第十六章
「PORラボは、生前のHgと交流があったのです」
AgがPORラボについて話を始める。直巳達は、自分達が彼らに襲われたことは言わずに、彼女の話を聞くことにした。
「高田さんと同じですね。開発支援をする代わりに、Hgが魔術具を作る。しかし、PORラボの場合は資金提供だけではありませんでした。魔術具を作るために、魔術素材を提供していたのです」
「魔術素材?」
直巳には聞き慣れない言葉。アイシャ達はわかっているのだろうか。
Agはあきれもせず、直巳の問いに答えてくれた。
「はい。例えば、伊武希衣の持っている妖剣フリアエ。あれは、最初からあの形で、この世に存在したと思いますか? そうでなくとも、普通の金属で作れると思いますか?」
「ああ……なるほど」
直巳にも、なんとなくわかってきた。
「魔術的な要素を持った素材を解体し、再構成して、役に立つ魔術具を作る。それがクリエイターの仕事なのです。素材だけは、自身で作り出すことができません。魔術素材はいわゆる、「いわく付きの骨董品」のようなものと言えば、おわかりいただけるでしょうか」
「例えば……持ち主が死ぬ宝石とか、人を傷つけたり、救ったりした道具とか?」
「はい。そのとおりです。そういうものは、あるものを持ってくるしかないのです。時間と運命が作り出した、限りある資源といってもいい。さらに、魔術具の材料として使えるような効果、素材のものとなると、さらに限りがある。見つけるのも大変ですし、奪い合いにもなる」
そう言われて、直巳は伊武の持っているフリアエを思い出した。相手を傷つけるどころか殺すためだけに作られた鉄の塊。遊び心のある処刑具。ポータブルギロチン。
あの大きな妖剣は、すべてがそういった魔術要素のある素材で作られているのだろうか。いわく付きの金属、あれだけの量――それが一体なんなのか、想像したくもなかった。
「わかりました。話を止めて申し訳ありません。続きを」
Agは黙ってうなずき、話を再開した。
「PORラボは、Hgに様々な素材を提供してくれました。役に立つものから、役に立たないものまで。とにかく大量に。そこから、Hgは彼らの役に立つものを開発しました。その中の一つが、あなた達もご存じの守護剣アルケーです」
「アルケー……が?」
守護剣アルケー。それを装備した天使騎士のマルジェラは、伊武と互角以上の戦いを繰り広げた。仲間のことを持ち上げるような言い方になるが、あの伊武希衣をだ。Hgはそれを、PORラボの資金、素材で作ったのだという。
しかし、それならばなぜ、Hgはマルジェラにアルケーを渡したのだろうか。それはPORラボも知っていたことなのだろうか。直巳の疑問は、続くAgの話で解決された。
「守護剣アルケーは、あなた方も知っているとおり、マルジェラという女性に譲渡されました。Hgが何を考えていたのかは、私にもわかりません。ただ、Hgはアルケーの譲渡について、PORラボと揉めていたのです――Hgは、アルケーと「聖堂乙女の核」を交換しようとしていました」
「PORラボは、それを良しとしなかった。Hgも、譲る気はなかった」
Agはうなずいた。
「「聖堂乙女の核」は、かなり価値のあるものです。天使教会を敵に回しても、PORラボが手に入れたくなるぐらいに。Hgは、どうしてもそれが欲しかった。その交渉の切り札がアルケーだったのですが、PORラボは、すでに行っている援助でアルケーの代金にはなるだろうと――交渉は平行線をたどり、やがてPORラボは、Hgを襲うことを考え始めました。何もかもを奪うために」
「ああ、なるほど。それでHgは逃げ回ってて、僕が見つけたというわけだ」
高田が、ポンと手を叩く。Agは黙ってうなずいた。
「今もPORラボはHgのことを許してはいないでしょう。彼らにしてみれば、散々に援助をした挙げ句、成果のアルケーも渡さなかった裏切り者なのですから。それは、Hgの一派である私も同じ。さらに、私にはアルケーというカードもない――そこで、あなた達に入手をお願いしたい、というわけです」
