第二十章
翌日。PORラボと話がついたことをAgに報告にするため、直巳はAを連れて、彼女の工房に向かった。
Aが運転しているのはクーペ。二人だけなので、リムジンまで出す必要はないし、アイシャは狭い車を嫌がるので、こういう機会でもないと乗ることはないらしい。
いつもより、少し乱暴な運転で、二人は工房に到着した。
車から降りる時、Aは少し大きめのカバンを持っていた。
中に入ると、Agが迎えてくれた。いつもの格好だが、ベール付きの帽子は脱いでいる。
「遠いところを、よくいらしてくださいました。こちらへどうぞ」
Agは二人を連れて、部屋の奥にある階段へ向かおうとした。
「おや? 今日は上でお話を?」
Aがたずねると、Agは少し恥ずかしそうに答えた。
「ええ。椅子があるのは3階だけなので。お茶もすぐに用意できますし」
「その辺に座りますから、椅子はいりません。お茶も心配なさらず」
Agは、困ったような表情でちらりと直巳を見る。
「Aがそういうなら。僕もそれで構いません」
「そうですか……では、1階で」
三人は、多少スペースのある、部屋の隅に向かった。直巳は依然と同じく、花壇のような置物の縁に腰掛ける。しかし、このずらっと部屋に敷き詰められた置物はなんなのだろう。本物の花壇ではないだろうが、花を飾るために用意したオブジェなのだろうか。それにしては大きいし、数も多い。
そんなことを考えていると、Aは持ってきたカバンを開けて、ワインボトルのようなものと、3つのグラスを取り出した。
「本日は僭越ながら、私がお飲み物を用意しました」
そういって、Aはボトルを差し出してAgに見せる。
「お酒……ですか?」
見たこともないボトルを、Agは不思議そうな表情で見つめる。
ボトルには薄い琥珀色の液体が入っていた。色の濃い白ワイン――だとしても、色が濃すぎる。前に、Aがつばめと飲んでいた貴腐ワインが、こんな色をしていた気がする。
「A、どうしていきなりお酒なんか……」
直巳も、Aの考えがわからずに顔をしかめる。
「いえ、お酒ではありません。こういうお茶なんですよ、これは」
そういうと、Aはツールナイフで手早く瓶のシールを外し、コルクを抜く。二人にグラスを持たせて、慣れた手付きで中身を注いだ。
直巳が恐る恐る匂いを嗅ぐと、上品な良い香りがした。一口飲むと、かすかな甘みと、花のような香りが広がった。種類はよくわからないが、たしかにお茶らしい。
「こんなものも、あるんですね」
Agが関心したように、グラスのお茶に口を付ける。
「便利でしょう? 白茶をベースにしたブレンドティーです。常用するには大げさですが」
Aは自分のグラスにも半分ほど注ぐと、一口飲んで香りを楽しんだ。
「まあ、ボトルにしてはなかなか。いつも温かい紅茶ばかりでは飽きますから」
Aはあらゆる嗜好品を好む。酒、煙草、香辛料、お茶。いつもはアイシャが紅茶ばかり飲むので、普段はなかなか飲まないのだろう。車といい、ずいぶんと羽根を伸ばしている。
直巳は、もう一口だけ飲んで喉の渇きを収めてから、Agに報告を始めた。
「昨日、PORラボの責任者と話しがついたよ。条件付きで、「聖堂乙女の核」を譲渡しても良い、ということになった」
「まあ……まあまあ……素晴らしいですわ、椿さん。こんなにも早く……」
Agは心底関心した様子で、直巳を褒め称えてくれた。
「それで、その条件とは? すぐにかなえられるものなのですか?」
「――そこがネックなんです」
直巳は、スミスと交わした条件について話をした。問題は、スミスの言う盗賊が、いつ襲ってくるかがわからない、ということ。明日かもしれないし、もう襲ってこないかもしれない。
直巳の報告を聞くと、Agは目に見えて落胆した。
「そう……ですか……それはたしかに、難しいですね」
「一応、2週間で盗賊が現れなければ、もう一度条件を話し合うことになっています。繋がってはいますので、そこは安心してもらえれば。何としてでも、手に入れてみせます」
