理外を躙る戦い
草木や海に形があるように、人の心にも定まった手ざわりのようなものがあると、私は思う。いわゆるそれが常識というもので、なぜ形があるのかというと、一度叩いて壊されたら元には戻ってくれないからだ。世間一般に言う心が広いとか、器が大きいとかは、それだけその人の心が叩いて伸ばされた結果なのだと、そんな私の持論。
喜べ柏木天音。本日付けをもって、私の中の時間という概念から、「遡らない」に続いて、「止まらない」が破壊されたよ。
「厳密には止まっているのは時間じゃなくて、一定範囲内の全生物と見るべきかな」
小声で捕捉を入れる侭。スマホの時間が進んでいたことを考えると、私も同じ意見だ。
「待て待て、ありえねえだろ」
頭を抱えるのは理人。残念だけど、異空間にありえないは通用しないんだよね。
確かに、抗精神力を貫いて複数の生物をまとめて停止させるのは困難だ。でも、実現可能なカラクリにも心当たりがある。
「たぶん、細見さんは死源から力を引き出してる」
「ゲームマスターだからか?」
「うん」
死源と媒介は深くつながっている。細見さんの異能が死源と接続されていてもおかしくはない。理人はまだ納得していなさそうに唸り、けれども対案がないからか「そういうもんか」と言葉を呑み込む。
「だとすると、どうやって勝つんだ?」
「うーん」
館に響く衝突音、見えない格闘戦。いつの間にか細見さんが身の丈ほどある杖を携えている。私たちが実りのない考察を続ける間にも、凪の孤独な戦いは続いていたらしい。「ポーション」と求められるまま、反射的に薬瓶を投げる。
「鍵は凪だね」
侭の言葉の通り、現状の最有力案はどういうわけか時間停止に対抗できている凪を頼ることだ。でも、未だ細見さんは無傷のまま、防戦一方だ。このまま待っても勝機はない。
「弱点、探してみる」
珍しく凪が頼ってきたのだ。たまには「おかげで助かった」とか言われてやろうじゃないか。
細見さんは止まった時間の中を動いている。私の認識を肯定するように、ときおり不連続になる二人の動き。ストップモーションアニメを見ているようだ。つまり、私たちは定期的に止められている。停止が永続しないことから影響型なこと、連続しないことから停止には相応の消耗が伴うことが推測できる。
「異能核が停止だとすると、そのうち異能痕に表れると思うんだけど」
継続する戦闘、細見さんの意識が途絶えた様子はない。
「時止めしてる間に自分も休んでるんじゃないか?」
「さすがに思考が止まれば能力も止まるはず。凪も攻撃するだろうし」
「となると、かなりタフだな」
忌々しげに棍棒を投げ、次の瞬間には頭の上に投げ返されている理人。異能核の読み間違えの線も濃くなってきた。
「天音、ポーション」
遠くから凪の声。慌てて投げる。状況は依然として苦しいまま、でも凪はなんだか楽しそうだ。問題はボス戦の進捗なんだけど。私の手から侭がタイミングよく遠眼鏡を奪い取る。
「頑張れ、あとたったの127万と8000だ」
ああ、なんと果てしないことか。
「ねえ凪、一回作戦練り直さない?」
「今いいとこだ」
視界から凪が消え、次の瞬間には回し蹴りの風圧が微風を起こす。戦闘に慣れてきたのか、ようやく反撃が入り始める。
「変だな」それを訝しむ、理人の声。
「何が?」
「右の蹴りを右手で受けてた」
「……確かに」
記憶をリピート再生すると、体をひねって凪の蹴りを受ける細見さんの姿。注視すると、攻防の中でほとんど左手を使っていなかったことが分かる。それどころか、細見さんの左手は直立不動の姿勢のままだ。
「もしかして、接触型?」
「凪、左手が死角だ」「分かってる」
仮説につぎはぎされる別の仮説。強力な異能、異能痕の不整合。私の常識がまだ強度を保っているのなら、意味することは一つ。
「境界破壊だ」
細見さんの異能は遠隔化している。死源の媒介としての作用かと思ったけど、TRPGの性質に停止がない以上、この考えのほうがしっくりくる。