事情はよくわかった。十分なほどに。ひたすら厄介な案件だということが。
しかし、これをクリアしなければ、つばめは助からないだろう。やるしかないのだ。
「Ag。「聖堂乙女の核」を手に入れる手段は問わないってことで、いいのかな」
「私は関与しておりませんから。あくまで、あなた達のやることです」
「――なるほど。手に入れた後のケアも、こっち持ちってことか」
「そうなりますね。私も、できる限りの協力はします。どうか、お願いします」
Agが深々と頭を下げる。彼女にとっても、「聖堂乙女」の核の入手は悲願のようだった。
「――わかった。引き受ける。だから、そちらも準備をしておいてくれ。姉さんを助けるための魔術具を作る準備を」
直巳が了承すると、Agは、ほっと胸をなで下ろした。
「もちろんです。期待には応えてみせます。それでは、契約は成立ということで」
Agが手を差し出す。直巳は、その手をしっかりと握った。
「ちなみに――俺達はもう、PORラボと接触したことがある」
直巳はAgの手を握りながら言った。Agの手から、体の硬直が伝わる。
「――まさか、PORラボの使いだなんて、言いませんよね」
「逆だよ――Hgを探してたら、突然襲撃してきたんだ。だから、撃退した」
直巳の話を聞くと、Agは声高らかに笑った。
「それはそれは……頼もしいですね。あなた達に出会えてよかった……ちなみに、連絡は取れるのですか?」
「いや。手に入れた番号は使えなかった」
「そうですか。Hgが連絡に使っていた番号があるはずです。後でお伝えしましょう」
「はい。では、後ほど私が」
Aがうやうやしく礼をすると、Agはまんざらでもないようだった。
「それでは、本日はこの辺で。良い報告をお待ちして――」
「……待って」
Agが話を終わらせようとすると、今日初めて、伊武が口を開いた。
「あら? 何かしら伊武希衣。もう、話は終わりましたよ?」
まただ。伊武にたいしてだけ、Agは風当たりが強いような気がする。
しかし、伊武はそれを気にもせず、彼女の顔にかかっているベールを指さした。
「それ……とって……顔を……ちゃんと……見せて……もらえる? 契約した……相手に……失礼……でしょう」
伊武は今にも、飛びかかってベールを引きちぎりそうな気配を出していた。Agが伊武を挑発するように、伊武もAgの態度が引っかかるらしい。お互い、気に入らないのだろうか。
Agは少し考えた後、「わかりました」と言って、ゆっくりとベールを取った。
「これで、満足ですか?」
ベールの下からAgの素顔が覗き、にこりと微笑む。
「――え」
Agの顔を見た直巳は、思わず声を出してしまう。
その顔は、とてもとても可愛らしかったから――だけではない。Agの顔は、誰かに似ているような気がしたのだ。はっきりと似ているわけではない。ただ、面影があるのだ。
その違和感に全員が気づき、一斉に彼女を見た――伊武希衣を。
Agの顔は、伊武希衣の面影があった。
当然、別人だ。似てるとも言いづらい。
Agは背も小さく華奢で、可愛らしい顔立ちをしている。
伊武は背が高く、グラマラスな体系で、美人系の顔立ちをしている。
まったく似ていないのに、無視できない何かがある。
それが何なのかは、誰も説明できなかった。ただ、見比べて首をひねるだけだ。
伊武も何となく気づきはしたが、それを態度に表わすことはなかった。
「これで、満足ですか? 伊武希衣」
「今後も……外すこと……」
「わかりました。伊武希衣」
「……さんを……つけろ」
「これは失礼。伊武希衣さん」
伊武は、しばらくAgを睨み付ける。対するAgは、冷たい目で見つめ返す。
「……ふん」
伊武は憎々しげに鼻を鳴らすと、一人、部屋を出ていった。
伊武が出ていったのを見ると、アイシャも立ち上がって伸びをした。
