ひとりきりたち
愛子さんに聞いた病院名とマップアプリを頼りに田舎道を歩くこと三十分弱。目当ての建物は田舎と郊外の境目に番人のごとく鎮座していた。
善意の象徴たる白い壁、充満する無菌の匂い、リノリウムをたたく厳かな喧噪。晴とは違った意味で、病院は私にとって馴染み深い場所だ。人口減少に伴い忙しさは鳴りを潜めたものの、生きてる限り病気になるしケガもする。だからここには人が来る。
自動ドアを拝んでくぐり、通りすがりの若い医師に会釈をしつつ窓口へ。
「あの、すみません」
受付で書類とにらめっこしている看護師さんは、尋ねれば特に疑いもせず翔人の部屋番号を教えてくれた。三階、小児科棟の301号室か。
「ありがとうございます」
お礼を言ってその場を離れ、その足で301号室に向かう。
お見舞いの品を何か買っていくべきだろうか。通りがけの売店をチラ見して、結局やめる。花も雑誌も気に入るか分からないし、ポケットのチョコレートで十分だ。そもそも遊びに来ただけだし。
階段の踊り場には子供が描いたらしき絵や安全衛生の標語などが貼られている。整頓清潔、手洗い徹底、不審者注意。
階段を二つ上ったすぐ先に目当ての部屋はあった。プレートには灰谷翔人の名前が一つ。都合のいいことに個人部屋らしい。
一度深呼吸をして、扉をノックする。
「……」
返事はない。いないのだろうか、それとも拒否か。まあ、どっちにしろ見舞うんだけど。
「入りますね」
一声かけてドアノブを回す。部屋に入った私を迎えたのは縦長の部屋。日当たりが悪いのか暗く、冷房がやけに効いている。二つのベッドの奥側はがらんどう、手前側は大福だ。
たぶん人の気配に急いで隠れたのだろう。小さな盛り上がりは子供のそれで、シーツの隅から見えている小さな指は、少し震えていた。
「こんにちは」
シーツをめくると、青い病衣の怯えた子供が見つかる。柔らかい髪質に垂れ気味の目じり、唯花からのイメージ通りの、優しそうな顔だ。
「翔人君、だよね? ケガの調子はどう?」
「……誰?」
さておそらくはカシオペアの誰かがお見舞いに来たと身構えていたのだろう。翔人は私の顔を見て、模範的なまでに小首をかしげて見せる。
「ただのおせっかいなお姉さんです」
「どういうこと?」
声音は未だ困惑。ただ、床に伏せているにしては溌溂だ。やつれてもいない。視線を足元まで持っていくと、そこそこ厚めに巻かれた包帯。なるほど、ケガは足かね。
「見ないでよ」
「あ、ごめんごめん」
ベッドの脇には誰が使ったのか丸椅子が放置され、その隣の物置台には漫画本が数冊。いろんなタイトルが数冊ずつ半端に揃ってるし、たぶん見舞い品かな。総合するに、ごくごく一般的な入院患者だ。
「む」
視界の下方に小さな違和感。なんだろうと思って注視すると、ベッド足のすぐ近くに固まったホコリが円を作っている。最近動かした痕跡だ。模様替えでもしたんだろうか。
「不審者?」
「違うってば」
会話もせずに病室をじろじろ見回していたせいで怖がらせてしまったらしい。私は善良だから。ナースコールのボタンは押さないで。お願い。チョコレートあげるから。
「私はそうだね、カシオペアのアルバイトかな?」
カシオペアの名前が出た途端、翔人の眉毛が少し下がる。
「アイちゃんのサシガネ?」
「違う違う。誰も話してくれなかったから自分で調べに来たの」
「は、はあ」
私の立ち位置、ここに来た理由、敵ではないという思い、暴力反対。それらを一つ一つ翔人に伝える。
面会謝絶というからもっと拒絶されると思ったけれど、意外にも翔人は恐れずに私の話を聞いてくれた。警戒していないというより、やはり知りたいのだろう。
「だから、子供たちのケンカを止めたくて、一番知ってそうな翔人のところに来たってわけ」
話し終わると、翔人は口を半分開けてうつむいてしまった。ケンカが起きていることは初耳だったらしい。
「もしかして、唯花が疑われてます?」
「なんだか本人はそう思ってるかも」
