第十七章
翌朝。起床して身なりを整えた直巳がリビングに行くと、アイシャが何枚もの書類を広げながら、ノートPCとにらめっこをしていた。
直巳が覗くと、どうやらAgから渡された、PORラボのデータをまとめているらしい。いくらアイシャが眠らないとはいえ、朝早くから、こういった作業をするとは思えない。夜通しやっていたのだろうか。
直巳はキッチンで紅茶を煎れると、アイシャの前に置いた。
「どう? 何かわかった?」
「新しくわかったようなことはないわよ。ただ、場所を確認してただけ」
ノートPCでは有名な地図サービスを開いていた。これでPORラボの位置と、周辺を確認しているのだろう。現代人の直巳ですら便利だと思うのだから、三千年生きているアイシャからしてみれば、便利どころの話ではないだろう。まあ、現代のテクノロジーを問題なく操っているアイシャが、そもそもすごいのだが。
アイシャはノートPCを閉じると、直巳の煎れた紅茶を一口飲んだ。使う葉や煎れ方はAに教わっているので、まずくはないはずだ。少なくとも、Agの煎れたお茶に比べたら。
アイシャは紅茶を置くと、熱い溜め息をついた。
「さて……極端な話、PORラボに対して交渉か襲撃か……どっちにするかなんだけどね。直巳の意見は?」
「襲撃を考慮にいれた交渉、かな」
行儀良くする必要も、気を使う必要もない。ただ、いきなり襲撃するよりは、そちらの方が効率がいいと思っただけだ。襲撃に失敗して完全に手がかりを失うことは避けたい。
アイシャも直巳の考えは理解してくれたらしく、一応うなずいてくれた。
「妥当だけどね。向こうは、こっちを襲って失敗してるのよ。大人しく会ってくれるかしら」
「有利な状態で会うからこそ、貸し一つの状態で交渉ができるじゃないか」
「貸し一つって言ってもねえ……それはオプションでしょ? そもそも、向こうが交渉するメリットは何よ」
「アルケーじゃ駄目かな。あれ、Agに返せとは言われてないよね」
そもそも、PORラボはアルケーを欲しがっており、「聖堂乙女の核」と交換する、しないで揉めていたはずだ。
「アルケーねえ……もう一回、Hgと同じ揉め方するわけ?」
「すぐに交換しておしまい、とは思ってないよ。でも、交渉のきっかけぐらいにはなるんじゃないかな。テーブルについてもらえれば、他の条件も聞き出せるだろうし。それに、襲ったところで、「聖堂乙女の核」が、別の場所に保管されてたらどうしようもない」
アイシャは、目を閉じて少し考え込む。
「基本的には賛成――ただ、交渉がちゃんと進めば、っていう条件付き――直巳、ちゃんと交渉出来る?」
母親が子供を試すような言い方。直巳は、少しむっとした。
「出来るよ。相手の条件をどこまで呑むか、事前に打ち合わせだけさせてくれれば」
むきになる直巳の子供じみた態度を、アイシャは微笑ましく思った。
「頼もしいわね。なら、向こうと会う準備はこちらで進めておいていい? 早ければ、今晩にでも会うことになると思うけど」
「構わないよ。伊武にも、そう伝えておく」
「わかったわ。結果がわかったらメールで連絡するから」
「早めに帰るようにするよ。打ち合わせの時間も欲しいし」
そこまで話をしたところで、リビングにAと伊武が入ってきた。
直巳とアイシャは、今決まったことを二人に話す。二人とも特に反対することなく、了解してくれた。
それから、直巳は朝食を食べ、コーヒーを飲むと、伊武と一緒に学校へ向かった。
登校途中、伊武は一言も口をきかなかった。怒っているのではない。ずっと、何かを考えているようだった。直巳が、「どうしたの?」とたずねても、「何でもない」と、静かに笑うだけだった。いつもよりも、ずっと不器用な笑顔だった。
