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お前にダイスは振らせない

 十二月の終わり。結月の卒業まで三か月。過ぎていく楽しい時間を惜しむ最中、母が死んだ。死因は過労による心不全。医者に淡々と説明され、親戚に白々と諭され、細見はその事実を受け入れた。


 母が、死んだ。


「おはようございます」


 いつもの通り、研究室の扉を開ける。


「おはよ――何があったの?」


 見るなり異変に気付いた結月は椅子から立ち上がる。


「何でもないですよ。ただ母が死んだだけです」

「え?」

「借金があったんです。財産分与で押し付けられていた。教えてくれればやりようがあったのに。黙って働き続けた。だから死んだ。当然だ」


 状況を把握できていないであろう結月に八つ当たりをするように、自分が嫌々に聞かされた母の死亡状況を詳細にぶつけていく。その言葉を一つ一つ受け止めながら、結月は細見を正面から抱き寄せる。


「分かったから、もう言わなくていい。大丈夫だから」

「言われるまでもなく、俺は大丈夫です」


 言葉は固く、低く、そして意味の通りにしっかりしていた。細見はそんな自分に驚きつつも、わずかな納得を感じる。


「俺は納得しています。母は倒れるべくして倒れた。サイコロを振って1が出たんじゃない。理由が理解できれば、俺は納得できる」


 結月は細見を抱きしめたまま、頭を細見の肩に預ける。温かい何かがシャツを伝う。罪悪感か、あるいは虚無か。何かが細見の動きを止める。


「ちょっと待ってて」


 固まった細見を置いて結月は戸棚に向かい、取り出したのは大きめの紙箱。いつかやった、TRPGのボードだった。


「今はそんな気分じゃ」

「いいから」


 いつになく強く、けれど震えた声音。わけも分からなくなり、細見は卓に着く。


 淡々と決められる設定、淡々と進むゲーム。サイコロの音。


「……少しだけ、思い出話するね」


 賽の目が6を指し、それを合図にしたように、結月が口を開く。


「去年の春くらいかな、暇だったからアルバイトしてたんだ。やったことないことやろうって、スーパーのお魚売り場で。魚なんて捌いたことなかったから苦労したんだけど、そこで一人の女の人に会ったんだ」


 細見は答えない。心当たりが一つしかなく、答える意味もなかった。


「その人さ、私がいつ入ってもシフトにいてね。ずっと頑張ってたの。私の分まで仕事して、教えてくれて。でね、その人が口癖みたいに言うんだよ」

「……なんて?」

「『うちの息子も若菜ちゃんくらい明るくしてりゃいいのに』ってね、言うんだ。だから私さ、恩返しがしたくて言ったの。『私がその子に会ったら笑わせてあげますよ』って」


 細見の中でまた一つ納得の歯車が機構に押し込まれる。やっぱりな。自分のような暗くて皮肉屋に、結月のような明るい人間が近づくこと自体が妙だったのだ。


 勇者の攻撃。2が出る。


「なんでそんな余計なことしたんだよ」


 足りない出目に対する怒りをきっかけに、細見は声を上げる。


「俺は、苦しみたくなんてなかった。悲しみたくなんてなかった。だからずっと一人でいたのに。理不尽な善意で踏み込んでほしくなんてなかった。若菜さんのやることはいつも勝手だ。自分だけじゃなくてほかの人まで使って、わざわざ俺に親切を押し付けるなよ」


