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理不尽かつ合理的な世界

 大規模な地盤沈下を引き起こすほどの大爆発。核燃料は海の底へ沈み、それでも核分裂反応を続けた。

 では、核燃料が持つ膨大なエネルギーはどこへ? 答えは単純だ。

 海水を無尽蔵に蒸発させ、雲となり地球の空を覆い尽くしたのだ。

 陽の光が届かなくなった地球は一気に寒冷化。雲は雪の結晶となり、三百年もの間、雪はずっと降り続けている。


 その雪が、綺麗なはずはない。


 放射能汚染された、『死の雪』だ。


 いつからか、この雪は『ニュークリア・スノウ(放射能汚染された雪)』と呼ばれている。


 この雪の世界で生き残るために、人間は六つの塔を建造してそこに閉じ篭もった。

 そして、塔を伸ばし続ける。雪に埋もれて死なないために。

 直径約八百メートル・高さ三千メートル以上の円筒形の塔に、百万をゆうに超える人々が生きている。これは十世代以上に渡る先人たちの努力の結晶だった。

 最初の頃は良かった。塔同士で協力しながら、必死に膨大な資源を集めて貯蓄した。

 だが、全ての山が雪に埋れてからは地獄だ。貯蓄した資源を奪い合う戦い。

 弱者に待っているのは搾取だけ。食糧、建築資材、技術者は特に価値が高い。

 白燕(はくえん)の塔は、黒鷹(こくおう)の塔に支配された。

「ミツバ!」

 一人の少女が、男の元に駆け寄る。男の胸に額を当て、縋り付くように言葉を溢した。

「生きていたんだね……」

 彼女の名前はアヤメ。くりくりとした丸い瞳と、真っ黒な肩くらいまでのボブヘアーが特徴的だ。身長は百五◯センチほどの小柄。

 対する男は、苦虫を噛むようにシワを寄せると、震える声で答える。

「ああ……けど、みんなは生きているかどうか……」

 彼の名前はミツバ。中肉中背で大きな身体的特徴はなく、強いて言えばやや童顔なくらいか。髪の毛は少しだけ茶色がかっている。二人は同い年の幼馴染だった。

 アヤメはミツバの表情を窺いながら、恐る恐る尋ねる。

「お母さんたちは……?」

「そうか、アヤメは見ていないのか……」

 ミツバのその言葉に、一瞬にしてアヤメの顔が歪む。ミツバは素早く首を横に振った。

「いや、そうじゃない。大丈夫だ。まだしばらくは働かされるだろう。きっとすぐには殺されない」

 その言葉を聞いて、アヤメはほんの少しだけ落ち着きを取り戻す。

 だが、ミツバの心は決して落ち着いていなかった。

 脳裏に浮かんでいたのは、もっと年配の人たちのこと。

 ミツバがこの黒鷹の塔に連行されるバスの中で見た景色。それは、白燕の塔の頂上から突き落とされる老人たちだった。

 塔は雪からは百メートル近く突き出ている。いくら雪上とはいえ、落ちた人間に命はない。

 命の選別。この過酷な世界で、必要なことくらい理解している。

 だが、その無慈悲なやり方に、ミツバは途方もない憤りを感じていた。

「私たち、一体どうなっちゃうんだろうね……」

 アヤメのその言葉に、ミツバは何も答えることができなかった。


   □ □ □


 四八七層 居住区画


 ミツバは一つの鍵を手渡された。そこに書いてあったのは、それぞれが暮らすための部屋の番号だ。

 集合住宅らしく、十人ほどで同じ場所へと向かう。ただ、空気は最悪。誰も口を開くことはなかった。

 東西南北には各八基のエレベーターが設置されている。ミツバはその一つから降りると、街の中に設置されている地図を参考にしながら真っ直ぐに歩みを進めた。

 網目のように真っ直ぐな道路が交差されている。白燕の塔とほとんど変わらない居住区画の構造だ。

 しっかりとした街並みが形成されているが、既に人が引き払った後なのか、ぶらぶらと街を散歩するような人はいない。ただの閑散とした住宅街といった感じで。

 既に夜は更け、町は真っ暗だ。と言っても、塔の中に太陽の光が差し込むわけではない。人間の体内時計が狂わないように、塔全体の街灯の光量を調整している。

 道に等間隔に設置されている街灯を頼りに、指定された場所へと向かう。エレベーターから最も遠い層の中央あたりに、今後ミツバの暮らす建物はあった。集合住宅といった雰囲気で、その一階――エントランスと思われるところから入ると、中には誰もいなかった。

