第四十章
「なんで豹がいるんだよ! 後、そこのお姉さん誰!? とりあえずラクダから降りて!」
Agの工房から引き上げ、帰宅した直巳を待っていたのは、涙目のつばめと、彼女に付き従う大きな豹と、ラクダに乗った美女だった。
豹はフラウロス。ラクダに乗った美女はグレモリイだ。ちなみに、つばめの肩にはカイムがとまっているため、つばめが動物使いみたいになっている。
うおー、と頭を抱える直巳に、Aがことのなりゆきを説明した。
彼らがソロモンの悪魔で、つばめの護衛と世話役だと知ると、直巳は落ち着きを取り戻し、アイシャの気づかいに感謝をした。
「まあ、弱点は弱点だしね。いつもAを付けておくわけにもいかないし」
と、アイシャは言う。ちなみに、あくまで主人はアイシャ。護衛対象がつばめ、というだけだ。つばめが悪魔使いになったわけではない。
「なおくーん、よろしくねー。私もお姉ちゃんだと思っていいのよー」
ラクダから降りたグレモリイが直巳に抱き付いてくる。バンバンに色気を振りまいている赤毛の美女なので嬉しいはずなのだが、お姉ちゃん面をされた瞬間、スッと冷静になってグレモリイを遠ざけた。
「いや、俺の姉はつばめ姉さんだけなんで。後、なおくんって呼ぶのやめてもらえます? それ、つばめ姉さんだけの呼び方なんで」
「あ、ああ……そうなの……じゃあ、普通に直巳くんで……」
直巳のマジのシスコンっぷりに悪魔が引いた。
「あと、そのラクダって消せます? 椿さんのところ、ラクダ飼ってるっていう噂立ったら、ちょっとまずいかなって」
「もう……普段は消しておくわよ。たまになら、乗っていいよね?」
「まあ……アイシャの家とか、あの辺の山とか、目立たない場所でお願いします」
「はーい。あ、この辺に砂漠ってある?」
「ねえよ」
「もうー、なおくん冷たいー。優しくしてぇー」
「だから、なおくんやめろ!」
身をくねらせながら甘えてくるグレモリイを、直巳がうっとおしそうに突き放す。
どうも直巳はグレモリイと相性が悪いようだった。その様子を見て、伊武は満足な顔をする。ストレートに美人なお姉さんで、胸も伊武の次に大きいので警戒していたのだが、この様子なら、きっと大丈夫だろう。ちなみにグレモリイは、伊武から見てもうっとおしい。
一方、フラウロスは何も言わずに寝そべっているだけだった。無口なのだろうか。というか動物は無口で当たり前なのだが。
しかしフラウロスはでかい。豹の成長限界は完全に超えている。強そうなので、つばめの護衛としては頼もしいのだが、カイムのように、目立たずに生活させることは不可能だろう。
「ねえ……豹って飼っていいんだっけ? 椿さんのところ、豹飼ってるっていう噂立ったら、かなりまずいかなって」
ただでさえ目立つ連中が出入りしているのだ。グレモリイのラクダはオプションのようなものなので消せるらしいが、フラウロスは本体なので難しいだろう。
直巳が頭を悩ましていると、フラウロスは溜め息をついた。
「うるさい小僧だ……なら、これでいいのか」
フラウロスは一瞬で、子供の豹の姿に変った。とても小さく、死ぬほど可愛い。
「これならば、目立つこともないだろう。周りには猫とでも言っておけ」
声は渋いままだったが、見た目は完全に子供の豹だ。クリクリとした目、ふわふわの毛皮、太い足。その可愛らしさに、つばめは抱きしめたい欲求が抑えきれず、はわはわと手を震わせている。
「猫か……完全にヒョウ柄だけど、足とかめっちゃ太いけど……それで押し通すか……」
まあ、悪魔なのだから、いざとなれば何とでもなるだろう。
ちなみに、所帯が増えてきたので、高宮家の屋敷も使うことになった。悪魔達は、用が無い限りは屋敷で待機、ということになっている。
そんな素直に言うことを聞く連中だとも思えないが、とりあえず、そう言っておいた。
これで復活した悪魔は、5体。
甦った悪魔達を見て、アイシャは満足そうだった。
