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太陽と死神

 血は注がれた呪いであり、情は絡みつく枷だ。細見真司がそう悟ったのは十五の夏、砕けたガラス片に映る自分の顔を見た時だった。


 友人だと思っていた人間と些細なきっかけで対立し、罵倒され、母の悪口を言われた。そこまでは覚えている。いや、そのあともだ。相手のコンプレックスを指摘し、暴力を誘って手を汚さず相手を貶める。そのやり口が、罵倒する顔が、父のそれと酷似していることに気づいた時、細見は自分の脳内がすっと冷えていくのを感じた。


 冷える頭とは対照的に、体の節々は熱を帯び、衝撃が加わる。報復で友人だった者たちから暴力を受けながら、それでも細見は冷静に考える。


「ある意味で、世界は完全なのかもしれないな」

「は? 何言ってんだよ」

「いやいい。続けてくれ」


 世界は完全で、起こる事象は平等だ。すべては因果なのだ。母を足蹴にする習性がある父が暴力沙汰を起こして捕まったのも、父の代わりに母が働きに出るのも、必死に働いた母が体を壊すのも、それによって発生した貧困が細見の境遇を悪化させるのも。


 思い返せば、細見は無意識のうちに他者を見下した発言をしていた。それが友人たちに苛立ちを与えるのは当然で、細見の家庭事情を知った彼らがからかいという名の報復に打って出るのも当然だ。それが真に悪意によるものであったかは定かではないが、少なくとも細見の観念には妥当に響いた。


 一時の迷いや昂りが人間関係を壊し、壊れた関係は二度と元には戻らない。けれども細見はそれを苦とは感じなかった。友人がなくとも学業に支障はなかったし、母の代わりには自分が働けば済んだからだ。


「やあ、おはよう」

「あ?」


 だから、自分をさんざん殴り倒した相手にも平然と挨拶をする。


「思考が鈍いな。言語野を鍛えるには活字に触れるといい」

「殺すぞ」

「俺一人にずいぶんリスクを背負ってくれるんだな。冥利に尽きる」


 関係性が変わっても関わることをやめなかったのは、きっと一度は友誼を結んだ人間との関係を断ちたくないから。細見は自身の人恋しさを俯瞰して理解し、しかしそれが相手の感性を刺激することも理解していた。


 ほどなくしていじめが始まり、激化し、相手が飽きたころに降り止み、細見が刺激を与えて再開される。理由の分かる悪意は健全だ。父が母に与えていたそれと違い、コミュニケーションの一環として成立している。だからこそ、教師が対応に困るほど堂々と、いじめは続いた。


「俺たちが悪かった。ごめん」


 しかし、数年いじめ続けた側が出した結論は畏怖であり、謝罪であった。高校生活の終わり、友人だった他人から頭を下げられた瞬間、細見はひどく動揺した。


「なぜ謝る。何かあったのか」

「悪かった。謝る。だからもう、俺たちに関わらないでくれ」

「どういうことだ?」


 疑問を訴えても、応じる声はない。そこにいたのは細見と、ただの他人だけだったからだ。


 失意の中、母がまた倒れた。どうやら隠れて仕事を増やしていたらしい。病院の先生はこなれたうなだれ方で、母の生活習慣の不健全さを教えてくれた。


「どういうことだ」


 生活はできていたし、学費の比較的安い国立大学に進学も決まっていた。バイトを増やしながら四年で卒業して、その後は地元の企業に就職して母を養う。そのプランもできていた。


「だってそれじゃあんた、大学生活楽しめないじゃない」

「意味が分からない。バカなのか?」


 口にしたその言葉が父の口癖であったことに、細見は気づいていない。




 時が過ぎ、細見は大学に入学する。大学は細見にとって居心地よいものだった。活気あふれる大学で人付き合いに満ちていたが、それらは強制されるものではない。メリットとデメリットを天秤にかけながら人間関係を作れる環境だ。数式を解いておけば立場も追われない。友人の目を情報源として利用できない代わりに、安寧の孤独を手に入れた。他者について一人で考える時間ができたことも都合がよかった。