 リザードマンの攻撃。4が出る。


「二つ、勘違いしてるよ」

「は?」

「真司君のお母さん、私に言ったんだよ。『やめたげて。あの子複雑な年ごろだから、そういうの嫌がるの』って」

「じゃあなんで」


 リザードマンの攻撃。結月がサイコロを振る。6が出る。


「私がそうしたかったから」

「え?」


 細見はサイコロを振らない。ターンが経過していく。


「仏頂面の男の子はすぐに見つかった。親切心を嫌がりそうな子ってことも察しがついた。でも、少し見てたら分かった」

「何がです」

「その子ね、礼儀正しいんだ。すれ違ったら挨拶するし、ゴミを分別して出してるし、箸の使い方がきれい」


 そんなことは普通だ。衝突しないための処世術だ。常識だ。サイコロを振る。2が出る。


「だから私は、真司君を知りたくなった、知ってもらいたくなった、教えたくなった」


 そして結月はもう一度賽を振る。出た目は6。


「私ね、知り合いに頼んだんだよ。面白い後輩がいるから、ちょっと見てみてよって」

「それで?」

「それだけ」

「え?」

「見てほしかったから、そう頼んだの。そしたら、みんな真司君に親切にしだすじゃない。真司君も嫌がるかと思ったらそうでもないし。私一人だけ遠慮してたのがバカみたい」


 胸部から何かを抜き取られたような圧迫感。細見は息を吐き、吸い、吐く。唾を飲み込む。


「ほら、真司君の番」


 渡されたサイコロを握りしめる。手から落とす。出た目は6。


 もう一度握って、落とす。出た目は4。


 もう一度、もう一度を繰り返し。最後に出た目は1。


「ファンブル。理不尽だ。泣きたくなる」

「泣くだけなら神様の助けはいらないかな。おいで」

「次は勝ちます」

「うん。楽しみにしとくね」


 不運を不運、理不尽を理不尽と受け取る。たったそれだけのために行われた長い長いゲーム。暗くなった研究室の中を、温かい嗚咽だけが満たしていった。




 少し、眠ってしまっていたらしい。外から聞こえる歓声で目を覚ます。


「まったく、クリスマスはとっくに終わったのに」


 冬休みで浮かれまわる学生たちの声、イルミネーションで飾られた構内は活気と喜びに満ちていた。今さら、それに気づく。子供のころに母と、まだまともだった父に連れられてケーキを買いに行ったことを思い出す。聞こえてくるのは古式ゆかしいクリスマスソング。今日の乱痴気騒ぎも大詰めのようだ。


「あれ、寝ちゃってた?」


 結月も目を覚ましたらしい。すぐに周囲の騒ぎに気づき、目を柔らかく細める。


「いい歌に、いい景色。参加できないのも損だし、特等席で眺めに行こっか」


 教授の部屋から鍵をくすねて屋上に上る。結月の手癖の悪さに苦笑しつつも、普段とは違う輝きを放つ構内の雰囲気に胸を打たれる。


 結月はずっと下を見ていた。聖歌の音とまばゆい光に目を奪われていた。

 細見は真横に座る結月の顔を見ようとして、見れなかった。恥ずかしくて、少し上を向く。

 だから、細見だけがその違和感に気づいた。


「何だ? 風?」


 突風の吹く前兆のような、考える間もなく風が起こる。その前に結月を引き寄せる。


 直後、真横の空間が消え、黒い何かで満たされる。

 うごめく敵意、影の軍勢、破壊の定義。人知を超えた何かがそこを満たしていた。恐怖が好奇を生み、細見の足を誘う。

 だから、今度は気づけなかった。


 五感を覆いつくす六番目の何か。何かがゆっくりと空間を満たした時、細見の意識はそこで途切れる。




 再び目を覚ましたのは、夜。どうやら気を失っていたのは一瞬だけらしい。周囲に結月の気配を感じない。なんだ、どこに行った? それともまだ寝ぼけて目耳がはっきりしていないのか? 手探りで暗い中を探り、そして意外なほど近くに見つける。


「あ、起きた」

「若菜、さん?」


 言葉に疑問符が付いたのも無理はない。結月はずっと細見を抱きとめていた。すぐ近くに密着していた。息すらかかる距離にいたのだ。けれどもなぜか存在を感じなかった。


「何だ、これ」


 人型の何か。声を発し、目もある。まだ心臓も動いている。けれどもすぐに止まる。そんな確信があった。


「さっそくだけど、実践編」

「え?」

「こういう不運もあるから、何かあったら文句は神様に言ってね」

「不運って何ですか?」

「ごめんね。本当は胸くらいいつでも貸してあげるって言いたかったけど、無理みたい」

「何、言ってんですか」


 冷たくなっていく。命が消えていく。こぼれていく。


「あーあ。また遊びたかったし、卒業した後もたまには顔出して迷惑がられたり、そういうの、したかったのになあ」


 突き付けられる終わりのひと時。世界が灰色に、鈍っていく。


「待て、待てよ。待てってば」

「でも、真司君が無事でよかった」


 もう一度言葉を残して、結月は動かなくなった。鈍る世界が細見に与えるのは、別の実感。


「違う」


 結月は動かなくなった。動かなくしただけだ。細見はそれを自分が実現した何かだとすぐに理解した。盲信した。そして、わずかでも気を緩めれば死がすぐに結月を連れ去るであろうとも理解した。理解していたから、まるで死人のように眠る彼女を抱きしめ続けた。


