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第三十八章

「伊武……一体、何が……」

 遅れて到着した直巳とAが工房に入ると、そこには、フリアエを片手に呆然と立ち尽くす伊武と、壊れた少女の人形があった。

 床にも、そして棺桶のような箱の中にも少女の人形は入っていて、すべて壊されていた。

 一体、棺桶から上半身を乗り出した状態で壊されている人形があった。首は入り口の方を向いているが、顔の中心が破壊されている。当然、目も無いのだが、直巳はその人形に見られているような気がして、身震いした。

 伊武が入ってきた直巳に気が付き、ゆっくりと振り返る。

「椿君……」

 弱々しい声。顔に生気がない。目には涙の跡がある。

「Ag……倒したよ……Hgだった……」

 伊武の言葉を、直巳もAも理解できなかった。とにかく、Agは倒したらしい。

 床で散っているプリザーブドフラワー。無数の壊れた少女人形。泣いている伊武。

 何があったのか、はっきりとはわからない。しかし、伊武は言った。Hgだった、と。

 過去が邪魔をする。壁のように――きっと伊武は、その過去と戦ったのだろう。

「直巳様」

 肩を貸してくれているAがそっと囁く。

「余計なお世話だ」

 直巳がAから離れて、ゆっくりと伊武に近づく。

 伊武はその様子を、ただ黙ってみていた。

 直巳が近づいてくる。指輪の感触をたしかめる。

 ねえ、椿君。私ね。椿君がいるからね。Hgの誘いをね。

 伊武はそれを言おうとして、言えなかった。何から話していいかわからないし、話していいのかもわからなかった。

 ただ、近づいてくる直巳を見ると、また涙が溢れてきた。

 直巳が伊武の目の前に来た所で、涙がこらえられなくなった。

「椿……く……ん……」

「うん」

 直巳は、伊武を抱きしめた。伊武の方が背が高いので、抱きつくというような感じだ。アイシャが抱きしめられているのとは違う。やっぱり、少しおかしい。

 それでも、直巳はそんなことを気にせず、伊武を力いっぱい抱きしめてくれた。

「う……うあ……」

 伊武が泣きそうになる――泣いてもいいのだろうか。直己は許してくれるだろうか。

 直巳の腕に力が込められる。体温が伝わってくる。

「大丈夫だよ。ずっと、こうしてる」

 直巳がそう言った瞬間、伊武は大声をあげて泣き出した。

 伊武は、涙が涸れるまで泣き続けた。

 喪失の悲しみと、直巳がいてくれることの喜び、両方を力いっぱいに叫んだ。

 それはまるで、伊武に取って二度目の産声のようだった。



 伊武はどれくらい泣いていただろうか。

 少しずつ泣き声は小さくなり、嗚咽に変わってから、もう少し。

 泣き止んだ伊武は、少し気恥ずかしそうに直巳から離れた。

「もう……大丈夫……」

 ぐすぐすと鼻をすすりながら、涙をぬぐう伊武。

 直巳は、「そっか」と優しく声をかけながら、ハンカチを手渡した。

「そこは、直巳様が拭いて差し上げないと」

 Aが工房の入り口から入ってくる。伊武が泣いている間は、気を使って外で待っていた。ちなみに、玄関の前には大量の煙草の吸い殻が落ちている。

「状況を見るに、色々あったのだとは察しますが、現状の説明をお願いできますか。まだ、終わってはおりませんので」

 Aはわざと事務的に言う。誰かが進めないといけないなら、今はAがその役目だろう。それにまあ、伊武を優しく慰めるつもりもない。

 伊武は何度かゆっくり呼吸をすると、落ち着いた表情に戻った。

「わかった……話す……ね」

 そして伊武はまず、Agの正体がHgであったこと。体を乗り換えたが、それを自分が壊したことを話した。とりあえず、これで直巳もAも安心した。

 それから、話すかどうか迷ったが――Hgの思惑もすべて話した。彼女の計画、スミスとの繋がり、そして、伊武とHgの確執、人形に、永遠の少女にならないかという誘惑。

 直巳は、Hgのおぞましい考えを聞いて驚きを隠せなかった。だが、その後すぐに、「後でまた話を聞かせてくれ」とだけ言った。この状況で、ゆっくりと慰めてやることはできない。その気づかいを、伊武も理解した。

