セッション・クローズ
もしもこの星が空気より軽かったら。そうしたらリンゴは空の果てへと消え去って、人々は余計なことを知らずに済んだに違いない。
「詩人だな。どうした?」理人が靴底で床の強度を確認しながら尋ねる。
「だって」
ぼやきたくなる気持ちも汲んでほしい。
「普通にエレベーター動いてるとか思わないし」
ダンジョン攻略の易化を嘆願する私に対し、細見さんは「好きでやってるのかと思っていた」と間の抜けた声で昇降機の使い方を教えてくれた。よもやエントランスの奥にひっそりと直通便が用意してあったとは。まあ、塔から落としたいのなら無駄に戦わせる必要もないか。
そんなこんなで現実を模した鉄製のエレベーターは、耐用年数かエネルギー不足かは知らないけれど、ゆっくりと上昇している。床には異能の使い過ぎで休憩中の侭、窓際にはほとんど見えない景色に熱中してる凪。必然的に、私と理人だけの会話だけが室内に響く。
「それで、死源の中心には何があるんだ?」
「あるっていうか、いるっていうか」
マステマの存在や碑文について細々と説明する。理人は信じるでもなく疑うでもなくフラットに相槌を返す。そうするうちにエレベーターが静止する。
「行くか」
「うん。二人も着いたよ」
到着階は獣の化身と戦った広間の前だった。ボスが復活しないかドキドキしながら円形の闘技場を通り抜け、さっき入りそびれていた最奥の扉に向かう。
「ここかな?」
細見さんにもらった古ぼけた鍵を差し込むと、閂がガコンと落ちる。押戸の向こうには、階段があり、その奥には予想通りに巨大な鐘がそびえていた。鐘台の近くには、何かを祀る祭壇らしき物体。
「あるな」
凪が確認もそこそこに侵入していくのを諦めつつ、慎重に足を踏み入れる。マステマはまだ出ない。出なくていいけど、出ないと困る。嫌な状況だ。
部屋の中は思ったよりも狭い。窓はないけれど、ちょうどアトラスタワーの展望台の端に該当する位置だ。空間の大半を占めるのは黄金の鐘。けれども真に存在感を放つのは祭壇のほう。
細見さんによると、「よく分からないがこれを守る必要があった」ということらしく、それなりに厳重に保管していたらしい。祭壇には死源の核がちょこんと鎮座していた。すぐ近くに置かれた四角い箱は、たぶんTRPGのゲームボードなのだろう。
「碑文は?」
一応待ってくれていたらしい凪を促し、空中に文字が浮かび上がらせる。
「【こ】【勝利を捨てよ。それこそが勝利の手始めだ】」
促されるまま読み上げてはみたけれど、どういう意味だろう。「勝利」というのは、別の碑文に出てきたものと同じ概念とみていいんだろうか。
「理人はどう思う?」
暗号とかに強い理人なら何か違う視点が望めるかも。とりあえず凪から飛んでくる期待の眼差しをスルーパスしてみる。
「……死源の核と鍵に超能力は効かない。なのになんで、碑文なんてものが出せるんだろうな」
碑文の中身には微塵も期待していない着眼点。でも、言われてみるとその通りで、あらゆる能力を吸収するはずなのに、碑文を出したり死源を開いたりする機能がそれとは独立して存在するのだろうか。凪と侭が探す「あの男」は、いったい何者なのだろうか。
「ま、俺には関係のない話か」
自作の剣で切りつけてみて傷がつかないことを確かめたのち、理人も匙を投げる。
「それで、マステマってのはいつ出るんだ?」
「出ないかも」
凪たちの経験に基づくと、マステマは毎回出現するわけじゃない。何か条件があるか、偶然の作用が要求される必要がある。ここまで中心に入り込んでも現れないのなら、前回が特別だったと考えたほうがいいのかもしれない。
「それじゃ無駄足――」
理人の言葉は最後まで続かなかった。肌を伝わってくるのは、戦慄と恐怖。
「お出ましか」
凪が見据える先に、黒い粒子が乱気流を作り始めていた。
