒がせな凪はともかく、ここが勝手知ったる庭であるというのは幸運だ。
「子供が隠れられそうな穴とかないの?」
聞くと、思い当たるところがあるのか、凪は指をさす。
見渡す限りをえぐり取られた地面の先、立ち入り禁止の看板をまたいだ先に、確かに大きな穴影が見える。ほかの破壊痕らしきそれと違い、きれいに掘り返されたような装いだ。
「あれは?」
「穴」
いやそうだけど。聞くほうを間違えた。
「あの穴はスローターの罰ゲームだよ。負けたほうがひたすらに穴を掘らされるんだ。どこかにトンネルでもつなげるつもりだったのか、子供の考えることって分からないよね」
あっちは共同制作なのね。くだらない逸話が他人事で出てきたのはともかく、とにかく人が入れるほどの穴だ。でも、唯花の姿は見えない。
「となると、もっと奥の方かな」侭が意地悪く含み笑う。
不安に駆られるまま近づき、唯花の姿は見えないまま、とうとう死源の壁が私たちを迎える。見えないけど分かる。無色透明な、拒絶の分断線だ。
「ちょっと調べていい?」
私がスピンオフに入る前に踏破されたという、未知の異空。
凪の見解通り、死源のほうから危害を加えたという前例はない。けれどもそれぞれが異なる性質を持つ異空間であるがゆえに、常に例外は考慮すべきだ。
「つまり天音は期待しているわけだ。死源に、敵意を」
侭が嫌味たっぷりに死源の壁を手でなぞる。
「違うよ。私が欲しいのは可能性」
壁に手を触れてみると、やはり空気がぐにゃりとたわむだけでそれ以上先には進めない。死源の共通仕様だ。
「凪、鍵持ってきてる?」
ちょっと声を落としつつ確認すると、「あるぞ」と一言。すぐにこちらに投げ渡される。
「あぶなっ」
危うく落としそうになりつつもどうにかキャッチし、そのまま壁に押し当ててみる。
「……やっぱダメか」
ぐいぐい押しても空間は一定以上には歪まない。素手の場合とほぼ同じ状況だ。前から聞いていた通り、この死源は「閉じた」状態ということになる。
「そもそも、閉じたり開いたりって、何なの?」
異界化の作用と言い、鍵の仕組みといい、やはり死源の構造には人為的な何かを感じずにいられない。当然疑問に答える声はなく、私の声は大きめの独り言としてむなしく空を揺らす。
「あれ?」
死源の壁をぐるりと回るように探索するうち、足元を踏みつける奇妙な感触。
「また、謎物質だ」
しゃがみ込んで見てみると、置かれていたのは車の中で見つけたものと同じ半透明の球体。自然界に存在するとは思いがたく、まるで何かを無理やり押し固められたかのようだ。
首をかしげつつ、しゃがんだ先には別の穴。その中からは私を除く光が二つ。いた。
「無事か」
駆け寄る凪、それを見て穴から這い出して逃げる唯花。まだ見つかっていないと思っていたらしい。わたわたと滑る砂穴から脱出して、私たちから離れる方へと走り出す。
「ずいぶん嫌われたんだね」
隣の外道は置いといて、よくない状況だ。周囲に充満する異界の壁。通れないことは確認済みだけど、死源の未知が常識を超えてこない保証もない。
「凪、早めに捕まえて。あでも穏便に、優しく、相手を晴だと思って」
「注文が多いなあ」
文句をつけつつも凪は唯花を追いかける。あれ、足止めた?
