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プロミッシング

 三日目の朝。慣れない枕の柔らかさに寝返りを打った耳に、子供たちの甲高い声が鳴り響く。多目的室の時計が示す時刻は朝七時。夏休みにしては上出来な起床時間だろう。


「朝ご飯、準備しなきゃ」


 確か、台所にバターロールが三袋あったはず。一人二つ、コーヒー牛乳つけて、あとは目玉焼きでも作ろうか。


「ビタミンは……光合成でいいや」


 階段を下りながら自堕落メニューを考える私の鼻腔をくすぐる、磯の匂い。


「魚?」


 ここまで来て、ようやく晴がすでに寝室を抜け出ていたことを思い出す。あまりにきれいに布団を畳むものだから、同じ部屋で寝ていたことを忘れてしまっていた。

 期待半分、申し訳なさ半分にリビングのドアを開ける。


「おはようございます」

「おはよ、晴」


 エプロンと三角巾完備の晴は寝坊した私を責める気配を微塵も見せず、ランチプレートにレタスを盛り付けている。昨日のやり取りで緊張や警戒が解けたのか、なんだか態度も目元も柔らかい。そして美人だ。そのエプロン、私が昨日着てたんですよ? 信じられます?


 何か手伝おうかと近寄るけれど、もはや必要なさそうだ。だし巻き卵は巻き簾にくるまれて裁断を待つのみだし、グリルの火も止まっている。炊飯器からも当然のごとく白い煙が上がり始めていて、完璧だ。


「卵、甘いのとしょっぱいのどっちが好きですか?」

「うーん、甘いほう?」


 なんだかドラマで見た新婚さんみたいだあ。いや違う。


「ごめんね、朝の支度全部任せちゃって」

「大丈夫です。去年まで朝はわたしの当番だったので」


 ぐっと細い腕をあげて見せる晴。長袖の余りはきれいにたすき掛けで固定されていて、もはや貫禄まで見える。薄いピンクの手袋はゴム製で、これも台所専用装備なのだろう。


「子供たちは?」

「ラジオ体操中です」


 なるほど。それでわーきゃー言ってるのね。掃き出し窓からちょうど姿が見えそうだ。ちょっと様子を見てみようか。近づいて、窓を開ける。


「……」


 ラジオ体操なんて小学校以来やってなかったけど、最近は変わってるんだなあ。


「喰らえ、雷撃ボール」人目もはばからずに手のひらの土団子に雷撃を込めるのは学。

「泥はまずいって学、アイちゃんにバレる」横から同じく能力者の野乃が止める。

「うーんじゃあ、普通の雷撃!」

「いってー」紫電を喰らった柳は一瞬体をびくりとさせるも、すぐに反撃の水風船を投げ返す。

「辛っ、何入れたんだよ」

「参謀は『知らないって言え』って言ってた」


 ずいぶん派手なラジオ体操だ。光るし、ちょっと燃えてる。首謀者はどこかな? いた。縁側で満足げだ。とりあえず壁掛けの孫の手で不服を主張しておこう。


「うおっ。なんだ天音か」

「おはよう凪」

「邪魔するなよ。侭と愛子さんが寝てる今がチャンスなんだ」


 さすがの凪も子供たちの輪に暴力で割って入るほど子供ではないようでひと安心だ。どうにも、戦況を見ながら飛び交う雷撃や炎の軌道を調整しているっぽい。


「一応な一応。服とかは燃えるかもだし」

「ふーん」


 こんな早朝からよくやるよ。子供たちの方にもう一度意識を向けると、絶叫しながら投擲合戦を繰り広げている。近所迷惑は、いいか。田舎だし。昨日はまだ小手調べの段階だったのか、助走をつけながら水風船をぶん投げる本気っぷりだ。


「なんか、昨日より激化してない?」

「そりゃ戦いだしな。そうでないとつまらない」


 殴り合いでこそないものの、犬歯をむき出しにして水風船を投げ合ったり、当たっても当たらなくても悲鳴じみた絶叫を上げたりと、様相は完全に子供のケンカだ。


「進展してる、のかなあ」


 子供たち、特に能力者の側に手加減が消えたということは、彼ら彼女らの間に抗精神力の概念が浸透しつつあるということだ。能力でケガをさせることが難しいと理解できれば、それだけで両者の不和は和らぐだろう。


「一進一退だよ」


 凪の少しずれた回答。審判はいないけど、ちゃんと得点計算は子供たち自身でやれているらしい。スコアボードには16対13の数値が記されている。ちょっとだけ凪陣営が有利だ。ずるい。


