カシオペア
昼ご飯のカレーをごちそうになりながら、愛子さんの依頼内容を頭に入れていく。どうやら、お手伝いさんが長期休暇を取ったせいで家事が回らなくなってしまったらしい。
「もともと夏休み取らせる予定だったから備えてはいたんだけどね、でも突然休みが早まっちゃったりして、いや有給義務忘れてた私も悪いんだけどさ、それにしたってちょっと急だと思わない?」
指を立てながらあやふやな説明を空に放る姿は、どこか凪に似ている。
「そもそももうガキは飼わないんじゃなかったの? 家の価値が落ちるとか」
皿底のカレーをスプーンでこそぎつつ、凪は壁のひっかき傷を指す。
「なんか思ったよりうるさいのに慣れちゃってたんだよね。あと、晴が寂しそうだったから」
「ふーん、そっか」
晴の名前が出た途端納得する凪は実に分かりやすい。というか今晴って言った?
「晴もここの出身なんですか?」
「うん」
一つ合点がいく。ジエンド以来の付き合いともなれば、確かに凪が兄妹同然の対応をするのも納得だ。
「ここの二人と違ってちょくちょく顔見せに来るし、できた子だ」
「僕らが帰ってきたら殴るじゃないですか」
不平を訴える侭。それは殴られるようなことをしているのが悪いのでは?
「まあ与太話はともかく、今は八人いるんだよ」
「多すぎじゃね?」
「募集掛けたら思ったより集まったの」
「断ればよかったのに」
「かわいそうでしょ」
呆れ顔で見合わせる凪と侭を無視して、愛子さんは続きを話す。
「さすがに回んなくなったからお手伝いさんを雇ってやりくりしてたんだけど、不眠不休を強いるわけにもいかないでしょ? で、臨時バイト探してたら見飽きた顔を見つけてさ、せっかくだし薄情者どもを呼び戻そうって思ったわけよ」
「たわけめ」
「何か言ったか?」
「いえ何も」
なんだか今日の侭は生き生きしてるなあ。テーブル越しに孫の手でガンガン殴られてて楽しそう。
「天音ちゃんも手伝ってくれると嬉しいな」
「それはいいですけど」
横の二人にできるかはともかく、私にとっては普段からやっていることだ。言いよどんだ理由はそこじゃない。
「ほかにも困り事あるんじゃないですか?」
それとなく床に貼られたテープを見る。部屋を二分するように張られた赤いテープの線は少し歪んでいて、子供の仕業にも見える。とんでもないイタズラ小僧がいたりするのかも。
愛子さんは渋面を作る。
「それはまああるんだけど、頼めることでもないから」
「どういう意味ですか?」
「すぐ分かるよ」
言葉に呼応するかのように、どたどたと足音がしてくる。子供たちが帰ってきたらしい。
「ただいま!」
リビングにも届く、弾けるような声。
男の子女の子、八人いるという子供たちが一斉に扉を開けてリビングに押し寄せる。かと思いきや、現れたのは三人だけだった。
「アイちゃんただいま。昼は?」男の子が溌溂と言う。
「カレー」「やった」
「夜は?」別の男の子が眉をひそめる。
「カレーの残りかパスタ」「やっぱ?」
「その人たちは?」女の子が私を指さす。
「新しいお手伝いさん」
愛子さん、それ合ってるけど微妙に違う答えでは? 女の子と目が合う。
「こ、こんにちは?」
「やだ!」
出会い頭にストレートな拒絶。そのまま三人揃ってどこかへ行ってしまった。ちょっと泣いていい?