 一方で、Aは話を聞いている途中、ずっと口元を押さえていた。きっとHgの妄執に興味を示し、楽しんでいたのだろう。この状況で楽しむというのは、失礼というか頭がおかしいのだが、Aはそういう奴なので、直巳も伊武も特に何も言わなかった。

 伊武の話が終わった後、Aが口を開いた。

「ありがとうございます。希衣様のおかげで、大きな脅威は去ったと言っていいでしょう。で、後はどうするかという話なんですが、まずは大事なことがあります。希衣様」

「……なに?」

「Hgから、魔術具とか受け取ってませんか? つばめ様を治すための」

 最初の、一番大切な目的だった。Hgにつばめを治す魔術具を作ってもらう。だが、そのHgは死んでしまっている。

「……いや……受け取って……ない」

 伊武は申し訳なさそうに言う。自分がもっと冷静なら、その話も出来ただろうに。

 Aは、小さく溜め息をついた。

「これだけ苦労して、収穫無しですか。さすがに――」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 直巳がAの言葉をさえぎる。

「Hgは、伊武を誘っていたわけだよな。自分の人形に入れって」

「うん……」

「その誘いをするならさ。伊武のご機嫌は取ろうとすると思うんだ。例の魔術具は作ってあるから、心配しないでいいですよって。そっちの方が、伊武に提案を受け入れてもらいやすいと思わないか?」

 直巳の話を聞き、Aは顎に手を当てる。

「まあ、そうですね。いざ、希衣様を人形にするとなった時、魔術具はどうしたと聞かれて、作ってないと答えたら、希衣様は躊躇するかもしれません。Hgは死ぬわけですから」

「……そう……かも」

 伊武は先ほどのことを思い返して見る。Hgは別に、直巳達に恨みがあるわけではない。伊武がHgの条件を呑むというのなら、魔術具の一つや二つ、作って渡すだろう。

「しかし、希衣様を人形にするというのは、敗北した後に思いついたことでしょう? そんなに準備良く進めていますかね」

「……状況が二転三転しているんだ。Hgは状況に合わせて行動を変えている。もし、何かあった時のために、少しでも有利な取引き材料はあった方がいいだろう。そういう準備は、しているんじゃないかな」

 Hgは直巳達との戦いを決めた瞬間から、まともな取引きをするつもりはなかっただろう。ただ、直巳達との取引きというカード自体を、可能性を捨てるだろうか。魔術具を作っておけば、命乞いの交渉ぐらいはできる。

 Aは少し悩んだ後、静かにうなずいた。

「そうですね。とにかく、探してみることにしましょう。直巳様の言うとおり、作るだけ作ってあるかもしれません」

 全員で2階へと向かった。初めて工房に来た日以来、足を踏み入れていない。

 2階の扉に鍵はかかっていない。3人は慎重に部屋に入った。

 中に入るとまず、ボロボロになったAgの体があった。この体を捨てて、少女希衣に入ったのだ。それを見て伊武が取り乱すこともないが、良い気はしない。

 そして、3人が部屋の中を捜索し始めてすぐのこと。

「なあ、これって……」

 直巳が部屋にあったゴミ箱から、金属製の球体を拾い上げる。

「青銅乙女の核……だね……」

 伊武も見間違えるはずがない。直巳がゴミ箱から拾い上げたのは、「青銅乙女の核」だった。

 Hgがどうしても欲しかったものが、ゴミ箱に捨てられていた。伊武を人形に入れると考えついた瞬間、「青銅乙女の核」は、Hgにとって、文字通りゴミになったのだろう。

 Aが直巳に近寄ってきて、「青銅乙女の核」を手に取る。

「おや、これが例の? せっかくです。いただいて帰りましょう」

「そうだね……伊武、いいかな?」

 直巳が伊武に確認する。伊武にとって、あまり気分が良い魔術具ではない。しかし、それだけだ。特別に害があるわけでもないし、貴重なものなのだから、持っていれば、この先、役に立つこともあるだろう。