空間を埋める無数の黒。痛みと不快感をまき散らしながらも、私の心はいくぶんか冷静だ。さすがに二回目ともなると、恐怖心にも慣れてくる。でも変だ。ナイフを探しているのに見つからない。あの時美奈が腕を切り裂いたのは、手首の内側に入り込んだムカデを引きずり出すため。私が吞み込んだ針だって、今首を切れば取り出せる。急がないと。
「天音」
ゴンと、後頭部に強い衝撃。凪だ。二の腕をつかんで引っ張る力強さが、私に冷静さを取り戻させる。
「起きたか?」
「……なんとか」
指の先には濡れ羽色の敵意。よだれとも涙ともつかない液体が、顎を伝って首に落ちていく。衝動的に呼び寄せられていた死という概念が、私の鼓動を今さら速めさせる。
「あれがマステマか」剣を構える理人。至極嫌そうに、警戒と敵意を正面に向ける。
「誰に言うわけでもないけど、吐くときは僕じゃなくて凪のほうに頼むよ」
「吐いたら反射するからな」
飛び交う軽口。みんなとの場数の違いを思い知らされて、頼もしいやら情けないやらだ。やがて人の形を成した黒雷が、空間に音の亀裂を入れる。
「よくぞ、成し遂げた。資格者、どもよ」
五寸釘をすり合わせるような、マステマの声。
「報酬を与え、る。問うが、いい」
顔面らしき最上部の楕円が順番に私たちへと向けられる。前回と同じく一人一人に答えてくれるらしい。誰から何を聞くべきか。
「名乗れ。お前は誰だ」
私の逡巡を飛び越して投げられる、凪の剛速球。確かにマステマはジエンドの犯人による能力だと自称していた。だから、あれを使っている人間がいるのは事実だ。
「名は、ない」
「は?」
ややあって、返ってきたのは不透明。声を荒げる凪に、マステマは静かに揺らぐ。
「我が主に、名は、まだない」
「いいから答えろ」
「答えは済んだ。問いは、終わりだ」
「待てよ、おい」
唸る凪、それを眺めつつ、侭は楽しくもなさそうに笑みをこぼす。
「はぐらかされたね。直接真相につながる情報は答えられないか、それとも未国籍児か、あるいはまだ生まれていないのかも」
得られたヴェールに自前のカバーを重ねつつ、凪を下がらせて前に出る。
「次は僕だ。碑文の正体についてもう少し聞きたいね。集めろとは言うけれど、結局これは何なのかな?」
敵意は腕の形を作り、どういうわけか凪と侭とを指さしていく。
「碑文の真実は、争いの由縁。知るべきでは、ない。世界の終わりを、速めたく、なければ」
「世界の終わりって?」
「問いは、一つ、だ」
「だってさ天音」
望む答えが得られなかったからと言って丸投げするのはやめてほしい。
「真実と、終焉」
前回の死源で得られた、碑文を集めることがマステマの主、終焉とやらへつながるという情報。一方でその正体を知ると世界が終わるらしい。この二つはイコールなのだろうか。
「……碑文、集めないほうがいいんじゃない?」
「真実が世界の終わりにしかないのなら、僕らが向かう先はそこだけだ」
私の不安を不毛に切り捨て、徒労感をにじませながら下がる侭。視線は私と理人を一度横切る。
「理人、何聞く?」
私はというとまだ考え中だ。理人に話を振ると、その首は横に揺れる。
「俺はいい」
「え、なんで?」
「……そうする理由がないからだ」
ためらうような間。マステマへと向ける視線は恐怖ではなく、嫌悪に近い。まるで情報が得られることを拒んでいるかのようで、意外だ。
マステマはギャリギャリと不愉快な音を立てながら体をくゆらせる。そして、「お前も、資格者、だ」と指を向けてくる。
「資格者」
思い出すのは、前回の死源で白鳥さんが口走った言葉。同じものを示しているんだろうか。状況から察するに、「死源を正規の手順で踏破した人間」と考えるのが妥当だけど、合っているんだろうか。理人、聞いてくれないかな?
