消えた足がかり
「汚れてるとは聞いてないんだけど。まあいいや」
侭を裏口に案内し、ぬめった破片とぬめってない破片を押し付ける。破片たちを持ち上げて途方に暮れているあたり、時間がかかりそうだ。後ろで眺めるのもアンチマナーだし、いったん凪のほうに戻ろう。
「それはこう、指先を分岐させる感じで」
「へえ、面白い」
凪の周りをフォークが乱舞している。幸か不幸か、三上さんはこの手の事柄に偏見を持たないタイプの人間らしい。凪の背筋が凍るような半犯罪歴にも心地よく相槌を入れてくれている。
「雑談のネタにもなるからこういう話は助かるよ」
ニコニコしているところ申し訳ないけど、私だったら馴染みの喫茶店で超能力トークは聞きたくないかな。一般常識の差し入れは凪に視線で強めの拒絶。はいはい分かりましたよ。
「終わったよ」
そうこうするうちにバテバテの侭が戻ってくる。両手には予想通り、半透明のお皿の破片。大量だ。許可を得てカウンターにビニールを敷いて、破片を並べていく。全部は揃っていないけど、大きめの深皿とフォークらしきシルエットが見えてくる。そして、ガラス片。
「これ、お店の物ですか?」
「ん? そうだね」
「あの、お皿割っちゃいました。すみません」
「古いお皿だから大丈夫。ケガしなかった?」
優しさと罪悪感が心に染みる。私もケーキ頼もうかな。
私の精神状態はともかく、ここに来て初めて見つける猫以外の透明物質だ。食器たちは外に放置されていたにしては風化していなくて、汚れは見たところパスタソース。しかもまだ乾いて時間が経っていない。
「猫にあげたんですか?」
「そうだけど」
無彩色、半透明のトマトソース。香りの感じからして確実にタマネギが入っている。猫に与えてはいけない食べ物筆頭だ。
「三上さん、透明人間とか、見てません?」
透明だから見えないという矛盾はともかくだ。痕跡からして、現場にいたのは人間と見ていいだろう。三上さんが食事を振る舞ったと解釈すると、いろいろ整合する部分が多い。
私の強めの指摘に、三上さんは困ったように笑う。
「透明人間は見てないけど、変な猫なら最近見たね」
「どんな猫ですか?」
「なんていうのかな、鳴き声が猫っぽくないんだ。『にゃあん』って感じ」
「猫じゃん」凪のツッコミ。
「いや、普通の猫はもっと『メァアオ』とか『モヤァアン』って感じじゃない?」
「よく分かんねえ」
二人の感性の話はともかく、言いたいことは分かってきた。
「要するに、人間の声真似っぽいと」
「そうそう」
大きくうなずく三上さん。
「しかも泣いてる女の子みたいに聞こえるから、ちょっとかわいそうになっちゃって、思わず新作のスパゲッティを食べさせてみたり」
「……それ人間では?」
というか十中八九そうだろう。スパゲッティ完食してるし。そもそも猫はフォーク使わないし。
「でも、本人が猫を主張してるなら、その意思を尊重すべきとも思ってさ」
三上さんの謎のこだわり。それはともかく、この状況で浮かび上がる猫と関連する人物。事件と無関係とは思えない。
「詳しく話を聞いても?」
「お客さんのプライバシーに関わるからねえ」
「私が聞きたいのは猫の話です」
どこかの団体からは怒られそうだけど、野良猫のプライバシーに配慮は不要だろう。呆れる凪と、逆に楽しげに失笑する侭。三上さんは困った顔を見せて、それでも話すことに同意してくれた。
「十日くらい前から来るようになった猫でね」
「姿はどんな感じですか?」
「実は、直接見てはなくてさ」
首が傾く。詳しく聞くと、鳴き声がするからご飯を与えるといった関係らしい。
「一度見ようとしたら逃げられちゃって。だから扉越しの関係なんだ」
「へえ」