「うん……持って……帰ろう……」

 伊武から了承を得ると、直巳は、「青銅乙女の核」をAに渡した。

 Aは手の中で何度か転がしてから、ポケットにしまった。

 それから、3人はまた、「双頭の孔雀」を探し始める。部屋中の本棚や、転がっている魔術素材をひっくり返して調べる。

 机の引き出しをすべて開けて調べていたAが、2人を呼んだ。

「――これですかね」

 Aが引き出しの中に入っていた魔術具を見つける。

 それは以前、モックだと言ってAが見せてくれた、「双頭の孔雀」だった。あの時は、ただ形を見せるだけで魔術具は使われていなかったが。

 Aが、「双頭の孔雀」を掴み、チェックし始める。

 ほんの数秒で、Aの顔が緩んだ。

「――本物ですよ。少なくとも、各パーツには魔術具が使われています」

「……よかった」

 直巳が、ほっと息を吐く。効果はまだ不明だが、魔術具を使っているのなら、とりあえず本物である可能性は繋がった。

「とりあえず、これは持ち帰って鑑定しましょう。私で駄目なら、天木に依頼します」

「本物……かも……しれない」

 伊武が、同じ引き出しの中に入っていた紙を見ながら言った。

「これ……見て……」

 直巳は伊武の差し出した紙を受け取り、Aと一緒に見た。

 紙はコピー用紙で、万年筆で殴り書きがしてあった。


 「双頭の孔雀」

 使用素材は二つ。「背教者の外套」と、「殉教者の足枷」

 布素材である、「背教者の外套」を足に巻くことにより、天使の力を弾き、進行を抑える。

 弾かれた天使の力は、「殉教者の足枷」に吸い寄せられ、他の部位への拡散を防ぐ。

 吸い寄せられた天使の力(魔力)は、宝石に蓄積される。宝石に魔力が溜まって魔石になった場合は、都度、宝石を交換すること Hg


 それが使用者への説明書なのか、製作時の覚え書きなのかはわからない。

 しかし、これにより、「双頭の孔雀」の信憑性は高まった。

 伊武は文章の中にある、「背教者の外套」という単語に目を留めた。

 どこかで聞いたことがある。たしか、反天使同盟にいた時だ。当時、Hgが作ったのか、逃げる時に持ち出したのか。今となってはわからない。

 伊武は反天使同盟でHgと出会い、アブエルを付けられた。そして、反天使同盟が持っていた魔術具がつばめを助けようとしている。何か一つ、間違っていれば、直巳に出会うこともなかっただろうし、つばめを助けることも出来なかったかもしれない。

 過去からすべて繋がって、今が出来ている。自分の知っていることも、知らなかったことも含めて、全部。因縁とは不思議なものだが、悪いことばかりでもないらしい。それならば、伊武も少しは救われるというものだ。

 伊武がそんなことを考えている間にも、Aと直巳はAgのメモを見て話し合っていた。

「この情報を前提として鑑定はしましょう。使用はそれから。全員の立ち会いの下で」

「わかった。そうしよう」

 Aは直巳から紙を受け取ると、折りたたんで懐にしまった。

「さて、これでこの工房に用はありませんね」

「ああ……でも、ここどうする? 放っておいて、誰かに見つかったら面倒だろ」

 これまではHgが守っていたが、今はもう空き屋だ。それも、とびっきり怪しい。騒ぎになったら色々面倒だろう。特に、壊れた無数の人形が。

「燃やしましょう」

 Aはこともなげに言うと、伊武もうなずいて賛同した。

「……この建物、高田の持ち物なんだよな」

「ええ。彼も喜んでくれるでしょう。残しておけば、厄介ごとの塊ですから」

 背に腹はかえられない、というやつだ。

 直巳も賛同した。高田には、ちゃんと説明すればわかってもらえるだろう。

「では、燃やす準備を――と、その前に」

 Aは棺桶に入っていた、比較的損傷の少ない伊武希衣人形に手を伸ばした。

「何……してるの?」

 伊武にその手を押さえられると、Aはいつもの軽い笑顔を浮かべながら言った。

「いやあ、この希衣様人形、とても可愛らしいので、せっかくですから一つぐらいは持って帰ろうかなと。修復してリビングに飾って、着せ替えをして、髪を梳かして可愛がって――」

