暗幕:リワード
夜が沈む。時の歩みは止まらない。そう主張するかごとく稲光が明滅し、暴雨が地を踏み躙る。
嵐の中心には館があった。光の消えた伽藍洞の大広間。取り囲むように屹立する六つの螺旋階段。それぞれの内側には影が六つ。捻れた高欄に囲まれ、監獄がごとき様相を示す。
「揃ったな」
影たちを睥睨し、大広間から虚空がうごめく。二つが慇懃に、一つが大仰に礼を返し、三つは身じろぎすらしない。
「顛末を話せ」
「そうそう、二人して誰に負けてきた? お兄さんに話してみなさい」
「殺す」
「ボス、玲君が殺すってさ」
ピシリと、空間に亀裂の入る音。拳を戦慄かせ、今にも能力を発動しようとする由宇を、ヴォイドの掌が止める。
「顛末を、話せ」
「……はい、ボス」
ゲームを模した異空間、魔物との戦い、フリークハイド。淡々と事実を告げる由宇の言葉が、暗闇を満たす。
「異形どもは、どう映った」
話を聞き終えたヴォイドは、ただ一つだけ言葉を発する。星なき宇宙からその意図は見えず、けれど唱えられる意義もない。
「いい人そうだったよ」由宇は朗らかに吐き捨て、
「強かった。次は勝つ」玲は悔しさをにじませる。
「……」
再び、深淵の見えない沈黙が数瞬。やがてヴォイドは口を開く。
「奴らを殺せるか?」
闇の中にうなずきが二つ。雷鳴が由宇と玲の顔を照らし、宿る確信をヴォイドに伝える。
「自信があるのは結構だけどさ、二人とも負けてるってこと忘れてない?」
「あ?」
唸り声を上げる玲、白鳥は「待てって」と掌を見せる。
「これは真面目な話だ。俺だって二人にケガしてほしいわけじゃない。勝算はあるのか?」
「大丈夫だよ」
答えたのは由宇。何かを伺うようにヴォイドを見やり、虚空が応じる。
「大局を前に、駒の勝利に価値などない」
「ん、つまり?」
「ボスの指令はね、『フリークハイドに勝つな』だったの」
「ほう、なんで?」
「指令に意味はいらないよ?」
「聞く相手を間違えた」
曇りなき盲信に辟易し、白鳥はヴォイドの方に顔を向ける。
「すべては計画のうち」
「そこをなんとか」
「守り人に頭蓋は不要だ」
雲をつかむ無意味さを悟り、白鳥は言葉を収める。
「なら、しがない守り人に鍵を返してくれ」
「ボス」袖の内側から鍵を取り出す由宇。その手のひらが向かう先は白鳥ではなく、ヴォイドの方向。虚空から伸びた腕が鍵をつかみ、また虚空に消える。
「時を待て。この鍵には、まだ役目がある」
「あーそう。終わったら郵送してくれ」
過去にも幾度か繰り返されてきたやり取り。ただしこの日は、口を挟む声が一つ。
「ボス、なんで、守り人がこいつなんだ」
「玲君?」
首をかしげる由宇。その無感情に反比例するように、玲の声に熱がこもる。
「こいつは、信用できない。鍵なら、俺が持つ」
「だってさボス」
虚空は静かに横に振れる。玲が再び問うても返る言葉はない。
「分かってあげなよ。ボスはこの鍵が嫌いなんだ。玲君には持たせたくないんだよ。だよねボス」
「……」
答えはなく、期待もないのか白鳥は小さく笑う。
「あとはシドの話か。あれ本当に放置でいいの? 話聞く限りめちゃくちゃ不安要素なんだけど」
「歯車の篏合には、必要なノイズだ」
依然ヴォイドの真意は見えず、白鳥の気力を削ぐ。苦い息を吐く白鳥を無視し、ヴォイドが一歩前に出る。
「終焉は近づいた。戦局を進めよう」
報告は終わり、逆にヴォイドから各員に指示がなされていく。異能者の粛清、そのための調査、あるいは待機命令、それぞれが言葉として手渡されていく。