 左右にたくさんの部屋が並んでおり、ドアには部屋番号が記載されている。各々が無言のまま自分の番号のところへ移動し、それに促されるようにミツバも自分の鍵に書かれた番号の部屋に入った。

 あるのは小さなワンルーム。四畳半のサイズで、布団とテーブルだけが置いてある。だが、それほど汚くはなかった。

 水道やトイレは共有スペースになっている。ミツバは試しに水道の蛇口をひねってみると、確かに綺麗な水が流れ出てきた。

 まるで、準備されていたかのようだった。

「(白燕よりは随分と汚いし狭いが、思ったよりも酷くはない? ライフラインは整っているし、プライベートも守られている。一応人権は保障されているのか?)」

 いや、とミツバに疑問符が浮かぶ。

 そもそも白燕から連れて来た人間に対する警戒が薄くないか、と。

 バスの中では手錠を掛けられていたが、この黒鷹の塔に着いた直後、何も言わずに手錠は外された。共通の衣服を与えられているため白燕出身ということは誰でも認識できるが、服を盗めばそんなことは分からなくなるし、いくら武器を持っていないからといって、反乱まではいかなくとも暴れ出す人間がいてもおかしくはない。

 黒鷹は何を考えている?

 そんな思考をかき消すかのように、ぐうとミツバの腹が鳴った。周囲を見るが、食べ物はない。

 食堂の場所は地図に書いてあったが、わざわざそこへ行く気はしなかった。

 ミツバは古びた布団に寝転がると、そのままうずくまるように目を閉じる。

 翌日、朝七時。大きな鐘の放送によって、ミツバは目を覚ました。

 戦闘の疲れもあってかすぐに眠りに落ち、夜中は一度も目が覚めなかったようだ。

 前日の敗戦は夢だったのか。そんな寝ぼけも、見慣れない部屋を目の当たりにして一瞬で覚める。

 やはり食事を摂る気にはなれず、しばらくぼーっと床を見つめていた。


   □ □ □


 四五◯層 訓練区画


 手前と奥に出入り口があり、中央には円形の空間。その周囲には、同じく同心円状の階段が続いている。

 さながら、円形闘技場といったところか。

 屈強そうな男たちがストックを携え、中央に集まっていた。兵士たちがミーティングでもしているところで、彼らは時折こちらに視線を移す。少しだけ警戒感を持ったそんな空気の中、ミツバは独りで端に集まっている別の集団の元へ向かった。

