分け隔てのわけ
凪と侭が愛子さんの私室で暴力的説教(暴力)を受ける間、一人談話室に取り残された私は考える。能力者と非能力者の対立、本当にそこに踏み入るべきなのだろうか。
社会通念的に考えると、答えはもちろんノーだ。子供のケンカとはいえ、この問題は第三者が介入するには繊細すぎる。
では実現性を考えてみよう。答えは悲しいことにこちらもノーだ。スピンオフの活動を経て私の見識も多少は広がったけれど、それだけで解決できるほど甘くはない。しかも相手は物心ついた時から能力者非能力者の差を突きつけられてきた世代だ。下手をすると大人を相手取るより難しいかもしれない。
「はあ」
ため息をこぼしつつ、凪が散らかしたディスクを拾ってはラックの中にしまっていく。
床に貼られたテープはまだ艶があって、つまりはこの対立が始まってからさほど時間が経過していないことを表している。時間が解決してくれる問題である可能性もある。部外者が身勝手に踏み入るべきではない。それは分かる。
ガチャリと音が鳴り、扉が開く。説教が終わったらしい。しこたま殴られたのか、二人の表情はグロッキーだ。その後ろには違う意味で複雑な面持ちの愛子さん。
「あの」
私は考えもまとまらないまま手を挙げる。けれども言葉の出先を遮るように、愛子さんは私の手を取る。
「さあ、説教も終わったし、さっさと仕事しな。私は侭と買い物行ってくるから、天音ちゃんは台所ね」
「俺は?」
「風呂掃除」
「一人で?」
大げさに肩を落として部屋を出ていく凪と一瞬だけ目が合う。鋭く細められた瞳は何を意図したものなのか。今の私には、何かを求められているように思えた。
半ば無理やり問題に背を向けさせられながら、台所。大量のカレー皿の油をお湯で浮かせ、ひたすら落とす。わだかまりもこれくらい楽に溶けてくれるといいのだけど。無益な思考を繰り返す私の後ろに、小さな影。
「……」
無言で近づいてきたのは、おとなしそうな女の子。顔合わせの時に別の女の子の後ろで小さく頭を下げていたのを思い出す。さっき敵意をむき出しにした子とは違うグループだから、たぶん能力者だろう。胸まで伸びる髪をゆらゆらさせながら、私の隣に立つ。
「お皿、手伝います」
「ありがとう。名前を聞いてもいい? あ、私は天音ね」
「……唯花」
人見知りをするタイプなのか、口数少なく名前だけ。けれども瞳はまっすぐこちらを見ている。敵意ではなく、興味本位でもない。何かの決意を感じさせる表情だ。なぜだか、その顔立ちに奇妙な既視感を覚えてしまう。
私が汚れを落とし、唯花が水気をふき取って乾燥棚に並べる。自然とそんな役割分担ができていく。きっと日ごろからよく手伝っているのだろう。唯花の手つきには迷いがない。そしてときどき、じっと私の方を見る。
「……聞いてもいいですか?」
おずおずと、番犬に手のひらを差し出すように渡される言葉。
「天音さんは、どっちですか」
何と何の二者択一を尋ねられているのか、それを聞くのは野暮だろう。少し考えて、答える。
「どっちであってほしい?」
「え?」
質問を質問で返す、小狡いやり口。なるほど確かに世の大人が多用したがるわけだ。想定外の答えを返された唯花は面食らった顔をして、しかしそれでも考えるそぶりを見せる。
「……持ってないほう」
唯花はキッチン越しにビニール線の向こう側を見ている。味方じゃないほうを選ぶのは、少し意外だ。
「どうして?」
「分かんない」言葉は一度区切られ、少し潤んだ目がこちらに向く。「分かんないから」
「えらい」
そっと、頭に手を置く。
たぶん、ほかの子たちも同じ思いなのだろう。この子たちは苦しんでいる。戦おうとしている。ただ逃げ出した昔の私とは違う。だから、助けてあげたい。けれども私の常識はこの問題に手を出すなと言っている。過去の苦い経験も、ちゃんとある。
「どうしたものかなあ」
