孤独へ向かう重力
「カシオペアの斎藤さん、ですか?」
ゆったりした服装に身を包んだ、長身の大人の男。年は私より十歳くらい上だろうか。街ゆく若者からせわしなさを取り払ったらこうなる、みたいな感じだ。私の横を素通りして、翔人のベッドの横に腰掛ける。
「まあ、座って座って」
「あ、はい」
力仕事を一人で捌いているというから屈強なイメージだったけれど、実物はむしろ痩せ型だ。穏やかな目つきと流す視線は知的さと思慮深さを感じさせる。少なくとも悪人には見えないし、年下女子に人気が出そうだ。その顔が、一瞬警戒に歪んだあと、にっと緩む。
「確かに僕は斎藤だけど、君は翔人の友達?」
「カシオペアにサポートで来ている、柏木です」
「ああ、そっか。愛子さん言ってたっけ」
手をぽんと叩く斎藤さん。そして「ずいぶん若いな」と感心そうに微笑む。
「それでこれは、どんな状況?」
尋ねる視線の先は泣きかけのまま安堵に放心する翔人。会話の内容は聞こえていないまでも、私が翔人に危害を加えようとしたと取られても仕方のない状況だ。ごまかせるか少し考えて、諦める。
「事件の日のことを聞いていたんです」
「ああ、『海の日』の」
海という言葉に少し力がこもったのが耳に分かる。車を運転したのが斎藤さんである以上、彼が死源へのリスクトラベルをガイドしたのは明らかだ。翔人のケガについてももしかしたら何か知っているかもしれない。
「あの日斎藤さんたちが行ったのは海じゃなくて、死源ですよね」
斎藤さんの眉間に小さなしわが寄る。怒りではなく苦痛のだ。一瞬だけ翔人の方を見て、納得したようにうなずく。
「そうだと言ったら、柏木さんはどうする?」
「別に糾弾したり、誰かに言いふらしたりはしませんけど」
「ただの興味本位?」
心証がよくないことがかすかに感じ取れる声音だ。確かに興味はある。でもそれだけじゃない。
「カシオペアが大変なんです」
「……話を聞いてもいいかな」
聞かれるがまま、再びカシオペアの現状を話す。斎藤さんは子供たちの静かな争いとストレス、始まったスローターの様相をふむふむとうなずきながら頭に入れていく。まるで何事でもない、何の問題もないとでも言いたげな態度が、少し嫌な感じだ。
「――だから、子供たちのケンカを止めるために情報が必要なんです」
「なるほど。事情は分かった」
穏やかで落ち着いた口調。斎藤さんは片手で翔人の頭を撫でつける。
「翔人、どこまで話せる?」
「でも斎藤さん」
「いいんだ。このお姉ちゃんは大人じゃない」
翔人はされるがまま撫でられながらも、不安さを隠そうとしない。言葉から察するに、きっと大人には教えないという約束を子供たちの間で結んだんだろう。内面で葛藤を続け、けれども最後には口を開いてくれた。
「誰にも話さないって約束してくれますか?」
「うん。約束する」
右手を差し出すと、翔人は左手を差し出す。左利きというわけでもなさそうだけど。まあ、手を差し替えよう。絡ませた小さな小指は、冷房のせいかやけに冷たく感じられた。
「あの日、死源に行きたいって言ったのは僕なんです」
「え?」
イタズラっ子には見えない翔人の口から出る、少し意外な発言。そういえば、旅行の企画者だと唯花が言っていた。
「テレビで災害の特集を見て、ついうっかり『怖い』って言っちゃって。唯ちゃんが泣いちゃったんです」
「うんうん」
カシオペアでおぼろに聞いた、争いというにはほほえましい日常の一コマ。唯花はまったく気にしてなかったけれど、翔人にとっては深刻な話だったようだ。
「だから僕は、怖くないって自分で確かめなきゃって思ったんです。それで健太に相談して、斎藤さんならってなって」
たどたどしい説明を頭の中で組み立てながら聞いていく。出来上がった旅行の日程は、罪悪感を晴らすための度胸試し。
「斎藤さんは、それで許可しちゃったんですか?」
異能現象の有無はともかくとしても、整備されていない区画の地盤は脆い。大人の立場としては許可すべきではないだろう。私の無礼ともとれる言葉に対し、斎藤さんはにこりと笑う。
「一生懸命頼まれちゃったからね」
「……」
軽い。この人は地下組か、あるいは海外にでもいたのかも。そんな邪推が頭をよぎる。
「そう怖い顔しないでよ。翔人、話の続きを」
「う、うん」
翔人は斎藤さんの服の袖をつまみつつ、再開する。
「別に、死源の中に入ろうとか、そういうのじゃないんです。ただ、近くまで行きたかっただけで。実際、何もなかったから結局そこで鬼ごっこすることになって。そこまではよかったんですけど」
「何かが起きたと」
「……唯ちゃんが髪飾りを落としちゃったんです」
「ははあ」
髪を片手で押さえながら悲しい顔をする唯花の姿が思い出される。やっぱりあれはそういうことだったのか。見つからなかったか、あるいは。
「髪飾りって、どういうの?」
聞いてみると、翔人はためらいがちに顔を横に向け、戸棚の引き出しを指さす。見てもいいのだろうか。近寄って、開けてみる。
「なるほど」
地味目なハンカチの上に丁寧に置かれていた子供用の髪飾り。蝶の模様をあしらったそれは、現実の昆虫標本によくあるようにひび割れ、砕けていた。
「きっと、罰が当たったんだ」
