星のふるさと
ジエンドを境にしてこの国の情勢は大きく様変わりしたのだけど、顕著なものは児童養護施設の増加だと、私は思う。調べによるとこの六年半で十倍以上に増えたのだとか。それは子供たちに義務教育を完了させたいという大人たちの善意の表れで、私としては実に好感触ではある。ほとんどは民家を流用した簡易的なものだから、収容数の少なさゆえに数が必要で、実際尾張市内にも探せばいくつかあったりするんだよね。
「どした天音、いきなり解説しだして」
先を歩いていた凪が怪訝そうに振り返る。
「うん。私が言いたいのはさ。……なんか遠くない?」
新幹線で三時間揺られるのはいい、そのあと市内を探索しつつ、お土産なんかを探しつつ歩くのも旅行っぽくてよかったと思う。でも、街を外れて田舎の跡地を練り歩くこと一時間、周りに建物が見えなくなってなお到着する気配がないのはどういうことだ。
「もう十二時近いけど、お昼には着くんだよね?」
辺りには雑草まみれの田んぼと森しか見えない。田舎の王だ。凪の返事も「たぶん?」という曖昧なもので、そろそろ私は孤児院の存在そのものを疑いたくなってくる。
「もしかしてまた死源に連れてこうとしてない?」
「開いてないし、無意味だろ」
「まあ、そうだけど」
実際、ここからそれほど遠くない場所に死源があるのも事実で、それが不安の種なのだ。何せ今日は旅行気分だから、ろくな装備を用意していない。
「大丈夫だよ。今日の僕らはただの帰省者と付き添いだ」
後ろから侭のやや疲れた声。
「立地が悪いのは地価の都合ってだけ。隠居してた愛子さんに無理言って住ませてもらってたんだ」
「愛子さんっていうのは?」
「管理人。井垣さんの――なんだっけ侭」
「傍系四親等だね」
「なんて?」
「いとこって言ってあげなよ」
続く凪の話によると、井垣さんがツテで孤児院をやってくれる人間を探し、結果この辺鄙なところに住む愛子さんとやらしか候補がいなかったのだとか。
「都会なら普通に空きがあったんじゃない?」
「それだと都合が悪かったんだ」
凪は侭の方に煙たげな視線を送る。国政による無作為な振り分けを嫌ったと言いたいらしい。
「スピンオフの準備を始めたかったってこと?」
「どっちかっていうとフリークハイドのほうだな」
凪はばつが悪そうに笑い、前方へと向き直る。侭も否定はしなかった。
私の心境を代弁するかのように風が頬を滑っていく。災害当初、十歳の子供だった二人がいったい何を思い、非合法組織の立ち上げに思い至ったのだろうか。
先行く凪の背中は悠然としていて、孤独と安穏の両方がうかがえる。由縁を聞けば答えてくれるのかもしれない。けれども必要性もなく他者の古傷に踏み込むのは、どうしてもはばかられた。
「ほら、やっと見えてきた」
私の沈む気持ちを知ってか知らずか、凪は明るい声で指をさす。
「あれが俺らの故郷、カシオペアだ」
田畑と森に囲まれた辺境僻地のわりには、孤児院は立派な建物に見えた。白い二階建て家屋は小さめのアパート程度の広さがあって、玄関口には「児童福祉:カシオペア」の名前が彫り込まれたプレートが貼られている。
「あれ、車買ったのか?」
凪が驚く通り、玄関横の駐車場には一台の白いワゴン車が停めてある。車があるなら迎えに来てほしい、というのは私のわがままか。
「天音、あそこに絵が描いてあるでしょ」
追いついてきた侭が後ろから指をさす。二階の窓のすぐ横に、確かに何かが描かれている。子供が描いたのか大味な黒に、明黄色の星が全部で五つ。W字型に並んでいる。
「カシオペヤ座?」
「その通り。北極星を探すときに使ったりする星座らしいんだけどね、あれがこの孤児院の名前になっているのには理由があるんだ」
「うん?」
「実はこの孤児院の主たる愛子さんの名前が佐部愛子っていってね、要するにアナグラムなんだよ。ローマ字読みして入れ替えるんだ」
「侭?」
「スピンオフのエンブレムも星の意匠だけど、それはこの孤児院から来てるんだよ」
「……入らないの?」
急にいらない解説を始める侭の視線はどこか泳いでいる。見ると、凪のほうも庭の雑草を数えたりしていて平常と言いがたい。
「凪が入ったら入るよ」
「俺は侭の後に続くつもりだから」
「ああ、そう」
非尋常にふためく二人は見珍しいけど、見ていても何も始まらない。仕方なく扉の近くにあるインターホンを鳴らす。少し待って、ホワイトノイズとともに応答。
「どなたですか?」
女性の声だ。ちょっと考える。私はこの人にとってどなたなんだろう。
「ええと、サバイバーズギルド・スピンオフです。椎名侭と常盤凪と、その付き添いが来ました」
「はいはい。ちょっと待ってね」
話は通じたらしい。しばらく待って、足音が聞こえてくる。それに応じて離れていく凪と、私の後ろに回る侭。
出てきたのは、エプロン姿の女の人。髪を後ろに縛っていて、私より頭一つ背が高い。私を確認してつり目がちな顔が少しほころぶ。肌は若々しいけれど目元には少ししわが寄っている。三十代後半くらいだろうか。スリッパに履き替えたその人は、どういうわけか私の横を素通りしていく。
「お帰り、侭」
「どうも、愛子さん」