私の貧困な想像力が、脳内に一つの光景を浮かび上がらせる。猫を透明にする犯人は、すなわち透明化の能力者。接触型なら異能痕の影響で体に影響が出るかも。それを見られたくないから、猫のフリをして三上さんと接触する。接触する理由は何だろう。
「ただ飯とか?」
思考を読んだかのような凪の一言。
「いや、声出てたよ」「出てた?」
ああ、ダメだ。集中するとつい周りが見えなくなってしまう。気を付けないと。頬を軽くはたいて、聞き込み再開。
「その猫の子、現れる時間とかに傾向はありますか?」
「夜によく来るかな。仕事終わりのちょうどいい時間だから、よく独り言の話し相手になってもらってるよ」
「夜なら、不審者の目撃証言とも一致するね」逆サイドから侭が補足を入れてくる。
「不審者? 初耳なんだけど」
「僕もさっき聞いたんだ」
スマホをひらひらさせる侭。井垣さんからのタレコミらしい。とにかく、活動時間は夜か。
そのあとも追加でいくつか質問をしたけれど、三上さんはこれ以上の情報を持っていなかった。直接姿を見てもいないのだから、存在と出現時間を得られただけでも僥倖か。
「あとは、痕跡探しかな」
侭の提案で店の内外を総ざらいしていく。指先で調べる限り、店の中には透明な物質はなさそうだ。さて、外はどうだろう。生垣を率先して調べてくれる男子二人に感謝しつつ、私の担当はコンクリートの隅の方。
「何かある」
爪にコツンと当たる感触。手繰り寄せると、冷たい金属の手ざわりだ。
「コイン?」
おそらく百円玉らしき硬貨たち。近くには推定紙幣も散らばっていて、まるで財布の中身をばらまいたかのようだ。
「椎名君、頼んでもいい?」
「何を?」
「……アンチサイキックを」
「心得たよ」
店内に戻り、三上さん監修のもと非常識を行使する。
「うーん、なんか調子悪いな」
物質を両手で包み、汗をかきながら力を行使する侭。壁掛け時計を見やると、午後の六時を回るタイミング。進捗からして、今日はこれでお開きになりそうだ。
「はあ。総額六千円くらいかな」
侭の声が作業の完了を告げる。口ぶりからして、やはり消されていたのはお金らしい。肩で息をしながら半透明のそれらを手渡してくる。
「これ、消えてたってことは、犯人の持ち物ってこと?」
「僕には何とも。でも、無関係じゃないだろうね」
侭の言う通り、通りすがりの透明人間と断言するのは難しい状況証拠だ。
「消えた財布」
思い至ることがあったのか、指を鳴らす凪。
「犯人は消えた財布のような猫か」
「うん?」
凪さん、思いつきでよく分かんないこと言うのはやめたほうがいいと思います。そもそも猫じゃないって話を今してたわけで。
「透明人間は支払いも透明ってことかな」
「やっぱり、そういうことだよね」
状況から見て、これは例の透明人間(猫)が料理の代金を支払った形跡だ。善良なモラルを期待できるありがたい情報に、少し肩が軽くなる。
「おとなしい人で、とても猫を殺すような人間には見えなかったんです」
侭の遠回しな警告。猜疑を怠るなと言いたいのだろう。希望を見出してもいいじゃないか。
とにもかくにも新たな手がかりだ。ありがたく考察材料に使わせてもらおう。
「気になるのは、このお金が消されていった時期とか時間だけど」
「僕の力はそこまで便利じゃないよ」
残念。透明人間の来訪とお金の消失日時が突き止められれば待ち伏せの算段も立てられたのに。
「昨日じゃないのか?」
疑問の声は凪から。猫の事例をもとにしての推測だろう。正しいけど、間違いだ。
「生物と非生物だから、効き目も違うし」
「どういうこと?」
今度は三上さんから。凪が半端に入れ知恵したせいか、超能力に興味を持ってしまったらしい。椅子で右手の甲をさすっている侭に指示を仰ぐも、「あとは任せた」とでも言いたげに顎で返事。
「うーん」