「合ってんじゃね? 俺は聞かないけど」
理人の態度は頑なだ。敵対する相手からの情報を信じないってスタンスに由来するんだろうけど、それにしたって聞く権利を放棄するのは変だ。
「ならば、答えは、不要」
私が混乱していく中、理人の番は終わってしまったらしい。自分の問いを考える時間がなかった。
「ちょっと、時間ください」
息苦しさと立つ瀬なさで酸素欠乏に陥りつつも、どうにか私の脳は爪先を踏み出す。
「なぜ、ジエンドを起こしたんですか?」
問いはマステマの向こうにいる主とやらに。数千万の人が死んだ大災害。それが敵意によるものであることは目の前の存在が証明しているのだけど、すべての敵意が悪意から生まれるわけじゃない、と思う。
「ジエンドは、結果に過ぎない」
返る言葉は、やはり霧の中。
「人の理を踏み躙ろうとした、結果だ」
「人の、理? 超能力のこと?」
「否。理は、理、だ」
雷が薄れ、空間へと融けていく。戻ってきた重力でその場にへたり込みつつも、私はマステマの答えを考える。ジエンドは結果。人の理とやらを超えようとした、まだ超えていない、結果。災害や超能力は何かの副産物? その奥にある真の動機は、けれど立ち込める黒雲のせいで見えないままだ。
「帰るか」
静まり返る祭壇に凪の声が響き、私たちを帰路へと引きずっていく。どうやら旅は、終わりらしい。
館に戻り、細見さんたちに挨拶をして、大した感慨もなく死源を出る。何度もお礼を言う細見さんと、面倒くさそうに対応する侭の姿が印象的な、旅の終わり。山を下り、改札をくぐって、あっという間の帰り道だ。
新幹線のわずかな揺れをメトロノームにして、私は考えていた。邂逅したThe rENDのユウレイ、世界にすら刃を向ける信念、そして未だ名もなき終焉の使徒。超能力は意志の具現。それなのにみんな何かに突き動かされているようで、なぜだか不憫という言葉が浮かぶ。
「死という楔が、僕らに鉛の棒を突き立てる。本人ですら見失うんだ。天音にはまだ分からないよ」
「侭」
考えても無駄だと言いたいのだろう。通路を挟んだ反対側から、私にスナック菓子を差し出してくる。
「異能犯罪者って、本当にみんな悪人なのかな?」
細見さんに突き刺さった鉛の棒は、初めて私にも理解できる信念だった。だからだろうか、今日やこれまでの出会いに、悪意以外の何かを期待してしまう。
「善悪はただの顔だろ」
前方から聞こえてくるのは凪の声。その隣の理人がシート越しに補足を入れる。
「俺らもまあまともじゃないけど、全部が悪ってわけでもないしな。簡単に切り分けられるなら苦労はしねえよ」
「そう、だね」
善と悪。敵意と慈悲。相反する二つは、一人の人間の中に無数に存在する。ならせめて、いい面を見逃さないようにしたいと、思った。
「まあ、悪党どもの自己正当化はともかくだ」
ペットボトルを投げつけられながら、侭は楽しげだ。
「少なくとも僕らはまた前に進んだ。心配しなくても、無意味なことなんてないよ」
「うん」
言葉は静かな実感と共に。空疎な車両を満たすのは、きっと達成感というやつなのだろう。
「無意味といえば、速度調整役に立たなかったね」
「知らない話だ。何のことかな?」
侭の無駄に大げさな負け惜しみをジュースのつまみにしつつ、尾張市までのしばしの宴会。
思うところはたくさんあったけど、やっぱり、楽しい旅だった。それだけは間違いない。だから、私にとっても今日は前進だ。窓の外からのぞく満点の星空が、私の思い込みを明るく肯定してくれる。そんな気がした。
結月若菜②:好きな異性のタイプは年上で頼りがいのある人です。それをネタに細見青年をからかうシーンがあったのですが、ねじ込む隙間がなかったため泣く泣く断念しました。




