次なる一手
途方と徒労に暮れながら夕焼けのカシオペアまで歩いて戻る。ルール整備の進んだケンカを繰り広げる集団に片手で挨拶しつつ、建物へ。
「ん?」
なんだろう。音が聞こえる、ピアノの。そういえばリビングにあったっけ。聞こえてくるのはクラシック曲。ゆったりしたテンポの、何かのワルツだ。たぶん犬。
「あ、お帰りなさい」
リビングに入ると晴の声が迎えてくれる。ピアノを弾いているのはやっぱり晴だったか。
「どうでした? 翔人」
顔をこちらに向けながらも手は淀みなく動き旋律を奏でる。リズミカルに躍動する十の指はストリングカーテンが風に揺れるがごとしで、こういうのを雅というのだろう。あまり詳しくないけれど、演奏の練度が高いことは明らかだ。
「あ」
鍵盤をたたく細い指に一つの気づき。その指先には普段と違い手袋がなかった。むき身のきれいな指先。予想に反して火傷や、リストカットの跡もない。爪は切りそろえられているし、ささくれ一つない。隠すのがもったいなくなるほどの造形だ。ああ、もしかして。
「タレントとか? 手専用の」
「翔人がですか?」
「いや、ごめん。違う」
目の前の情報に思考が邪魔されすぎた。ここで晴も私の視線に気づいたのか、演奏を止める。
「……さすがにつけたままじゃ弾けないので」
はにかむように笑う晴。その口からは手袋をつける理由は語られない。理由を追求するのは失礼だろう。ペチンと音が鳴る程度に自分の頬を叩き、下賤な興味を断ち切る。
「翔人だけど、まあまあ元気だったよ」
「そうですか」
晴の顔がほころぶ。話題が変わったことにではなく、翔人の無事への安堵でだ。
「何か聞けました?」
「少しだけ。話さないって約束だから教えられないけど」
分かりやすく残念そうな表情を見せる晴。たぶんだけど、私に話せるくらいだから晴にならもっと詳しく聞かせてくれそうな気がする。
「あと、斎藤さんに会ったよ」
「え? 本当ですか」
今度はぱあっとオノマトペがつきそうに輝く。儚げな雰囲気のわりには感情の機微が分かりやすくて面白い。
「お見舞いだってさ。お休みなのにいい人だね」
こっちは禁止されていない。斎藤さんとのやり取りをかいつまんで話す。話すうち、晴の顔が斜めに傾く。
「本当に、戻ってこられないって言ったんですか?」
「うん。休暇だからって」
晴は「そんなはずは」と言葉を濁す。まるで自分の心を調律するかのように、何度かピアノの鍵盤を指で沈ませている。
「気になるなら聞いてみる? 明日も来るって言ってたよ」
「そうします」
晴が来れば翔人から得られる情報も増えるだろう。私としても大助かりだ。
ズン、と。会話が途切れたタイミングで、不意に窓ガラスが震える。どうやら外にいる誰かが大きな力を使ったらしい。それを悲しげに見て、再び演奏を始める晴。
さっきとは違うけどまたもスローテンポの優しい曲調。不毛な争いに対する消極的な抗議活動。たぶんそんな意図があるのだろう。
晴はあっという間に演奏に入り込んでいく。ピアノに不向きな小さな手をうまく鍵盤に滑らせながら、聞こえない和平を訴える。私には届く。でも、あいつらには届かない。思いは言葉にしなければ。
「ピアノ、うまいね」
背中越しに晴の口元が緩んだのが見えた。
「数少ない特技なんです。凪はあんまり気に入ってくれませんでしたけど」
この子は何をするにも判断基準が凪になるなあ。
「どうして?」
「『ピアノ弾ける奴はひとりになるからダメ』って言ってました」
「……あー」
確かに小学校の合唱とかだとピアノ弾く子は別練習になるよね。でも、今孤立している凪がそれを言うのか。
「もしかして、昔の凪って友達多いタイプだったのかな?」