 だから細見は動かない。祭りの会場が地獄絵図に染まっていくのを眺め、大学の職員たちがまばらに逃げていくのを眺め、残った敷地に死体が点在していくのを眺めていた。


 山内教授が見える。いつも頼ってきた白衣姿に助けを求めようとして、けれどもその背後に赤がこびりついているのを見つけ戦慄する。ほとんど死に近い状態で残った学生たちの避難させることに尽力し、ほどなくして山内は動かなくなった。細見はただ、それを見ていた。


 眺めるうちに夜が明け、夜になり、また明けていく。


 不思議と眠気はなかった。代わりに痛みがずきずきと脳の奥を覆っていた。ちょうどいい。痛みがあれば、眠ってしまわずに済む。


 ポケットからサイコロを握りしめ、6の目を表にして地面に叩きつける。


「これは不運じゃない。俺の意志だ」


 やがて夜になり、朝が来なくなった。暗い世界が続いた。不思議と空腹にもならなかった。時間が過ぎ、痛みに頭が慣れたころ、周囲は光景を一変させていた。


 周囲に広がっていたのは森と、湖と、集落と、山。そして灰色に輝く虹の空。


「風切り羽の追想録?」


 最後に遊んだTRPGの名前を思わず口に出す。そうとしか考えられないほどの不自然に幻想的な光景が広がっていた。まさか、自分は眠ってしまったのだろうか。いや、腕の中にいる結月の虚ろな両目が現実を教える。


「何が起きている。いや、とにかく降りる手段を探すか」


 細見のいた建物はいつの間にか物見台に変わっていた。高風が吹く中、脆い梯子に結月を預けるわけにはいかない。


「階段でも出るといいんだが」


 言葉にして息を吐き、目の当たりにして息を呑む。


「は?」


 目の前には階段ができていた。よく見る石の階段だ。強度もしっかりとしていて、ファンタジーの光景に不自然なほど工業的だ。


「消えろ」


 階段が消える。


「現れろ」


 階段が出現する。


「なるほど」


 どうやらここは、言葉が強い意味を持つ世界らしい。ノータイムで次の句を継ぐ。


「若菜さんを完全な状態にしろ」


 けれども何も起こらない。いや、少しだけ表情に生気が戻ったか。


「ダメだな。まずは調べないと」


 結月を背負いなおして階段を降り、世界を把握するため細見は歩き出した。ぞっとするほど冷たい体が、疲労した体に熱を宿らせる。




 時が経ち、細見はこの空間の理を理解しつつあった。どうやらここは隔離空間で、TRPGをモチーフにした世界であるということ。自分はゲームマスターの地位を与えられたということ。ゲームマスターは空間に干渉できて、魔物たちを管理する義務があるということ。


 義務とともに与えられた権限で拠点を構え、細見はひたすらに世界を学んだ。研究室からパソコンを運んでこさせ、世界の現状を知った。


「未曽有の大災害、一部地域での生存率は二割以下、か」


 ちょうどサイコロの1が出るのと同じくらいの確率。そんなに簡単に大量の人間が死んだらしい。代わりに超能力者が相当数生まれたらしいが、そんなもの誰が望んだのだと吐き捨てる。


 何の気なしにダイスを振る。1が出る。


「クソッ」


 無性に気に食わなくなって、無理やり数値を6に作り替えた。


 死源の長を演じながら、細見はひたすらに能力の解析を行った。結月は原因不明の死に覆われている。それを食い止めた自身の異能であれば、元に戻す手立てもあるかもしれないと感じたからだ。


 手始めに世界から死を取り払う。それを司る無間のラデアラを湖に沈め、デスペナルティを弱め、ポーションの作用を過剰なほどに高めた。世界に一つしかないエリクシルを十二個使っても、結月は目を覚まさない。


