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出口の見えない平穏

【前回までの話】

白燕の塔は黒鷹の塔に支配され、ミツバは黒鷹に移った。復讐を誓い、【紅蓮】ことサクラの元で密かに力をつけるための日々が始まる。

「聞いたか? 亡霊の話」

「ああ。最近、随分と多いらしいな」

 神妙な面持ちの二人組に、一人の男が首を傾げる。

「亡霊? 多い? 何の話だ?」

 二人組は、小さな声で告げる。

「最近、不可解な失踪事件が多発しているんだよ。しかも、有力な権力者ばかりだという話だ」

「それを白燕の人間たちの亡霊だって言っているんだよ。まあ、ただの噂というか、誰かが悪ふざけで広めただけなんだろうが」

 それを聞いた男は、馬鹿馬鹿しそうに鼻で笑う。

「ったく、しょうもないな。……でも、失踪事件が多発しているのは気になるな」

「ああ、隊長たちも、そろそろ本格的な調査が必要だと考えているらしいぜ。いくら権力者ばかりが狙われているとはいえ、俺たちも他人事じゃないってことだ」

「何も情報はないのか?」

「今のところ、これと言った情報はないな。でも、亡霊ではなく人の仕業であることは間違いないはずだ」

「誘拐、あるいは殺人事件ってことか」

「ああ。とんでもなく速い犯人で、誰もその姿を補足したことがない。殺人鬼と奴隷を意味する言葉を掛け合わせて、こう呼ばれているらしいぞ」


「『Slaver』とな――」


   □ □ □


 三◯◯層 墓地区画


「ねえ、ミツバ。あれからもう、百日も経っちゃったよ」

 朝、アヤメは墓標の前で、静かに手を合わせた。墓標と言っても大層なものではなく、建築資材を作る時に出る端材で作られた、長さ十五センチほどの樹脂の板を土に突き刺しているだけだ。

 アヤメは花を手向ける。それも当然、綺麗な花ではない。既に実を付けて役目を終えた、枯れた花だ。

 他の墓標の下には、遺体が土に埋められてある。白骨化するまで土の養分となり、一年後掘り出されるのだ。土は当然農業に活用されるが、人骨すらも砕いてから建築資材に混ぜられる。無駄になる資源など、この世界には存在しない。

 だが、ミツバの墓標の下には何もない。百日前の夜、ミツバは突然姿を消した。アヤメは必死にミツバを探したが、今も見つけることはできていない。

 白燕から来た人間が失踪したところで、探す者はいない。当然墓を作るわけもなく、アヤメが見様見真似に自力で作り上げた。

「少し、嫌な予感はしていたんだ」

 アヤメは少し寂しげに、後悔した様子で語り始める。

「ミツバは優しくて真っ直ぐだから、白燕の今に耐えられないんじゃないかって」

 アヤメはミツバの性格を理解していた。責任感が強く、正義感も人一倍強い。でも、メンタルが強くないことも分かっていた。どこかに感情の逃げ場を与えてあげなければ、いつか壊れてしまうのではないか。そんな思いが心のどこかにあった。

 その感情の逃げ場が、「復讐」という形になってしまっていることを、この時のアヤメはまだ知らない。

「どうなっちゃうんだろうね、この世界」

 アヤメのその言葉には、日に日に戦闘が激化しているという意味が含まれていた。

「もう一度、会いたいよ」

 アヤメは消えるような声で、そう呟いた。


   □ □ □


 四一五層 発電区画


 眠りから覚め、ミツバはむくりと体を起こした。目の前すぐの位置に白い壁と天井が視界に入る。しかし、違和感はない。屋根裏部屋という狭く暗い空間にも、すっかりと慣れてしまった。

 ミツバは床の一部、四角にくり抜かれた部分を持ち上げ、梯子を掛けてからそれを降りた。

 下にいたのは白衣姿の男。振り返ってミツバに話しかける。

「おはよう……ってもう夕方だけどね。今日も重役出勤お疲れ様でえす」

 ミツバは心底気怠そうに目を細めた。

「黙れ変態科学者……。夜に動かなきゃいけないんだから、この時間まで寝て当然だろ」

 白衣の男は「はっはっは」と高笑いをして、自分の作業へと戻っていく。

 彼の名前はギン。年齢は四十歳前後で、身長は百八◯センチ弱で細身。丸い黒縁メガネが特徴的だ。髪の毛は強い天然パーマでくるくる丸まっており、長い前髪が少しメガネにかかっている。

 ぐおんぐおんと大きな音が響いた。この日の稼働が終わりであることを告げる音だ。

 この層は工業区画の中でも発電系の装置の製造・研究を行っている。つまり、ギンも原子力発電に関する研究者の一人であり、この部屋はその研究室というわけだ。

 研究室というだけあって、部屋は散らかっている。奥には大きなコンピューターが鎮座し、その手前には黒い汚れがこびり付いたホワイトボードがある。中央の机には何かの模型と思われる金属やプラスチックなどが散乱している。三百年前と異なるのは、紙自体の資源が貴重なため本がないことくらいか。