 同じ共同住宅の人間たちはまとまって行動していたようだが、ミツバは同行しなかった。いや、できなかった。

 集められているのは当然、白燕から連れて来られた若い男たちだ。人数は五◯人ほど。深い関わりがあった人はおらず、居心地の悪さは否めない。その全員が重く、暗い表情だ。

 自分が守れなかった人間たち。彼らを見て、ミツバの心臓がみしりと痛む。それに抗う術はなく、ただ拳を握るしかできない。

 指定された時間から十五分ほど経った時、一人の男がその場に現れた。周囲の若い男たちが大声で挨拶をする様子から、すぐにその序列の高さが見て取れる。

 身長一八◯センチを超える長身。男ながら腰くらいまである長い黒髪を後ろで結んでおり、キリッとした細い目が周囲に圧倒的な緊張感を与えていた。

「副隊長のソウマだ」

 低く重厚感のある声。表情筋はぴくりとも動かず、無愛想に口だけが動く話し方だ。

「諸君にはこれから毎日、指示された仕事をしてもらう」

 肉体労働をする旨の話。ただ物を運んだりするような単純労働だ。細かい説明はここではなく、ただその場にいる管理者たちの指示に順次従えというだけ。

 その話の最中、二人の後ろで訓練している兵士たちの訓練の様子がミツバの目に入った。

 既にウォーミングアップを終え、打ち合いの稽古のようだ。

 その様子に、ミツバは静かに息を飲んだ。

 素早い動きで両手に持ったストックを振るい、激しい剣の応酬が繰り広げられている。稽古のため刃は出していないが、当たれば打撲は免れないだろう。

 強い。いや、鬼気迫る、という表現が正しい。そこに、ミツバは白燕との差を感じた。

「(向こうでこんなに激しい稽古は無かった……)」

 白燕ではいつも笑顔が絶えなかった。仲間たちの笑顔が脳裏に思い浮かび、再び酷く胸が締め付けられる。

 訓練を舐めていたつもりはない。いつも全力で、強くなることを目指していた。

 でも、価値観や文化といったものから、白燕と黒鷹では違うのかもしれない。ミツバはそれだけの差を感じた。

 刹那、ミツバの前に座っていた男が咳をした。

「どうした、体調が悪いのか?」

 表情を変えず、ソウマが尋ねる。咳をした男の顔は紅潮しており、呼吸は少し荒い。

「は、はい……昨日から少々熱っぽくて」

「そうか――」


 一閃。

 男の首が、斬り飛ばされた。


 後ろにいたミツバの顔に向かって、鮮血が激しく飛び散った。それから、ゆっくりと床に広がっていく。周囲の人間は、ほとんどが動けない。

 理解が追いつかない。油断していたせいか、剣を握るところも、刃を出すところも見えなかった。

 ソウマの剣からは、今もポタポタとドス黒い血が滴り落ちている。

「そこのお前、これをそこのダクトにぶち込め。おい、聞いているのか」

 はっと意識を取り戻し、ミツバはようやく自分に言われていることを認識した。吐きそうになるのを必死に堪え、すぐさま遺体の頭を拾い上げる。

 ソウマは冷静に、そして、冷酷に言い放つ。


「勘違いしている者がいるから言っておく」


 甘かった――


「貴様らの命は建築資材未満の価値しかない」


 自由を与えていたのも、当然だった。

 だって、いつでも殺せるから。

 それは、ただの家畜と同じ。

 あの日、敗北した時から、運命は全て決まっていたのだ。

 ミツバは言われるがままダクトに頭部を入れる。ガンガンと数回音を立てながら、遥か下へと落ちていった。

 真っ赤に染まる手を見つめ、嫌なほど思い知らされる。

 

 この世界に救いなんてなかった、と――


   * * *


 四一◯層 工業区画


 至るところに鉄骨が剥き出しの建物が並び、そこから排気用の巨大なダクトが塔の外周へと伸びている。白や茶色を基調とした他の区画とは明らかに雰囲気が異なり、黒と鈍色が目立つ。

 ここは金属の製錬や武器の製造、建築資材の加工などを行う工業区画だ。

 巨大な倉庫のような建物に、ミツバは荷車を運び込んでいた。あらゆる金属片がそこらじゅうに散乱しており、床も油でヌルヌルしている。

 でも、ミツバはその光景も、匂いも、全て嫌いではない。

 人の気配を感じて向かった先に、ミツバは白燕での兄貴分を見つけた。

「スギさん……生きてたんだね……」

「へへっ、勝手に殺すなって」

 からっとと笑みを浮かべるスギ。だがすぐに、噛み締めるように続けた。

「でも、ミツバ、お前が生きているとは思わなかった……本当に良かった……」

 その言葉に、ついミツバの目頭も熱くなる。スギが生きていたという事実に安堵すると共に、彼の周囲に存在する物を見てミツバは納得した。

「(いや、当然か……アイクスを整備できる人材は貴重だ)」

 スキー型の戦闘装備兼移動手段、『アイクス(Iks)』。それは今やこの世界に不可欠なものだ。板の底には高速で回転するタイヤが存在し、ただ滑降するだけでなく上り坂でも登ることが可能になった。ストックに付いたアクセルとブレーキでスピードを制御し、さらにストックはボタン一つで双剣に変化する。

 この雪が降り止まない世界でも高速戦闘を可能にした、遥か昔の天才が作り出した大発明品。

 口では簡単に説明できるが、アイクスの制御はそう単純ではない。ただスキー板にタイヤを付けて加速をさせれば、慣性の法則で足だけが前に進んでしまい、体はひっくり返るだろう。

 そのため、アイクスは大きく前傾して乗るような機構になっている。足首とスキー板の角度も垂直ではなく、やや前のめり。そして基本的に急加速はできない。それでも最初に強く加速しなければならない時には、体を倒してターンをしながら斜めに進み、慣性力を横に受け流すというテクニックが必要だ。

 わずかな速度の違いでもバランスを崩すため、アイクスの制御システムは非常に複雑かつ高精度を誇る。白燕の塔を支配した黒鷹にとって、アイクスの優秀な技術者であるスギを生かさない手はなかった。

 作業をぼーっと見つめていたミツバに、スギが尋ねる。

「なんだ?」

「ごめん、俺らが負けたから……白燕は……」

「ばぁか」

 スギはミツバの言葉を遮るように額にデコピンを放つ。そして、磨き終わったアイクスを地面に置いた。荷車に乗っているボロボロのアイクスとは大違いで、惚れ惚れするほどの光沢と艶だ。