 Aが軽口を叩くと、伊武がAの目の前に立った。体が触れるぐらいに近い。

「私を……可愛がりたい……なら……いつでも……どう……ぞ」

 伊武がAを威圧的に見下ろし、拳をバキバキと鳴らす。

「あー……そうですね。そのうち、ですかね」

 Aは人形から手を離すと、そそくさと立ち去り、建物を燃やすための準備に向かった。

 伊武は、いつもと変わらぬAの様子を見て苦笑した。



 3人が工房内の捜索を終えると、Aは工房を燃やす準備に入った。

 どうしてそんなに上手いのか、というぐらいに鮮やかな手付きで、Aが準備を終えた。工房内がまんべんなく、完璧に燃えるように、火の通路を作り、車に積んでいたガソリンを撒き、燃えやすいものを室内に配置していく。いつもアイシャの趣味で車を燃やしているうちに技術が身についたのだろうか。

 伊武もAを手伝っていた。こっちもやたらに手際が良い。伊武は以前、火が得意と言っていたことがあるが、まあ、こういうことも含めてなのだろう。

 Aが火を放って、工房から出てくる。

 ものの数分で、建物全体に火が回り始めた。

 火と煙が建物を包み、すべてを燃やしていく。

 Hgの研究も、枯れない花々も、壊れた伊武の人形達も。

 まるで火葬のように建物は勢いよく燃え続けた。工房自体が大きな棺桶のようだった。

「私……ね……本当に……迷ったん……だよ……」

 伊武は炎を眺めながら、静かに直巳に語りかける。頭に刺さっていた花に気が付き、それを抜き取ると、手でもてあそび始めた。

「普通の……女の子みたいに……なりたいって……思ってた……から……」

「……そっか」

 直巳も炎を眺めながら答える。伊武の過去を燃やす炎を。

「でも……今の私も……嫌いじゃない……から……強いから……椿君の役に立てるし……強いから……私に価値が……意味が……あるんだし……」

 建物から、何かの爆ぜる音が聞こえた。炎は建物のすべてを包み込んでいる。

「俺はさ。元々、そんなに女性のタイプっていうのはあんまりなくて」

 突然、直巳がそんなことを言い出した。伊武は驚き、おもわず直巳を見る。

「背が低い子が好きとか、高い子が好きとか、可愛い系が好きとか、美人系が好きとか。そういうのはあんまりなかったんだ」

 直巳は伊武の方を見ずに話を続けた。勢いを借りなければ、話せないようなことだから。

「最初に伊武を見た時は、すごく背の高い子だなって思った。筋肉がすごいなとも思った。それから、怒られるかもしれないけど、胸もすごく大きいなって。まあ、気づいてるかもしれないけど、最初に会った時も、今だってちらちら見ることがある」

 すべてHgに言われた言葉。やはり直巳もそう思っていたのだろう。事実なのだから、別に嫌ではないが、簡単に割り切れない。伊武の胸がちくりと痛んだ。

「……うん……そう……なんだ……」

「でも……あの……これは、言うと恥ずかしいんだけど」

 直巳は少し迷ってから、伊武の手を握った。

「伊武を初めて見た時。何より、すごく綺麗な子だなって、思ったよ」

「え……あ……」

 突然の言葉に、伊武は返事ができない。

 直巳は繋いだ手に、少しだけ力を入れた。

「俺の知っている伊武は、背が高くてスタイルが良くて、強くて、無口で、料理が上手で、たくさん食べて、子供が嫌いで、服装の趣味が俺より格好いいんだ」

 直巳は伊武の顔を見た。

「俺の知っている伊武は、今、手を繋いでいる伊武希衣だけだ」

 直巳はそう言うと、顔を赤くした。それでも手は離さない。目もそらさない。

「椿君……」

「……うん」

「……ありがとう」

 炎に照らされて、一瞬だけ伊武の顔が見えた。

 あの日、伊武がHgに斬られて以来、一度もできなかった表情だった。

 この子は、こんな表情ができたんだと、直巳は見とれてしまう。

 伊武は空いた手で、右肩にそっと触れる――痛みは、もう消えていた。

 燃えさかる工房。中では少女の人形達も燃えていることだろう。

 灰になった人形は二度と動かない。

 散った花びらをかき集めても、花には戻らないように。

 伊武は持っていた花を――Hgからもらった最後の花を、炎の中に投げ込んだ。

 枯れない花が、炎の中で燃えていく。

 伊武は燃えていく花を見ながら、声に出さずに言った。

 さようなら。

 今度こそ本当に、さようなら。

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