 会話が止まり、スローターが綴られる。ときおり飛んでくる能力の余波を受け流しながらも、凪の眼差しは真剣だ。


「これが凪の目指す世界?」

「ああ」


 当たり前のように能力が使われる光景。かつて凪が口にした大言壮語、けれども本当に大丈夫なのだろうか。私は凪ではない。超能力者じゃないし、思考から偏見をなくすこともできない。


 不安、疑念、躊躇。深く沈んでいく私の思考を、柔らかい風が止める。気づくと、凪の能力が私の手を持ち上げていた。


「約束」


 小指の代わりに拳の裏をぶつけつつ、凪はもう一度うなずく。


「超能力は争いの道具じゃない。誰もケガなんてしない」


 当たり前のように示されたそれは、きっと凪なりの決意表明なのだろう。手の甲に当たる骨ばった感覚が、少しだけ私の不安を和らげた気がした。


「もうすぐ、朝ご飯できるから」

「了解。いったん止めるか」


 少しだけ落ち着いた気分で縁側を離脱する。さてと、寝坊した分、子供たちの誘導くらいは気合いを入れてやらないと。




「朝ごはんだ」「本物だ」と失礼な感想を述べた子供たちから卵焼きを数切れ取り上げつつ、朝食。食事の話題もスローターの感想戦で持ち切りだ。遅れて起きてきた愛子さんが渋い顔で凪を見ているのは、まあ本人に任せよう。


 状況が好転してきて初めて分かる問題もある。席の隅、会話に乗らず静かに焼き鮭の皮をめくっているのは、唯花だ。


「おはよう。今日、塾の日だっけ」

「……はい。お昼までですけど」


 ほかの子が盛り上がるのと反比例して元気を吸われているかのようだ。昨日今日と見えていた限り、唯花はまだ一度もスローターに積極的に参加していない。付き合いとしてその場にいるだけ。居心地の悪さもひとしおだろう。


「じゃあ終わったら、お姉さんと遊ばない?」

「え、でも」

「いいからいいから」


 ここまで統制の取れた行動を取ってきた子供たちの中の例外。何か得られるかもしれない。それに、審判として凪の抜け駆けの調整をする必要もあるしね。断る隙間を与えずに約束を取り付けて、食後のコーヒーをねだりに行こう。




 そのまま子供たちを塾へと送り出して、十分だけ休憩し、起きてきた侭に朝ご飯の残りを処理させて、さあここからが本日の家事業務。


「……不思議だ」


 どういうわけか、子供たちは毎日食事をして毎日服を着替えるらしい。しかも毎日お風呂にも入る。


「家事ってしんどくないですか?」


 今現在、目の前に広がるのは皿の海。


「一人暮らしのたーった十倍だからね、平気平気」


 愛子さんはこなれた調子だ。毎食これなら諦めもつくのだろうか。


 隣ではすでに晴がお昼ご飯の準備を進めている。冷やし中華でも妥協を許さず彩を添えていくご所存。意気込み十分だ。

 男どもは風呂掃除、午後はどうせスローターでいなくなるだろうから、早めに洗濯物干しの手伝いも終わらせておきたい。


「で、どうなの? 仲直り大作戦は」


 湯通しが終わった皿にスポンジを滑らせながら、愛子さんの一声。朝の喧騒を耳にしているからか、声音には困惑が混じっている。


「いわゆるアレって、あんな感じに使っていいものなの?」

「どうなんでしょう? 凪は普段から全然使ってますけど」

「それは知ってる。でも、あれのアレもめちゃくちゃ浮いてたからさ」


 それはもうご近所でも評判だったと笑い飛ばす愛子さん。見渡す限り畑ばかりのこの田舎でそのレベルということは、やっぱり凪の奇行は場所を変えても奇異な目を総なめするようだ。


「でもまあ、大丈夫ですよ」


 別に愛子さんを安心させるためではなく、自然と出てきた言葉。


「ちゃんと約束したので。一人のケガ人も出ません」

「そっか。じゃ、安心だ」


 そう。うちの男どもは全然信用できないけれど、意外なことに約束だけは守るのだ。

椎名侭⑥:侭はもう少し早い時間に目を覚まし、そのうえでどうせ天音か晴が起こしに来るだろうと思って惰眠をむさぼることを選びました。天音は気づいていませんが、侭本人は放置されたことに若干ショックを受けてたりします。いいから働け。

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