はじまりの嘘
思うに、平和というものは不平等の容認・啓蒙によって成り立つものだ。お互いにとって譲れない何かを知り、広め、許し合う。そうすることで、自分が自分でいられる場を作る。一見平和に反する暴力の概念であっても、必ずしも排除しなければならないものじゃない。主張を通せない律された静謐を平和と呼ぶのは、私は違うと思う。
「哲学ですか?」
「いや、後悔してるだけ」
小皿を洗剤でディスクジョックしながら窓の外を眺める。轟く雷鳴、猛る炎、何かの混入を疑う色の泥団子。子供たちが塾から戻った途端にこれだ。ほんとにケガ人出ないんだろうな。
「今からでも止めます?」
「もうちょっと静観したいかな」
少し乗り気の晴には悪いけど、これはこれで好都合ではあるんだ。凪が意図したかはともかく、子供たちは散らばって遊ぶようになって、集団緘黙を貫きづらくなっている。話を聞くチャンスだ。
「手始めは、協力的だった唯花か、何かを知ってそうないろはかな」
そうと決まればこの皿洗いと、そのあとに控える掃除と洗濯と買い物と夕飯の仕込みを済ませないと。いや、多すぎじゃない?
「家事はわたしが受け持ちますよ?」
おずおずと一騎当千の申し出。ありがたいと言えばありがたいけど、私は任された仕事を放りだすような輩じゃない。
「というか、晴いないと困るし」
「わたしがいなくても、もう天音さんになら教えてくれると思います」
「そしたら私を止める人がいなくなるでしょ」
驚くなかれ。自分が踏み込みすぎることくらい、そろそろ学習済みなのだ。それが私の好奇心で、私にとっての平和。足は止めない。作業を全部片づけて、代わりに手を取る。
「よし、行こう」
手袋越しにぎゅっと握り返される手のひら。平和を作りに行こうじゃないか。
玄関まで大回りして、スニーカーで虐殺会場へ向かう。間近で見ると、渦中の森はより鮮烈だ。今はまさにラウンド中なのだろう。それにしても、のべつ幕なしに泥が飛び交う光景はなんというか、原始的だ。
「そんな、ここまでしなくても」隣で愕然とする晴。
「ね、掃除が大変だよね」
「え?」
いや、掃除もあいつらにやらせればいいか。お片付けまでできないと大人とは言えまい。
さて、目当ての子はいるかな? 森の奥までぐるりと見渡すと、最初に目に映ったのはいろはの姿。ちょっとアッパーテンションで炎を泥玉に込めようとしているところだ。うん、今はやめておこう。
「となると、あっちかな」
幸いにも唯花は比較的おとなしい。戦場から少し離れた場所で膝を抱えて座っている。みんなと違ってサンダル履きなのは不戦主義の表れか。
「やっほ、楽しんでる?」
「……」
返事の代わりにはじとっとした視線。うん、楽しんではなさそう。後ろの晴も不安げだ。
「じゃあお姉さんとお話ししようか」
何がじゃあなのかは分からないけど、強引に隣に座る私。
「話せること、あんまりないですよ」
「大丈夫。聞きたいことはけっこうあるから」
さて、どれから聞こうか。事件についてはどうせ語ってくれないだろうし、ここからかな。
「翔人とケンカしてたって聞いたけど、本当?」
「してませんよ?」
拒絶されるかと思いきや、反応は簡素なもの。
「あ、でも」
思い当たる節はあるらしい。少し考えて、「したかもですけど、許してあげました」と情報を更新する。
「どんなケンカだったの?」
「それは、秘密です」
少し考えての拒絶。これは周囲に止められてるのかな。まあ、言えないのなら聞かないでおこう。でも、どうやって情報を引き出そうか。
「あんなのケンカじゃないです」
意外にも唯花の返答には続きがあるらしい。
「というと?」
「翔人君が気にしすぎるって話です。晴姉もそう思うよね?」
「ふふふ。そうかも」
唯花はそれから、翔人に関するいくつかのエピソードを語ってくれた。毎日明日学校に持っていくものを教えて回るとか、愛子さんが火事起こしかけたのをいち早く見つけたとか、おしゃれ着を褒めてくれたとか、いろいろだ。分かってきたぞ。これは世間一般的に言う、のろけというやつだ。
「天音さん、どう思います?」
「格好いい子なんだね」
期待通りの返事がもらえて唯花はご満悦だ。
