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第二十三章

 翌日の朝。直巳がいつもどおり、リビングで朝食後のコーヒーを飲んでいると、近くにいたAの携帯が鳴った。

 Aは携帯の番号を見ると、黙って直巳に渡した。

「直巳様、スミスからです。誰が応対しますか?」

 Aの言葉に、場に緊張が走る。まさか、もう来たのだろうか。こんな朝から、戦いが始まるというのだろうか。

 直巳は、「俺が出る」と言って、Aから携帯を受け取った。

「もしもし、椿です」

「おはよう、ツバキ。ああ、そんな緊張しなくていい。賊が出たわけではない」

「ああ――そうでしたか」

 直巳は携帯から少し口を離すと、安心したように大きく息を吐く。そして全員に向かって、「違う」と声を出さずに伝えた。部屋の空気が、少し緩くなった。

 スミスが続ける。

「用件はそのことなんだがね。今、こちらの保管庫に賊をおびき寄せられるように、情報操作をしているところだ。なるべく近いうち、夜に襲いたくなるような情報だ」

「そうでしたか。それは助かります」

「ああ。それで、少なくとも明日、明後日の2日間は来ないはずだ。この二日の警備を厳重にして、その後に緩くなる、ということになっている」

「なるほど。では、その後からは要警戒、というわけですね」

「そういうことだ。君達と契約している間に決着をつけたい。ま、こちらもそれなりの準備はしておくさ」

「期待には応えますよ」

「自分のためにそうするといい。それでは、また連絡する」

 スミスは電話を切った。相手が直巳だからか、電話越しだからなのか、彼の態度と口調は、すっかり尊大なものに戻っていた。アイシャが電話に出ていたら、また一悶着あっただろう。

 直巳が電話をAに返すと、早速アイシャが絡んできた。

「プレジデント・スミスはなんて?」

 やはり、彼女に応対させなくてよかった。直巳は苦笑する。

「相手をおびき寄せるために罠を張るって。3日後の夜に保管庫を襲撃したくなるよう、情報操作をするってさ。だから、明日と明後日は安全なはずだって」

「ふうん……そんなタイトな情報操作を、迅速、確実にできるってわけ」

「疑えばキリがないよ。とにかく、そこに行かなきゃ話が進まない」

「こちらに選択肢はないってわけね。ま、いいわ。後2日もあれば、休養と準備ぐらいはできるはずだから。こっちも、向こうもね」

 アイシャは立ち上がると、Aに目配せをしてリビングを出ていこうとした。

「状況の想定はこちらでやっておくわ。直巳とまれーは、普通に過ごしてなさい。一応、早めの帰宅は続けること。携帯はいつでもチェックできようにしておくこと」

 アイシャが部屋を出て行く。直巳と伊武は時計を見ると、少し早いが登校することにした。

 登校中、やはり伊武の口数は少なかった。



 それから2日間。スミスの言うとおり、連絡はなかった。

 直巳達はいつもどおりの生活を続ける。体調を崩さないように注意はした。

 そして、3日後。夕方に帰宅した直巳達は、早めの夕食を取る。今日からは、いつでも出られるように、着替えと準備を済ませている。伊武は戦闘服を着ており、玄関にはいくつもの荷物が置いてある。家の前には、丈夫さだけが取り柄のような、ごつい車が留めてある。

 その物々しい様子に、つばめが何も思わないわけがない。

「ねえ、なおくん……今日、何かあるの?」

 肩にカイムを乗せたつばめが、心配そうに直巳を見上げる。

「――あるよ。だから、準備をしてる」

「そう……よね……さっき、アイシャちゃんに、色々と注意されたし、お守りをもらって、何かおまじないのようなものも教えてもらったわ……きっと、何か危ないことをするのよね」

