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秘密兵器

 はじまりの夜が明け、二日目の朝。夏休みの朝だ。


 真夏の太陽に挑みに行く子供たちを見送り、息つく間もなく掃除と洗濯が怒涛に続く。愛子さんは私含めて若い人材を使い倒す決意をしたらしい。でも別に布団は今洗わなくてもいいんじゃない?


「報酬も出るし、頑張ろうぜ」


 幸いにも凪がやる気を出して手伝ってくれるようになったから、肉体労働としてはそこそこだ。侭はサボりを愛子さんに見つけられて説教中。どうせ非力だから役に立たないしそれはいいや。あとでトイレ掃除の刑に処そう。


 洗濯機を回しては止め回しては止めの重労働。どこかから寄付されたらしき、古された子供たちの服をひたすら干していく。あ、ピンクのワンピースだ。いいなあ。さすがに今の年じゃ着れないんだよね。時の流れって残酷。


「天音、何ぶつぶつ言ってんだ」

「……ただの夢語り」聞かれてた。


 そんな感じで数時間、一通りの洗濯物を干し終えてリビングに帰還した私たちに待ち受けるのはお昼ご飯という大イベント。へろへろになった私に差し出されるのは、愛子さんからの冷たいお茶。


「ほい、お疲れ」

「ありがとうございます」


 こちらは早くも夕食の準備をしていたらしい。昼間のそうめんが大不評だったからちゃんとしたものを作るんだとか。水を吸って少し膨らんだ指先と潮の匂い、エビフライか何かと見た。手伝っていたのか、後ろから侭がぬるりと現れる。コブと撫で肩。だいぶ怒られたな。


 隣では凪がお茶を一口含んで渋い顔。


「愛子さん、お茶うけある?」

「落雁なら」

「それ盆に出すやつだろ。もらうけど」


 束の間の平穏。子供たちがおやつに帰ってくるまであと一時間くらい。そうなると、たぶん秘密兵器のほうが先かな。

 私の推測を肯定するかのように、チャイムが一つ。


「あれ? お客さん?」


 よほど普段人が来ないのかキョトンとする愛子さん。それを制して凪が「俺が出るよ」といち早く席を立つ。私も湯呑を置いて後を追う。


 扉を開けた先にいたのは予想通りの小柄な姿。晴だ。飾り気のないチュニックにデニム、旅行鞄を抱える手のひらには薄手の手袋が添えられている。

 夏場に薄手とはいえ長袖。一般的にはけっこう野暮ったい格好のはずなのに、晴が着ていると涼やかに見えるから不思議だ。あの布量でどうやったら汗一つかかずにここまで来れるんだろうか。


「悪いな。休みだったのに」

「ううん、会いたかった」


 自然に晴から荷物を受け取る凪。二人の距離感は頬が触れそうなほど近く、やはり歪だ。この気遣いできるってことは、私はあんまり女扱いされてないな。


 凪にほとんど密着していた晴の視線が、不意に私の方を向く。


「あ」


 きっと私の存在は認識されていなかったのだろう。気恥ずかしそうに凪から離れる晴。すっと、その両手が後ろに回る。


「ど、どうもこんにちは」ぎこちなく挨拶してみると、「こんにちは」とか細い声が返る。


「……柏木さん、でしたよね」

「天音でいいよ」

「天音さんは、どうしてここに?」


 晴の細められた目がこちらにまっすぐ向かう。感情の分布はともかく、やはりきれいだ。薄紅色の瞳は瑞々しく、雑多な玄関口を夏の日差しより明るく照らす。


「私はええと、仕事?」


 スピンオフのことは晴に話していいんだよね? 凪に目で確認を取る。


「天音は侭の付き添い。愛子さんがスピンオフに依頼出したから」

「そうなんだ」


 侭の名前が出たあたりで、晴の表情が緩む。


「じゃあ、わたしが呼ばれたのもお手伝い?」

「半分そんな感じ。あとで話すよ」


 凪はにこやかに笑って晴をリビングにエスコートする。理由も聞かずに泊まりがけの旅行に出かける。そこに根付いているのは「良き信頼」なのだろうか。ユウレイの言葉を思い出しつつ、晴の小さな背中を追う。


「お客さん連れてきたよ」

「え、晴じゃん。どったの」

「ただいまです」


 目を丸くして麦茶を用意する愛子さんと手伝う晴、冷房のボタンを連打する凪。


「愛子さん、ガトーショコラとかないの?」

「バウムならある。バウムを出そう」


 優遇っぷりが末っ子通り越して孫のそれだ。一方で机に突っ伏したままめんどくさげに目線だけ渡す侭。


「やあ晴。悪いね、急に呼び出して」

「平気です。もともと休み中に顔を出すつもりだったので」


 晴の声音は凪と相対しているときほど高くなく、少しだけ距離を置いた感じだ。でも冷たい印象もない。こっちが平常運転なのだろう。


「じゃあ天音、説明よろしく」


 だらけたままの侭は私にボールを渡す。了解了解。だと思った。全員が席に着いたのを確認してから、私は晴に事のあらましを話す。


「――というわけで、子供たちの冷戦状態をなんとかしたいんだけど、あんまり協力が得られなくて。それで凪が子供たちに慕われそうな晴を呼んだってわけ。だよね?」

「ああ。去年面倒見てたって話だしな」

「なるほど」


 晴は何度かうなずいてから、けれども一度首をかしげる。


「でもそれなら、斎藤さんを頼ったほうがいいと思います」

「斎藤さん?」

「聞いたでしょ。休暇中のお手伝いさん」


 いや、言っておいてなんだけど凪は聞いてなかったや。こいつ寝てたし。

 ピンと来ていない凪に対し、晴が怪訝そうな声を上げる。


「休暇、ですか?」

「うん。夏休みなんだって」

「あ、確かに、休みもありますよね。あんまりイメージ湧かなかったので」


 不思議そうに遠い目をする晴の脳裏には、きっとバリバリに仕事をする斎藤さんの姿が浮かんでいるのだろう。私は見たこともないけど、これだけの家事を一人で賄うのだから、すごい人に違いない。