「どうでしょう? わたしと会う時はいっつも一人でしたけど」
「それ病室なんでしょ?」
「はい」
参考にならない。でも、病院に足しげく通う凪の姿もなかなかイメージしづらい。
「あ、でも病院の人には人気ありましたよ。看護師さんとかほかの患者さんとか、けっこういろんな人と話してたみたいです」
「へえ、意外」
遠き日の凪少年は今より快活で社交的だったのか。超能力自慢してるときの馴れ馴れしい態度がひょっとすると素だったりするのかも。
「ちなみに侭は?」
「侭さんはずっとあんなです」
「イヤな子供だったんだね」
現役の悪ガキたちを三人相手取っても圧勝できるポテンシャルだ。というか子供たちを先導してケンカに駆り立ててるあたりまるで成長していない。やっかみの言葉でも送ろうと庭を見ると、ぞろぞろとこちらに向かう人影ありだ。
「帰ってきたか」
「ですね。天音さん、料理の仕上げ手伝ってください」
「了解」
ふがいない男どもに代わって働くとしよう。
子供たちを椅子に座らせて「いただきます」の大合唱。今日も七人で卓についてくれるみたいだ。多少の警戒心をにじませながらも、別グループにもドレッシングの回しあいをする程度には打ち解けている。なんやかんやでガス抜きは有効なのか。
今日のメニューは白身魚のムニエルとサラダリヨネーズ。「ひと手間が趣味」と語る晴のプロデュースにより皿の上は照りも張りも良好だ。料理長は当然の権利のように凪の隣に陣取り、おかずを取り分けている。
「凪、おいしい?」
「胡椒抜き香草少なめに、甘みと酸味強めか。ガキ向けだけどたまにはありだな。バターにハチミツ混ぜた?」
「当たり」
意外と繊細な感想を吐く凪。一昨日私が作ったパスタには「味がする」とかしか言わなかったくせに。満面の笑顔で体を揺らす晴を見ると、まあ確かに気合入れて感想言いたくもなるか。侭はどうだろうか。
「何?」
「いや、せっかくの晴の料理だから感想とかないのかなって」
「別に特別感もないな。しいて言うならこの辺のオニオンソテーは悪くない」
「あ、それ私が作ったやつ」
「前言を撤回しよう」
「撤回を拒否します」
なんて気に入らない反応なんだ。野菜はしっかり火を通したほうが好きなのかな。一応覚えておこう。
愛子さんが子供たちの相手をしているのを横目に、私は男二人に話題を投げる。
「今日の勝負はどうだったの?」
「よくないな」「芳しくない」
返事はほぼ同時。関係は少しずつ改善されているように見えたけど、何がダメなんだろう。凪に目で尋ねると、「見れば分かるだろ」と向こうの食卓。
「ガキどもの戦意が薄れつつある」
「そうだね」
和気あいあいとまではいかずとも、隣のクラスの子くらいの距離感だ。
「このままじゃ戦いが終わる。どうすりゃいい」
「いいことじゃん」
「俺は戦いたい」
「えー」
私はもちろん、晴まで渋い顔。晴の反応を見てもなお、「中途半端はダメだ」と意見を譲らない。
「バトルマニアの凪はともかく、中途半端がよくないのは僕も同意見なんだ。根本的な対立を改善するために火種を用意したのに、また冷めてしまっちゃ時間が経って繰り返すだけだしね」
「うーん、そう? そうなの?」
通っているのかいないのかよく分からない筋の論理が展開される。まあ、侭としては久々のスローターをもう少し楽しみたいってところなのかも。
「天音はどうだった? 仕事サボって病院行ってたんだから成果はあったんだよね」
仕事サボって遊んでた侭が投げ返してくる。分かったことはあるけど、あんまり細かく説明できないのはどうしたものか。詳細をぼかして説明しようにも、そもそもこいつらは翔人の無事に興味すらなさそうだ。