直巳が自信を持っていうと、Agは穏やかな笑顔を浮かべた。
「わかりました。信用していますので、どうかよろしくお願いしますね」
「はい。こちらも、あなたの力をどうしても借りたいので――」
そこまで言って、直巳は一度、言葉を区切った。
今日、Agに会いに来たのは、報告のためだけではない。
彼女は、つばめの症状の進行を食い止めるための魔術具を作ってくれると言った。言ったのだが、それだけだ。
何を作るのか? どういう仕組みで食い止めるのか? 詳細は何も聞いていない。それをどうしても確かめたかった。内容によっては、再度交渉をする必要があるだろう。
「Ag。つばめ姉さんを治すための魔術具は、すぐに作れるんですか?」
直巳がたずねると、Agはあっさりと答えた。
「ええ。もういつでも完成させられますよ。ご覧になりますか?」
「え……あ、はい。お願いします」
「わかりました。少々、お待ちを」
そういうと、Agは階段に向かっていった。
直巳とAは二人きりになり、顔を見合わせた。
「意外ですね。もっと、もったいつけるかと思ってましたが。正直に言うと、本当に作れるのかどうかも怪しんでいました」
Aは腕を組み、グラスを斜めにして中身を回す。中身は一滴もこぼれない。
「俺も信用はしてなかった。まだしてないし、実物を見ても信用しないけど」
「そうですね。実際に使って、効果を発揮するまでは嘘だと思った方がいいでしょう」
「向こうに騙す気がなければいいんだけど――戻ってきた」
直巳とAは話をやめて、戻ってきたAgに視線を送る。彼女は、不可思議なアクセサリーのようなものを持っていた。
「こちらです。「双頭の孔雀」と名付けました。触ってみますか? 大丈夫、何も効果はありませんので」
Agが直巳に、「双頭の孔雀」を差し出す。それは、布に木製の飾りがついており、ガラス玉がはめ込んであった。どうやって使うか、まったく検討がつかない。
「まず、私が」
横からAが出てきて、Agから、その安っぽい何かを受け取る。眺め、触り、それが何かを確かめようとする。そして、調べ終わると、溜め息をついた。
「――これで完成とは、言いませんよね? この、ただのオブジェが」
Aの言葉を聞き、Agはクスクスと笑う。
「ですから、言ったでしょう? 何の効果もありませんよ、と。いつでも完成させられますよとも言いました」
「ようするに、完成品ではない?」
直巳がたずねると、AgはAから、「双頭の孔雀」を受け取った。
「ええ。モック、というやつです。さすがに、ここで完成品を出すわけにはいきません。だって、完成品を誰かに奪われたら、あなた達と交渉できなくなってしまうでしょう?」
完成品を奪いそうな誰か。一番可能性が高いのは、目の前にいる。Agが言いたいのは、つまりはそういうことだ。
直巳は苦笑する。まあ、当たり前の考えだ。悪気があるわけでもないだろう。
「Agの言うとおりだと想いますよ。でも、仕組みぐらいは教えてもらえませんか?」
直巳が笑顔でたずねると、Agも笑顔を浮かべて、「双頭の孔雀」を持ち上げた。
「ええ、構いませんよ。この布を彼女の足、浸食位置ギリギリに巻きます。この布は天使の力を弾くものを使います。弾かれた力は、こちらの木製の飾りに流れていきます。この木は、天使の力を呼び寄せるものを。そして最終的に、この宝石に魔力となって流れ込んでいく、というわけです」
つまり、浸食してきた、「天使の奇跡」を宝石まで流す装置、ということか。宝石に魔力がたまり、魔石になったら交換すれば良い。たしかに、理屈通り動くのならば、急激な進行も食い止められるだろう。通常の症状にも効果があるかもしれない。
ただ、Agが説明したのは理屈だけだ。考えるだけなら直巳にだって出来る。
当然、Aも同じ考えだった。Aは小さな拍手をしながら、Agに言った。