 そして半年が過ぎ、転機は訪れる。


「おーい、そこの少年」


 後ろからの明るい声。細見は答えない。


「そこの暗い顔。細見真司君」


 名前を呼ばれて初めて、自分が声をかけられていたことに気づく。


「何ですか」

「ちょっとお姉さんのお願い、聞いてくれない?」

「バイトあるんで」

「ないでしょ今日は」

「なんで知ってるんですか」


 ストーカーだろうか。考えてすぐ否定する。細見は自身の容姿が優れたものではないと理解していたし、他者に愛想を振りまいてもいないからだ。高校の経験を踏まえ、敵意も調整していたはず。


「嘘でしょ? 同じバイト先の先輩なのに?」

「……いましたね。そういえば」


 細見のバイト先は近所のコンビニ。求められる知識と労働量のわりに時給がさほど多くなく、学生には不人気の働き口だ。だからこそ選んだバイト先だったが、言われてみればもう一人大学生の先輩がいた。細見の三つ上の四回生で、名前は確か。


「結月さん、でしたか」

「正解。若菜さんって呼んでいいよ」


 結月は細見の手を取り、ぐいと引っ張る。


「改めて自己紹介も済んだし、協力してくれるかな?」

「嫌です」

「えーなんで?」


 協力する理由がないうえに協力させる理由が分からない。そう説明すると、結月は研究で必要なのだと語る。データ収集の協力者が欲しいらしい。


「ほかの人に頼んでは? 見たところ先輩、友達多そうですし」

「うーん、それが、細見君じゃないとダメなんだよね」

「理由を教えてください」


 結月は両手をこね回す仕草を見せ、顔を傾けたりし、「怒らないでね」と念押ししてから言う。


「表情筋の乏しい人を探してるの。私の研究、人の楽しさを定義づけるってものなんだけど、普通じゃない方面のサンプルがほしくて」

「ああ、なるほど」


 腑に落ちる。この大学は風土上活気に満ちている。つまらなさそうに過ごす人間のサンプルはさほど多くなく、細見としても自分がトップクラスにつまらない人間だという自負があった。


「分かりました。協力しましょう」

「え? 怒ってない? なんで急に?」

「理由が分かったので」

「んー? お姉さんちょっと分かんないな」


 困惑しながらも結月は細見を研究棟に招く。もう一度ぐいと手を引っ張られ、細見はなぜか面映ゆい感情に駆られ首をかしげる。


 エレベーターでガラス張りのビルを上り、六階の突き当り。結月は数回ノックしつつ扉を開ける。

 大きめの長テーブルとプロジェクター、壁伝いに並べられた三つのデスクトップ。それに用途の分からない複数のカメラや機械。


「へえ」


 冷静に、感嘆の声が漏れる。


 細見の通っている大学では、二年間の基礎学習と、残り二年の研究活動が義務付けられていた。ゼミに所属し、卒業研究と就職活動に従事するのだ。一回生の彼が知っていた情報はそう多くない。ゆえに、知見を二年先取りする光景は相応に魅力的に映った。