「ずいぶんやんちゃなのが入ってきたね」
「愛子さん、鉄拳制裁は? 俺らだけ殴るの?」
「うーん、今はちょっと」
なんだか気になる発言をする愛子さん。しかし意味を問う前に再び扉が開く。現れたのはさっきと違う四人の集団。リーダー格なのか、女の子が一歩前に出る。
「アイちゃんただいま。お客さん?」
「そう。斎藤さんが休んでる間のお手伝いさん」
「ふーん」
じろりと凪と侭を観察し、それから私の前に歩いてくる。
「よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げて、それから一様に去っていく。
「今度のは礼儀正しいね」
「愛子さん、鉄拳制裁は? 一応殴っとこう? 痛い!」
ノリで頭頂部にゲンコツをもらう凪を放置しつつ、私の頭には一つの奇妙な感覚が浮かびつつあった。
「愛子さん、子供たちは今日どこに行ってたんですか?」
「塾だけど」
「全員同じ場所ですか」
「うん。そのほうが安いから」
つまり、子供たちはまったく同じ場所に行って、まったく同じ時間に帰宅したわけだ。そしてこのリビングは八人程度なら十分入れる広さがある。あえて分割して顔見せする理由がない。そもそも一人いないし、極め付きは部屋の中央の分断線。
「もしかして、あの子たちケンカしてます?」
愛子さんの顔はハイローストのコーヒーを押し込まれたがごとき速度で渋っていく。
「なるほど鋭い。侭が懐くわけだ」
子供たちが交代制でカレーを食べる中、私は凪と侭に連れられて、施設内の案内を受ける。
「ここが子供部屋で、あそこが子供部屋、あっちもな。もういい?」
「最初からやり直し。そこ、侭も逃げない」
一階には居住のための施設が並んでいる。大浴場にトイレが二つ、洗濯機も複数だ。集団生活の経験がない私としては、少し新鮮な気持ちだ。凪によると裏手には倉庫小屋があり、長期保存できる食品などはそこに置いてあるらしい。
「掃除のし甲斐がありそうだね」
侭の言葉の通り、広々とした居住区画はどこも少し汚れていた。お手伝いさんがいなくなって二・三週間くらいといったところだろうか。洗濯部屋の一角には、面倒で放置されたのかプリーツ加工や色物の服。乾いた黒土がまばらに見える。脱ぎ散らかし方から見て、子供たちが放り込んでそのままなのだろう。シワとかシミが心配だ。
二階は子供たちのための部屋が三つ。うち二つは子供たちの居住区だ。勉強机とベッドの組み合わせが四つずつ置かれている。男女で分かれているわけではないらしく、黒とかピンクのランドセルがまばらに分布していた。
「お、紙粘土じゃん。乾かそうぜ」
「いやここは油も捨てがたい」
「しょうもないイタズラしてないで次案内してね」
もう一つはとりわけ広い多目的室らしい。十二畳くらいの長方形には大画面のテレビと、それを囲むようにソファが用意されていて、ちょっとしたシアタールームみたいだ。
「ここにもテープがあるな」
部屋を物色する凪の言葉の通り、赤い分断線はこの部屋にも敷かれていた。ちょうど部屋の中心だ。さっきの愛子さんの反応を鑑みても、子供たちが二分されている可能性は高いだろう。
「さて、天音はどうする?」
侭も同じ結論に至ったらしい。赤い線の左右を見比べながら言う。
「ケンカならどうにかしたいけど、相手は子供だからね」
もし対立が血で血を洗うレベルのものなら、大人としておせっかいを焼くべきだろう。けれども施設内に暴力の痕跡は見えない。であれば、それこそゲーム感覚で戦っている可能性もある。
「ガキのケンカはガキのもんだろ」
凪も特に興味なさげだ。テレビラックから映画のディスクをいくつも宙に浮かせて遊んでいる。あとでちゃんと片付けるんだろうな。
一応、愛子さんに事情を聞いておくべきか。そう思ったところで、ガチャリと音がして扉が開く。
「あ」
困惑の声を上げたのは男の子。さっきの無礼集団の一人だ。その視線はゆっくりと移動し、空中に浮遊した映画のパッケージに止まる。
「お」
目が見開き、口元が戦慄いていく。
「お前が敵か!」
ある意味では子供らしい、直情的な怒り。理由は何だろう。いや、予想はできる。
子供はずいずいと踏み鳴らしながら凪に近づき、思い切り振りかぶり、そして差し出された凪の足にかかってずっ転ばされた。
「痛たぁ」
悪態をつこうとした子供の顔は、見下ろす凪の冷視線を受けて青くなる。慣れてないとこの人ちょっと無表情で怖いんだよね。
「慎重に言葉を選びたまえ。敗者に権利はないのだからね」
そしてなぜか後ろから恫喝をかける侭。早くも看過できなくなって間に割って入る。
「二人とも、人間性がクズすぎるよ」
「仕掛けたのはこのガキだ」
「天音は僕らより初対面の子供の味方をするんだね。悲しいよ」
「好き勝手言うなあもう」
そもそもマイナス方面の評価が高すぎるのが悪い。無視して二人を男の子から引きはがす。
「ごめんね、この人たちダメ人間なの」
「……」
男の子はこけたまま潤んだ目で私を見る。いや、にらんでいる? 手を貸そうとしたら振り払われてしまった。
「どっちだ」
「どっち、とは?」
「お前も敵か」
男の子の敵意は未だ足元、具体的にはさっきまで凪が浮かせていた映画のディスクに向いている。無類の映画好き、というわけでもないだろう。だってこの子ディスク踏んでるし。
「翔人を返せ。異常者ども」
勇気と自棄を振り絞って声を上げた男の子は、こらえきれなくなったのか声を上げて泣き出してしまった。
ややあってざわめき出すカシオペア。集まる子供たち、仲間らしき二人に連れられて行く男の子、去り際にはきつい威嚇のおまけつきだ。そしてもう一つ、別の足音。
「……言い訳を聞こうか」
「凪が悪い」
「侭が悪い」
「なるほど。凪と侭が悪い、と」
握り拳がズシリと硬い音を響かせるのを眺めながら、私は内心でため息を吐き出す。
「これ、社会問題じゃん」
子供たちのケンカの原因が分かった。能力者と非能力者の対立だ。
佐部愛子①:凪は手加減していますが愛子はそれ以上に手加減しています。