「お前は……人は……生きているだけでいいんだ」

 スギはしみじみとした様子でアイクスを見つめると、おもむろに口を開いた。

「そうだ……お前もエンジニアとして雇って貰えないか交渉してみたらどうだ?」

 スギの言うことは正しい。奴隷のような扱いをされるよりも、ずっと良い環境で働ける可能性が高い。

「実は、一回言ってみたんだ」

「向こうはなんて?」

「戦闘員とエンジニアを両方やれる人間なんている訳がないって門前払いだったよ」

「そう……か」

 スギは顎髭を触ってしばらく考えたが、それ以上は何も言わなかった。

 沈黙が流れる。スギは整備していたアイクスを撫でてから呟いた。

「オレは、こいつらが可哀想でならない」

「…………なんで?」

 スギはアイクスを優しく撫でながら続けた。

「アイクスは最初、優秀な移動手段として発明されたんだ。雪に埋もれる前の建築資材を片っ端から集め、結果的に多くの命を救った。なのに、今の人間は戦う道具としか思っちゃいない」

 ミツバは口を真一文字に結び、悔しそうに呟く。


「アイクスは、人を殺すためのものに成り果てた」


 その言葉に、ミツバはただ息を飲むことしかできなかった。


   □ □ □


 三六三層 農業区画


「あっ、ミツバ」

 ぱたぱたと駆け寄ったアヤメは、ニッコリと無垢な笑みを浮かべる。

「作物を運ぶために白燕の人を送るって言われたけど、ミツバだったんだ」

 ミツバは周囲を見渡した。そこには水耕栽培の設備が整っている。水を張り巡らせた水路のような作地。陽の光の代わりにLEDライトを使って植物に光を与えている。

「農業区画に来るのは初めてだな…」

「あ、そっか。でも、設備に関しては向こうと全然変わらないよ?」

「そう、か」

「電気で植物を作るんだよな?」

「うん」

 作物の種類は決して多様ではない。穀物は米のみで、野菜に関してはモロヘイヤ、しそ、ほうれん草などグラム当たりの栄養価が高い野菜のみが育てられている。

 多様性とは、効率化とは対極に存在するものだ。

 資源が少ないこの世界では、常に物事を効率化・最適化する必要があった。例えば、


 人が死ねば、土に埋めて肥料にする。


 人を構成するわずかな窒素原子も土に吸収させて植物の栄養にし、再び人が摂取するのだ。そうやって窒素原子のサイクルを回す必要がある。

 人道や道徳という概念も、この三百年で大幅に変わってしまった。

「ねえ、皮肉だと思わない?」

 肥料を運び終えたミツバに向かって、不意にアヤメが語りかけた。

「何が?」

「だって、原子力が私たち人間の自由な生活を奪ったのに、私たちは今、原子力発電によるエネルギーで生活をしているんだよ」

 この作物を作るためのライトも、寒い塔の中を温めるヒーターも、全て原子力発電による電気で成り立っている。先人たちは塔を建造する過程で膨大な量の核燃料物質を貯蔵し、それを今も消費し続けて人類は生存している。

 厳密に言うと、ここで行われているのはプルサーマル発電と呼ばれるものだ。ウランを使用した時に出てくるプルトニウムをさらに燃料とする。一見メリットばかりのように思えるが、プルトニウムは非常に不安定な物質だ。実際に発電する時には、ウランと少量のプルトニウムを燃料にし、細心の注意を払わなければならない。

 もちろん、塔の内部ではバイオマス発電など複数の発電方法を持ってはいる。けれど、三百年間ずっと、電力の九割以上は原子力が賄い続けた。

 もしも塔から核燃料が無くなったら、おそらく五年持たずに人類は滅亡するだろう。その核燃料も三百年前に大量に貯蓄したものを切り崩して使用しているわけで。

「でも、それ以外に大量の電気を作る方法はないだろ。電気がなければ作物も作れない。作物が作れなければ、酪農もできない」

 ミツバの正論に、アヤメは寂しそうな表情で告げた。

「そう。だから皮肉。結局生きるためには、何かを諦めるしかないんだよね」

 諦める順は大体、慣例や矜恃といったものから。そして、弱いものが切り捨てられる。

 ああ、まただ。

 ミツバはどうしようもない無力感を、ぐっと奥歯で噛み締めた。


   □ □ □


 それからもミツバは、物資などを運びながら塔の各層を回った。戦闘員として働いていた時には見ることもなかった場所を、白燕ではなく黒鷹で見ることになるとは思っていなかった。