翌朝。Aが、「双頭の孔雀」を持って、直巳の部屋をたずねてきた。
「鑑定してみましたが、本物でしょうね。今から、つばめ様に付けてみましょう」
全員がリビングに集まり、Aが取り付ける様子を見守る。
「それでは、スカートをまくりあげてください」
Aが言うと、つばめは少し恥ずかしそうにしながらスカートをまくりあげる。完全に下着が見えてしまうが、いるのは女性と弟だけだし、医療行為だと割り切った。
石膏化は、太もものあたりで止まっていた。あれ以来、急激な進行が発症しておらず、直巳はほっと息を吐く。
Aが、「双頭の孔雀」を、つばめの足、石膏化した皮膚との境目に結び付ける。
特に何も起きないが、直巳が取り付けられている宝石に触れると、微弱な魔力が溜まっていることがわかった。天使の力が流れ込んでいるのだろう。成功だ。
後は、宝石に魔力が溜まりきる前に交換すればいい――だが、直巳がいるのだから、毎朝魔力を吸ってやれば、それでいい話だった。
微量ではあるが、魔力が定期的に補充できると、アイシャは喜んだ。
これでようやく、当初の目的が達成できたことになる。
「とりあえず、これで終わりね――みんな、ご苦労様」
アイシャの一声で、今回の事件は終了した。
Hgを探して、魔術具を作ってもらう。それだけのはずだったのに、ずいぶんと遠回りした気がする。しかし、目的は達成され、新たに2体の悪魔も召喚できた。成果は上々だろう。
直巳は、ほっと息を吐く。伊武も表情には出さないが、ようやく気を抜いた。
つばめは、足に付いた魔術具をそっと撫でると、ぽろりと涙を一粒こぼした。
「みんな……ありがとう……本当にありがとうね……正直……あの時は、もう駄目かと思った……夜眠るのが、朝起きるのが怖かった……でも、これからは……安心して眠れるのね……」
グレモリイがハンカチで、つばめの涙をそっとぬぐった。
直巳はつばめの前に跪くと、姉の手を取った。
「まだだよ、姉さん。俺は完全に治してみせる。まだ時間はあるから、待ってて欲しい。頼もしいボディーガードも出来たんだし。心配しないで待ってて欲しい」
「うん……そうだね……わかった……安心して待ってるね」
つばめは直巳に手を重ねると、涙を流しながら笑顔を浮かべた。
安心して待ってる――そんなことができるわけがない。今回だって、直巳達は大変な目にあったに違いないのだ。自分も、銃を持った男達にさらわれたぐらいだ。つばめでは想像もできないようなことをしているに違いない。それは危ないだけでなく、世間に胸を張れるような行為でもないのだろう。
だから、安心できるわけがない――でも、それを口にしてはいけない。直巳は治すと言ってくれたし、自分はそれを受けいれた――つばめだって、生きたい。直巳が生かしてくれるというのなら、つばめは感謝をして、それに従うだけだ。
それに、この賑やかになっていく家も好きだった。新しい友達、と言っていいのだろうか。車椅子になってから、外出する機会も減ったが、退屈することはなくなった。グレモリイは自分と同じ大人の女性だし、もっと楽しくなるだろう。
辛い戦い、おかしな魔術の世界――でも、だからこそ、この家だけはみんなが楽しく過ごせるようにしたいと、つばめは思っていた。
天使の奇跡に負けずに、この日常を守る。
例え、直巳達がどんなことをしようとも、世界を敵に回そうともだ。
それが自分の戦いなのだと、自分も戦うのだと、つばめは心に強く決めた。
つばめの魔術具が取り付けられた日の夜。ついに心配事がなくなったため、高宮家の庭で盛大な祝勝会が行われた。
庭の中心では山と積まれた車が燃え、これでもかというほどに大量の料理が振る舞われた。
楽しげに談笑しながら料理をつつく、つばめとグレモリイ。二人とも、少し酒を飲んでいる。
一方、Bとフラウロスは、どんな肉だろうが内臓だろうが、生でモリモリと食べていた。この二人だけで、10キロ近くは食べているだろう。大人の豹の姿で肉を食うフラウロスの姿は、檻の無い動物園のようで、少し緊張感があった。
