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真相は雲の中

「つまり、これがカシオペアに戻らなかった理由ってことですか」

「……そういうこと」


 ベッドに強制連行されて看護師さんに手足をガチガチに縛られながら、斎藤さんは情けなく白状する。戻らなかった理由は実にシンプルで、戻ることができなかったというわけだ。

 どこからか凪の「殴ったほうが早かったろ?」という言葉が聞こえる。非暴力非服従。


「それ、翔人と同じですよね」

「……かもね」


 はだけられた胸元には、青紫に腫れたただれの跡。火傷というより凍傷だろう。おそらく翔人と同じ種類のケガで、でもそれより遥かにひどい有様だ。


「こういう時、大人と子供の代謝の違いを思い知るよね」


 話を聞くと、ケガをした当日は翔人も同じくらいの大ケガをしていたらしい。同じ処置を受けて同じ薬を塗られて、その結果翔人は無事退院可能なまでになり、こっちの大人はまだダメと。


「たぶんですけど、安静にしてなかったからじゃないですか?」

「返す言葉もない」


 自分のケガを押してまで翔人のお見舞いを続けていた、呆れるほどの子供思い。しかもわざわざ服を着替えてきていたあたり、翔人にはケガのことを黙っているらしいから驚きだ。

 施設に帰れなかった理由も明白だ。家事を続けるには重傷だし、目立つケガは否応なしに子供たちはその原因を意識させられる。そして疑惑は、氷を作る能力を持つ唯花により集中することになるだろう。


「愛子さんに連絡とかしなかったんですか」

「それが、電話なくしちゃってさ」


 車の中に落ちていたスマホを思い出す。


「これですか?」

「それそれ。持ってきてくれたの? ありがとう」

「はい」


 危なかった。今話に出なかったら我が家にいらないスマホが増えるところだった。

 電話といえば、もう一つ思いついたことがあった。


「もしかして、夜中に電話かけたのって斎藤さんですか?」

「あ、よく分かったね」


 子供たちが寝静まっているであろう夜に電話をかけて、愛子さんが気づいてくれることを期待したんだろう。でも実際は野乃が折り目正しく電話に出てしまったと。


「なんで無言だったんですか?」

「野乃とか唯花は鋭いからね。しゃべるとバレちゃう」


 なるほど。そもそも胸部をケガしてろくに話せない状態なのだ。知る人が聞けば一瞬で分かるほど、今の斎藤さんには覇気がないのだろう。


「当日は気合いでなんとかしたけど、アドレナリンが切れるとダメだね。痛くて」


 翔人を病院に連れ込んで、その足で治療を受けたら病室を出られなくなったらしい。


「いやあ許可なく注射打たれたのなんて初めてでびっくりしたよ。駐車場も空いてないっていうから急いで代行さんに来てもらってさ。そのせいで余計に帰れない」


 たわいなく笑う斎藤さんのおでこを、包帯を交代し終えた看護師さんが叩く。


「ケガ以外で迷惑をかけるな」

「はは、すみません」


 飄々として見えた斎藤さんも年上の専門家の前では形無しだ。あっという間におとなしくさせられてしまう。


「処置終わり。じゃ後はよろしくね。出ようとしたらひっぱたいていいから」

「あ、はい」


 怒り肩で出ていく看護師さんを見送ってから、私は話を先に進める。


「そろそろ話してくれますよね。翔人と、斎藤さんに何があったのか」


 期待と呆れを込めた問いかけ。けれども時間を置いて帰ってきたのは、「それは翔人に聞くといい」という一言だけだった。


「だから、翔人が話してくれないから斎藤さんに聞きに来てるんですって」

「翔人が話さないのなら、話すべきじゃないってことだ。尊重しないと」

「それ、カシオペアのケンカより大事なことですか?」

「ああ。何よりも」


 きつく問い詰める私を、逆に諫めるような斎藤さんの声が射貫く。何を言っても答えない。そんな決意すら感じられる声音だった。


「翔人はさ、戦ってるんだ。だからもう少し、見守ってあげてほしい」

「うーん」


 見守ってあげたいのはやまやまだけど、私は明日には帰らないといけないんだよなあ。一度請け負った仕事を投げ出すのは、ちょっと主義に反する。


「そもそも、なんで私にも隠したんですか、ケガのこと」


 おかげで余計に要らない疑いを持ってしまった。指を二度三度さしても、斎藤さんは涼しい顔を崩さない。


「大人っていうのはさ、子供には格好をつけたいものなんだよ」

「……私、高校生ですけど」

「高校生は子供だよ。少なくとも、僕よりはね」


 それはそうだけど、一般的に高校生の身体能力と判断能力は、ほぼ大人と大差ないと思う。なんだか軽んじられているようでいい気分じゃない。


 私の不満が伝わったのか斎藤さんはまた笑う。


「大人と子供っていうのは、重ねた年だけの話じゃないんだよ。もっと相対的な、責任の関係なんだ。柏木さんがあの子たちの前で大人であるように、僕は柏木さんの前でも大人でありたいってだけ」

「そういうもの、ですか?」

「そういうもの」


 まだ全然納得できないけれど、斎藤さんはそれこそ真理だと言わんばかりにうなずいている。いつか分かる時が来るのだろうか、それが判断できないというのは、確かにまだ大人になり切れていない証拠なのかも。考えていたら混乱してきた。