 酪農区画では鶏・豚・牛を飼っていた。鼻腔を突き刺すような糞の匂いは、想像以上にキツかった。

 発電区画では天井まで到達しそうな高さの原発プラントが何台も並んでおり、空気ダクトが迷路のように張り巡らされていた。

 そして、塔の最上層。ここでは塔をさらに高くするべく、常に建築が続けられていた。

 足場を組み、円筒形の塔の側面を作っていく。塔の断面を円形にしている理由は、外部からの圧力に強い構造だからだ。三千メートルを超える塔は、ただ自立しているだけではない。周囲の雪を押し固めて、塔の支えとしている。だが、支えとなる分、周囲から落ち潰されたら一巻の終わりだ。そうならないために、正確な寸法で調整をする必要がある。ちなみに円柱状の塔の形も、この圧力が一箇所に集中しないための工夫だ。

 素材は石材と合成樹脂と重金属。石材の隙間を弾性力のある合成樹脂で埋め、外部からの圧力に強くしている。重金属の目的は放射線からの防護。鉛などを薄くして間に挟むだけで、大幅な放射線のカットが期待できる。

 だが、その職場環境は想像以上に劣悪だった。

 まずは場所が外であること。寒冷化したこの世界の寒さと放射線の恐怖に、常に晒され続けている。一応その対策として、塔の天辺には傘のような構造が存在する。そのため直接『ニュークリア・スノウ』の影響を受けるわけではないが、数年、数十年単位で見たら少なからず影響を受けているだろう。

 そんな中、ミツバたちは馬車馬のように資材を運ばされた。数十キロもある物を運ぶ経験はなかったミツバは、最初資材を持ち上げることができなかった。重い物を運ぶのにもテクニックが必要なようで、少し傾けてから腰を使って持ち上げなければならない。