おお。侭が委縮している。珍しい。録画しておこうかな。
「この子は?」
「……友達?」
じりじりと後ずさりながら答える侭。なんで疑問形なんだ。
答えを聞いて愛子さんが私を見る。一応会釈すると、またにっこりと笑う。つられて侭も笑顔になる。ドスン。
「な、んで」
音は侭の腹部と、愛子さんの右拳の隙間から聞こえた。
「その友達を盾にしようとした態度が気に入らない」
うめき声を上げながら地面に落ちる侭。状況が理解できない。
「それと凪、どさくさ紛れて逃げようとするな」
「あ、バレた?」
冷や汗を流しつつ、構えを取る凪。まさか戦うつもり? 疑問に答えるように、周囲に微風が湧きたつ。
「悪いけど、俺は侭ほど簡単に殴られやしないからな」
「みたいだね」
愛子さんも拳を握り、体を半身に落とす。右手を盾にする構えはどことなく凪のそれと似ていて、つまりは二人が同じ源流を持つのだろう。そして私は何を見せられているんだろう。
「手加減しないからな」
先に仕掛けたのは凪。ポケットからダイレクトに射出されたコインを目くらましに、踏み込みからの下段蹴り。いつもの必勝パターンだけど、なんだか精彩を欠いている。
「甘い」
踏みつけで器用に蹴りを止める愛子さん。凪はそのままの体勢から体を翻し、両手を軸にした押し蹴り。たぶんカポエイラだ。最近本で読んだ。風を切った一撃はかなりの威力を持っていたように見えたけど、半歩引いた相手の鼻先をかすめるだけだ。
「私が教えたのは護身術なんだけどなあ」
愛子さんはぼやきながら凪の蹴り足をつかむ。
「タイム、待って、降参」
聞く耳を持たず、そのまま上へと引っ張り上げ、逆さ吊りにしたところに空いた手足でガードの隙間から肘膝抜き手を三回、四回、五回。
「じ、侭には一回だったのに」
文句を言いながら地面に転がされる凪。倒れた二人を満足げに見下ろして、ようやくこちらに一声。
「とりあえず入りなよ。歓迎するからさ」
建物に入って手招きする姿は人のいいお姉さんそのもので、恐ろしいことに暴力とは無縁に見えた。目が白と黒に切り替わるのを感じながら、後ろに続く。
少しホコリの目立つ廊下を通って広いリビングに移動し、お茶を出されるまま席に着く。
「改めて、私は佐部愛子。この孤児院のオーナーをやってます。名前を聞いても?」
私が名乗ると、「天音ちゃんね、了解了解」と砕けた返事。さっきの振る舞いの通り、サバサバした性格みたいだ。
「騒がしいし何もないところだけど、ゆっくりしてってよ」
「ありがとうございます」
リビングからはカレーの匂いが漂ってくる。隙間から見えるキッチンには火にかけられた炊き出し鍋。リビングのピアノにひっかき傷があったり、テレビの横にはひらがなの多い本が置かれていたり、孤児院らしさを感じる。玄関に靴はなかったから、子供たちは遊びに行っているのだろうか。
「あの、スピンオフに依頼があるって聞いたんですけど」
「あるにはあるんだけど」
私が話を切り出すと、なぜか歯切れの悪い愛子さん。
「半分口実みたいなものでさ。こいつら全然帰ってこないし」
「ちゃんと毎年顔出してるのに文句言わないでほしいな」
憤慨する侭と、目元を歪ませる愛子さん。
「どのくらい帰ってるの?」
試しに尋ねると「去年は十分くらい」と凪の一言。頻度の話をしたつもりなんだけど。愛子さんの苦虫顔にも納得だ。
「一応親としては気になるじゃない? 雄吾――二人の監督役は『二人とも元気だ』って言うんだけど、なんか嘘くさいし」
「あー、それは」
井垣さんが返事に困ったのはほぼ間違いなくフリークハイド関係だ。あなたの子供たちは違法スレスレの組織で日々不法侵入と暴力行為にいそしんでいます。などと言えるはずもない。
「でもまあ、友達はできたみたいで安心した」
ふっと力を抜く愛子さん。穏やかな眼差しにどこか母を思い出す。もう少し私も里帰りすべきかも。
「どう? うちの子たち、学校でうまくやってる?」
さて、どう答えるべきか。二人の顔を立ててあげるか、あるいはあるがままをつまびらかにするか。面白いからしばらく悩んでいたいけど、隣の二人から目線と風でヘルプサイン。しょうがない、助けてあげよう。
「二人ともうまくやってますよ」
「へえ。どんな感じ?」
「クラスのみんなとも仲良くして、目上にもちゃんと敬意を払ってます。だよね?」
「「ハイソウデス」」
労せず恩と言質を取れるとは。正直これだけでも来た甲斐があった。若干恨みがちな視線が向けられるのが心地いい。
「余計な話はいいから、仕事は何なんだよ」
不機嫌そうに椅子から立つ凪。侭もお腹を押さえながら後に倣う。
「分かった分かった」
愛子さんは視線を部屋全体にぐるりと一周させながら、一瞬目を止める。そこにはなんだろう、床に貼られたビニールテープの線のようなもの。
「三人には、少し家事手伝いを頼みたいんだ」
伏し目がちに、遠慮がちに渡された依頼。なぜだか私には、それが本当の依頼には思えなかった。
アナグラム通りにするとカシオペアではなくカシオベアですが、住人たちの議論の結果カシオペアになりました。決まり手は凪の「熊のほうが愛子さんらしいじゃん」の一言です。