あんまりこの手の知識を人に話したくはないのだけど、仕方ない。抗精神力の衝突、影響型の力の干渉、どう説明したものか。私の理解も完全じゃないし、何より頭がまとまらない。コーヒーを飲み干して、どうにか言葉に変える。
「常盤君、超能力の源って何だと思う?」
「精神。いや違うな。意志だ」
凪はこめかみを指さす。その言葉には確信が宿っていた。
「たぶん正解。能力は、『こうしたい』っていう意志のもとに作られる」
今回の場合は、何かを消したいという思いだ。
「物体は意思を持たないから、人の思いをダイレクトに伝えられる。でも、生き物は意志を持ってる。だから超能力者の『こうしたい』っていう考えを『そうじゃない』ってはねのけることができるんだ」
それが抗精神力という概念だ。個人差はあれど、超能力という他人の主観の押しつけにどの程度寛容になれるか。それによって能力の効きやすさは変わってくる。
「常盤君も、物と人だと物のほうが楽に動かせるでしょ?」
「うん? 確かに?」
凪は確認のためなのか、自分の腕とコーヒーカップとを交互に浮かせる。首をかしげてるあたり、違いはあまり分からなかったらしい。自分の腕は抵抗しないし当然か。
「今回の場合、猫にかかった透明化は抵抗されたあとだったから、ある程度打ち消しやすくなってたってこと」
たいていの影響型能力が時間減衰するのも抗精神力のおかげだ。世界は常識に近づくようできている。
「それにしても、便利なものだね」
立て続けに起こる不思議現象に立ち眩みを起こしながら、三上さんは感心した様子で手を叩く。
「みんな使えばいいのに」
「俺もそう思うんすけどね」
凪は上機嫌だ。何のジェスチャーなのか、テーブルの縁を独特のリズムで五回ほど叩く。
「偏見とか、いろいろあるんで」
この純朴で世間知らずなお兄さんに、どこまで説明すべきだろう。迷う私の代わりに言葉を発するのは、意外にも侭。
「三上さんは、漫画とか読みますか?」
「いや、最近はあんまりだけど」
趣旨を理解できず困惑気味の三上さん。私も同様だ。
「少年漫画とかだと、超能力者が戦う話がよくありますよね」
「ああ、それならイメージできる」
「腕が三本ある主人公はいますか?」
「どうかなあ」
少し迷いを見せる三上さん。私もさして多くない読書歴を振り返ってみるけれど、意外といないものだ。六本腕とか千本腕とかなら見たことあるんだけど。
「超能力というのは、僕らに生やされた三本目の腕なんです。目立って、かさばって、しかも必須じゃない。自分がそうなれば、きっと三上さんも動揺する」
「……否定はできないね」
侭の言いたいことが理解できたのか、三上さんは神妙な顔を作る。そして、「軽率だったよ」と頭を下げた。
「簡単ではないってだけです」
へらへらと笑顔を作って見せる侭。その奥底には、確かにギルドを立ち上げるに足るだけの熱意、あるいは敵意とでもいうべきか。そんな思いが垣間見えた気がした。
「俺はやるけどな」
凪の宣言は朗らかだ。たぶん、こっちにも相応の苦労や覚悟が込められているんだろう。
それからもう少し追加で喫茶店を探したけれど、これ以上は物証も目撃証言も出なかった。「料金は手渡しで受け取りたい」という三上さんの願いでお金を元の場所に戻して、そのまま私たちも自分たちの支払いを済ませる。
「次その猫の子が来たら、それとなく事件の話をして探りを入れてくれませんか?」
「了解。世間話に混ぜてみるよ」
直後に侭が電話番号の書かれた紙を渡す。なかなか用意がいい。
「なんだか大変そうだけど、頑張ってね」と真摯に応援してくれる三上さんにお辞儀をして、私たちはその場を後にした。
抗精神力という概念は異能をロジックに落とし込むために定義した法則の一つです。特段新しい概念ではないですが、作中における超常現象がこれらに反することはないということは断言しておきます。




