続・旅行へ行こう
どこかの哲学者によると、人間は自由という状態に不安を感じる稀有な生き物なのだという。何をしてもいい、何をすることもできる。そんな幸福に眩暈すら感じてしまうあたり、きっと私の常識は歪んでしまったのだ。
二度目の死源探索。信念の置き場、執着の淵を垣間見た小旅行から半月。八月を回った世間は夏真っ盛りで、一学徒たる私も例外ではない。数日もすれば夏期課外も終わってしまうから、あとはもう新学期まで自堕落と自律心を戦わせるだけだ。
中野先生が教室を出て行って、今日の授業も終わり。私は教科書を鞄にしまいながら、聞こえないため息をこぼす。
「やっぱり変だ」
二人の様子がおかしい。そう気づいたのは先週のこと。いや、厳密にはあいつらはずっとおかしいのだけど。おかしさがおかしいというべきか。
下校準備でざわめく教室の中、眩暈の元凶たる二人は珍しくも教室内で会話をしている。こちらに聞こえない程度に声を潜めているから悪だくみではあるのだろう。普段なら聞きたくないと耳を塞ぐその声にも、「でも」とか「しかし」とかの否定語が並ぶと気にもなる。まるでイタズラがバレそうになってしょげている子供みたいだ。
二人が教室を出ていく。きっとまた屋上だ。けれどもその足取りもどこかたどたどしくて、こちらを見もしない。
「気になる」
不審の元は除かねば。立ち上がる私の背に刺さるのは理香の視線。振り返らずとも分かる。「やめておけ」と言いたいのだろう。
「気になるものはしょうがない」
私の背骨はとっくの昔に好奇心に髄を奪われている。自意識でどうにもできないのだ。
ああなるほど。自由ではないとはこういうことなのかも。奇妙な納得に首根っこをつかまれつつも、屋上へ向かう。
ガチャリと、ノブを回して無断開放中の屋上に出る。
「やあ天音、珍しいね」
扉を開けた私に対し、やや遅れ気味で返ってくる侭の言葉。思ったより近くから聞こえたと思ったら、入り口の狭い日陰に凪と二人して座り込んでいた。
そりゃ夏だしね。暑いよね。風はあるけど日も強い。雨の時もそうだけど、どうしてこの子らは屋上がそんなに好きなんだろう。日焼けしないように私もそばに座る。
「今度は何を企んでるの?」
「何も企んじゃいないさ」
どこか歯切れの悪い侭。熱中症かと見紛うほどのローテンションだ。横から凪が一言、「困ってるだけ」と付け加える。
「凪、余計なことを」
「俺は天音にも話すべきだと思う」
「いや、まだ早い」
私には話せない理由。何か葛藤があるのか、しばらく目だけで会話を続けた二人だったけど、最後には凪の意見が勝ったらしい。侭は「分かった。任せるよ」と壁に背をつける。
「厄介な依頼が来ててさ」
「いつも来てるじゃない」
日々の依頼で困るのは私の仕事だ。今二人のほうが困っているということは、また趣の異なる厄介事なのだろう。
可能性を検索する。死源はしばらく開かないし、敵対組織の情報も井垣さんから届いていない。おとり捜査の餌に使われることもなさそうだ。だとすると、私を巻き込むことがはばかられる依頼、例えばそうかクラスメイトから直接頼まれたとか?
