ある快晴の日
「え、なに? どしたのみんな」
午後七時のリビングルームで、愛子さんが驚きに上ずった声を出す。
「何って、晩飯だよ。みんな腹減ってんの」
答えたのは凪。座る場所がなくなって手持ち無沙汰なのか、晴と一緒に大皿を運ぶ手伝いをしている。
数時間続いたスローターの初日。結果として子供たちのわだかまりは解けていない。今も両チームの視線はときおり険しさを増すし、互いへの物理的な距離感からも、超能力への恐怖が消えていないことは明白だ。けれども今、子供たちは分断線をまたいで全員で卓についている。
一日遊びまわってお腹が空いた結果、争いよりも早く胃袋を満たしたいという欲求が勝っただけのことだけど、それでも愛子さんの目をほころばせるには十分だったようだ。
「なるほどねえ。じゃあ早くよそわないと」
スプーンで急かしの合奏を奏でる子供たちをチョップで一人ひとりたしなめながら、愛子さんはもう一度笑う。
「今日は何して遊んでたの?」
「遊んでたんじゃないよ。戦いだってば」
「戦いだからケンカじゃないからね」
「んー、よく分かんないけどケガはしないでよ」
これだけ人数が多いと米を茶碗によそうだけでもけっこうな重労働だ。ニコニコしながらエビフライの皿を運ぶ愛子さんと、いつの間に作ったのかそこにコロッケを乗せていく晴。まったく、年季の違いを感じるね。
「年長組は向こうのテーブル使って」という愛子さんの厚意によって、私たちも食事をお預けされずに済みそうだ。アレンジが一周してカレーに戻ってきた残り物の元ミートソースにスプーンを突っ込みながら、思考は潮目のクラゲのように漂流中。
スローターは今のところ成果を上げている。何ならこれだけでケンカが収まる可能性すら出てきた。悩みの焦点は翔人の件だ。争いは怒りを忘れさせることはあっても消し去ってはくれない。根を張ったわだかまり自体が芽吹かないようにしたいんだけど、私のわがままで事態をかき回しすぎるのもよくないしなあ。
「天音」私の思考を止める凪の声。
「なに?」
「教育に悪いからカレー混ぜるなよ」
「え、うそ」
下を見ると、心の潮流が皿に具現していた。まるで私の心模様のようでげんなりだ。
「凪の超能力で米とソースを分離できたり?」
「食い物で遊ぶのはダメだろ」
「う」
まさか凪に正論を説かれる日が来るなんて。
「わたしのと取り替えます?」隣の晴からおずおずと手が上がる。やめて。粗相した子供と同じ対応を向けられると私の自尊心が崩壊する。
侭が無言のまま鼻で笑う。「カレー相手に精神崩壊(笑)」とか言うセリフが目に浮かぶようだ。こっちは混ぜカレーを二皿に増やしてもいいんだからな。
「天音、大人げない」
すかさず凪からたしなめの視線。今日は晴がいるからか、二割増しで年上ムーブだ。普段からこれくらい落ち着いていればクラスで浮かずに済むんじゃないでしょうか。
「いつかそんな日が来るといいな」
「え、何がですか?」
「気にしなくていいぞ晴。カレーが冷める」
凪の一声で談笑は終わり、各自自分の皿に取り掛かる。ときおり飛んでくる侭の戯言と、甘さにうめき声を上げる凪。いつも通りだけど、どちらの表情にもどこか油断じみた穏やかさがにじむ、これはこれで味のある光景だ。
「……」
気になる点があるとすれば、背中にかかる妙な視線。スプーンをせかせかとかわいらしく動かしつつも、ときおりこちらを眺める晴。何か気になることでもあるのだろうか。もしかして服にカレーかかってる?
「あの」
「わ」びっくりした。
「あとで少し、よろしいでしょうか」
「ん、いいけど」
わずかに震える晴の声。一度ほぐれた緊張が再来しているかのようで、いたずらに私の不安を煽った。
夕食を終えて子供たちを風呂に流し込み、それから唐突に愛子さんが「去年のが余ってた」と持ち出してきたしなびた花火。
空と大気は澄んでいて、近くに森があるおかげか縁側は涼しげだ。裸足にヒノキの感触が心地よい。手作りらしき風鈴を横で見ながら、線香花火に火をつける。
子供たちは分かりやすくグループに分かれて火花を散らしている。その周りを行ったり来たりするのは凪で、一人で草を焼いているのは侭。そして私の隣には、晴。
「天音さんには、前から聞きたいことがあったんです」
縁側でお互い線香花火を抱えながら、晴はにじりにじりと距離を詰めてくる。もともとパーソナルスペースの近い子なのだろう。あるいは、逃がさないという意志の表れか。いずれにせよ私に逃げる理由はない。おとなしく捕まろう。
体温が伝わる距離まで腕を近づけて、晴は振り絞るような声で言う。
「天音さんは、凪の彼女さん、ですか?」
「……はい?」
ぽたりと、赤熱した硝酸カリウムが足元に落ちる。来ている動揺が、爪先に。
「あっつ」「だ、大丈夫ですか」
慌てて水バケツに足を突っ込んで消化する。これ、跡残らないよね? ああ、大丈夫そう。よかった。
「で、なんですと?」
「それは……」
「いや、やっぱいい。聞こえてた」
勇気を振り絞ったであろう言葉を何度も言わせるのは、お姉さんとしては感心しない。
そうかなるほど、そういう解釈もあるか。確かに、普通の関係にしては会う頻度多いし、泊まりがけの旅行なんてそうそう行かないよね。
「誓って言うけど、ありえない」
「え? じゃあまさか、侭さ――」「それも違う」