「私も帰るわね。A、直巳。後は任せるわ。色々、聞いておくこともあるでしょう」
「かしこまりました。お帰りは、どういたしますか?」
「車呼んでくれればいいわ」
「では、少々お待ちを」
Aは携帯電話を取り出すと、素早く車の手配を始めた。タクシーでもハイヤーでも何でも良い。とにかく、一番早くここまで来られる車であれば、なんでも。
「外でお待ちください。すぐにやってきますので」
「わかったわ。Bも連れて帰る。この子、もう飽きてるみたいだし。高田も行くわよ」
アイシャが、床に丸まって眠っているBを起こすと、ひきずって部屋から出ていった。高田もそれに付いていく。
部屋に残ったのは3人。直巳とA、それからAg。
「じゃあ、必要な情報を教えてもらえるかな。PORラボについて、わかることを全部」
直巳が言うと、Agは、「わかりました」と言いながらも、少しつまらなそうな顔をした。
「せっかちなんですね。せっかく、静かになったのですから。まずは、ゆっくりとお茶でもいかがですか? もう少し、景色の良い所で」
「……1階ですか?」
「ええ。花畑でお茶、一度やってみたかったんですよ。先生は来客を好みませんでしたから、その機会もなくて」
花畑でお茶。いかにも優雅だ。映画で昔の貴族がやっているような、ベタベタな風景。それ自体を嫌だとは思わない。直巳だって、抜けるような青空の下、花に囲まれてお茶ができるのなら、やってみたいと思う。問題は、1階のアレが花畑だとは思えないということだ。
まあ、それでAgの気が済むのなら、付き合うのは別に構わない。何か変なことをしようとしても、Aがいるのだから大丈夫だろう。
「そうですね。せっかくですから、いただきましょうか。Aも、いいよな?」
「もちろん。いつもは用意してばかりですから、振る舞っていただけるのは楽しみです」
Aはにこりと笑うと、頭の中で、今持っている薬の種類と残量を確認した。直巳を助けるための薬はどれだけあったか。Agを攻撃するためには、どれが使えるだろうか。
直巳とAの心中を知ってか知らずか、Agは上品に微笑んだ。
「では、すぐに準備しますので、下でお待ちください」
Agはお茶の準備を始めたので、直巳とAは1階へと向かった。
1階。相変わらず薄暗い部屋で、花の匂いが充満している。ただ、最初に来た時よりは気にならなくなっていた。鼻が麻痺しているからだろうか。
「待ってろって言われても……座る場所なんか無いよなあ……」
直巳が辺りを見回しても、机どころか、椅子すらない。座れそうな場所と言えば、花が咲いているというか、刺さっている花壇の縁ぐらいしかない。
直巳が迷っていると、Aがポケットからハンカチを取り出し、花壇の縁に敷いた。
「どうぞ直巳様。こちらにお座りください」
「いや、そんな。悪いよ」
アイシャなら当然のように座るのだろうが、直巳はそんなご主人様扱いに慣れていない。恐縮して断ると、Aが面倒くさそうに溜め息をついた。
「直巳様……あなたは今、我々の代表なんですよ。Agになめられないよう、使用人を顎で使うぐらいの威厳は見せていただかないと。これも仕事ですよ。それに、ハンカチなんか洗えばいいんです。捨てたっていい。このハンカチで威厳が買えるなら安いものでしょう?」
「う……わかった」
気持ちは落ち着かないが、Aの言いたいことはわかった。直巳は、真っ白なハンカチに上に座る。最初は座って、両手を膝の上に置いていたのだが、すぐに思い直して、足を組む。
Aは、それを見ると、小さく拍手をした。
「そうそう。それでいいのです。必要以上に気を使うことはないのですよ」
子供扱いされるのは嫌だったが、ここでケンカしてもしょうがないし、絡めばAは喜ぶだけなので、直巳は何も言い返さないことにした。
少しすると、ドアが開いてAgが入ってきた。片手でティーポットとカップを載せたトレイを器用に持っている。