 一段外壁を作ったら、塔を覆う傘型の巨大な屋根をジャッキで持ち上げる。それを幾多も繰り返し、少しずつ塔を高くするのだ。

 そして、作業は精密さが求められる。三千メートルもの高さのため、わずかなズレが後世に影響を及ぼすからだ。塔は先人たちの血の滲むような正確性によって直立していた。

 塔の最上層に配置された初日の休憩時間、一人の大工の男がミツバに水を手渡しに来た。地面に座っていたミツバの隣に、どっと腰を下ろす。

「あんた、向こうで戦闘員だったんだろ?」

 投げかけられた問いに、ミツバは質問で返した。

「もしかして、あなたも白燕の……」

 視界の奥で、雪が上から降ってきた。傘には車のワイパーのようなものが設置されているらしく、定期的に積もっていた雪が落とされる。

「なかなかキツいよな。急に違う塔に連れてこられて雑用なんて」

「すみません……俺らが不甲斐ないばかりに」

「別に責めているわけじゃない」

 口調や表情は優しいわけではないが、ミツバはどこか暖かさを感じた。

 しばらく沈黙が流れる。その後で、大工の男がおもむろに口を開いた。

「なあ、塔が雪に埋もれたらどうなるか知ってるか?」

 今度は大工側から唐突に投げ掛けられた問いに、ミツバは首を横に振った。

「白燕の頃の棟梁が教えてくれたんだけどよお」

 大工は寂しそうな表情で天を見上げる。塔の傘は所々がガラス張りになっており、ちょうどワイパーが雪を落とした時に鈍色の曇天が見えた。

「すぐには死なねえ。でもな、徐々に酸素の濃度が薄くなっていくらしい。まあ、それでもまだ死なねえ。ただいつか、突然、雪の重みで天井が崩れてペシャンコだ」

 大工がどれだけの根拠を持ってその話をしたのかはミツバには分からなかった。噂程度の眉唾ものかもしれない。

 けれど、強く考えさせられる。


 この雪の中に、一体どれだけの命が埋まっているのだろうか、と。


 その瞬間、地響きが鳴った。わずかに足下と尻に振動が伝わってくる。

「最近、多いですよね」

「噂をすれば、か」

 えっ、とミツバは疑問符を浮かべる。

「これは大昔に建設されていた建造物が崩壊する音らしいぜ」

 一時の沈黙。大工は続ける。

「だからな、俺らはそうならないために必死に働いていた。塔を造っているだけじゃない。みんなの安心を作ってたんだ。それだけが生きがいだった」

 ミツバは息を飲み、大工の苦笑いを黙って見つめた。

「でも今は……なんか自分でもよく分かんねえや」


   * * *


 元白燕のミツバたちの扱いは、決して酷いものではなかった。訓練区画での一件はあくまで見せしめであったかのように、それから誰かが殺されるということもなかった。

 一日、一週間、一ヶ月と時が過ぎていく。

 だが、ミツバの心が晴れることはなかった。

 ただゆっくりと、ゆっくりと何かが消えていくようで。何かを受け入れる度に、何かを失っていく。白燕の頃の記憶も少しずつ、泡のように淡く消えていくのを感じていた。

『なんだ、今日は随分とコテンパンにやられたみてえだな!』

 自分の部屋に入った瞬間、そんな父親の声が聞こえた気がした。

 だが、すぐに理解する。それはただの幻聴で、白燕のあの頃に戻る術はないと。

 少し乱暴だが愛情表現が大きい父も、それを側でそっと見つめる母も。もう会えることはないだろう。いつ殺されてもおかしくない場所で、きっと懸命に生きている。

 もう自分には何も残っていない。いっそ自分も向こうに居たかったと何度も思った。

 なぜあの時、白燕が黒鷹に制圧された日、自分は生き延びてしまったのだろうか。

 それを問い続けている。あの日多くの仲間と共に死んでいたら、どれだけ楽だっただろうか。

 生き残ってしまった意味を、ずっと探していた。

 何かが変われ。何かが変われと思いながら。

 だって、生きる意味が無いのなら、自分が馬鹿みたいじゃないか。

 ただ苦しむためだけに生きてしまっている愚かな道化ではないか。

 きっと生き残った意味があるはずなんだ。

 そう思っていた。そう思わずにはいられなかった。

 その考えも、少しずつ浸食されるように毒されていって。

 肉体に残る疲労感によって、思考がマイナスの方向に揺れていく。希望の色が消えていく。

 何か厳密なきっかけがあったわけではなかった。

 最後は至極当然のように、その決意は硬いものになっていた。

 もういいだろう、と。

 この先の未来、何かが変わるとは到底思えず。

 ミツバは部屋を出て夜道を進んだ。両手をポケットに入れ、背筋は曲がったまま、街灯の光が当たらない道の端をゆっくりと歩んでいく。

 不思議と、夜の街の光が鮮やかに見えた。


 そして、エレベーターで塔の最上階へと向かった。


   □ □ □


 建設途中の塔のへりに、ミツバは立っていた。そこから見えるのは、濃い灰色の空と真っ黒な地面。灯りのない外は、常に暗闇に包まれている。

 塔の最上階から、遥か下方を見下ろす。高さは百メートル以上。当然、ここに手すりのようなものはない。

 楽になる方法なんて簡単だった。それは最初から理解していた。

 ミツバの足が、さらに一歩外に近づく。震えのようなものは無かった。

 ふうと大きく息を吐いた。寒さで息は白く染まる。

 下を向きながら、ゆっくりと、右足を前に踏み出した。

 その刹那、ほのかに明るい光が視界を照らした。ミツバは顔を上げる。

 あったのは、金色に輝く球体――月だ。雲のわずかな隙間から覗く月が、眩しいくらいの光でミツバを照らしていた。

 ミツバだけではない。月明かりに照らされた雪は純白の色を取り戻し、きらきらと光が瞬いていた。

 三百年前の人間が見たら、「絶景」と口を揃えて言っただろう。けれど、自然に対して美しいと思う感情は、この三百年で完全に失われてしまった。

「珍しい。月が見えるなんて」

 真横から澄んだ声が聞こえた。それに反応し、ミツバがゆっくりと振り向く。

 五メートルくらい先、塔の外壁に座っていたのは一人の少女。彼女は二本の剣――アイクスを胸に抱え、両足を塔の外に投げ出していた。

 肉体はまるで全ての贅肉を削ぎ落としたかのように細い。けれどもそのぴんとした背筋、時折吹く強風にも微動だにしない様子から、体幹の良さが窺える。腰まで伸びた色素の薄い髪は絹のように滑らかで、目鼻立ちのくっきりとした顔立ちが月の光で浮かび上がっている。今までに出会った人とはどこか異質で、ミツバは同じ人間ではないような儚い印象を受けた。