昼休み、アイシャからメールが届いた。内容は非常にシンプル。
「今晩、PORとの会談が決定。早く帰るように」
それだけだ。直巳は、一緒に昼を食べていた伊武にメールを見せると、「わかった」とだけ返事をした。いつもより、会話の少ない昼食だった。
そして、何事もなく授業が終わる。直巳は若林達に遊びに誘われたが、バイトが忙しいと嘘をついて断った。あまり距離を置いても学校生活が送りにくいし、暇ができたら付き合ってみるのもいいかもしれない。
伊武を誘って帰ろうと思ったが、伊武はすでに一人で学校を出ているようだった。
仕方が無いので一人で帰宅していると、直巳の肩に一羽の真っ黒なツグミがとまった。アイシャの召還した、ソロモンの悪魔の一人。鶫総統カイムだ。
カイムは付近の偵察と、つばめの護衛が主な任務になっているので、直巳と話をする機会があまりない。今は偵察中、という名の散歩中なのだろう。
カイムは直巳の右肩に止まると、ベラベラとまくしたて始めた。
「あら? 今日は直巳一人なの? 学生だというのに寂しいよねえ。伊武希衣はどうしたの? あの子、怖いし大きいけど見た目はいいんだから、ちゃんと仲良くして一緒にいた方がいいんじゃないの? おっぱいも大きいから、周りからはあいつすげえな。色んな意味ですげえ女の子連れててすげえな、って目で見られるよ。少なくとも、部活もしてないで一人で帰宅してるとかマジ寂しいなあいつ、みたいな目よりはマシでしょう。直巳はただでさえ友達が少ないだし。女の子の友達なんか伊武希衣しかいないんだから大事にしないと。まあ、他に彼女なんか作れるわけもないんですが? モテるモテないじゃなくて状況だよ状況。この状況で一般人の彼女作ってさらに面倒抱える状況とかあり得ないしね。あ、ちょっと状況って言葉使いすぎたよね。わかりにくいよね。じゃあ最初から言い直そうか。最初ってどこからかな? 本当に最初から? あ、直巳が覚えていればそこは飛ばしてもいいかなと思うんだど、どの辺からにすればいい? やっぱ、わかりやすく最初からがいいか。 あら? 今日は直巳一人なの?」
直巳は右耳がバカになり始めたので、カイムを掴んでポケットに突っ込んだ。カイムは人なつっこいのはいいのだが、とにかくうるさい。放っておくと、ずっと同じことを繰り返し話し続ける。たまに、こいつはツグミじゃなくてオウムなんじゃないかと思うことがある。
頭からポケットに突っ込まれたカイムは、まだ何かわめいている。バタバタと暴れる羽根がうっとおしいので、足を掴んでポケットから引っ張り出してやる。
「――ぷはぁ! 何するの直巳! 前から言おうと思ってたんだけど、直巳はボクの扱いがちょっと雑じゃない? 鳥だから? 鳥だからなの? じゃあボクがすっごい美少女になれば、直巳は優しくしてくれるの? それとも美少女は間に合ってるから美少年? ははーん、そういうことですか。直巳はボクをそういうギュェェェ」
カイムの首を、2本の指でキュッとした。伊武のギュッ、よりはずいぶん優しい。
「うるさいからだよ! で? 何か用なのか? 用件があるなら、まずそれから言ってくれ。喋りたければ、その後に付き合ってやるから」
直巳が指を離すと、カイムは何度か深呼吸して息を整えた。
「まったく……用件はあるよ! 最初から言ってるじゃない。伊武希衣だよ、伊武希衣!」
「伊武? 伊武がどうかしたのか?」
カイムが最初から伊武の話をしていたかどうかは別として、聞き捨てならなかった。
「どうかしたってこともないでしょ。最近、伊武希衣の様子、おかしいよね? それぐらいは直巳も気づいてたよね?」
「まあ……そうだな。元々少ない口数が、さらに少なくなってるし、何か考えているような……とにかく、元気はないよ。Agと会っている時も変だったし。カイム、Agのことは聞いてる?」