「……で、あんたは何をしているんだ」

 ミツバは目の前に広がっていた異様な光景を尋ねた。

「ほら、みんなに大不評だった品種改良モロヘイヤ。それにもっと不評だった牛の血ソースをかけてみたんだ」

 皿に盛られているのは、ただ焼いただけのモロヘイヤに、赤黒いソースが無造作にぶっかけられている料理と言えるのかさえ微妙な何か。生臭い匂いも充満し、こんなものを出されて食欲が増す人間はない。

「……いや、そんなもの誰が食べるんだよ」

「誰って……君に決まっているじゃないか。元々君の朝ごはんのモロヘイヤなんだから」

「はっ?」

 ミツバは眉間にシワを寄せる。ギンは悪びれることなく弁舌を振るう。

「ほら、マイナスにマイナスを掛けたらプラスになるだろう? それと同じ理論さ」

「なんでこれが掛け算なんだよ。マイナスにマイナスを足し算したらもっとマイナスになるだろうが」

「おお、やっぱり君は賢いねえ。今からでも研究者にならないかい?」

 その飄々とした態度に、ミツバの苛立ちが募る。ミツバはモロヘイヤをフォークで刺すと、乗り上げるようにギンに襲いかかった。

「あんたが食え」

「ちょっ、暴力反対! 僕が君に力で勝てるわけないじゃないか!」

 ギンが必死の抵抗を見せている最中、部屋のドアが開いた。

「今日も賑やかなのね」

 静かな口調で入って来たのはサクラ。訓練用の服装に、腰には二本のストックを携えている。

「おお、サクラくん。今日は今までで一番綺麗だねえ」

 恥ずかしげもなく浮いた言葉を告げるギンに対し、ミツバとサクラは冷ややかだった。

「それ、昨日も一昨日も言っていただろ。この変態が」

 ギンは「心外だな」と首を横に振った。

「君たちの年代はね、本当に周囲からの影響を受けやすいんだよ。良くも悪くも毎日変化しているんだ。その変化を見るのは面白いに決まっているじゃないか。これは人類の神秘だよ。男女問わずに、ね」

 だから変態じゃない、と強く強調して、最後にギンは小さく呟いた。

「人は、気高くも愚かにもなれるからね」

 気高い。その言葉はサクラを表現するのにぴったりだ。

 サクラはその圧倒的な強さから、隠密部隊の隊長を務めている、らしい。たった一人の女性隊員にして、たった十しかない部隊の隊長なのだから、特別な存在であることに間違いはない。

 戦闘員として周囲から一目置かれているサクラだが、私生活でもサクラの考えていることは読めない。

 サクラは皿に盛られた牛の血ソースモロヘイヤに目をつけると、無言で口の中へと放り込んだ。

 至って普通の表情で咀嚼し、サクラはごくりと飲み込む。ミツバはぎょっと目を見開いて、恐る恐る尋ねた。

「もしかして、美味いのか?」

 サクラはそれに無表情のまま答える。

「いいえ、凄く不味いわ。こんなもの考える人の顔が見てみたい」

「うお〜‼︎ サクラくんは今日も強烈〜‼︎」

 だろうな、という気の無い返事しかすることができず、ミツバは頭を掻いた。彼は未だにいまいちサクラの思考を掴み切れていない。

 いや、別にこいつらと馴れ合うつもりもないが。

 ミツバは思い直したようにふんと鼻を鳴らすと、ドアの方へと向かう。

「今日の訓練、早く始めようぜ」

 それを聞いたサクラは、無言でミツバの後をついて行った。


   □ □ □


 ギンの研究室があるのは工業区画の端、人通りの少ない場所だ。今はもう使われていない研究棟に囲まれ、さらに電灯はあちこちで故障しているため夜でなくても若干暗い。

 今から始まるのは、毎日恒例となっているサクラとの打ち込み稽古だ。

 復讐のために裏の世界で暗躍するとしても、今のままではあまりに実力が足りていない。せめて一対一では、誰に対しても互角くらいにはなりたいところだ。

 だが、ミツバはサクラに対して全く歯が立たなかった。

 その強さの理由は、滑らかで素早い動きと読みの精度による怒涛の攻撃。全く想定していない動きで相手を翻弄し、一気に攻め落とす。実際に全員が戦っているところを見たわけではないが、戦闘部隊の誰一人サクラには敵わないのではないかとミツバは予想していた。しかし、逆にサクラを超えることができれば、概ね充分な強さを手に入れたと言うことができる。