「どう? 手伝ってもらえる?」


 単刀直入に聞くと、「やるだけやってみます」と自信なさげな声。


「でも、みんなが嫌がるようなことはしませんからね」


 線は細いけど芯はある。十分だ。


「うん、ありがとう」


 私が余計な世話を焼くのは、あくまで子供たちが傷つかないため。あの子たちがいつも通りに過ごすための手伝いがしたいだけ。認識を共有できたところで、玄関からガラガラと騒がしい音。


「帰ってきたな」

「みたいだね」


 男二人は他人事で茶をすすり、代わりに晴が椅子を引く。愛子さんは状況を見て家事を再開することにしたらしい。台所に向かいながら、「土だけ払わせてね」と慣れた調子で注文を付ける。

 晴は小さくうなずいて、リビングを出ていく。私はどうしよう。とりあえず晴を追いかけようかな。


「ただいまー。あ、晴姉だ」「晴姉帰ってたの?」「晴姉いる? なんで?」「三人とも早く靴脱いで――晴姉?」


 玄関口に充満する十歳児の喧騒。皆一様に晴の姿を見て驚き、顔を輝かせている。これだけでももう、晴がいかに慕われているかが分かるというものだ。


「ちゃんと服の泥落としてね。柳、健太に引っ付き虫ついてるから取ってあげて」

「え、どこ?」「背中背中」「ほんとだ。さっき冒険した時かな」

「晴姉、あとで宿題教えて」「うん、あとでね」「やった」


 怒涛のざわつき二連続を平然と捌きつつ洗面場に誘導し、子供たちは実になめらかに手洗いと着替えとを促されていく。私が出る幕など当然ない。


「なんか、すごいね」

「みんな元気ですよね。ふふふ」

「いや、晴のほう」

「わたしはみんなのお姉さんなので」


 ぐっと握り拳を作って微笑んでから、少し表情を曇らせる晴。


「でも、確かにみんなぎこちなかったです」

「それをなんとかするのが私たちの仕事。頼りにしてるから」

「が、頑張ります」


 眉を下げつつもわずかに微笑む晴。その小さな決意に応えるためにも、私も頑張らないと。


 着替え終わってリビングになだれ込んでくる子供たちをお菓子と麦茶で捌き切って、テーブルを四人で囲む。


「それで、何をするんですか?」


 実に自然な流れで給仕役を買って出つつ、晴が尋ねる。


「とりあえずは情報収集かな。私たちじゃ聞き出せなかったこともあるだろうし」


 具体的なところは話を聞きつつ考えていけばいい。


「え、聞くんですか?」


 返ってきた反応は意外にも疑問形。どころか、少し目を細めて怪訝さすらにじませている。


「話聞かなきゃどうしようもないし?」


 なんだか怒られている気分だ。晴は私の萎む言葉尻をやんわりと捕まえる。


「わたしはてっきり、何か楽しいイベントを企画して気分転換とかをするのかと」

「あー、なるほど」


 言われてみればだ。私はなんとなく事件の真実を追っていたけれど、考えてみればそうしなければ子供たちの対立を解消できないわけでもない。隣の侭が「今気づいたのか」と言いたげに腹立たしくほくそ笑む。


「情報を聞き出して、何か変わるんですか?」


 晴のせせらぐ声に詰められて、私は言葉を止めてしまう。


「うーん」


 私は真実を明らかにしたい。それはたぶん変わらなくて、たぶん、そうすべきだ。でも、どうして私はそう思うんだろう。少しだけ考えて、答えを出す。


「春先に変な事件に遭ったんだけどね。女の子が勘違いして、周りが見えなくなってたの」

「え?」

「あと、地元に帰ったら、友達のイタズラのせいで雨雲が爆発しちゃってて、それもかな」

「あの、何の話ですか?」


 唐突に手渡された情報に困惑を見せる晴。


「みんな、超能力を知らなすぎて、それで傷ついちゃう人とか、多いかなって思ったんだよね」


 もちろん、知っていれば事件を防げたなどとは言えない。だとしても、知らないことが両者の間に溝を作っているのは事実で、だから私は気になるのだ。


 子供のケンカに大人が介入すべきではないというのも事実。でも、ケンカの仲裁をするのも立派な大人の役目なんじゃないか。


「スピンオフはさ、そういうの得意だから」


 たぶん自己満足で、たぶん自己完結。不安の表れか、晴の左手が右手の手袋に触れる。少し下がる眉の上に降りてくる、凪の掌。


「天音を信じろ」


 まっすぐこちらを射貫くような、ある意味私より私を信じているような、いつもの凪の目。


 晴はしばらく不服そうに私の前で口を一文字にしていたけれど、最後は「凪が言うなら」と納得してくれた。凪の手を自分の首元をすり寄せつつ、私にようやく穏やかな表情を見せる。


「相変わらず感情で動くね二人とも。うまくいかなかったらどうするつもりなのかな?」


 横からはうるさい侭のやっかみ。そうなったらまあ、ダンスパーティーでもやればいい。言ってのけると、侭は両手を私の肩の高さで上げ下げする。マリオネットとでも言いたいんだろうけど、その時は一緒に踊ってもらうからな。

天崎晴②:ようやく本格参戦です。進んだ先を考え続ける天音と対比する、進む是非を問いただすキャラです。

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