翔人は回し車を壊されたキヌゲネズミのようにうなだれる。
「唯ちゃんが髪飾りを落とした時、僕、チャンスだって思っちゃったんです。あれを見つけられれば仲直りできるって。だから一人で張り切って探しに行って」
言葉が止まる。葛藤か、あるいは思い出しているだけなのか。
「……見つけた時には壊れてたんです」
何かを隠した。そう感じさせる間だった。きっと、私には話したくない秘密がまだあるのだろう。今は気にするべきじゃない。
「唯花はこのことを知ってるの?」
悲しげに横に揺れる翔人の首。
「唯ちゃんと約束したんです。絶対髪飾りを見つけるって。だから言えなくて、会う勇気もなくて」
翔人は「もう仲直りできない」と絶望の海に落ち、斎藤さんが「大丈夫だよ」と無根拠な励ましを入れる。
大丈夫だろうか。確かに唯花は翔人とケンカしたなどとは思ってなかったけれど、髪飾りについては話が違う。親の形見だというそれが壊れたとあれば、少なからずショックを受けるだろう。して、その髪飾りの状態だけど。
「……」
言葉にするのをはばかられる程度にはボロボロだ。無理につなげれば接着剤のきれいな模様が引き立つだろう。私の反応で悟ったのか、翔人がグスリと鼻を鳴らす。
これがお見舞いを断っている理由だろうか。いや、だとしても全員を避ける理由としては弱い気がする。唯花だけ断ると角が立つからまとめてとか? いずれにせよ、肝心な情報がまだ出ていない。
「ケガをした理由については、話せる?」
できるだけ怖がらせないように聞くと、これまでで一番強く首が揺れる。
「絶対ダメ。絶対言えない」
「分かった。じゃあ聞かない」
カシオペアの子たちの毅然としたそれとは違う、弱々しい否定。
「じゃあ、お見舞いを断ってる理由は言える?」
「それは……」
翔人は何か考えているようだった。私と斎藤さんをしきりに見比べている。斎藤さんはというと迷う翔人の様子を静かに見守り、にっこりと笑っているだけだ。やがて決心がついたのか、口を開く。
「怖いんです」
「怖い?」
唯花は怒っていない。健太たちも、愛子さんだって今さら死源に行ったことを叱りはしないだろう。翔人の感じている恐怖を理解できないまま、もう一言。
「僕はひとりきりだから」
「どういう意味?」
「……言えない」
勇気を使い切ったのか、翔人はそれきり口を閉ざしてしまう。これ以上話すのは無理そうだ。斎藤さんが「僕らはそろそろ帰るよ」と私を促し、病室を出る。
扉を閉めて少し歩き、声が聞こえない程度まで遠くに来て、私は問いを投げる。
「斎藤さんは、翔人のケガの原因を知ってるんですか?」
「知ってるよ」
「教えてください」
「それはできない。約束だからね」
ぴしゃりと。はねのけるような言葉。約束という呪縛は、斎藤さん自身にも働いているらしい。
「じゃあせめて、戻ってきてください。みんな斎藤さんがいなくて不安なんです」
「大丈夫だよ」
「でも、このままじゃ」
「大丈夫。大事なものは壊れないから」
言葉を繰り返す斎藤さん。自分に言い聞かせているかのようにも見えた。
「何より僕は今、休暇中なんだ」
ウィンクした目元が引きつる。もしかしたら、これは本心ではないのかも。そう思わせる仕草だ。けれども言葉にされない情報から、私は何を得ることもできない。
「だから、あの子たちのことは優秀なサポートに任せるよ」
そうだ。私は私の責任を果たさなければ。具体的にはあと一時間二十分で夕ご飯の仕上げが始まる。
「……帰ります」
「そうするといい」
「あ」気落ちして沈む私の肩を、斎藤さんの声が止める。
「カシオペアのサポートって、どこまでやってるの?」
「掃除と洗濯と食事と、全部です」
「そっか。助かるよ」
斎藤さんは「ちょっと待って」とペンとノートを取り出し、何事かを書き記していく。
「これ、できるだけ読んでおいて」
「何ですか?」
「家事のコツ」
見ると、精緻な筆跡で子供用にカスタマイズされた家事の要点がびっしりだ。一番右の洗濯機は色落ちしやすい服専用だとか、恵那は野菜が苦手だけど食べられないわけじゃないから誉めて食べさせるだとか、ざっと書き出したにしてはずいぶん詳しい。
「休めてます?」
「休んでるよ。この通り」どの通りなんだろう。
「……やっぱり帰ってきてくれませんか?」
「それは無理」
にべもない。なんというか、つかみどころのない人だ。軽いけれども浅くはない。のらりくらりと私の糾弾をかわし、背中を押して帰らせる。そしてどういうわけか、病室にいた時よりもずいぶん温かい印象を受けた。
「明日も翔人のお見舞いには来るから、何かあったら聞きに来てよ」
「そうします」
首をかしげながらも、時間に押されて病院を出る。あぜ道の湿度を足で測りながらとぼとぼ歩き、気づく。
「そういえば、スマホのこと聞き忘れたな」
本人のなら返さなきゃ。困ってたかも。
「……まあいいか」
なんか気に食わないし、次会った時でいいや。
本文で示唆されている通り、ジエンドの影響は地下や国外には及んでいません。加えて死源から遠い場所にいた人や人口密度の高い場所にいた人なども無事に生還しており、これらが作中における非能力者の主な由縁となります。