ふへえ。肺の空気が口先から漏れていく。微妙に警戒されていると思ったらそういうことか。晴から凪の矢印は明白だけど、逆は家族愛の延長だ。そこに急に現れた謎の異性の存在、確かに気が気じゃないだろう。
ぴしゃりと、まったく逡巡のない私の答えは、ひとまず晴にとって信じるに足るものだったらしい。困惑で目をしばたたかせ、「それなら、どうして」とつぶやく。
どうして「誓ってありえない」男のためにこんなところまで付き合っているのか。答えは私にも判然とはしていない。でも今の気分はそうだなあ。
「ゆうじょう?」
私は紆余曲折が好きだ。曲がり角を曲がった時に見える景色が好きで、偶然鉢合わせた人の驚く顔が好きだからだ。だからたぶん、ほかの人と比べても考えすぎるきらいがある。でも結論まで複雑になるかというと、そうでもないのだ。
「転校してきて心細かった時、あいつらが誘ってくれた。それがちょっとだけ嬉しかったんだと思うんだよね。だからその分、恩返し」
巻き込まれたせいではあるけれど、私はあいつらのいいところだって多少は知ってるつもりだ。努力は報われてほしいし、みんなにも伝えたい。そういう意味では、凪をよく知る晴は、ある意味で私の先輩ともいえる。
「ねえ晴」
「な、なんですか?」
「晴は、凪のこと好き?」
「好き、です」
つまずきながらもノータイムで返る答え。積み重ねてきた信頼がうかがえる。私から見ると我が道を行きすぎる超能力オタクでしかない凪も、晴に格好をつけたい理由があって、そうしてきた過去があるのだ。
私の知らない、私の友達の顔。なんだか考えるだけで楽しくなっちゃうね。
「凪は、わたしの恩人なんです。世界の中心で光る、わたしのすべて」
言葉が空気を震わせて、晴の線香花火をいっそう光らせる。言葉はあまねく、狂おしいほどの感情とともに空を満たす。
名前を聞き取ったのか、遠くで雑草を焼いている凪の視線がこちらを向く。とりあえず手で追っ払っておこう。
「詳細を語りたまえ」
晴は茶化す私に鈴の音のような笑いを返し、また星を見る。
「わたし、今でこそ普通ですけど、昔はすっごく体が弱かったんです。カシオペアより入院生活のほうが長いくらい、笑っちゃうくらいずっと入院してて。今でも夜中に起きるとカテーテル探しちゃうんですよ」
鼻先を二本の指で押さえる仕草を見せる晴。余命いくばく、生命維持、不治の病、そんな不穏な単語が冗談のように流れていく。
「そんなだから家族もほとんどお見舞いに来なくなっちゃって、ずっと一人だったんです。背は伸びないし、髪の毛も色落ちして変になっちゃうし、歩けないし。夜中に自分でトイレに行くことも、電気をつけることもできないって、笑っちゃいますよね」
「そ、そうだね。ううん、そうなんだ」
お、重い。話に聞こえる限り、予想以上に壮絶な闘病生活だったらしい。ここで笑っちゃえるのは侭くらいだろう。
「真っ暗な夜に痛くて目が覚めて、でも何も見えなくて、何もできなくて、もういっそ全部ダメになっちゃえばって思ってた時に、凪が病室に忍び込んできたんです」
「忍び込んできた?」
「はい。本人は入院だって言い張ってましたけど」
どういう状況なんだろう。まあ、話に水を差すのも野暮だ。今度本人に聞こう。
「凪の目を通して、わたし、二年ぶりくらいに星を見たんです。自分で首を動かすこともできなくなって、誰もわたしに構わなくなって、いつの間にか忘れていたんです。星って、きれいなんだなって」
「星」
また、星だ。まるで因果のように、カシオペアを導く過去からの光。
「あまりに星がきれいだったから、もうちょっと頑張ってみようって思って、頑張ったんです。だから、凪はわたしの恩人」
右手を左手で抱き寄せるように、過去に星にと思いを馳せる晴。思いの力か医療の進歩か、晴は無事快復して今に至ると。実質上の命の恩人とあれば、懐くのも無理はない。
「ちなみに元入院患者から見て、お見舞いを断る理由って何か分かる?」
ちょっと失礼かなとも思いつつ、思いつきを口にする。私の貧困な頭では、おしりにおできができて見られたくない、くらいしか想像できない。
「そうですね」晴は少し思案しつつ、笑顔。
「わたしも、お見舞いされるの苦手なんです」
「えー」
まさかの全否定だ。
「重病人のわたしを見てほしくない。諦めてほしくない。なんて、わがままかもですけど」
「お見舞いってちょっと義務になっちゃうから、分かるかも」
思い出すのはお父さんの病院。足しげく通う母親と、つまらなさそうにお菓子を受け取る骨折した子供。もちろん愛はあるけれど、義務でもあるから鬱陶しさや申し訳なさを感じてしまうものかも。長引くほどに義務感は増すだろうし、晴はきっとそれを痛感している。
「凪が来てた時も実はあんまり嬉しくなかったり?」
意地の悪い質問だと思いつつ、思いつきを口にする。
「凪は遊びに来てただけなので」
「なるほど」
ふらっと病室にやってきて話したりトランプしたり、そんな感じの晴と凪の光景が頭に浮かぶ。
いっそ私も遊びに行ってみようか。そうでなくとも一度翔人にも会ってみたい。そのために、もう少し情報を集めてみよう。
天崎晴③:一般的に「晴」という名前のキャラクターは快活なことが多いですが、彼女は真逆の性格にしています。凪いだ夜を照らす星のような晴天があってもいい、という意図です。