「そうなんです。しかも、健太君よりもずっと大人なんですよ。火事の時だって健太君に任せてたらアイちゃんとっくに牢屋行きだったんだから」
なんだか一エピソード出てきそうだ。フィルター越しの唯花評は話半分に受け取るとしても、翔人は優しくて、意外とリーダーシップを発揮するタイプらしい。
「この間の旅行だって翔人君が提案したんですよ?」
「へえ」
ぺかぺかの笑顔で自慢する唯花は、けれども自分が口を滑らせたことに気づいたらしい。両手で口を塞ぎ、「今のなし」と首をぶんぶんする。
「……」
私が返事をしないでいると、後ろめたいのか「わたし、何も知りません」とほかの子たちの方に逃げようとする。晴の視線が痛くなってきたし、ここらが引き時だろう。
でも意外だ。健太たちの話だと、もっと深刻なケンカが起きているのかと思っていた。唯花は見ての通りデレデレで諍いなんてとんでもない。
「ねえ唯花」
逃げ去ろうとする唯花を呼び止める晴。
「なに? 晴姉」
「髪飾り、どうしたの?」
指さす先には、不自然に手で押さえられた毛先。
「イメチェン。ストレートが流行りだから」
「そう、なんだ」
困惑する晴。沈黙を埋めるように、ひときわ大きな雷鳴が庭先に響く。青天の霹靂。
「そろそろ行かなきゃ」
唯花は日曜日の学校に忘れ物を取りに行くかのような重い足取りで、そろりそろりと私たちのもとから離れていく。
残された私には疑念一つ。晴を見る。
「あれは嘘です」
なんとなく分かった。ストレートにしたいならずっと手で髪を押さえるのは変だ。仕草の理由もおよそ想像できる。
「髪飾りって、特別なもの?」
「はい。あの子のおばあちゃんの、形見です」
聞けば、ジエンド以前に亡くなったおばあちゃんからもらった大事なものらしい。
「毎日欠かさず身に着けていた宝物なんです」
「私が来た時からあの髪型だった。ってことは、変だね」
ローテンションの理由が一つ分かった気がしてきた。これは意義ある手がかりだ。
「晴姉、唯花いなかった?」
私が小さく手を握りしめたタイミングで近づいてきたのは健太。何の用かと思ったら、意外にも唯花を迎えに来たらしい。
「天音さんもちゃんと審判してよ」
「唯花と健太、敵チームじゃないの?」
「人数偏るからオレが来たんだ」
よほど教育が行き届いているのか、卑怯という言葉とは無縁らしい。晴の指さすまま唯花を捕まえに行く健太の背中は楽しげだ。これはもしかすると、予想より凪のやり方は有効なのかもしれない。
夕食の準備を少しだけ手伝って、物干し竿に襲い掛かるスローター(泥)に絶望し、それから一休みかと思いきや三時のおやつの配給と、家事も育児もめまぐるしい。怒涛の勢いでスコーンをかじって外に飛び出していく子供たちを青息吐息で見送りつつ、ようやく一段落。というか晴、このスコーンいつ作ったの?
アプリコットジャムの残りを特製スコーンで消費しつつ、重要参考人への聞き込み開始だ。
「愛子さん」
「ん、なに?」
「唯花のことなんですけど、髪型変えたのっていつですか?」
カレンダーを眺めつつ、およそ確信めいた質問。そして、予想通りの答えが返る。
「んー、そうだね、三週間くらい前? だったよね、晴」
いや、晴は知らんでしょ。
「そのくらいですね」
「なんで知ってるの?」
「……ちょうどわたしが帰った日、唯花が髪飾りしてなかったので」
「へえー」
何かがあったらしい事件の日に、唯花が髪飾りをつけるのをやめた。壊れたか、なくしたか、着けないと約束したか。どの場合でも、事件と関係があると考えたくなる。
「翔人がケガした日って、何かあったんですか?」
「ピクニックに行ってたよ。斎藤さんが車運転して、どこだったかな? 座頭海岸の方までだ」
「海、ですか」
ここから車で三十分くらいかかる海岸の名前だ。この時点で、すでに私の印象と食い違う。海岸に行ったにしては、子供たちの服は潮にまみれていなかった。それどころか洗濯籠に充満していたのは蒸した土の臭い。山だ。
「ちょっと車調べてもいいですか?」
「いいよ。あ、でも鍵の場所知らないや。晴、手伝ってあげて」
私ペーパーだからとスコーンの包み紙を指さす。ドライバー、近くにあるかな?
