ラストエンカウント
もしも世界に法律と良識が存在しなかったら、いったい何が人の罪を咎めるのだろう。もしも暴力が世界の頂点を取ったなら、探偵は優雅にパイプをふかせるだろうか。重い足を引きずりながら、痛む腕を抱えながら、私は犯人の居城を目指す。
怒りはない。悲しみもきっとない。だって、私は細見さんの心を知らない。昔読んだファンタジー小説だと、罪を犯した敵役に対して、主人公は迷いなく憤りを感じていたというのにだ。
異能犯罪は常として理解できない動機によって引き起こされる。だから私がそれを知ったところで、きっと意味はない。意味はないけど知らなければ。それこそが私がここにいる意味なのだから。
古びた研究所の門をくぐり、開け放たれた扉から二階の最奥へ向かう。そこにはゲームマスターが変わらぬ姿で私たちを迎えていた。
「ようこそ。よく来てくれた」
もうNPCのフリはしない。目は見開かれ充血し、体が小刻みに震えている。理由は分からない、理解できない高揚状態。
「どうだったかな、塔の最上階は。本当は直接見に行きたいところなのだが、あいにくと手が離せなくてね」
「なぜ塔を消したんですか」
私の口から漏れ出た言葉は、たぶん震えていた。
「もちろん、殺すためだ。死ななくてほっとしている」
「意味が分かりません」
殺意の自白。それにしてはやけに軽い調子で言ってのける。それが理解できなくて、私は不安になる。
「理由が必要なら話そうじゃないか。ただ、代わりに君たちのいきさつを聞かせてくれ。何が起きた?」
興奮で早口だけど、詰問口調ではない。恐怖や憎しみを煽っているのではなく、本当に知りたがっている。だから私は一つずつ、塔での出来事を語っていく。
塔が突然消滅したから空中に投げ出された。湖の底に死神と子羊を見た。そして、生命力ゼロによるペナルティを利用してどうにか命をつないだ。ただそれだけを、感情も脚色も加えずに淡々と明け渡した。
「「どうして?」」
私は理不尽を訴える。けれども、声はなぜか二重に重なって聞こえた。
「どうしてそんなことをしてくれたんだ」
細見さんは今までの上機嫌を突如崩し、眉間にしわを寄せる。深く深く息を吐き、声すら震わせるその態度は、絶望か失望と表現するのがちょうどよく見えた。
「やはり人数制限を設けるべきだったか。それとも、空中でのスキル使用に制約をかけるか」
理解できない。私たちは殺されかけていて、それを責め立てに来ているというのに。細見さんはまるで意に介する様子もなくぶつぶつと思案を始める。
「おい」見かねた凪が声を荒げると、うつむいていたその顔が少し上向く。
「すまない」
一言だけ。形式的な謝罪が飛んでくる。なんなんだ、この人は。
「あの、理由を――」
苛立ちがにじみ始めた私の言葉を遮って、すいと掌を突き出す細見さん。
「もう一度試してきてくれないか」
瞬間、視界がくわんと揺れる。
「な、何を」
テーブルの燭台が時計回りに回転し、天井が地に落ちる。遅れて、自分が倒れたのだと知覚する。同じ音が二つ、横からだ。
逆さになった細見さんが、驚きの声を上げる。
「今のを耐えるか」
「鍛えてんだよ」
倒れなかったのは凪。「ほら起きろ」と声をかけられたのは理人だろうか。うめき声とともに、立ち上がる音がする。
「おい凪、今俺ら何された?」
「知らん」
凪の視線が一瞬だけ私の方を向き、そのまま踏み込みとともに正面に突撃していく。
「あ、ちょっと、待って」
まだ私ぐにゃぐにゃしたまんまなんだけど。ちょっと考え事とか、無理。たぶん、考えるのは任せたって言いたいんだよね。無理です。無理。
「まったく、だらしないなあ」
隣で同じく横になっている侭と目が合う。
「苦痛に耐性がない人間はすぐに衰弱する。こんなの、ただ痛いだけじゃないか。いい加減慣れたらどう?」
首から上しか動かないくせにずいぶん上から目線で言うじゃないか。でもそうか、痛いんだ。ようやく私の中に痛覚が戻ってくる。
「痛い」
痛みの大本は顎。たぶん、痛烈な打撃的なものをもらった状態が近いんだろう。つまりこれは攻撃で、塔に引き続き私たちは危害を加えられたことになる。
「なんで?」
細見さんはとっつきにくいところはあったけど、見た目相応に理知的で話が成り立つタイプだったと思う。理由の分からない暴力に対して、少なくとも私が抱くのは、恐怖だ。
「天音」
「なに?」
「酔い止めか、柔らかい枕持ってない?」
「我慢しなさい」
私の中にあるのは恐怖。でも、そうでない人間もいる。目の前では模造刀と二つの拳が細見さんに襲い掛かっている。外れた上段斬りが地面と衝突して白い火花を散らす。
「ま、待って」