「あの先行き止まりだから、ゆっくりでいいだろ」
ダメだ。楽観視のレベルが高すぎる。
結局唯花はもたつきつつも奥へ奥へと逃げていく。幸運にも例外は起きていないようで、謎の壁に体当たりしてはやんわりはじき返されていく。あれなら歩いてでいいかな、もう。
刺激しないようにゆっくりと近づくと、唯花はすでに逃走を諦めてしまったようで、その場にへたり込んでいた。砂まみれの両手で顔を覆い、泣きじゃくっている。
「ほら服、汚れるよ」
かわいさが台無しだ。立たせようと近づくと、「来ないで」と悲鳴じみた拒絶。その手がこちらを指さし、慌ててすぐに降ろされる。そしてまた嗚咽。うずくまって塞ぎ込む姿は、ほかの何者をも拒んでいるようにさえ思えた。
今の私が、この子を落ち着かせるために何ができるだろうか。考えるまでもない。
「凪」
「なんだ」
「任せていい?」
「おう」
唯花はきっと、自分の能力で悩んでいる。対岸で手を振るだけの人間が何を言っても、たぶん無意味だ。不運にも私には力がなくて、幸運にも私には友達がいる。無力を噛みしめている場合じゃない。
凪と入れ替わり、戻った先には侭の変わらない偽の笑顔。自分に仕事はないのかとでも言いたげだ。
「侭はここにいて」
「余計なことはするなってことだね」
「うん」
いつもよりほんの数センチだけ近くで私に並ぶ、私の友達。胸を苛む悔しさが、数センチだけ遠のいた気がした。
凪はゆっくりと、音すら立てずに唯花のもとへと近づく。背中越しに表情は見えない。でも、唯花が驚いているから、きっと優しい顔をしているんだと思う。凪は唯花の警戒線のぴったり三メートル手前で胡坐をかく。そして、ただ一言だけ、口を開いた。
「大丈夫だ」
座る凪の代わりに、周囲の小石が踊る。緩やかに、よどみなく。すさまじい練度で周回軌道する星々は唯花に何を教えたのだろう。やがて唯花は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「ほら、こっちこい」
カシオペアの兄としての凪。私ですらすがりたくなる穏やかな声が、唯花を優しく抱き留めた。
「よく頑張ったな」
凪が唯花を抱き上げて頭を撫でると、それでようやく落ち着いたらしい。張りつめていた表情を少しだけ緩めてくれた。
「何があったのか、話せる?」
「……」
返事はない。ただ、泣きじゃくるままに、唯花の指先が足元を指す。
「わっ」
ピキンと、伝導性のない金属のような音を立ててその場に現れたのは、小さな氷柱。何もなかった砂利道に突然だ。才能か死源の作用か、予想よりも遥かに強い。危惧していた、そして内心で考えないようにしていた事態の一つ。唯花の能力は確かに、翔人たちを凍傷に見舞わすことが可能だ。
「わたしが全部悪いの。翔人がケガしたのも、斎藤さんがケガしたのも、みんな」
ため息をとっさに呑み込む。斎藤さんの健闘むなしく、ケガの状態はとっくに知られてしまっているらしい。まあ、状況からして翔人がケガする瞬間に立ち会ってそうだから当然か。結果、気遣いが裏目に出てさらに思いつめることになってしまったとは。
「全部わたしのせいなんです。だからもう帰れない」
「そんなことは」
「前にテレビで見ました。超能力は勝手に動くって。だからわたしも」
「それは……」
示唆される、境界破壊。それは違うと断言することはできなかった。事件の場に翔人を凍えさせる能力者はひとりしかいなかったし、トリガーを破壊された遠隔能力が翔人を襲う可能性はゼロではない。なにより、犯人を知る翔人が何もしゃべらない理由として、これ以上の該当被疑者もいないからだ。
「唯花のせいじゃない」
後ろから聞こえてきたのは晴の声。か細く、走ってきたのか空気交じりで、でも疑いなど挟ませようのない、力強い言葉だ。
「唯花のせいじゃない。絶対違う」
追いついて肩で息をしながら、もう一度繰り返す晴。
「でも」
「絶対違う。ですよね、天音さん」
目を煌々と燃やしながら、晴が私に同意を求める。
ああ。この子は、私を頼ってくれている。ならしょげている場合じゃない。なけなしの勇気で知恵を振り絞ろう。
「私も唯花には無理だと思う」
結論が先。話しながら、理論を組み立てる。
「いや、違うか。唯花よりももっと犯人の可能性が高い人間がいる」
頭の中でぼんやりと出来上がりつつある、事件の輪郭、そのさらに影法師。無意識下の推理を元に、私の目は穴ボコ切り株の先の雑木林へと向かう。
「ここ、見て」
指さす先は生い茂る木々。折れた枝葉は見つからない。次だ。幹には苔が生している。剥離は見えない。次だ。決定的な手がかりが見つからず、指さす先は下に落ちていく。
でも、あるはずだ。いろはの話が完全にバイアスによるものとは思えない。無から疑念は生じない。だから刹那の思考は続き、やがて私はそれを見つける。
「あった」
木々の足元。けもの道もない落葉のカーペットの上に、波線模様の刻印がいくつか。
「これ、大人の靴だよね」
「そう思います」
率先して答えたのは晴。痕跡同士の間隔がやけに広いし、爪先や踵でなく土踏まず寄りの部位に見えるのが不自然ではあるけれど、確かに足跡だ。凪に足を借りてサイズを比較すると、さらに大きい。
「斎藤さんも凪と同じくらいのサイズだったので、もっと大きいです」
「ありがと」
どうにか話がつながりそうだ。決壊寸前で耐えている唯花の涙腺を上から押さえつけ、推理を紡ぐ。
「ここには大人の足跡がある。斎藤さんじゃない、別の誰か。どういう意味か分かる?」
「分からないです」
だよね。私もまだ分かんないし。
「すぐ近くに道があるのに、わざわざこんなところを通る。つまり、人から目を隠したい意図があると、私は思う」
はっとした表情を見せる唯花と晴。いけるかな?