「もっと厄介な相手だ」
不穏なワード。凪は薄く笑い、それから疲れた息を吐く。
「これ」
スピンオフへの依頼メールと思しきプリントアウト、それをかいつまんで読み上げる。
「臨時家事手伝い募集、児童福祉施設『カシオペア』代表、佐部愛子。これが?」
「俺らの家」
「家」少し考えて納得する。「ああ、二人の出身施設ね。それで?」
「要はさ、帰ってこいって言われてるんだ」
妙に神妙な凪の声音。私の頭にはハテナマークが浮かぶ。
「帰ればいいじゃない」
確か十八歳未満は帰省の義務があったはずだし、私の知る限り二人はほとんど仕事でしか市外に出ていない。たまには里親に顔を見せてやるべきだ。率直な感想を述べると凪は苦笑い。代わりに侭がやっかみを投げてくる。
「天音はことの深刻さを理解していないようだね。まるで他人事だ」
「実際他人事だし」
私の言葉を空中で受け流し、侭は続ける。
「愛子さんがこのアドレスにメールを投げてきた。これが意味することは一つだ。あの人に僕らの活動がバレた」
「無許可でやってたんだね」
一応ギルドって公的書類の手続きとかあるから、保護者の許可が必要だったと思うんだけど。私の疑問には凪が「そういうのは井垣さんに任せてた」と答える。
よく分からないけれど、まあ事情は呑み込めてきた。
「つまり二人は、秘密のギルド活動がバレて戦々恐々としていたと」
「まあ、そうなるね」
侭は叱られた後の子犬のような殊勝さでうなずく。状況的にそのものなんだけど、なんだか笑えてしまう。
「天音」侭がこちらに顔を向ける。
「何?」
「……ついてきてくれない?」
「えー」
作り笑いを浮かべる余裕すらない侭の顔からして、結構な苦手意識を愛子さんとやらに持っていることは想像に難くない。でも同級生、しかも異性に里帰りの付き添いを求めるってどうなの? さすがにこれはないと気づいたのか、侭は目を逸らす。
少し、考えてみる。
「理人は空いてないの?」
「あいつは今フランスだ」
答えたのは凪。どこかの外国にいるらしい。彼は期末試験も受けずに何をやっているのだろう。
もう少し、考えてみる。
「じゃあ井垣さん」
「ダメだ。今あの人を殺されるわけにはいかない」
凪の声は少し震えていた。冗談にしてはあまりにたちが悪くて物騒だ。いったい愛子さんとは何者なんだろうか。
じゃあ、もう少しだけ考えよう。
「いつ行くの?」
「来週の頭。四泊五日」
けっこう長いな。最後にもう一度だけ考えてみよう。うん、なるほど。
「困った。空いてるや」
侭の目が丸くなる。まさか断られないとは思っていなかったのだろう。私も正直どうかと思う。
どうかと思うけど、何の因果か夏休みの一週目には予定が何もない。一応はスピンオフへの依頼という体裁を取っているから、旅費も経費で落とせるだろう。憂いのない私にとっては、実際二人の里帰りはちょっとしたタダ旅行みたいなものなのだ。
御託を並べてはみたものの、結局のところ理由は正直で、二人の育った環境に興味があった。
「マジか、助かる。ありがとな」
「まだ決めたわけじゃないけど」
「言っといてなんだけど、僕としては天音がいるとそれはそれで面倒くさそうだなあ」
「お礼くらい素直に言いなさい」
減らず口が戻ってきたということは、それなりに喜んではいるらしい。あるいは私に断ってほしいのだろうか。お断りだね。
「集合は?」
まだ私が同行することを呑み込めていない侭が、凪と顔を見合わせる。
「月曜の、八時くらい?」
「それで行こう」一方凪はすでに平常運転。
侭が混乱しているうちに、私と凪とで新幹線の予約やら当日のお昼ご飯やら、トントン拍子で決めていく。
「じゃあ月曜よろしく」
「おう」
「侭も寝坊しないでね」
「あ、うん」
怒涛の勢いで約束を取り付けて、私はそのまま屋上を去る。後ろの侭はまだ現実と戦っている途中らしい。意外とアドリブ弱いなこいつ。
さあて、いっぱい弱みを握っちゃおう。熱気のせいか妙なテンションになりつつある精神を鎮めつつ、私の高校二年の夏休みは始まりを告げる。
五章開始。未だ半ばの話です。