どうにか上体を起こし、可能な限りの大声を出す。舌がひりついて、呂律が怪しい。
「戦う前に、話をしたい。私は、理由が知りたい」
言葉は通じただろうか。一瞬だけ、細見さんがこちらを見る。その動きが止まる。
「無理だ」
私の期待をへし折ったのは、凪のはねのけるような言葉。今の一瞬で攻撃を受けたのか、腕を交差させた防御の姿勢のまま、わずかに後ずさる。
「凪が正しい。襲ってきてるのは向こうだ。俺らにゃ止める権利ねえよ」
腹部から剥がれ落ちる異物を払いながら、理人も苦い声を出す。
「残念だけど、これはボス戦なんだよね。ボス戦からは逃げられない」
そんな、知らない世界の不文律を説かれても困る。私は暴力反対という世界標準で話をしているのに。あとそろそろ起きろ。
「戦えば、分かる」
凪の言葉を合図にしたかのように、細見さんが再び動き始める。最初の一撃と同じように左手を上げ、けれども何もせずに降ろしていく。
「何だ」
理人が白銀をまといつつ、警戒をあらわにする。もしかして、話が通じたのだろうか。
「ぐ」
けれども次の瞬間、数メートル突き飛ばされたのは理人。延長線上には細見さんの手掌。まるで見えない空気で大砲を撃ち込まれたかのようだ。
「どうなってんだ」
悪態をつく理人。まだ余裕はありそうだけど、息が荒い。いつ私や侭のように戦闘不能になってもおかしくない。
攻撃であることは間違いない。けれども正体が絞れない。
「妙だな」
疑念が漏れたのは、なぜか細見さんのほうから。自身の掌を訝しげに眺める。
「見えているのか?」
言葉の矛先は凪。今までの攻防で唯一攻撃を受けていない。
「何のことだか」
再び手を掲げる細見さん。けれども今度は何も起きずに取り下げる。
「やはり」
今のやり取りのどこに納得を見出したのか、低い声で笑みを漏らす。そして、掌でなく指先を凪の方へと向ける。
「連撃ナイフ生成。攻撃」
けれど、応じたのは口先でなく三連続の投擲。
「ちょ、ちょっと」
無慈悲に転がる三つのサイコロ。せっかく会話が成り立つ気配がしたのに。なんてことを。クレームを入れる私を、凪の鋭い目が止める。
「天音、ダメージは」
「え、ダメージ?」
条件反射的にスマホに手をやると、メッセージがいくつか生成されていた。
・ナギはナイフを連続で投げた (威力判定666):ソミシンに30ダメージ。
「30だってさ」
「了解」一瞥し、凪は次のナイフを浮かばせる。
てっきり爆弾の時みたいにダメージが通らないかと思ってた。もしかして、これはTRPGのイベントの一環なのだろうか。
「ラスボス戦になったから破壊不能属性が消えたのかもね」と聞いていない解説が下から聞こえてくる。どさくさで生成した薬品を空中で撃ち落されたせいか、侭は早々に諦めムードだ。やっぱり、攻撃を通せるのは凪だけらしい。
でも、ダメージが通るなら勝てるかも。そのまま流れでのぞき込んだ遠眼鏡の先には、数字がずらり。
「128万」
「何がだ」
戦線復帰を試みる理人が、すでに悟っているだろうに聞いてくる。だから私は、言いたくもない事実を宣言することになる。
「細見さんの生命力」
予想していた数値の五倍。ダメージが30だから、凪のナイフだとあと42666回で倒せることになる。
「無理だろ」
諦めたのか、戦場に戻る足を止める理人。私も転ばされていなければその場に座り込んで絶望を訴えたい気分だ。
私の躊躇を置き去りに、細見さんと凪の攻防は続く。凪は128万と戦う覚悟を決めたのか、打撃の中に何度かナイフを混ぜ始めている。同じように、格闘戦の最中に魔法らしき飛沫が散見する。
「あ、ダメージ」
何らかの攻撃を防いだ凪の両手のケガを見て、今さらながらに思い至る。把握するべきは細見さんの生命力だけではない。凪も生命力が0になったら強制送還されてしまう。
遠眼鏡で見ると、残り数値25。七割ほど削られているものの、意外と残っている。
「ポーション使用」
無駄になりかけていた自分のターンで宣言しつつ、液瓶を凪に投げつける。その間にも、何らかの攻撃が凪への衝撃として顕現する。
「ただの空気砲、じゃなさそうだ。バットか何かで殴られたみたいだった。どう見る?」
「心当たりは、あるけど」
見せつける腕には、確かに打ち身のような痕跡。それに、先ほど侭に襲い掛かった不可解な状況。実現しうる異能には、いくつか心当たりがある。けれども反証がいくつか。
「個人の能力としては威力が高すぎる」
「そうか?」
理人の反応は否定的。これはシドという例外が存在した以上、起こりうるだろう。それに細見さんは死源の主でもある。異界を自由に構築するという性質が異能と結びついて強化されている可能性もある。