ぽんぽんと唯花の頭を撫でながら、答えの出ない自問自答。長い髪がひんやりと手のひらにまとわりついて、少し心地いい。
「あの、どっちなんですか?」
「私はあいつらの友達だよ」
「答えになってないです」
唯花は怒っているというよりも、泣きそうだ。
「でも、あいつらは私の友達。たぶん唯花と同じにね」
お茶碗を拭いていた唯花の手が止まる。表情は背けられたけど、だからこそ抱える感情は明白だ。
「ケンカ、なんとかしてほしい?」
「ケンカなんて、してないです」
言い方からして、言い争いや取っ組み合いは起きていないのだろう。でも、友達同士が楽しく過ごせないのは、私の中ではとっくに平和の範囲外なんだよね。
思案する私の耳に届く、もう一つの足音。振り返ると男の子が台所に入ってきている姿があった。さっき泣いてた子だ。男の子は私を見るなりばつが悪そうに表情を固め、それから横にいる唯花を見てさらに歪ませる。
「ええと、名前は?」「健太」
「ありがと。健太、台所に何か用事?」
「喉乾いたから、ジュース飲みに来た」
「はいはい」
洗ったばかりのコップをつかんで冷蔵庫を開ける。オレンジジュースの紙パックがあるな。
「どうぞ」
「麦茶じゃん」
「ジュースは晩ご飯の時だけ」
不服そうな顔を見せつつ、そのまま麦茶を飲み始める健太。愛子さんの教育が行き届いている。
「ごちそうさま」
気まずさゆえか、健太はものの十秒ほどで麦茶を飲み干す。咳き込みながらコップを突き出す、その視線が一瞬だけ唯花の方へと伸びる。
「……」
流れたのは沈黙。コップを受け取ろうと伸ばした唯花の手を、健太は無視して私に手渡す。そしてそのまま、逃げるように台所からいなくなってしまう。
悲しく宙に固定された手のひら。唯花は、涙を流してはいなかった。
「なんで、こんなもの、あるんですか」
ただ、それだけつぶやいて、その場にうつむいてしまう。足元にはどこから現れたのか、氷の粒が転がっている。
ああ、そうか。やっと少し分かった。
この子は、かつての私自身なんだ。能力に苦しんで、助けを求めたくて、でも助けを求めることに正当性を見出せない。だって、相手のことがまるで分からないから。分からないまま拒絶され、拒絶されるからふさぎ込む。
「唯花」
私もしゃがみ込み、震える唯花の肩を抱えてこちらに引き寄せる。
去年の私は、誰かに助けてもらおうとは思わなかった。悪いのはきっと自分で、その答えを見つけるのも自分自身だと思っていたから。実際それはその通りで、紆余曲折の果てに今の私がいる。それは事実だ。
「私ね、やりたいこと、あるんだよね」
「……何ですか?」
「たぶん、世界平和の第一歩」
あの日の私が望んでいなくて、でも誰よりも望んでいたこと。そんなのは決まっている。誰かに助けてほしかったんだ。私がこの子を助けたいのはこの子のためで、かつての自分自身のため。
「なんですか、それ」
笑うでもなく、困惑をあらわにする唯花。しばらくおとなしく抱きしめられていたけれど、そのうち恥ずかしくなったのか「宿題あるので」とそそくさと逃げて行ってしまった。
静かな靴下越しの足音と入れ替わりに、もう一つの足音。
「天音」
凪だ。風呂掃除を終わらせたばかりなのか、ずれた三角巾を能力で正している。
「いいんだな?」
眉は下がり、ちらりと唯花がいなくなった方へと視線を送る。珍しいことに、心配してくれているらしい。
「うん。覚悟はできてる」
結局は私の心の問題、わがままに過ぎないんだ。なら、自由にやらせてもらおうか。その足で愛子さんの部屋の扉を叩き、固めた覚悟を言葉に乗せる。
「聞きたいことがあります」
開口一番に繰り出された私の攻撃は、十分な威力をもって愛子さんの口元を歪ませる。
末日高校は進学校ではありませんが、ジエンドによる人員不足のせいで全国的にカリキュラムが遅れているため、この世代の高校生は夏休みにも課外授業(強制)があります。




