第三十九章
「早く! 早く車を出せ! ここから離れろ!」
スミスが転がり込むように車の後部座席に乗り込むと、感情のままに怒鳴り付けた。
アイシャが悪魔を呼び出そうとした瞬間、スミスはギリギリ現場から逃げ出していた。命が助かったのは、アイシャの悪魔召喚の時間が短かったから、というのもある。一瞬の出現なので、その場にいないものの命は奪えないのだ。まあ、寸前でスミスの逃亡を手引きしたものがいたから助かったのだが。
アクセルが踏み込まれ、車が一気に加速する。強いGがかかると、スミスは不愉快そうに舌打ちをした。自分が早く出せと言ったのだが、それとこれとは別問題らしい。
「タカミヤ……何が自分は戦力にならないだ! 怪物じゃないか! あの小娘が!」
スミスは怒りに任せて、運転席のシートを蹴る。運転手は何も言わなかった。スミスを助け出したのは、この運転手だ。
荒れるスミスに、運転手はペットボトルの水と錠剤を渡した。
「……なんだこれは? 魔力暴走抑制剤? 飲むのか?」
運転手の説明を聞くと、スミスは水と錠剤を奪い取り、一気に飲んだ。走って逃げてきたのと、緊張していたせいで喉が乾いており、そのまま半分程、水を飲み干した。
本当は強い酒を飲みたかった。運転手は用意しておくべきだろう。俺のことをちゃんと考えていれば、それぐらいは出来たはずだと、スミスは心中で運転手をなじる。死ぬような思いをしたせいか、それぐらいのわがままは許されるはずだ、俺をいたわれという感情が、無意識のうちに働いている。スミスは世界中の人間が、自分に気を使うものだと思い込んでいる。
スミスは今回の作戦での損失を計算した。資金、装備、人員、人脈――どれも大量に使い込んで、得たものは何もなかった。
スミスは、結局誰にも勝利していない。表面上は上手く立ち回っているように見えたのだが、結局は兵士達を無駄死にさせただけだ。牧田を使った最初の襲撃、Agと手を組み、狂言で仕掛けた盗賊退治の罠、Agもろとも殺すことを狙った天使降臨、人質作戦――全滅だ。
これで収穫でもあれば、冷静で冷酷な指揮官、という言い方も出来たのだが、何も得てはいない。「青銅乙女の核」も奪われている。
アイシャは、スミスの仕掛けた何重もの罠を、最後には見事に覆してみせた。裏の裏、先の先――言い方は何でもいい。とにかく、先に手持ちのカードが切れたのはスミスの方だった。
それでも、スミスは自分の力を信じていた。信じる以外のやり方を知らなかった。
「次は必ず勝つ……あのタカミヤの力……手に入れることはできれば……」
「もう、手を引いてもらうわけにはいきませんかねえ」
運転手は苦笑しながら言う。危険な場所を観光したがる金持ちを止めるガイドのように。
スミスは運転手の言葉を、「バカなことを」というだけで一蹴した。
「次やれば勝てる。タカミヤとイブ、両方ともPORの実験体にしてやる」
「先ほど飲んでいただいた錠剤。あれ毒なんですよ」
「……何を言っている?」
とまどうスミスに、運転手は淡々と答えた。
「だから、毒なんです。魔術研究から手を引いてもらえるなら、解毒剤を渡します」
「――冗談はやめろ」
「渡された錠剤を確かめることもしない。確かめる術も持たない。そんなあなたがね、魔術師達とやり合おうなんて、無理なんですよ。ね? 解毒剤、欲しいでしょう?」
運転手が小さなビニール袋に入った錠剤をちらつかせる。
スミスは、小さく溜め息を吐いた。
「――わかった。手を引こう。だから、それを寄越せ」
「約束ですよ?」
「ああ、約束だ」
スミスが運転手から解毒剤を奪い取り、先ほどの水で飲み込んだ。
「では、今から本社に連絡して、魔術研究から手を引くという約束を――」
スミスが懐から拳銃を取り出し、運転手に突き付けた。
「雇い主に毒を飲ませるなど、言語道断だな」
「あれ、嘘ついたんですか? 解毒剤欲しさに」
「なぜ、私がお前の言うことを聞く必要がある? 調子に乗るなよ」
「なら、手を引かないということでいいですか?」
「当たり前だ。手を引く理由がない。私はこのプロジェクトにすべてを賭けているのだ」
「あら、そうですか」
「当然だ。命だって賭けている。わかったら本社まで車を走らせろ。黙って言うことを聞くなら、再起動するプロジェクトのメンバーにいれてやる。報酬も倍だ」
「それは魅力的な――では、本社まで」
運転手はアクセルを踏み込んだ。スミスは拳銃を彼の頭から放し、座席に戻った。拳銃は手に持ったまま、運転席に向けている。
「……ん? な……どうした……?」
突然、スミスの体がふらつく。体に力が入らず、眠気が襲ってくる。しかし、気分は悪くないどころか、言いしれぬ幸福感に包まれていった。
スミスが拳銃を落とし、その音が車内に響いた。
「ああ、効いてきましたか」
「貴様……毒か……解毒剤を飲んだ……はず……」
「あれ? そうでしたっけ? どれが毒だったか、忘れちゃいました。水だったかも?」
「何をバカな……早く……治せ……」
「大丈夫ですよ。毒とは言っても死にはしませんから。ただ、幸せな気持ちのまま眠りにつくだけです。永遠に目覚めませんけど」
運転手はこともなげに言い放った。実際、スミスに飲ませたのは、水まで含めて全部毒だ。
「まあ、外から見てもわからないでしょうねえ。天使遺灰を混ぜた魔女の薬ですから、原因不明の昏睡ってことで終わりになるかと。普通は司法解剖で魔力検査なんてしませんし。でも、苦しくないからいいですよね?」