 つばめは、しゅんとうつむいた。アイシャは何を話したのだろう。こんな質問をしてくるということは、細かいことまでは教えていないようだが。

 直巳は深呼吸すると、かがみ込んで、つばめの膝に手を置いた。

「姉さん。何度も言うけど、これは、俺がやりたくてやってることだ。やめろと言われてもやめない。それで姉さんを怒らせたとしても」

 直巳の言葉に、つばめは、ぐっと唇を噛んだ。

「怒ってなんかないわ。私になおくんを止めることなんてできないし、その権利もないもの。ただ、悲しんでいるだけ……心配しているだけなの……だから、何かあったら、私よりも自分のことを優先するって、約束を――」

「そこまでよ、つばめ」

 アイシャがつばめの肩に手を置く。いつの間にか、つばめの後ろにいた。

「アイシャちゃん……」

「つばめ。あなたが直巳と一緒に戦うつもりがあるのなら、その感傷を直巳に持たせないで。どうしても行かせたくないなら、はっきりとそう言って泣き叫びなさい」

「アイシャ! そんな言い方!」

「女同士の話よ。黙ってなさい」

 アイシャに睨まれる。およそ、少女とは思えない鋭い眼光。

 つばめは、無理をして微笑んだ。いっそう、悲壮さが浮き彫りになる。

「……そうね。笑顔でいってらっしゃい、っていうのが正しいのかもね。でも、こればかりはどうしようもないわ。だって、私はなおくんの姉なんだもの」

「つばめ、あまり言うと――」

「それに、心配しているのは、なおくんだけじゃないの」

 肩に乗せられたアイシャの手に、自分の手を重ねる。

「私が心配しているのは、アイシャちゃんも、希衣ちゃんも。AさんもBちゃんもよ。私は、みんなが心配なの。一緒に暮らしているみんなのことを。それぐらい、伝えてもいいでしょう? 何かあった時、後悔したくないもの……って、そっか。これがわがままか」

 つばめは、アイシャの方を振り返り、微笑んだ。さっきよりはましだ。

「……つばめ」

 アイシャは後ろから、つばめの体を抱きしめる。

「私の教えたおまじない、覚えている?」

「うん」

「お守り、手放したら駄目よ」

「うん」

「じゃあ、行ってくるわね。大丈夫、直巳は強い子よ」

「なおくんのこと、お願いします」

 その時、Aの携帯が鳴った。Aはすぐに出ると、30秒ほど、黙って相手の話を聞く。

「スミスからです。賊が出ました。すぐに現場に来いということです。場所は聞きました」

 全員、黙ってうなずく。

「それじゃあ、行ってきます」

 直巳がつばめに言うと、つばめは笑顔で、ひらひらと手を振った。学校に送り出すのと同じ態度で。無理をした分は、心の中で泣いているのだろう。

「それじゃ、良い子にしてるのよ」

 アイシャは、つばめの頬にキスをすると、直巳達に続いて外に出た。



 全員が車に乗り込むと、Aはナビのセットをして車を発進させた。

 走りながら、スミスから聞いた目的地と状況の説明をする。

 場所は、ここから二時間ほど走った海沿いのビル。夜になると誰もいない、人通りの少ないビル街。そこの一つが、PORラボの保管庫らしい。

 賊はビルに侵入しているが、まだ魔術具を見つけられていない。PORラボの私兵が出入り口を封鎖しているらしい。

 お互いに硬直している状況。後は、ここに直巳達が突入して、賊を片付ける。スミスの想定どおりと言ったところだろうか。

 賊は正体不明。人数不明。実力不明。とにかく、よくわからない相手を閉じ込めたから、そいつを何とかしろ、ということだ。

 話を聞き終ると、アイシャは、「使えないわね」と愚痴って、それっきり黙り込んだ。

 伊武は落ち着いた様子で水を飲み、装備を確認している。今回は、アルケーも背中に背負っている。シールドは張れないが、剣としては有用だ。

 Bは直巳の膝の上で寝ていた。やたらと高い体温が、膝から伝わってくる。

 Aは運転をしながら、邪魔にならないよう、小さな音でオペラを流していた。

 どうやら、緊張しているのは直巳だけらしい。

「……なるようになるか」

 直巳が自分に言い聞かせるように呟くと、アイシャは目を閉じたまま、小さく笑った。

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