「お待たせしました――ああ、座る所がありませんでしたね。椅子をお出ししないと」
AがAgからお盆を奪うように受け取ると、薄っぺらい美しい笑顔を浮かべた。
「いえ。このままで構いません。たまには、こういった趣向もよいでしょう。ピクニックにきたようで、楽しいものです」
「そうですか。ならば、今日はこれで」
Agが言うと、Aはさっさとカップにお茶を注ぎ始めた。最初、少しだけ色を見たが、すぐに全部のカップに手際良く注ぎきると、直巳とAgにお茶を渡した。
直巳はカップを受け取ると、さりげなく匂いを嗅いだ。Aや伊武のように、薬物がわかるわけでもないが、一応、というやつだ。
そして、お茶の香りが色のわりに非常に薄いことに気が付く。何かおかしい、ということではない。むしろ、直巳にとっては慣れた香り。アイシャ達が来るようになってからは、飲まなくなったお茶の香り。
ようするに、ただの安物のお茶だ。一箱数百円のティーパックだろう。
Aは受け取ると、毒味として一口飲んで、それっきり口を付けなかった。怪しんでいるからではない。お茶も入れ方も何もかも、口に入れるに値しないと思ったからだ。
さて、これはどういうことか。Agは直巳達をバカにしているのか。お前等には、これぐらいのお茶で十分だろうということなのか。それとも、怒るか質問するか、反応を待っているのだろうか。
正解は、どちらでもなかった。
Agはお茶に口をつけないAを見ると、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。用意できるお茶が、これしかなかったんです。先生には来客もないですし、こういったものに興味の無い――というか、嫌いな人だったんです」
「嫌い?」
嗜好品に興味がないというのはわかる。しかし、嫌いというのも珍しいのではないか。直巳がたずねると、Agは少し恥ずかしそうに答えた。
「ええ。お茶が、というより、食品全般が嫌いだったんです。肉や魚、野菜はもちろん。こういったお茶やコーヒーなども好きではありませんでした」
「へえ……偏食とか、そういうことですか?」
「いえ、食の好みというよりは、生を感じるものが嫌だったようです。動物、植物に関わらず。お茶も葉っぱで、腐るから嫌いだと……それでも、ティーパックやインスタントコーヒーなら許容できたそうです。工業的で、生きている感じがしないから、と」
直巳は、カップに入ったお茶を改めて見てみる。味も香りも薄い液体。いつも同じ味。生きている匂いがしない、というHgの感想はなんとなく理解できた。アイシャなら紅茶だと認めすらしないだろう。いつまでカップを温めているの? ぐらいのことは言うかもしれない。
「……潔癖、っていうのかなあ」
「そうですね。そういったものに近いと思います。ですから、お茶菓子もこんなものしか用意できなくて」
そういうと、Agはポケットから、ビニールの袋に入った小さなチョコバーを取り出す。キャラメルやらナッツやらが入った、甘さとボリュームが売りのお菓子だ。
「研究中、手軽に糖分が補給できる、ということで好んでいました」
Agが少し恥ずかしそうに言うと、直巳は笑いながらチョコバーの袋を開けて、一口で頬張る。何口が噛んでいると歯が痛くなり、飲み込むと甘さで喉が焼けるようだった。そこに、薄い紅茶を一気に流し込む。
「これだとコーヒーの方が、あうかもね」
綺麗に片付けた直巳を見ると、Agは少し笑った。
Aはチョコバーをポケットにしまうと、諦めたようにお茶に口をつけた。表情は変わることはない。まあ、毒は入っていないようだし、昔に比べたら、まともに飲めて無害なだけ上等と言っていい。何百年も昔に比べたら、だが。
「Hgは生を感じるものが嫌い、ということですが。この花も、そういった理由で?」
Aが、近くにあった花を撫でながらたずねる。生花とは違う、少し硬い手触り。
「お気づきでしたか。ええ、そのとおりです。生花は枯れるのが嫌だと」