「……なぜ……だ……我々に協力したのでは……ないのか……」
スミスは涎を垂らしながら、何とか意識を保っている。
運転手は笑いながら答えた。
「最初から協力なんかしてませんよ。たまにいるんです、魔術師でもないのに、魔術にちょっかいを出そうとする連中が。そういう奴が出たら、一人二人潜り込んで、内情視察しながら潰すんですよ。魔術師の顧問、とかいう名目でね。今回は僕がその役目だったというわけです。ま、他の方々の力も借りましたけどね。しかし、引き合わせただけで、こんな上手く潰しあってくれるとは」
スミスは拳銃を拾い上げると、意識を取り戻すために、自分の太ももを撃った。
痛みは全くなかった。ただ、朦朧とした意識の中で、太ももに空いた穴を見つめる。
運転手は、大きな拳銃の音に顔をしかめると、話を続けた。
「それにね。その、人を犠牲にした魔術具の作成。出来るけどやらないんです。魔術師同士でそういう協定がある。それを破った魔術師は、「無法の魔術師」と呼ばれて、すべての魔術師を敵に回す。怖いですよ、これは」
運転手は調子良く話をする。普通なら、スミスなどには絶対にしない話だった。それでも聞かせるのは、スミスの口から漏れることはないと確信しているから。わざわざ、こんな話をしているのは、スミスに対する子供じみた仕返しだった。お前のやってることなんか、特別なことじゃないんだよと、鼻っ柱をへし折ってやりたいだけだ。
「ま、あなたは魔術師でもないし。ただチーズを盗みにきたネズミって感じですかね」
スミスは最後の力を振り絞って、笑い声のする運転席に拳銃を向ける。
うつろな目、感覚の無い手で無理矢理に拳銃を構えた。
「――天木ィ!」
スミスの叫び声とともに、拳銃が発射される。
狙いは定まらず、車の屋根に穴が空いた。
それを最後に、スミスは全身の力が抜け、倒れるように眠りについた。
見たこともないような、幸せな表情で。
「はい、おやすみなさい。どうか、良い夢を」
天木の携帯が鳴った。
発信者の名前を見ると、天木はいたずらが見つかった子供のように、気まずさと嬉しさが混ざったような表情をした。
「――もしもし」
「こんばんは、天木。いい夜ね。今、大丈夫かしら?」
電話の向こうから、アイシャの声が聞こえた。
「やあ、アイシャ。実は今、デート中なんですよ」
「あら、デート? いいじゃない。お相手は外国の方?」
天木が後部座席で眠っているスミスを見て苦笑する。
「さあ――どうでしょう」
「ま、いいわ。長い用事じゃないから、聞いてもらえる?」
「ええ、どうぞ」
「まあ、ちょっと考えてたことがあるのよ。ビルの屋上なんていうピンポイントな場所に天使降臨をさせられるような人が、いないかなーって」
「いやー、難しそうですが、何人かはいるんじゃないですかねえ」
「じゃあ、Hgと繋がっている高田を私に引き合わせることが出来て、企業の、「魔術師の顧問」が出来そうな社交性のある、っていう条件まで加えたら、何人いる?」
知らなければ偶然。知れば必然。人、時期、出来事。すべてが繋がっている。
「……一人いますねえ」
「そうね。私もそう思うわ。で、一つだけ相談。今、私はある男を探してるのよ。見つけたら殺そうと思ってるんだけど、もう夜も遅いじゃない。探して見つかるかしら?」
「うーん……とりあえず、明日の朝まで待ってもいいんじゃないですか?」
「朝になれば、良い知らせが届くのかしら?」
「そういうこともありますよ。果報は寝て待てです」
「そ、わかったわ。参考にさせてもらうわね」
「いえいえ。お役に立てて何よりです」
「それとね。もう一つだけ、教えてもらいことがあるのよ」
「わかることであれば」
「PORって、どういう意味か知ってる?」
「――PROMETHEUS OF RETURNというのを聞いたことがありますよ」
「プロメテウスの帰還、か。魔力が新たな火とでも言いたかったのかしらね。くだらない」
自らを犠牲にして、人間に火をもたらしたプロメテウス。スミスは、自分のことをプロメテウスだとでも言いたかったのだろうか。人間に魔力をもたらすプロメテウスに。尊大にもほどがある。笑えない。
アイシャの辛辣な感想に、天木は何も答えなかった。
「ありがとう、参考になったわ――天木は何でもよく知っているのね」
「ははっ。いえいえ、そんなそんな。では、これで――」
「ねえ、天木」
「はい?」
「これからも、仲良くしましょうね」
「……はーい」
「それじゃあ、どうか楽しいデートを――相手の方によろしく」
電話が切れると、天木は深い溜め息をついた。
アイシャは何も責めなかった。だから、釈明もできない。
これはまた、大きな貸しを作ってしまった。
それでも、またアイシャと直巳が勝ったことを心から喜んでいた。
これだけは、嘘じゃない。
翌朝。某大手外資系企業の玄関の前で、昏睡するスミスが発見された。
それからスミスが目を覚ますことはなかった。
これは魔術師から企業への警告だった。
魔術の研究から手を引け。さもないとこうなるぞ、という。
スミスはそれから一度も目を覚ますことなく、数週間後に生命維持装置が事故で停止し、そのまま死んだ。
天木や他の魔術師の仕業ではない。目を覚まされては厄介だと思った企業がやった。あれだけの人間が死んだ事件を、秘密裏にスミスに押しつけて処理していたからだ。
スミスはすべてを捧げ、必死で尽くした企業によって、その命を奪われた。
文字通り、命まで捧げることになった。