直巳はAと一緒に、忙しく調理をしていた。肉を焼くだけではない。とにかく何でもいいから大量に作れとアイシャから指示が出ているため、忙しい。
たまに、誰かが直巳の元に来て、ちょっかいを出しながら料理を食べさせてくれる。酔っ払ったグレモリイの絡み方は、さらにうっとおしかった。戦いが終わった開放感からか、みんなテンションが高い。
ただ一人、伊武だけが輪を離れ、高宮家の裏庭にいた。
いい夜だった。高宮邸は山の上にあるので、眼下には街の景色が広がっている。夜の街は、遠くから見る分には穏やかで、美しかった。耳を澄ませば、少し離れた場所から、火の爆ぜる音と、車の爆発音――これはおかしいが。
伊武は遠くを見ながら、失ったものと得たもの、両方に思いを馳せていた。
Hgが自分を愛してくれたのは事実だった。だが、伊武の選択した未来とHgの思いは重なることがなく、彼女はそれを許せなかった。そしてHgの強い愛は衰えることなく、そのまま歪んでしまった。
二人は出会ったから、愛を知ることができた。出会ってしまったから、悲しい結末を迎えることになった。どちらが良かったかなんて、簡単に言えるものではない。
それでも、もう戻れない。いつだって戻れないのだ。伊武はこれからも、この体と心で生きていく。直巳と一緒に、戦いながら。
「パーティーで一人なんて、寂しいことするわね」
伊武の元にアイシャがやってきた。
アイシャは伊武の隣りに並ぶと、眼下に広がる同じ景色を見た。
「永遠の少女にならないかって、誘われたんだって?」
「……うん」
「迷った?」
「……うん」
「素直ね」
アイシャはクスクスと笑った。品のある笑い方。嫌な感じはしない。
「でも、まれーは断った――正しい判断だと思うわ」
「……ありがとう」
伊武がそう答えると、アイシャは伊武の方を向いてたずねた。
「まれー。永遠って、どれくらい?」
アイシャの質問に、伊武は微笑を浮かべて答えた。
「……三千年ぐらい……かな」
アイシャは伊武の答えに、「言うわね」と笑ってから返事をした。
「なら、永遠の少女として答えてあげる――いいもんじゃないわよ、こんなの」
アイシャは肩をすくめながら、冗談っぽく言った。
そのまま、少し沈黙が続いた後、アイシャがポツリと言った。
「過去がないのと未来がないのは、どちらが悲しいのかしらね」
伊武はアイシャをじっと見つめる。手に入らなかった過去がある伊武。三千年間、未来を失い続けてきたアイシャ。どちらが悲しいのかなんて――。
「……どっちも……悲しいね」
それでも伊武は、アイシャの方が悲しい、とは答えなかった。アイシャはそんな答えを欲してはいないだろうし、世界で一番悲しい人以外は幸せ、なんていうこともないのだから。
伊武の答えを聞くと、アイシャは静かにうなずいた。
「私も、そう思うわ。だから、お互いに相手を羨ましがりながら、生きていけばいいのよ」
伊武はアイシャに、アイシャは伊武になれない。お互いに相手のことを羨ましいと思うこともあるし、同情することもある。それで、やっていくしかない。
「……身長も?」
伊武が冗談めかしていうと、アイシャは伊武に近づき、片手で胸を触りながら言った。
「胸もね――どっちも、こんなにはいらないけど」
見上げるアイシャ。見下ろす伊武。二人は顔を見合わせて、フフッと笑いあった。
それから、二人でみんなの元へと戻って、朝まで騒いだ。特にアイシャは、どっかキレたのではないかと言うぐらいに騒いで暴れていた。
次の日から、伊武とアイシャが特に仲良くなったというわけでもない。
あれはパーティーの時に起きた、一夜のあやまち、というようなものだ。
ただ、リビングで二人きりになった時。互いに無言ではあるが、一緒にお茶を飲むぐらいのことは、するようになった。