「つまり、誰かが隠れてここから逃げた。疑うべきはまず、その怪しい人間だと思う」
断言する私。いろはの目撃証言を別とすれば、この痕跡はもっと前に作られた可能性もある。でも、断言する。自信満々に言い切ったおかげで、唯花の思考はうまく吞み込まれてくれたらしい。口を開けて、「そうかな?」と少しだけ希望の光を漏らす。
「そうです。絶対そうですよ」
嬉々として、そんな表現が似合う声音で、晴も私の推理を援護する。
「病院にも不審者の噂、ありましたし。その変な大人の人が犯人です。凪もそう思うよね?」
「かもな」
気圧されて同意する凪。その光景が、私には奇妙に映った。いや、違和感というよりも、これは確信なのだろう。口から始まった推理に、頭が追い付いてくる、不気味な感覚。足跡の謎も解ける。もしこの感覚が正しいのだとしたら、きっと真相はもうすぐそこだ。でも。
「その人がいても、わたしがやった可能性は高いですし」
なおも悲嘆にくれる唯花。ああもう。考えている場合じゃない。
「分かった」
「分かったんですか?」晴がぎょっとする。
「あ、違う。そういう意味じゃない」
息を吸い込んで、それから左手の小指で鍵字を作る。
「私が全部解決する。だから泣き止みなさい」
「え」
「唯花はやってない。私はそれを見つける。それで全部解決でしょ?」
目を白黒させる唯花の小指を受け取って、無理やりに自分の手に絡ませる。
「約束する。唯花を助けてあげる」
カシオペアに根差す、約束という呪い。利用するみたいで気は引けたけど、今はこれしかない。
「でも」
「大丈夫だよ」
なおも不安そうな小指に重ねられる、もう一つの指先。晴だ。
「天音さんはすごいから」
「……はい」
積み重ねてきた信頼と親愛。それが決め手になって、ようやく唯花は自暴自棄を収めてくれた。
「いいのか」
代わりに耳元には、凪の刺すような声。
「俺らにとって、約束は重い」
「知ってる。だから、頑張らなきゃ」
「だな」
ふっと表情を緩める凪。そこに微塵も疑いや不安が見えなくて、もはや感心してしまう。
「じゃ、帰るか」
気づくとずいぶん時間が経っていた。そろそろカレー鍋に火をかける頃合いだ。
どっと疲れの生じる帰り道。心理的・肉体的に負担が溜まっていたのだろう。思いのたけを吐き出し終えた唯花は安心とともに目蓋を重くさせていく。
「まったく、人騒がせな後輩だ」
唯花の体を自然に自分の背中に回しつつ、凪はちょっと楽しげだ。かつての晴と重ねてでもいるのだろう。
歩きながら、私の脳はグルグル回る。謎の人物、翔人のケガ、晴の表情、死源、真実を隠す普通じゃない出来事たち。それらが少しずつ歪な線を成し、私の中で勝手に再構成を始めていく。
「もしかして」
可能性は高い。確かめる方法もある。
でも、私はこの先に進んでもよいのだろうか。
柏木天音⑧:天音の真髄は事件を解決に導くことではなく、事件に真摯に向き合うことです。向き合って前に進む限り、決着や真相は後ろからついて来ます。