「……僕のせいだ」
翔人は少しだけ泣きそうな顔を見せて、それをすぐに顔を覆って隠す。
「何か知ってるの?」
「言えません」
つまり答えはイエスか。
「そっか」
言えないということは、この子も詳細は教えてくれないだろう。そう思ったけれど翔人はまだ話したいらしい。何度かためらったあと、小さくうなずいて一言だけ言葉を足す。
「言えないけど、僕のケガは唯花のせいじゃない」
「どういう意味?」
「言えない。僕が言えるのはこれだけです。唯花は悪くない」
「なるほど」
結果として出てきたのは黙秘の宣言。けれどもそこに付随していた情報は値千金だ。
私の推測が正しければ、子供たちには少なくとも二つの秘密がある。事件の話をできない理由と、翔人がケガをした理由だ。健太や唯花は前者を黙秘し、後者は知らないようだった。対して、翔人の答えは両方同じ。
当事者だから当たり前だけど、翔人は自分がケガをした原因を知っている。そして想像通りなら、ケガの原因はもう一つの秘密とつながっている。もう少し踏み込んでみよう。
「言えないのは、後ろめたいから?」
「……何がですか」
絞り出すような否定の声。「大丈夫、ここには愛子さんはいないよ」にじみ始める不安を撫でつけながら、私は残酷な糾弾を続ける。
「七月十五日、事件の日、翔人たちは海に行ったんだよね?」
無言のままうなずく翔人。
「だとすると変なんだ。洗濯物の汚れは黒土だった。どの服にも塩気一つない。行ったのは海じゃなくて山とか森でしょ」
うなずく首が止まる。
「それから、車の中も見せてもらったの。カーナビに履歴が残ってないのに使われた形跡があって、そこにも同じ土の汚れがあった。履歴を消した理由は、誰にも言えない行き先だからだよね?」
「そ、それは……」
翔人は言葉に瀕し、私に向ける感情にも戸惑っているようだった。一度布団で全身を覆い、それから失礼だと思ったのかすぐに出てくる。正直ないい子だ。
「怒ってるわけじゃないよ。ただ知りたいだけ」
不安にさせに来たんじゃない。私はこの子たちを苦しめる壁を取り払う手伝いをするために来たんだ。できうる限りの笑顔を作り、翔人の右手を握る。
「あの日翔人たちは死源に行った。そうだよね?」
カシオペア近辺の山岳地帯、その中でも子供たちの興味を引きうる場所は、私の思いつく限り一つだ。状況からも物証からも、目的地が死源だった蓋然性が最も高い。翔人のケガについては不明な点が多いけど、死源が絡んでくれば不可解が起きる可能性も跳ね上がる。それほどにあの異界は何でもありだと、経験が知っている。
子供たちが黙秘した理由は斎藤さんだろう。ことが公になれば斎藤さんはきっと世間に非難される。だから子供たちは誰一人として事件の日のことを話さなかった。
「……」
翔人から肯定の返事はなく、けれども否定の言葉もない。瞳を潤ませて懇願するように私を見ている。
沈黙は十秒二十秒と続き、翔人の瞳から涙が筋となって落ちる。うん。悲しみじゃなくて、キャパオーバーの涙だね、これ。どうしよう。
私としてはほかの子供たちがいないここのほうが秘密の話はしやすくて、翔人がいろいろ教えてくれると助かるんだけど、だからと言って泣かせたいわけじゃないんだ。脳内で謝罪の段取りを考え始めたところで、扉が開く。
「それくらいにしておいてくれないかな」
背後から聞こえてきた男の声。驚いて振り返ると、扉を開けて入ってくる影があった。
「あ、斎藤さん」
来訪者に翔人の声が安堵に震える。
「やあ翔人。お見舞いに来たよ」
頭上に響く軽やかな男の声は、なぜだろうか、私の背筋から温度を奪う冷たい響きをしていた。
カシオペアから病院までけっこう距離がありますが、これは予算の都合でカシオペアが田舎の最奥にあるためです。愛子は「まあ大丈夫でしょ」と高をくくっていましたが、日々の不便の蓄積に伴い内心後悔しています。庭が広いので子供たちからは大好評です。