「なるほど、素晴らしい。こちらが求めているものに遜色の無い魔術具です。で、一つお聞きしたいのですが、その天使の力を弾くものと、天使の力を呼び寄せるもの。どちらも魔術具なのでしょうが、もちろん、それはお持ちなのですよね?」
「お答えできません」
Agは、まったく悪びれることなく、しれっと返事をする。
Aは笑顔を浮かべたまま、パンと手を叩いた。
「――質問を変えます。その魔術具は、実在するのですよね?」
「もちろん」
今度は、素直に答えてくれた。
「天使の力を呼び寄せるものは、「殉教者の足枷」、という魔術具を素材にします」
「弾く方は?」
「言えません。これ以上は、何も言えません。はっきり申し上げまして、あなた達がヒントを元に魔術具を作り上げたら、私が困るからです」
その答えを聞くと、Aが無表情になり、何度もパン、パンと手を叩きはじめた。一定のリズムで、何も言わずに。この拍手はいつ終わるのか、終わったら、Aは何をするつもりなのか。
「――わかった。ありがとう、Ag」
直巳が口を挟むと、Aは拍手をやめた。
「俺達が、「聖堂乙女の核」を持ってきたら、「双頭の孔雀」を完成させて、渡してくれる。そう信じてる――信じていいよな?」
直巳の真剣な言葉に、Agは、大きくうなずいた。
「もちろんです。約束は守ります。私だって、命は惜しいですから――ね? 執事さん」
Agが煽るように言う。しかし、Aは穏やかな笑顔を浮かべており、直巳は安心した。
「あなたのいうとおりですよ、Ag。命は大事にした方がいい。それは、とても壊れやすいのですから」
Aは笑顔のまま、手に持ったグラスを床に落とした。
グラスが小さく甲高い音を立てて割れる。床に広がって光るガラスの破片を、薄い琥珀色の液体が、ゆっくりと飲み込んでいく。
「とてもとても――簡単に壊れるのですから」
直巳とAが、Agの工房から帰宅する。車中、これと言った会話はなかった。
直巳は自分の家に帰ると、上着を脱いで、リビングの椅子に腰掛けた。それでようやく気が緩んでくると、喉の渇きと空腹を覚えた。
何か作って食べようかと思ったが、疲れているせいで、そんな気にもなれない。コンビニでも行こうか、それも面倒くさいな、などと考えていると、伊武が入ってきた。
「椿君……おかえり……何も……なかった……た?」
伊武は風呂上がりで、まだ髪が濡れていた。伊武は冬でも、部屋着はTシャツ一枚だった。下着だけはつけてくれと、お願いしている。
「ただいま。何もなかったよ。Agに、スミスとのことを報告してきただけ」
「……そう……ご飯……は? Aと……食べて……きた?」
「いや、食べてきてない。なんか、そんな流れじゃなかったというか」
「……そっか」
直巳が答えると、伊武は少し嬉しそうな表情をした。別に深い意味はないとしても、直巳が他の女性――よりにもよってAと二人きりで食事をするなんて、気持ちの良いものではない。
「少し休んだら、何か簡単なものでも作って食べるよ。寝ちゃってもいいんだけどね」
直巳が軽い気持ちでいうと、伊武が近づいてきて、隣りに立った。慣れていないと、かなりの圧迫感があるだろう。直巳はもう、慣れているので大丈夫だが。
「食べないと……駄目……体……壊す……よ」
伊武に真面目に注意され、直巳は苦笑する。心配してくれるのは、悪い気持ちじゃない。
「そうだね。わかった。ちゃんと食べてから寝るよ」
「うん……よかったら……私……作るよ……? 椿君は……何が……食べたい?」
伊武はやる気になって、キッチンへ向かおうとする。直巳は慌てて止めた。
「いや、自分でやるから大丈夫だよ。伊武、風呂入った後だろ? 料理したら、また汚れちゃうし」
直巳に断られると、伊武は見てわかるぐらいに落ち込んだ。犬なら耳を伏せているだろう。
「……そう……わかった……」
伊武はそれきり、何も言わずに部屋へ戻っていった。