「その名を知っているのか」
ほとんど私の独り言と化した考察に返る声。あろうことか、細見さん自身からだ。
「しばらく聞いていたが、ほぼ正解にたどり着いている。勤勉だな」
「そ、それはどうも?」
いやにあっさりと明かされる能力の真実。意図が分からない。戦力差を教えて絶望させたいのだろうか。思い切ってそのままを聞くと、首は横に振れる。
「私はゲームマスターだ。説明の義務がある」
「聞かれれば答えるということですか?」
「ゲームに関わるならな」
最初から言っておいてほしい。
愚痴はともかく、納得できる部分は多い。ここまで、戦況は細見さんの圧倒的有利に進んでいるように見えて、その実しっかりターンが回ってきている。凪は律儀に攻撃を宣言し、私が回復し、細見さんがたまに魔力弾と近接戦闘で攻撃してくる。攻撃の対象は自分に攻撃してきた相手だけ。まさにボス戦と同じフォーマットだ。
「天音、回復」
「あ、うん」
ポーションを急かす凪。このことが示すように、攻撃力もプレイヤーを一撃死させない数値に抑え、戦いが成り立つようにしている。すべては対話のゲームを成り立たせるための調整だ。
「一つ、聞いてもいいですか」凪にポーションを投げつけつつ、薬瓶に問いを乗せる。
「どうして、侭を殺そうとしたんですか」
「……私は神ではないからだ」
答えは抽象的。何かを隠しているのは明らかなのに、私の発想力ではその先にたどり着けない。
塔から侭を突き落とし、死ななかったことに喜んだ。自分を倒しうる強力なプレイヤーの誕生を求めていた? いや、それなら今の戦闘はもっと激化しているはずだ。それに、戦っている細見さんは、凪と比べてちっとも楽しそうじゃない。
「戦い、嫌いなんですか?」
「好きなわけがない」
違和感が胃の中で膨れていく。細見さんはゲームマスターに徹している。それは分かった。でも、徹しているからこその違和感。
なぜ、ゲームマスターに生命力があるのか。本来その役目は、代行者たる羊の仕事のはずだ。湖に縛られた死神と獣は、死源が細見さんの強い意志を浴びた結果にほかならない。
思い浮かぶのは6のみを示すサイコロ。アトラスタワーや人間性のステータスにも目的があった。この死源には細見さんの意志が張り巡らされている。だから、細見さんに生命力が存在することも、きっと意図がある。
「落とすか?」理人の意見。言っていて違うと思ったのか、「無理だし、嫌だな」と苦笑する。確かにデルサスとの戦いのように、細見さんを高所から突き落とせば勝てるかも。でも間違いなく、落下の衝撃で命も落とす。
「死の概念はロックされているけど、まあ死ぬだろうね。殺したい?」
「絶対イヤ」
侭のからかいはともかく、そこについても思うところはある。代行者と共に縛られた第四のボス、死の具現。意志の刃、この死源を解き明かす大きな手がかりになるのは間違いない。でも、何かが足りない。
「天音、ポーション」
「ちょっと待って」
慌ててナップザックから小瓶を投げる。考え事をする間もノーブレーキで続く戦闘、そろそろ道具の残量も心配になってきた。侭と理人から小瓶を押し付けられつつ、ギルドカードで起死回生の手を探る。特殊コマンドはない、クエスト情報もマニュアルも更新なし。自分のステータスを見る意味もない。ゲームログも――
「ん?」
見つける、違和感。細見さんのじゃない、凪の意図だ。思い出すのは繰り広げられた激しい攻防。そして、いつの間にか侭が足元に充満させた、白いガス。
「サポートって、こういうこと?」
目を凝らすと、煙の中に凪のバカげた策が蔓延し始めていた。
きっと最初から、凪はこの状況を狙っていたんだろう。投げられた無数のナイフは全部細見さんの肩より上を狙っていた。攻撃もほとんどパンチだけで、ケガをさせるほどの威力もない。必要ないからだ。
「さて天音、敵さんの生命力はどうかな?」
