第三十六章
「あなた……に……なる? どういう……こと?」
少女希衣は、伊武の顔を見て、にこりと笑った。可憐な笑顔。今の伊武には、絶対にできない笑顔。
少女希衣は、自分の胸に両手を当てながら言った。
「この体――アブエルが付く前の体を、あなたにあげる。人形だからね。このまま永遠に、年を取ることもないのよ。そして、ここに並んでいる全ての体――アブエルが付かなかった時の伊武希衣の体をすべて――あなたにあげる」
アブエルが付く直前から、未来の姿まで。すべてIFの伊武希衣だ。殺戮人形に改修されていたのは、最年長の伊武希衣。20代中盤の姿だ。
まだ理解できない伊武に向かって、少女希衣は続ける。
「人形だからね。乗り換えられるのよ。いつでも好きな時に、好きな体に入れるの。この少女の体から、少し大人の体まで――この花達と同じよ」
Hgは両手を広げた。部屋中に敷き詰められた、プリザーブド・フラワー。
「永遠に枯れない花を、あなたにあげる」
永遠に美しいまま、枯れない花。
永遠に美しいまま、年を取らない少女の体。
「ね? 素敵でしょう?」
「そんな……こと……が……」
「できるわよ。私がいるでしょう? ま、魂の器はこれしかないから、入れ替えた瞬間に私は死ぬことになるけど。それでいいのよ」
魂の器。魂まで含まれている、「青銅乙女の核」とは違う。生きている魂を閉じ込め、他の体に取り込む魔術具。これこそが、Hg最大の発明と言っていい。ただ、Hgが作った人形でないと効果はないし、一つしかない。材料となる魔術素材が貴重すぎて、二つと作ることができない。だから。
「Hg……死ぬって……こと?」
「ええ、そうよ。私の魂は消えて死ぬ。でも、それでいいの。最初はね、「青銅乙女の核」で人形を動くようにして、本物のあなたを殺すつもりだった――人形を本物にするために」
自分が死ぬというのに、少女希衣は、迷いの無い、穏やかな笑顔を浮かべた。
伊武の中で、少女希衣の笑顔と、人形蒐集家の老婆の笑顔が重なる。
「でも、殺せなかった――私は負けた。もう戦うことはできない。殺戮人形は、あなたにボロボロにされちゃったやつしかないからね。あれは、一番年上のあなたよ。ああ、あの年齢にだけはなれないか。それは許して欲しいわ」
負けたAg――伊武が首をはね、それでも伊武にしがみつき、屋上から投げ飛ばした人形――あれは、別世界の自分だ。自分が自分と戦い、無残な姿にしていたのだ。
またも新たな悪夢に気が付いた伊武は、目眩と吐き気を覚えた。
壊れた人形、枯れない花、恐ろしい妄想を語る少女の自分。意識が朦朧としてくる。
呼吸を乱し、涙を浮かべる伊武を無視して、少女希衣は語り続ける。
「でもね、もっと素敵なことを思いついたの。私が作った、「理想の伊武希衣」の体に、本物の伊武希衣の魂が入るのよ――それこそ間違いのない本物。「青銅乙女の核」を入れた伊武希衣人形なんか、比べものにならない! 理想の、本物の伊武希衣が永遠に生きるの! その願いがかなうのなら、私が生きている必要なんてないわ!」
少女希衣は興奮し、足下の花をすくい上げて、あたりに撒いた。ひらひらと、くるくると花片があたりに舞い散る。
「ねえ? 素敵でしょう? そのアブエルが付いた醜い体を捨てて、あなたは永遠の少女になるのよ。人形だから死を恐れることもない。永遠に少女の時間を過ごせるの! 失ったものを、前以上に取り戻せるのよ!」
「体を……アブエルを……捨てる……」
伊武がぼんやりと呟く。無意識的に。だからこそ、閉じ込めていた願望の欠片が口に出た。
強さは必要だ。それでも、もしアブエルがいなければと考えることは――。
反応した伊武を見ると、少女希衣はますます優しい声で誘惑を続けた。
「ええ。その体を捨てるのだから、アブエルに怯えることもなくなるのよ。アブエルを維持するために天使狩りをする必要もないし、他の人間達とも戦う必要はなくなるわ」
「他の……人間達とも……?」
伊武の質問に、少女希衣が笑う。
「今の伊武希衣は死ぬんだもの。世界中の人間に死体を見せてやればいい。私がしたようにね。それで、あなたに恨みを持つ者は諦める。もう、戦わなくてもいいの」
死んだという何よりの証拠。死体になり、死体を処分する。Hgがしたように。
「戦わなくていい……永遠の少女に……」
この可憐な少女の体を得て、老いも死も恐れることなく生きていける。大人の体になりたければ、好きな時に乗り換えられる。
なんという甘美な誘いだろうか。多くの女性にとって夢のような話だろう。その夢のような人生への招待状が、こともあろうに伊武に届いている。
「ねえ、希衣。あなた、椿直巳のことが好きなんでしょう?」
唐突に、少女希衣がそんなことを言い出す。
「それ……は……好き……とは……」
言葉を詰まらせる伊武を、少女希衣は遮った。無理に言わせて抵抗させるつもりもない。
「――何でもいいわ。とにかく、あなたは少女になって、あの椿直巳に好きなだけ甘えればいい。飽きたら、大人の体もある。あなたは永遠に椿直巳の人形として可愛がられればいい」
伊武は一瞬で、あらゆる想像をする。ふざけて抱きつくアイシャや、動物のように甘えるBの姿。それ以上のこと。もっともっと、たくさんのしたいこと。
伊武の目が、心が揺れている。少女希衣はすべてを許す聖女のような笑みを浮かべた。
「ねえ、希衣――アブエルが付いたこと自体が間違いだったのよ。これまで、ずっと悪い夢だったの。私が救ってあげる。これまでの分を取り返すぐらい、素敵な時間をあげる。永遠の少女の時間を、あなたにあげる。それが、私とあなたの願いだもの」
少女希衣は立ち上がり、いまだ座り込む伊武に向かって手を差し伸べた。
「さあ、希衣。私の提案を受け入れてくれるなら、この手を取って。あなたの失ったもの、求めるものすべてを――あなたにあげるわ」
「あ……あぁ……」
伊武は言葉にならないうめき声をあげる。
周りの棺桶から、すべての伊武希衣が起き上がって、伊武の手を掴んだ。
無数の人形が伊武の腕を掴み、少女希衣に差し出そうとする。
ねえ、一緒になりましょう――永遠の少女に――私達は全部あなた――。
それが幻覚なのか現実なのか、伊武にはもう判断が付かなかった。
ゆっくり、ゆっくりと。人形達が伊武の手を、少女希衣へと進めていく。
幾千もの枯れない花々――どれも美しく、その香りに頭がぼんやりとしてくる。バラ、ダリア、ガーベラ、カーネーション、アジサイ――それから――それから――ああ、椿もある――。
「――良い子ね」
少女希衣が笑った。
伊武が、少女希衣の手を取った。