「俺の任務は?」
「破棄しろ」
「ですよね」
ため息とほぼ同時に床に転がる何か。その正体が誰かの死体であることは暗闇越しであっても明らかだ。胸を貫く刃物に雷鳴が反射し、蒼白の顔面が照らされる。
「毎度のことだけど、何の意味があるのさ」
死体を一瞥する白鳥。右腕のない異質な死体。柏木天音が称するところのソードフィリア。正体不明の殺人犯は、今日も虚ろの裏からその正体を闇に隠す。
「いやまあ、仕事だからやるんだけど」
ぼやきつつも、白鳥は考える。ヴォイドの思い描く最終盤面は、彼の知慮にはない。ただ一つ分かることは、これが彼にとって効率的な嫌がらせであるということだけだ。
「下がれ」
「仰せのままに」
ため息をつきつつ、監獄めいた螺旋階段に引き戻る白鳥。死体は重く、床に残る血の轍が白鳥の脳を刺す。
「次だ」
螺旋階段を巡り、残りの影にも指令を下していくヴォイド。三つから返事はなく、それは過去と同様だった。
「仔細は任せる、ゴースト」
一方的に粛清の対象をいくつか語り、ヴォイドは言葉をくくる。その響きが、白鳥の不意を打つ。
「名前、初めて聞いたな。どういう心境の変化?」
「趨勢が動いた。それだけだ」
「へえ」
情報量が皆無なヴォイドの言葉を半分無視して、白鳥は影へと言葉を投げる。
「なんにせよ、よろしくゴースト氏。あっちの二人と名前かぶってるけど俺は気にしないから」
半分煽るような言葉に返事はない。
「無口キャラって意味ではそっちの名無しさんともかぶってるね。どう思う?」
「……」
対角にたたずむ別の影。こちらからも返る言葉はない。
「じゃあ残りの黒子氏。おーい、聞こえてる?」
当然、反応はない。
「俺がヴォイド様バンザイって言うから繰り返してくれよ。せーの、ヴォイド様バンザイ」
「うるせえぞ」
代わりに吠えるのは玲。噛みつかんばかりの剣幕だったが、白鳥の表情は明るい。
「なんだか俺、玲君のこと好きになれそうだ。ギジンもこんな気持ちだったのかな。あ、ギジンっていうのは古い本に出てくる悪魔でね。人の感情や記憶を――」
ふっと、言葉が途切れる。遅れて虚空に空いた穴が、その原因を教える。
「姉さん?」
疑問の声は玲から。
「うるさいし、もう役目もなさそうだから退場してもらったの。いいよね? ボス」
ヴォイドが無言で首肯し、由宇は「そういうことだから」と笑顔を見せる。
「……姉さん?」
玲の懸念は膨らむ。攻撃の理由ではなく、ヴォイドの許可なく由宇が力を使ったことにだ。今のやり取りのどこに、彼女の心を動かす要素があったのか。玲の記憶は、何一つ正解を教えてはくれない。
「潮時のようだ。由宇」
ヴォイドの言葉を合図に虚空が開き、面々をどこかへと飛ばしていく。玲も心のトゲを引き抜く余裕もなく、世界から消えてゆく。
最後の一人が消え、残されたのはヴォイドのみ。血生臭い館、無風の澱み、雲間に覗く赤い月。その月が再び隠れるころには、人の気配は空間から消えていた。
かくして今宵も歯車は回る。足元の見えない螺旋階段に、時が刻まれ落ちてゆく。その行き先はただ、虚無のみぞ知る。
四章終わり。テーマは信念。前章までで前に進む理由を手に入れた天音にとって、ここからはその価値観を横に広げていくステップとなります。今まで理解不能だった異能犯である細見やThe rENDたちに対し、巻き込まれるだけのスタンスを変えて一歩踏み込む。おせっかいの本領発揮はここからです。