切り出し方を考えていたら、晴が子供たちに呼ばれて席を立つ。ちょうどいい。一つ思いつきを投げてみよう。
「全然関係ない話なんだけど」
「ああ、友達の話だね。分かってるよ」
「違う」系統としては近いけど違う。
「死源が外を攻撃してきたりって、あると思う?」
「どうだろうね」
「ないな」
意外にも凪の方から答えが飛んできた。
「断言するんだ」
話に割り込んでくるのもそうだけど、けっこう意外だ。
「役割が逆だからな。あれは言うなら、内側に超能力を押しとどめる装置なんだ。そうでないと異界が漏れ出て大変なことになってるだろうし」
「なるほど」
確かにそういう性質がないと死源の存在が成り立たないか。
侭を見ても同意見らしい。小さくうなずいている。
「まあ、あの死源は大丈夫なんじゃないかな」
「攻撃性の低い異界だったってこと?」
前に聞いた情報だと、クローズドサークルかタワーディフェンスだっけ。どっちだろ。
侭の反応は「さあね」の一言。
「いずれにせよ、死源の攻撃でケガをしたのなら、翔人が隠す理由にならないよ」
「……まあ、確かに?」
目で不審を訴えても、なお答えをはぐらかす侭。一瞬だけ、その瞳が何かを悼むように細められた気がした。
「何か事件に関わる要因があるとすれば」
けれども侭は私に踏み入ることを許さない。だから私の思考は、否応なしに目先の事件に戻される。
「死源の近くだと抗精神力が下がる、くらいかな?」
「つまり、威力が上がると」
示されるのは暴発の可能性。だとするとやっぱり第一容疑者は唯花で、だとすると翔人がかばう理由としては十分なわけで。
「真相、明らかにしないほうがいいのかな?」
「中途半端はダメだろ」「右に同じ」
厳しい言葉で指摘する二人は、笑っていた。なぜだろう。何かを託されたような気分だ。
ひと息ついたら、子供たちの食事も終わったらしい。もうひと踏ん張りといこう。
夜七時半。まだ赤さを残す森庭で再開される、腹ごなしを兼ねたスローター夜の部。今回の追加ルールはラウンド時間の延長らしい。戦局に影響するかというと、ちょっと微妙だ。
「……」
ぼんやりと戦いの様子を眺めると、確かに子供たちの士気は下がっているように見えた。いや、相変わらず雷とか炎とか泥玉とかが飛び交ってはいるんだけど、どれも相手陣地の少し手前で落ちているような。義務的に攻撃しながらも近くの味方とおしゃべりしてるし。
「なんか、凪たちのほうが付き合ってもらってるみたいですね」
「晴もそう思う?」
隣で水筒を抱えて座っている晴は相変わらず凪の方だけを見ているのだけど、ちょっと空いた口から呆れが漏れている。
「あ、戻ってきた」
噂をすればだ。凪がこっちにずいずいと歩いてくる。
「お茶いる?」「もらう」
晴が入れたお茶をひと息で飲み干して、凪の口からはため息。
「やっぱダメだな」
「自覚はあるんだね」ダメ人間の。
凪はうなずきつつ、指をフレームにして子供たちの争いもどきを眺めている。
「なんでだ?」
「……そりゃまあ、友達同士ならいつまでもケンカし続けるのも大変なんじゃない?」
愚痴気味の凪の言葉になんとなく意見を返すと、急に周囲の空気がパチンと音を立てる。
「それだ!」
「びっくりした」超能力で指パッチンしたのか。「それって?」
「能力者と非能力者の間に邪魔な仲間意識があるんだ。壊すならそこからだな」
ぐふふと音が付きそうな悪い含み笑いを漏らしながら侭のところに駆けていく凪。いつもながら、この子たちはいったい何と戦ってるんだろうか。
椎名侭⑦:施設生活が長いのに侭は家事全般ができません。盛り付けによって皿に彩りを加えるのは得意ですが、致命的に味音痴なので味付けの工程に関わることは愛子に禁止されています。