カシオペア入り口横の駐車場。軽石で均された簡易なそこには二台分の駐車スペースと小さな物置があり、スペースの半分を占拠するように白いワゴンが停められている。
車のカギは普段玄関先に放置してあるらしいけど、さっき見た限りそれらしいものは置いていなかった。小物入れの中身は空っぽだ。斎藤さんがどこかに動かしたのだろうか。
まあ、外観からだけでも見える情報はあるだろう。
「あ」
肩ほどの高さの物置のへり、そこに無造作に置かれていたのは小さな金属部品。
「ありましたね」晴の言葉の通り、車のカギだ。
「これ、大丈夫なの?」
あんまり内燃機関に縁がない生活をしてきたんだけど、車の鍵ってこんなに不用心に置いていいものなんだっけ?
「田舎なので」晴は割り切った答えだ。
見つからないよりよほどマシか。私も頭を切り替えて、運転席の鍵を開ける。
「……う」
足を踏み入れた途端鼻を突いたのは、むせかえる二重の臭い。血液と、泥土だ。
「調べたあと、ここも掃除しなきゃですね」
後ろからのぞき込んだ晴も同じ感想を抱いたらしい。
ドライバーシートに腰掛けながら、不審な物体がないか探す。がくんと後ろに下げられ座席位置からして、斎藤さんは相当背が高いのかな?
かがみこんでハンドル下に手をガサ入れてみる。ペダルを二つさわり、その横に何か別の硬いもの。
「なんだろ」
引きずり出すと、見慣れたカード型デバイス。
「電話ですね」
「うん、電話だ」
斎藤さんのものだろうか。電源を入れてみるけれども充電切れで動かない。今の時世には珍しいことにEM製じゃないらしい。充電器、探せばあるかな。考えつつ、懐にしまう。
「これ、なんでしょうか」
今度は晴が何かを見つけたらしい。握った両手をこちらに向けて、静かに開いてくる。
「ガラス細工?」
手のひらにあったのは小さく不格好で、半透明の球体。一つを手に取ってみると、乾燥していて硬い感触だ。
「乾いた消臭剤、でもないか」
確認するまでもなく、車内には消臭グッズなど置いていない。置いてたらもっとマシな臭いだったはずだし。
念のためくまなく調べてみたところ、謎の物体は運転席と助手席、車の前面に散らばるように置かれていた。
「何でしょうね、これ」
今の段階では分からない。かぶりを振り、こちらも一部ポケットへ。
「あとは、カーナビかな」
ボタン式のキーを押し、イグニッションを入れる。あれ、カーナビだけなら回さなくていいんだっけ? というかこれ無免許運転? まあいいや。ボタンを適当に押して、タッチ式のナビゲーションシステムを起動する。
「何か分かるんですか?」
「たぶんね」
一般的にカーナビには履歴管理のシステムがある。意図して消さない限りは移動した距離や入力した目的地など、様々な情報が得られるはず。つまり、海に行くと偽った子供たちの真の目的が分かるはずだ。
ボタンを操作し、履歴を表示する。確認する。
「何か分かりました?」
「……」
念のため最初からやり直してみる。
「どうです?」
たぶん機械音痴なのだろう。晴は画面の見方がよく分かっていなさそうだ。とりあえず、情報を共有しよう。
「何も入ってないね」
いや、厳密にはカシオペアの住所が目的地として入力されていた履歴はあった。病院からカシオペアまでの走行履歴も残っていた。けれども七月十五日、事件の日にはほかの情報が一切残されていない。
「まさか、消されてる?」
誰が、何のために。分からないけれど、少なくとも目的地のごまかしは確定だ。そうなると、運転手だった斎藤さんも怪しい。少し視野を広げてみなければ。
スマホを作品に登場させるといつもどう呼称させるべきか迷います。本作では基本的にはスマホ呼びしていますが、晴は置き電話のある家で育ったので電話という表現を使います。