 この百日間、ミツバはサクラから戦闘に関する様々な指導を受けてきたが、今まで戦ってきた人と比較すると別格。それ以上に表現する言葉をミツバは持ち合わせておらず、強いて言うならば「強さの底が見えない」といった感じか。

 その差は、アイクスを装備した時に歴然とする。

 アイクスを装備していない時には、まだ戦える。反応速度は大差なく、ミツバが上回る筋力の差をサクラは読みでカバーしている。

 だがアイクスを装備した瞬間、ミツバはサクラの動きを捉えられなくなる。アイクス自体の性能は同じなのに、だ。

 ミツバは以前、サクラに聞いたことがある。

「君のその速さの秘訣は何だ?」

 その時、サクラは憮然と答えた。

「そんなこと、私に分かるわけないじゃない」

 いや、そうだったな、と心の中で反省する。

 その理由は、黒鷹の塔に教育機関が存在しないからだ。

 白燕には十五歳まで学校で教育が行われていた。最低限の読み書きや計算、物理学の基礎などの知識は全員が身につけ、学校で戦闘の訓練もする。その中で各自適性を見つけ、戦闘部隊に配属される者や研究者の道に進む者、エンジニアになる者など分かれていく。

 だが、黒鷹では六歳で進むべき道が決められる。そのため、部隊に所属するサクラは簡単な数字やアルファベットくらいしか読み書きができない。

 でも、黒鷹にいる誰もそれをおかしいとは思っていない。それが文化であり、歴史であるからだ。

「面白そうな話をしているね」

 サクラの速さの理由は、知識と経験則からある程度まではミツバにも理解できていた。ただ、その話を聞いていたギンが話に加わってからは、より理論的に理解が進んだ。

 アイクスは貯めた電力をエネルギーにして加速する仕組みになっている。電気エネルギーを運動エネルギーに変換するわけだが、同じエネルギーを与えた時、その物質の質量が小さいほど速度は大きくなる。

 つまり簡単に言うと、同じ量のエネルギーを与えた時、体重の軽いサクラの方が速く加速するというわけだ。

 このスピードに関する議論は、エネルギーだけの問題ではない。

 戦闘中に左右に切り返し――ターンをするためには、そこまでに動いている運動量を打ち消さなければならない。運動量は質量×速度ベクトルで定義され、これもエネルギーと同様の理由でサクラに軍配が上がる。

 要するに、アイクス戦闘においては身長が低く体重が軽いサクラは有利になるというわけだ。

 通常、男女間には大きな身体能力の差が存在する。だが、アイクスの性能が向上すればするほど身体能力の影響は小さくなり、むしろ女性のサクラの方に有利に働き始めていた。

 けれど、戦いというものはそう簡単なものではない。逆にパワー勝負――単純な体のぶつけ合いなど――になった時にサクラに勝ち目はない。それをカバーして余りあるサクラの滑走技術があってこそだ。

 ミツバも白燕でアイクスのエンジニアの端くれをしていた身。技術者として、さらには兵士としての視点も持っている。だから両面の視点から話を咀嚼することができた。

「けれど、スピードを上げる研究をするのはオススメしないね」

 ギンが告げたそんな言葉に、思わずミツバが反応した。

「加速限界、か――」

 ギンは目を真ん丸にして、小さく笑った。

「へえ、君はそこまで知っているんだね」

 まるで知らない様子のサクラに対して、ギンが補足を加える。

「アイクスの研究者が長年苦しんでいることさ」

 アイクスも歴史は長く、速度は既に限界と言えるところまで来ていた。過去はアイクスの性能次第で勝負が決まることが多かったが、今は速度で差が付かずそれ以外の何かが勝敗を分かつことが増えた。

 ミツバはパワーがあるタイプではない。けれど、サクラほどの滑走技術はない。


 自分には何かあるだろうか。いざという時、自分を守る何かが。


 いや、あるかじゃない。作らなければならない。

 今はまだ爪を研ぐ時間。どこまで黒鷹に復讐できるか分からないが、必ず一矢報いてやる。

「そういえば、明日は部隊に同行してもらうから、七時起きね」

 突如サクラから飛び出た言葉に、思考に更けていたミツバは不意を突かれた。

「はっ?」

 思わずミツバの眉間にシワが寄る。そんな話は初耳だ。しかも、朝が早い。

「今日の調査はどうするんだ? 深夜にこなして、そのまま朝来いと? いや、そもそも俺なんかが部隊に合流したらバレるだろ?」

 湧き出た疑問をそのままぶつけると、サクラは困った様子で眉を八の字に曲げた。

「……考えていなかったわ」

 しかし、サクラは謎に自信に満ちた表情で、小さく頷いた。

「でも、多分大丈夫よ。あなたを死なせはしないから」

 両者沈黙。

「……分かった。言う通りにするよ」

 折れるのはいつもミツバの方だ。

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