「なら、造花にすればよかったのでは?」
「あれは花の形をしているだけで、魂がないと」
「生を感じるのが嫌なのに、魂がないのは嫌。なかなか、難しいことを言う」
「そうでしょうか? やはり、本物の花は美しいと思いませんか? それが永遠に続くのなら、そんなに素敵なことはないでしょう」
「枯れない花が美しいと?」
「それは、当たり前では? 誰だって、花が枯れたら変えるでしょう?」
Agの言葉に、Aは鼻で笑った。
「咲くから、枯れるから花なのですよ。あれだけ美しかった花が痛み、一枚二枚と花片が落ちて、やがて見る影もなく枯れ、ゴミのように捨てられ、新しい花に代えられる――その時間の流れが花の醍醐味でしょう」
「ですから、先生はそれが嫌だと――」
Agの反論を聞くことなく、Aは言葉を続けた。
「それに、この部屋の花はすべて美しい。痛んだ花や葉は一枚もない。すべてが最高の状態で時間を止めている」
「――一番美しい状態を保管する。当たり前では?」
Agの口調が少しこわばる。Aは無視する。
「私なら、永遠に痛んだ花も作りますね。周りは全て完全に美しいのに、一つの花だけ、一枚の花片だけ、茶色く痛んで欠けているんです。永遠に、変わることなく。そのまま、枯れて散ることすらできないのです――どうですか? 愛しいと思いませんか?」
Aが薄く微笑むと、Agは冷たい視線を返した。侮蔑を隠そうともしない。
「悪趣味ですね――私にはわかりません」
「美は醜悪に、醜悪は美に寄り添っているものです。それは欲望でもあります。人が持つ、生と死への正しい欲望。どちらかに偏ることはありますが、Hgは偏りすぎている」
そういうと、Aは手近にあった紫の薔薇を手折って、匂いを嗅いだ。
「永遠に美しいものだけを集めた部屋――ここまでいくと、この部屋自体が作品ですよ。醜悪さを恐れて美を集めた、醜悪な作品――悪くないですね。美しくはないですが」
Aは手に持った薔薇の花を握り潰すと、手の平から、ゆっくりと花片をこぼした。
ヒラヒラとこぼれ落ちる花片を、Agはじっと見つめていた。
最後の一枚が床に落ちると、Agは何も言わずに部屋を出て行った。
直巳はAをなじるように見つめる。Aは静かに頭を下げた。反省した様子はない。
そして、Agはすぐに戻ってきた。手には、中身の入った書類袋を持っている。
Agはそれを押しつけるように直巳に渡した。直巳が中身を確認すると、それはPORラボの連絡先や住所、Hgとのメールのやり取りが記載されている紙が入っていた。
直巳は溜め息をつくと、立ち上がってAgに頭を下げた。
「Ag、ありがとう。活用させてもらうよ。今日のところは、これで」
「はい。またいつでもお立ち寄りください。椿さん」
Agは、この場にAがいないかのように、直巳にだけ言った。
二人は工房を後にした。Agは工房から出ることなく、見送りもしなかった。
Aの運転する車内。リムジンだが、一人で後部座席に座っていてもつまらないので、直巳は助手席に座っていた。
「やりすぎだよ。Ag、怒ってただろ」
直巳が、先ほどのAの態度をたしなめると、Aは運転のために前を向いたまま返事をした。
「悪気がなかった……といえば嘘になりますが。でも、別にからかうのが目的ではなかったのですよ」
「なら、本当の目的って?」
信号が変わり、車が止まる。Aはハンドルを指でコツコツと叩く。
「HgとAgの価値観が同じかどうか、確かめたかったんです。Agは、Hgの趣味嗜好について他人事のように言っていた。こんなお茶や菓子しか用意できなくて申し訳ない、と。そのわりに、本心から悪いとも思っていないようでした」
「うん……まあ、そうかもしれない」
「Hgの思考は特殊でしょう? 生を感じるものが嫌い。肉や魚ならともかく、植物まで嫌いなんていうのは珍しい。その珍しい感覚をAgは共有していたのか、拒否していたのか。それが知りたかったんですよ」