 ミツバの中に、強い疑念が湧く。今彼女が発した声と、あの日聞こえた男声と言うにはあまりに無理がある声。その二つがミツバの脳内で強烈に結び付いている。

 彼女の持つアイクスの鍔に視線を落とした瞬間、その疑念は確信に変わる。それは練習用のストックではなかった。

 炎を象った赤色の鍔。

 嫌でもミツバの記憶が呼び起こされる。あの日、白燕が敗北した最大の要因だ。

「【紅蓮】……」

【紅蓮】という名称で名高い黒鷹のエース。そして、ミツバが敗北した因縁の宿敵。

 彼女は全く身に覚えがない様子で、首を横に小さく傾げた。それも当然だ。あの時の二人の対戦は互角とは言い難く、数的有利を簡単に返された。

「私の名前はサクラ。【紅蓮】っていうのは、私の通り名かしら」

 けれど、ミツバの心の中に、もう強い憎しみの感情は残っていなかった。いろんなものを失った過程で、どこかに置いてきてしまったものだ。

 いや、そもそもこの状況で感情的になるほど、ミツバは理性を失っていなかったとも言える。

「あなたは……死ぬつもりなの?」

 全て見透かしたようなその問いに、ミツバはすぐには答えなかった。サクラの真意も分からず、ただ沈黙が流れる。

「答える必要があるか?」

 何と答えるべきか決めあぐねたミツバは、ぶっきらぼうにそう答えた。

「死ぬつもりがないなら特に何もないけど」

「けど?」

「死ぬつもりなら、私はあなたを止めるわ」

 なぜ。

 そう疑問符を浮かべたミツバに対し、サクラは続けた。

「死ぬことは、罪だもの」

 サクラの言葉は正しかった。

 人は生まれてから成長するために、多大な資源を消費している。それは後に大人として働くための先行投資とも言えて。だから社会としては簡単に死なれては困るのだ。

 殺すことは罪。それと同じくらいに『死ぬことも罪』とされてきた。

 よって、自死は特に重い罪とされている。それは白燕も黒鷹も同じだった。

「ここには俺の家族もいない。罪に問われたところで、罰せられないだろう」

 死者の罪は家族や親しい人間に分配される。そうやって自死を縛り付けてきた。

「それでも、私はあなたを止めるわ」

「どうして?」

 一拍溜めてから、サクラは淡白に答えた。

「人が死ぬのを見るのは、嫌いなの」

 ふうん、とミツバは目を細める。

 皮肉なのか、それとも純粋に言っているのか。

 仮に直接的でなくとも、多くの命を奪っていると言える【紅蓮】のその思いがけない言葉。冗談には見えないが、それも関係ない。

 ミツバを縛り付けるものは何もない。サクラにミツバを止めることはできない。

 故郷の塔を支配され、異郷の塔で奴隷扱い。生きる目的も見つからないただ与えられた生であり、それは家畜と同じだ。

 生きる理由や目的を失ったミツバの中に、ふと一つの問いが生まれる。

 それは、ただ純粋な好奇心。あの世へと向かう自らへの手向けとして、ミツバはサクラに尋ねた。

「君は、何のために戦っているんだ?」

 サクラは微動だにせず、ミツバを見つめたままだ。ミツバはそのまま続ける。

「生きる意味はなんだ? どうしていたら……君みたいに強くなれていたんだ?」

 最後はまるで惜しむように告げられたその言葉に、サクラはミツバのことを理解したようだった。

 しばしの沈黙が流れる。そして、少しだけ考えた様子を見せた後で、サクラはゆっくりと口を開いた。

「簡単だよ――」

 実に真っ直ぐに、冷たい口調で。


「何のために戦うか。そんなこと考えているから、あなたは弱いんだよ」


「っ!」

 思わず、ミツバの口から微笑が溢れた。自らを嘲るように。

 ああ。これは敵わないな、と。

「白燕は随分と甘い道徳を教えているんだね。生きることに意味? そんなものあるわけない。生きることを目的にする。それができない人間は、すぐに死ぬ」

 サクラは実に淡々と、冷酷に告げた。

「生きることは、そんなに簡単なことじゃない」

 怒りを覚えているのか。そう思ったが、彼女の表情は微動だにしない。

 瞬間、ミツバの首元にサクラの剣が突きつけられた。

「一度、死んでみる?」

 ぐっと首元に近づけられた鈍色の刃に、ミツバの背筋に寒気が走る。血が通っているとは思えないその冷たい視線は、いつでも自分の首を斬り落としそうに思えた。

 だが、ミツバの中に恐怖はなかった。だって、自ら命を捨てようとしていたのだから。

 二人の視線が交錯し、じりっとした沈黙が生じる。

 その沈黙を破ったのは、ミツバの方だった。

「殺せよ」

 元より、死を覚悟していた人間だ。

 自死を選ぶよりも、誰かに殺された方がよっぽどマシに思えた。

「嫌よ。罪に問われたくないもの」

 即答だった。

「なんだよ……じゃあ、やっぱり自ら死を選ぶしかないじゃないか」

 すると、再びミツバの首に剣が突きつけられた。

「言ったでしょう? 私は、あなたを死なせない」

 言っていることとやっていることの辻褄がまるで合っていない。