「ここがゼミですか」

「そ。コーヒー淹れるから座ってて」

「水でいいです。睡眠のリズム崩れるんで」

「コーヒー淹れたげるから立ってなさい」


 さらりと客賓待遇を崩しながら戸棚をいじる結月。


「三人くらい所属してるけど、私と教授以外は幽霊だからゆっくりしてていいよ」

「幽霊でいいんですか?」

「うん」


 聞けば、残りの二人は普段フィールドワークと称して遊びまわっているらしい。


「遊びまわることで進む研究を?」

「ううん、時期になったら追い込まれるだけ。毎年恒例行事らしいよ」


 コーヒーを差し出され、追いやられるように椅子に座り、仕方なく一口含む。味が濃く、火傷もしない。自分の知るコーヒーとギャップを感じつつ、別の疑問を優先する。


「そんなので研究になるんですか」

「二十二歳児のお遊びだからね。形になれば何でもいいの」


 よくないだろ。そう言おうとしたら背後から「よくはないよ」の声。視線で振り返ると、白衣に身を包んだ恰幅のいい男性が困り顔を浮かべていた。


「あ、山内教授」

「やあ結月君。今日も一人?」

「ええまあ。あ、今日はゲストいますよ」


 結月は細見の両肩をぐいぐいつかんで揺らす。


「一年の細見君です。で、こっちの白衣が山内教授ね。かっこつけて白衣着てるけどテーマは情報系。ほらほら挨拶しろシャイボーイ」

「どうも」


 頭を下げつつ、細見は自分が人見知りになりつつある事実を知りやや落胆する。


「ああ、細見君ね」

「ありゃ、教授知ってるんですか」

「そりゃまあ。ちゃんと講義聞いてくれる子、少ないから」


 肩を落とす山内。結月といい、感情表現が達者な人の多いゼミだ。左右に揺さぶられながら細見は嘆息する。




 以降、細見は山内ゼミに通うようになる。結月の強引な誘いもあったが、人の感情を解析する技術というテーマが妙に気になったからだ。人工知能の発展に寄与するその技術は界隈ではさほど新しくもないらしく、ゼミのパソコンから論文をいくつも読むことができた。


「毎年論文出てますけど、あんまり進んでないんですね」


 どこかの大学教授がわずかなデータとともに打ち立てた仮説に数人の学生が追従して理論モデルを完成させ、その後は細々と検証を繰り返す論文が続く。表情筋や眼球の歪みを変数として感情値を算出する技術らしい。


「途中から脇道に逸れてるし」


 山内獅童の名が入ってから、テーマはモデルや変数自体ではなく入出力のインターフェースへとシフトしている。腹立たしい、悲しい、嬉しい、楽しい。


「その楽しい脇道の一つが私の研究ってことだね」


 結月の研究は人の楽しさを定義するもの、つまりは楽しいことをしてデータを計るというものだった。聞こえはいいがやることはトランプからテレビゲームまで様々、つまりは遊んでいるだけだ。


 快活な見た目と性格にたがわず、結月の周りには多くの人がいた。同じくデータ取りに協力している四年生に、部活の後輩、OBらしき社会人。わずか三か月足らずの交流で、細見の知人は二倍三倍と増えていく。


「よっし俺の勝ち。じゃあ細見君、次会ったらジュースおごれよ」


 変則将棋アクションで逆転勝利を見舞われた余韻を噛み潰しつつ、常連の二年生が去っていく。


「……なんでみんな俺に構うんだ」

「そりゃまあ、私が頼んだからね」

「え?」


 こともなげに言ってのける結月に、思わずため息が出る。つまり自分は、結月若菜という大人物の言葉で周囲によくしてもらっていたに過ぎないというわけだ。善意の温かさと自分の人格の冷たさが釣り合わない、その理由を垣間見た気になる。


「どしたの?」

「いえ、なんでも」

「ふーん。まあいいや。データまとめるの手伝ってね」


 結月の研究テーマは学術的に定義すると「娯楽が人の楽感情に与える学習値のモデル化」というものになるらしい。遊んだ際の心拍数やらまばたきの回数やらを記憶し、最終的にはどうせ定量解釈できないデータだからとりあえず取ったアンケートで論文にまとめるのだとか。


「これ、結局使わないなら、何のために取ってるんです?」


 ストレージを肥やす動画データをイベント単位で編纂しつつ、細見は愚痴る。


「巨人の肩を作っているんだよ」

「無駄な搭載パーツを増やしているだけでは?」

「タックルの威力とか上がりそうでいいじゃない」

「はあ」


 返事がため息気味になってしまったのは呆れではない。前に進んでいる人間の足を無意識に引っ張ってしまう自分に嫌気がさしたからだ。そんな細見の憂鬱を知ってか知らずか、結月は鈴の鳴るような声で笑う。


「まあ、一年の真司君は楽しく遊んでいればいいのだよ」


 ガチャリ。


「四年生は遊ぶだけじゃなくてちゃんとレポートに残してね」

「はあい」


 どこから聞いていたのか山内が入ってきて、小言だけ残して去っていく。


「細見君はゆっくりしていくといい、そして再来年はうちに来るといい」

「は、はあ」


 何度か荷物運びを手伝ったら、妙に気に入られてしまったらしい。まあ、悪い気はしないのだから悪くはないが。


 パソコンを開き、計測したデータをナンバリングして動画フォルダに移す。並んだサムネイル画像は思い出を詰めたアルバムのようにも映り、細見に三か月という時間の経過を感じさせる。