侭が意地悪な言葉とともに、遠眼鏡を手渡す。早い段階で凪の作戦に気づいていたんだろう。だから地面に薬を撒いて、私から口を滑らすすべを取り上げた。だとすると、相手の生命力など見るまでもない。
「だいたい127万7000」
観測できる限り、凪のナイフは上位スキル込みで296本投げられた。そして細見さんのターンは80、使ったのは中級と上級術が40ずつ。
「君らはアイテム切れまで粘るつもりか」細見さんの少し呆れた声。
「生命力が有限ならいずれは倒せます。それに、途中で弱点とか見つかって加速するかもしれないですし」
最後のポーションを投げつつ、できるだけ不敵な笑みを作る。
「なかなか、諦めが悪いな」
私は祈る。作戦がうまくいく保証などどこにもないからだ。
確かに、細見さんはドラゴンゾンビの突然死について何も知らないと言った。魔物への指示は大まかとも言っていた。つまり個々の魔物それぞれの処理はゲームマスターの意識外で行われている可能性が高い。
「悪いが、祈る神はここにはいない」
そう、異界の神は細見さんだ。異界の被造物は細見さんによって作られ、その処理は細見さんの脳と異能によって行われている。そう推定できる。
「そろそろだな」
凪の宣言。私が知る限り、一般的なサイコロの重さは3.5グラム前後。296本のナイフと、合計200の魔法判定によって生成された総量は、1736グラム。死源の抗精神力がどれほど凪の異能を強化してくれるかは分からないけど、手持ちのアイテムが尽きた以上、ここらが限界だろう。
「アイテム錬成:濃縮トリニトロトルエン」
侭の宣言とともに、足元に落ちるサイコロ。のぞく6の目。直後、試験管に詰められた、淡黄色の不安定構造。
「自爆か。挑みなおすというのなら歓迎しよう」
「まさか。ただの、幕引きですよ」
放り投げられる試験管。当然細見さんには届かず、不自然に地面に弾かれて爆発する。小さな爆風が、充満するガスを吹き飛ばす。
「なんだ、これは」
漏れ出た声は細見さんから。無理もない。地面に散乱、いや浮遊していたのは、およそ五百のサイコロの群生地帯。
凪の作戦を検めよう。ゲームマスターは死源の異能を占有し、その代わりにその脳を貸与して死源の負荷を請け負う。サイコロ操作に対して相応に手間だとも言っていた。ならばもし、許容量を超える負荷を宣告すれば、ゲームは滞りなく進行できるだろうか。
「やめろ」
その声は狼狽。瞬間、私の視界が数度ぶれる。停止の異能を使ったのだろう。凪はそのすべてをしのぎ切り、冷徹な視線を向けるだけだ。
「待て」
繰り返される見えない攻防。戦慄と焦燥が異能を動かし、けれども残酷なまでに何も起きない。力では凪の意志は止められない。
「やめてくれ」
やがて声が懇願に変わっていく。今までにない感情的な声。その由縁は私には分からない。凪が拳を突き出す。サイコロが一斉に高度を上げる。
「失うわけには、いかないんだ」
見上げる細見さんの顔に浮かぶのは、蒼白。立場を忘れて凪を止めたい。そう思わされるほどの、嘘偽りない絶望だった。
「悪いな。ゲームに付き合ってやれなくて」
凪は揺らがない。淡々と謝罪を告げるだけだ。そこにきっと嘘はなく、それでも凪は眉一つ動かさず、問答も許さず、ただ握っていた掌をほどく。それが合図だった。
重力にとらわれる無数のサイコロ。カツンカツンと音を立て、波涛のごとく踊り狂う。揃っていく6の目、頭を押さえる細見さん。まるで、立方体の軍勢に蹂躙されるがごとく、膝をつく。
やがてすべての賽は投げられて、地面に激突する。落下によって始まった戦いの因果が、同じく落下によって決着する瞬間だった。
ショーダウンの瞬間に私は見る。意識を失った細見さんの目に伝う、一筋の涙を。その意味を、私はまだ、知らない。
細見真司①:本章の犯人。物理が強いこの作品において貴重な能力が強いタイプのキャラクターです。