「やはり、知識が足りない」


 能力を体系化し、理論立て、少しずつデータを集めていく。自分が学んだ最良のやり方で、最短の経路で、異能研究を組み上げる。


 研究と鍛錬を続け、細見は自身の異能を解釈し、強化していく。いつの間にか、手を離していても結月をとどめて置けるようになった。けれどもいくら研究を続けても、突きつけられるのは異能が人を傷つけるという現実だけ。その事実に、細見は言いようのない焦りを抱く。


 そんなおり、細見は小さな獣を見つける。白い体毛、大量の目と角があるそれは、ゲーム内に登場する聖なる化身。仕様上、プレイヤーが登録されない限りその存在は意味を成さない。にもかかわらず、子羊はいつも勇猛だった。


「頑張ってるな、あいつも」


 勇猛なれどしょせんは獣。考えなしに敵の群れに突っ込んでいき、牙と爪に蹂躙されていく。


「ああ、やはりか」


 肉食獣たちにやられながら逃げていき、崖淵に追い詰められる獣。この先の光景は何度か見たことがあった。飛び降りるのだ。なまじ知恵を持つらしく、獣はいつもレミングのごとく苦痛から逃れる道を選ぶ。そして落下によりひどいケガを負って死亡し、いつの間にか次の個体が現れる。


「たまには助けてやるか」


 情のままに手をかざす細見。けれど能力の発動を待たずして、状況は動く。


「……ああ」


 漏れる抒情。子羊は数体の巻き添えと共に哀れ地面の下敷き。見るも無残な転落死体は瞬きの間に光の粒となり消えてゆく。


「当代の代行者も短命だったな」


 どこかの民家で転生し、再び無謀な戦いを繰り返す。ゲームの設定にどこか自身と重なるものを感じ、重い息を吐く細見。自己嫌悪の代わりに祈りの一つも捧げてやるかと思い立ち、さて子羊はどんな名前だったかとスマホを取り出す。そして、異変に気付く。


「……は?」


 ゲームログが示す、子羊の死亡。それは問題ない。名前も本来の設定通りだ。問題は、並ぶ数字。


「生命力が増えている」


 落下時の割合ダメージが示す、獣の数字。意味するところは,おぞましいまでの子羊の意志。獣は逃げていたのではない。自らと共に魔物を落とすことで、経験値を稼いでいた。


「やってくれるな、獣が」


 細見の憎悪と恐怖により、死亡時のペナルティは極端に弱められている。獣は果てしない停滞の末に仕様に気づき、それを利用した。


「クソ」


 歯噛みし、地面を蹴りつける。世界を進める大きな意志、結月を死へと向かわせる抗えない流れ。挑み続ける代行者の蹄が、細見の恐怖と憎悪を加速させる。


 激情のままに獣を捕捉し縛り上げ、湖に沈める。ラデアラの隣で物言わぬ獣は、それでもほくそ笑むように赤い目を向けたままだ。


「復活などさせるものか」


 未だ苛立ちと震えは止まない。自らがすべてを支配していたはずの世界で裏をかかれた屈辱、未知への恐怖。死と再生を繰り返す子羊の狂気。


「だが、そうか、復活か」


 一方で、細見の思考には新たな刺激か波紋のように広がる。


「これは、使えるかもしれない」


 異能の力を研究してきたが、それはあくまで結月を助けられる可能性があった自分の能力についてのみだ。子羊が意識を連続させる同一個体であり、転生ではなく再生しているのだとしたら。死源の膨大な異能をもってすれば、同じく結月の死を覆す現象を起こせるかもしれない。


「そうなると、サンプルが必要だな」


 人間で、できれば死んでも問題ないようなクズがいい。どうやって誘い込もうか。幸いにも世界は支配できている。この世界ではすべてが細見の思い通りになる。死すらも掌握すればいい。


「塔を、建てるか」


 歪な、ただし確かな光を目指した計画が、始まった。

結月若菜①:ときに寄り添い、ときに引っ張る、人間関係の達人です。短い尺で細見に命を懸けさせるため、人格面はかなり気を遣って仕上げました。

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