 訳の分からないこの状況に、ミツバの脳は少しずつ麻痺してきていた。

 死へのカウントダウンを始めていた。ミツバはただそれに身を委ねるだけだった。

 けれど、サクラという異物の登場で、少しずつ潮目が変わり始めていた。

 サクラは突きつけていた剣を、突如ミツバに放り投げた。それに反応して掴んだミツバに対して、もう一本のストックを手に言い放つ。

「どうしても生きる意味が欲しいというのなら、私が与えてあげてもいい」

 突如発生した好機に、ミツバの思考はパンクした。

 けれど、無意識の内に剣を構えていた。それは戦士としての本能とも言える。

 そして、失われていた感情がふつふつと呼び起こされるのを感じた。

 自分に対する怒りと悔しさと情けなさが混ざり合った感情に、ミツバの左の拳が震える。

 それをぶつける相手は、目の前にしかいなかった。

 刹那、サクラの斬撃がミツバの眼前を襲う。それをミツバは右手に持った剣で上に弾いた。ミツバも深く腰を落とし、横方向に薙ぐ。だが、サクラはバックステップでそれを躱した。

 塔最上階での、真夜中の剣戟が始まる。聞こえるのは剣の交わる金属音と足音、そしてミツバの荒れた息だけだった。

 アイクスなしの、純粋なフィジカルでの戦い。雪上での戦いを思い出し、ミツバは勝ち目があると踏んでいた。

 けれど、終始サクラに分があった。

 ミツバの斬撃は見切られ、完全にいなされる。一方、サクラの攻撃は的確にミツバの隙を突き、徐々に押し込まれていった。

「戦闘の基本がなってないね」

 不意にサクラが溢した。息の荒れたミツバに答える余裕はない。

「戦闘の全ては間合いに帰結する。身体能力も剣術も駆け引きも、アイクスすらも間合いを調整する道具の一つでしかない」

 まるで指導稽古のような状況に、ミツバは眦を釣り上げた。

 ただ本能に身を任せて剣を振るう。

 けれど、数分前のただ無気力に命を投げようとしていた時とは違った。

「クソッ!」

 がむしゃらに一歩前に出たミツバの眼前に、サクラの剣が迫っていた。

 咄嗟に体を反転させたミツバだったが、バランスを崩して思い切り尻餅をついてしまう。サクラはミツバを見下ろして告げた。

「そして、最も速い――間合いを詰められる攻撃は、突きだよ」

 その時、既にミツバの感情は半壊していた。悔しいとかそういう類の感情ではない。ただ現実を受け入れる。これが自身の現在地点なのだと。

 サクラはすっと剣を地面に下ろした。カツンという金属と石が衝突した音が響く。

「生きる意味なんて、要らない。力があれば、世界はあなたを無視できなくなる」

 どういうことだ、とミツバが尋ねる前に、サクラは続けた。

「この世界は、何かを隠している」

 この時のミツバには、その理由を聞く意味はなかった。

「私の目的のために、あなたは私の駒になるの。あなたは今日ここで自害したことになり、それから表に姿を見せることはない。裏の世界に蔓延る闇と共に生きることになる」

 表の世界では死に、裏の世界に住人になれ。それがサクラの提案だった。

 サクラが言った「一度死んでみる?」の言葉は、冗談ではなかったらしい。

「でもその代わり、私はあなたにできる限りのことを教える。あなたは強くなるためだけに生きれば良いの」

 一度死ねば、何かが変わるだろうか。強くなった先に、一体何があるって言うのか。

 まるで理解なんてできやしない。

 けれど。


 生きる意味なんて要らない。


 そう言われた瞬間、心が軽くなったのはなぜだ。


 不条理にただ屈するだけはもうやめだ。

 だけど、俺にできることは、無様に戦うことくらいしかない。

 アイクスの整備も、電気を生み出すことも、塔の建築も、野菜を作ることすらできないのだから。

 ならば、それでいい。何だってやってやる。無様に戦って、無様に生き残って、無様に強くなってやる。


 今は、それでいい。


 白燕はまだ、死んでない。


 白燕にある物資を完全に移すまでには、かなりの時間を要する。それまで白燕が無くなる事はない。

 サクラを利用すれば、力を手に入れられるだろう。武器も手に入れられるだろう。

 一矢報いる可能性の目が遥かに高まった。

 冷静に、論理的に考えて、それが最善だと判断した。


 全てを諦めた時に、こんな好機が生まれるとは、なんて皮肉だろうか。


 黒鷹の手先になんかならない。

 身も心も黒鷹に染まってまで――生きる意味を失ってまで生きる価値はない。

 俺は、最期まで白燕の男として生きる。何かを成し遂げる。

 結局、生きる希望なんて、強い感情からしか生まれない。

 俺にとって、それが復讐だっただけ。


 俺が誰よりも強くなった時、それが黒鷹の最期だ。



 これは、理不尽な世界に抗う一人の少年の物語――


一応いろんな疑問に対する返答は容易しているつもりなので、何か設定に疑問があればご質問ください。

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