「じゃあ最後に、聞いてもいいですか?」

「聞くだけならね」


 きっとはぐらかされることを確信しつつ、私は勇気を振り絞る。


「カシオペアの仕事量、一人じゃ絶対無理ですよね。どうやってこなしてたんですか?」

「ふふ。それは聞かないのが大人のマナーだよ」


 ほらね。まあ、力仕事に便利な能力だと示唆してくれただけマシと思っておこう。いったんは犯人候補から外してよさそうだ。


「子供たちを頼むよ。やるべきことを終わらせたらすぐ戻るからさ」

「……愛子さんには一応伝えておきます」

「うん。そうだね。……お願いするよ」


 自分で電話してたのに、なんだか煮え切らない感じだ。まあいいや。大ケガしてたなら報告しない理由もないし。


「あと、翔人には僕のケガのことは内緒にね」

「普通にバレてるんじゃないですか?」


 返事と一緒にため息を置いて、私は病室を後にする。男ってみんな勝手だ。




 さて、もう一方の勝手さんはどうだろうか。少しは頭が柔らかいとありがたいんだけど。冷たい廊下を眺めながらカツカツ歩き、頭を冷ましてから翔人の病室に戻る。


「入るよ」


 ノックもそこそこに入室すると、翔人が困った顔で出迎える。ベッドの脇には晴。ちょうど何らかの約束を済ませた後なのか、二人の左手小指は結ばれたままだ。


「入ってこないでくださいよ」

「入るよって言ったでしょ。晴、そろそろ帰ろ?」


 声をかけると、ゆっくりとその顔がこちらを向き、私に小さな衝撃を与える。晴の視線はぼんやりと遠くを見ていて、心を隣の部屋に置き忘れてきたとでも言いたげにおぼろげだ。


「晴?」

「……あ、はい」


 肩を揺すり、ようやく晴が戻ってくる。ようやく私の存在に気づいたのかびくりと震え、それからすぐに手袋を左手にはめる。


「帰りましょうか。夕ご飯の準備がしたいです」

「だね。今日もおいしい料理作らないと」


 後ろに羨ましそうな唸り声が聞こえてきたけど、いつまでも入院してるのが悪いのだ。


「今帰ってきたら間に合うかもね」と助け船だけ出しておこう。けれども翔人の決意は固いらしい。名残惜しそうに唾を呑み、それから「晴姉、ごめん。約束だから」と小さく頭を下げる。

 口ぶりからして約束による戒厳令は晴にも適用されてしまったらしい。晴がぼんやりしてるのは弟分に拒絶されたから? まあ、翔人の息抜きにはなっただろうし。今日のところは退散しよう。


「あれ? なにこれ」


 ふと、机の上に置かれている物体に気づく。漫画本の陰に隠れて配置された固形物。人型をした、おもちゃの人形だろうか。木工用ボンドを固めて作ったかのようななめらかなそれは、漫画の表紙と同じヒーローの形をしているように見えた。


「か、勝手にさわるな」


 後ろから飛んでくる翔人の悲鳴じみた糾弾。これは翔人にとって宝物か何かなのだろうか。ちょっと気になったけど、だんだんと視線が刺すように鋭くなり始めていたこともあり、泣く泣く元の位置に戻す。


「じゃあ、また来るね」

「もういいよ。ほんとに」


 とうとう敬語すらなくなった翔人に見送られて病院を後にする。喜ばしいことに、最後の一言は少し笑みがこぼれていた。




「……」


 帰りの道中、晴はずっと考え込んでいるようだった。話しかけても曖昧で、放っておけばまっすぐ歩けもしないありさまだ。仕方なく腕を取って田んぼの側溝に落ちないよう誘導する。


「そんなはずは」とか「でも」とかを繰り返す晴は、まるで世界をひっくり返して中身をぶちまけられた神様のように現実から浮ついていた。


 小旅行を終えてカシオペアの敷地に戻る。出迎えてくれたのは、なぜか愛子さんの姿だった。


「お帰り。二人だけ? どこ行ってたの?」

「病院です」あとで斎藤さんの話をしないと。「買い物ですか?」


 聞いてみて、すぐに否定する。愛子さんはエプロン姿、サンダル姿のままだ。歩いて三十分の距離にあるスーパーに行く格好ではない。なのに額には汗がにじんでいて、この格好のままそれなりに長い時間室外にいることが想像できる。


「何かあったんですか」

「それがね」


 話しかけた愛子さんの後ろから走ってくるのは子供たち。みんな疲れた、というより恐れた顔をしていた。


「いた?」「いなかった」「こっちも」「近くにいないんじゃないの?」「じゃあどこ?」


 がやがやとした内容からおよそ状況はつかめてきた。遠くには視線を遠くに投げては戻す凪と侭の姿も見える。


「いないのは……唯花ですね」


 報告に来た子供たちを数えつつ、現状を把握する。愛子さんの深刻そうなうなずきが、私の嫌な予感を急速に加速させていった。

斎藤さんの語る大人論は作者が昔読んだ別の作品に由来しています。ヒントは穴。あとアロハ。

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