「HgとAgの話はAから聞いてるよ。で、ちょっと様子がおかしいから、ボクの力で伊武を見てみたんだ」
「カイムの力……? 言葉が通じる以外に、なんかあったっけ?」
カイムはあらゆる言葉が話せるようになる、という非常に便利な力を持っている。シンプルに意志疎通をさせるだけなので、英語のテストが楽勝になる、というわけではないが。
それ以外に、カイムの能力があっただろうか。戦闘は得意じゃないはずだし。
直巳が悩んでいると、カイムは直巳の耳をくちばしで強く引っ張った。
「痛い! カイム痛いって!」
「直巳が悪いんだよ! ボクの能力忘れるなんて失礼だよ!」
通りすがりの女の子達が、直巳とカイムを見て笑っている。カイムの声は、他の人からは鳥の鳴き声にしか聞こえない。周りから見ると、ペットの鳥とじゃれているようにしか見えないだろう。
「わかった! ごめん! 俺が悪かった! で、能力ってなんだっけ?」
「未来予知だよ! 未来予知!」
「――ああ、未来予知な。はいはい」
完全に忘れていたが、たしかそんな能力もあった気がする。
「絶対忘れてたでしょ! まあ、ちゃんとやると、すっごい魔力使うから禁止されてるんだけどさ。でも、溢れるほどの魔力があれば、すごい細かく未来がわかるんだよ。まあ、その魔力で悪魔が何人か復活できるんだけど」
複数の悪魔が復活できるほどの魔力。天使遺骸で言えば、何本になるだろうか。
「そんなに使うんじゃ無理だな……」
「でも、なんとなく見るだけならできるの! それで、伊武希衣の未来を見てみたの!」
「おお! すごいじゃん! それでそれで!?」
突然、食いついてきた直巳に、カイムはぷーっと頬を膨らませる。鳥の姿なので、よくはわからないが、そんな風に見える。
「もう……あのね。伊武希衣の未来に、過去が見えたんだ」
「未来に……過去?」
「うん。あいまいな言い方で悪いんだけどね。未来が、過去で閉ざされてるの。きっと、過去が関係した良くないことが待ってる。避けて通れない壁のようにね」
「伊武の過去か……まあ、今回はHg絡みだしな……でも、Hgは死んでるんだし……」
伊武の仇であるHgは死んだ。死体を焼いて、灰が川に流れるのも見た。あの状態から蘇生することなどは考えられない。そもそも、蘇生がそう簡単にできるのかも知らないが。
「それ以上のことはわからないか? キーワードとか、そういうのでもいいんだけど」
直巳がたずねると、カイムは首を横に振った。
「これ以上はわかんない。魔力を使いすぎるからね。下手すると、ボクがまた姿を失ってツボの中に戻っちゃうし」
「そうか……わかった。ありがとうな。気を付けてみるよ」
「うん。そうしてあげて」
「ああ。わざわざありがとうな。それじゃ――」
そういうと、直巳はカイムを腕に乗せて、空に向けて飛ばそうと腕をあげた。
だが、カイムはピクリとも動かない。上下させた腕に、きっちりと乗ったままだ。
「……どうした? ここは格好よく飛んでいってくれよ」
「ボク、えらかったよね?」
「まあ、うん」
「えらかった子には、ご褒美だよね?」
カイムが目をキラキラさせながら、首を横に傾ける。
「……わかったよ。サラミでいいのか?」
「やったあ! サラミだ!」
ご機嫌なカイムを肩に乗せながら、直巳は帰路についた。
途中、カイムのためにスーパーでサラミを買ってやった。一番安いやつを。
カイムは特に問題なく喜んで食べていた。わりと何でもいいらしい。
途中、サラミがカラスに奪われそうになったので、直巳が追っ払ってやると、カイムは感謝の言葉とともに、すりすりと頬を寄せてきた。サラミ臭かった。