「あと、凪が防げてるのが謎」
「それは確かに」
話す間も攻防は続いている。細見さんの顔面へと凪がナイフを投げ、間を置いて謎の防御姿勢というターン制バトル。たまに私に視線が飛ぶから、ポーションを使う。その攻防が、ぴたりと止まる。
「なるほど、抗拮抗か」
発せられたのは知らない単語。視線の先は凪が浮かばせるナイフたち。当然、細見さんは意味を説明などしてくれない。とにかく凪が対応できる理屈がある。突破口はどこだ。
「さて、俺も出るか」
骨剣を創造しつつ立ち上がる理人。その勇み足を、侭の右手が引き留める。
「何すんだ」
転びかけてご立腹の理人に、倒れっぱなしのまま侭は笑う。
「助けは必要ないよ。あれは凪の戦いだ」
「弾除けくらいにはなるだろ」
振りほどいて駆けだそうとした理人は、けれどもその瞬間に地面に転がされている。やっぱり、倒れた瞬間がまるで見えない。
「おーい」
悪態をついて加勢を諦める理人に近づいてくる凪。いや、違う。通り過ぎてこっちに来た。
「天音、サポート頼む」
「え、私?」
返事も待たずに踵を返し、再び戦闘へ。
「助けは必要ない、でいいんだよね?」
「助けてあげなよ。友達だろ?」
薄情者からのありがたいアドバイスに胸のすく思いだ。友情を盾に取られては、参戦の算段を考えざるを得ない。
眼前では見えない物理衝突が繰り返されている。さっき理人が示した通り、あれに近づこうとすると細見さんの攻撃が飛んでくる。だから凪は遠距離攻撃のできる私に不意打ち支援を頼んだんだろう。でも、The rEND相手と違ってゲームマスター相手だと、詠唱した時点でバレないかな?
「最果ての蒼、雷霆の至宝、異界を契る鎖のもとに、蒼弓雷牙よ天地を啓け」
倒れた姿勢のまま始まる私の詠唱。おっかなびっくり、けれども急に素首を落とされたりすることもない。もしかして、いける?
「黄青対唱、花霞――森羅の霹靂」
霧の精霊術に雷を追従させる高等技術。無事最後の詠唱が完成し、不可視不可避の雷撃が細見さんへとリヒテンブルグする。
「やった?」
絶縁破壊の轟音と水煙の蒸発する破擦音。常人なら確実に数秒は動けなくなる一撃。それなのに、感触に反して煙の中の七本角は倒れるそぶりすら見せない。
「二重詠唱か。検証不十分な技術領域だが、呪文が干渉する以上強力とは言いがたいな」
「うっ」
背中にかかる急激な荷重。何をされたのかはともかく、鼻先と顎の痛みは本物だ。とにかく、私の攻撃は失敗に終わり、ペナルティと警告が与えられたということらしい。
「天音、ポーション頼む」
反射的に凪の生命力を回復させつつ、考えるのは今起きた現象。
精霊術は死源によって発生するけど、引き起こされるのはれっきとした物理現象だ。いくら何でも、追尾する雷を見てから回避するのは不可能ではないだろうか。システム上は命中扱いだから無意味ではないけど、結局ステータス差で押し負ける気しかしない。どうにか細見さんの攻撃を中断させないと。
「天音、準備できたか?」
「ちょっと待って」
低級呪文を連打してみるべきか、でも最速詠唱でも行動ターンは消費する。圧縮詠唱なら間に合うだろうけど、あれは威力の低下が著しい。どうしよう。
「なあ天音」
悩む私の肩をつつくのは、理人。
「理人、いいアイデアある?」
「しいて言うなら、冷静になれ、かな」
視線は侭の方へと向かう。むかつく顔が脳内に想起させるのは、「戦闘は凪の役割」という言葉。
「あ、そっか」
ちょっとゲームに脳を侵食され過ぎていたかも。
私の役目は戦うことじゃない。考えること、解き明かすことだ。
眼前の異能戦から目を閉じて、思考の渦に身を委ねる。示されたのは、不可視の攻撃、不可解な回避、凪だけが動ける、抗拮抗なる言葉。要素はとうに揃っていて、深く考えるまでもなく、最有力の候補が決まる。
「侭、戦闘開始から何秒経った?」
「二百十五秒だね」
「じゃあ、死源に入ってからは?」
しばしの沈黙をもって、「二万五千四百五十」の一言。ごめん、そこは別に時分表記でもよかった。
とにかく、今は死源侵入からだいたい七時間。無駄に正確な侭の体内時計を信じるなら、二十時を五分回ったあたりだ。でも、ギルドカードの時間機能は、二十時八分を示している。意味するところは、一つ。
「時間停止だ」
フィクションでもそうは見ない超能力の究極系。あまりに理不尽だけど、この世界のラスボスにこれ以上ふさわしいものもないだろう。
天音は二重詠唱・最速詠唱・圧縮詠唱だけでなく、波状詠唱や詠唱凍結などの高等技術を編み出しています。結局普通の詠唱が一番強かったため本編ではほぼ使っていません。