「ところでさ、真司君は今までのゲームで何が一番面白かった?」


 同じ感慨に至ったのか、結月が後ろから画面をのぞき込む。「今この瞬間」そう答えるのが悔しくて、選んだのはその逆。


「この間やった、TRPGってのが死ぬほどつまらなかったです」

「へえ意外。勝ってたじゃん?」


 結月の顔が不服そうな笑みに歪む。聞けば、ゲーム盤は彼女の趣味で持ち込んだものらしい。細見は一度息を吸って、声を揺らさないよう気を付ける。


「たぶん、あれが平等な、確率に支配されたゲームだからです。起きた事象について因果がないのは、納得できない」

「うーん、なかなかひねたことを言うね」


 結月は戸棚からゲーム盤の入っている箱を取り出し、サイコロを一つつまむ。


「真司君はさ、神様の存在って信じてる?」

「何ですか、いきなり」


 反射的に否定しそうになる自分に嫌悪しつつ、細見は答える。噛みしめるその唇に投げつけられたのは、サイコロ。出目は6を指して床に落ちる。


「今6の目が出ました。これは偶然?」

「物理現象としては必然、確率論としては偶然ですね」

「100点満点の0点をありがとう」


 結月は辟易顔のまま細見の肩を指でつつく。


「投げたサイコロが6を出す。これを必然と考えるなら、サイコロの主は真司君です」

「そうなるんですか?」


 地面に落ちる6の目。その中に入って賽の目を切り替える自分の姿。なぜか、窮屈そうに感じられた。

 地面に落ちたサイコロを拾い上げる結月。


「でも、これが神様の偶然だと考えると、サイコロは神様の世界。真司君は晴れて自由の身です」

「バカバカしい」


 思わず思考よりも早く口が動いてしまう。そのまま「バカなのか」と続けてしまいそうになり手で口を抑える。けれど、続く結月の言葉は「だよね」という軽々しいものだった。


「これね、十年くらい前に出た研究論文の文章なんだって」

「は?」


 結月は語る。


「研究って突き詰めると、けっこう科学とか理屈で説明できない現象が見つかるらしいんだよね。まるで神様が書き換えたみたいな変な環境変数とか歴史とかね。で、物理分野の検証中にそれが登場しちゃって、学者先生も疲れちゃったって話」


 眉に唾でもつけるべきか。やろうとしたら、すでに結月が同じ仕草を終わらせていて苦笑する。


「教授もたまに言うんだよね。分からないことは神様にぶん投げろって」

「あの人もですか」


 数学でいうXの定義と似たようなものだろうか。思えば、いきなり出てきたXという存在に納得できなかった。そう言うと、結月は笑うだろうか。


 細見の自己嫌悪に気づきもせず、結月はからからと笑う。


「神様っていうのはね、願いの行き先なんだと私は思ってる。理由なくいいことがあったとき、その逆に悪いことがあったとき、感謝したり文句を言ったりする。そういう存在がいてほしい」

「つまり?」

「重要なのは『なぜそうなったか』じゃなくて、『何を感じたか』ってことだよ。今、どう思ってる? まだ窮屈?」


 サイコロが掌を突き刺す。励まされている。そう感じる自分自身を、サイコロに押し込めて、精一杯明るい顔を作ってみる。


「俺の代わりに神様が閉じ込められるのはかわいそうです」

「いいんだって。神様なんてそこら中にいるんだから」


 結月はゲーム盤にサイコロを大量に放り投げながらにっこりと笑い、細見はまぶしさすら感じる自分がいることに気づく。久しぶりに作った笑顔は、思ったより悪い気分ではなかった。


 掛け値なしに、楽しい時間だった。続いてほしい時間だった。

細見真司②:本作唯一の明確な元ネタのあるキャラです。元ネタほど天才ではありませんが、性格付けや境遇から察してもらえると嬉しいです。

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