「結果は――ほぼ共有している、って感じかな」
「そうですね。それが珍しいと認識はしていながらも、認めているという感じですか」
「その情報がどういうことかは……まだ先の話か」
「そうですね。まずは、Agと付き合っていく上で役立てましょう」
「俺がね。Aはもう、刺激しない方がいい」
「ええ。私は情報を得るために犠牲になりましたから」
信号が変わる寸前。Aはナビを止めてから、車を発進させた。
「どうして、ナビ止めるの?」
「少し、気晴らしに付き合ってください。帰る前に、あの空間で染みついた空気を洗い流したい。ドライブと食事ぐらいなら、いいでしょう?」
Aが珍しく、甘えるような声で言ってくる。直巳がそれに心動かされることもないが、珍しいことはたしかだった。
「……あんまり、遅くならなければね」
「ありがとうございます。直巳様とデートですね」
「今のAは俺の執事なんだろ? 執事と行動するのはデートって言わないよ」
「つれないですね。お望みなら、女性らしい服に着替えましょうか? 直巳様の好みの服を着ますよ。年上の女に好きな格好をさせるなんて、贅沢じゃありませんか?」
直巳は、一瞬だけ色々な格好をしたAを想像する――少しいかがわしい想像もした。それがどんな格好でも、Aは着てくれるだろう。しかも、直巳の気持ちを察して、超えてきてもおかしくない。
「――いや、いい。Aは、その格好が一番似合うよ」
当然、そんなことを伝えるはずはない。この後、一生Aに言われ続けるし、アイシャや伊武にばれたら、何を言われるかわからない。つばめにばれたら家出ものだ。
「一瞬、間がありましたね。私に何を着せたいのか、教えていただければ着ますよ」
Aはクスクスと笑う。これぐらいの誘惑に屈しているようでは、Aと生活など出来ない。
「Aには執事服が一番似合う。本心だよ」
「それも複雑な気持ちですが。ありがとうございますと言っておきましょう――さて、何を食べましょうか」
「どうしようか――とりあえず、ドライブしながら考えようよ」
「ええ、そうしましょうか。夜は長いのですから」
それから、Aと一緒に当てもなくドライブを続けた。せっかく遠出したので、景色の良い場所でも行こうかと車を走らせたのだが、どこも期待はずれで、二人で苦笑した。
夕食は、地元の人間しか来ないような小さなレストランに入った。特に変わったメニューはなく、値段のわりには味も量も良い。直巳はハンバーグとエビフライを。Aはカツレツを。それからハーブのたくさん入ったサラダを頼み、二人で取り分けて食べた。Aは車なので酒は飲まなかった。別に飲んだ所で悪魔が酔うとも思えないのだが、直巳に気を使ってくれたらしい。
帰り道。車の中で、直巳が、「俺も18になったら免許取ろうかな」というと、Aはぜひ取ってくださいと楽しそうに言った。
「直巳様が運転してくれたら、私もワインが飲めますから」
「そうだね。いつも運転はAに任せてるから、そういう時は俺がするよ」
「楽しみです。そうしたら、また二人で、あのお店に行きましょうね」
Aがにこりと微笑む。とても可愛らしい――知らない人が見れば。
「直巳様。今の、正直すごく可愛くないですか?」
「可愛くしようと思ってるのが見えてたから、可愛くなかった」
「さすがに引っ掛かりませんか。もう、襲っちゃった方が早いですねこれ」
「ちょ……今日はドライブと食事だけだって!」
「それ、女が言うセリフですよ」
それから、Aが妙なことをすることもなく、二人は帰宅した。
アイシャに、「遅かったわね」と聞かれると、Aは楽しそうに、「直巳様とデートをしてました」と答えた。
アイシャは、食事をしてきたぐらいだろうとわかっていたので、「へー」と興味なさそうに返すだけだったが、キッチンで話を聞いていた伊武はカップを握り潰した。ガラスではない。銅製のマグカップが、紙コップのように音も無く握り潰された。




