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第十五章

 翌日、直巳達は高田も連れて、再びHgの工房へと向かった。

 壊れたままのシャッターとドア。部屋の中は、相変わらず花でまみれていた。

 部屋に入ると、花の中にAgが立っていて、直巳達を迎えた。

 暗い部屋で、色とりどりの花に囲まれるAg――絵になっていた。夢に出て、うなされてしまいそうなぐらいに。

 Agは昨日と同じ格好で、やはり手に日傘を持っている。顔は相変わらずベールで隠されているため、はっきりとは見えない。体系や雰囲気から、女性であることは間違いないようなのだが。

 Agは一礼すると、全員を建物の3階へと案内した。

 3階にはキッチンやベッドが置いてあり、簡易な生活スペースになっていた。なってはいたのだが、生活感というものは感じられない。冷蔵庫はあるが、中に生鮮食料品などはなく、水と、薬の瓶が入っているだけだ。

 部屋の中にある椅子は一脚だけ。アイシャが座ったところで、Agは話を始めた。

「さて、椿さん。先生――Hgと呼びましょうか。Hgに魔術具を依頼したかった、ということですが。どういうものが必要なのですか?」

 Agにたずねられると、直巳は一度、大きく息を吸い、間を取ってから返事をした。

「お話する前に、あなたの腕前を知りたいのですが。こちらも、簡単に事情は話せない。せめてHgと同じ腕があるというなら、お話しようと思っています」

 これは、あらかじめアイシャと打ち合わせをしておいた内容だ。こちらが頼む立場だとしても、力量のわからない相手に頭を下げる必要はない。

 直巳が平静を装って言うと、Agはクスクスと笑った。

「Hgと同じ、いや、それ以上ですとお答えすれば満足ですか? もう、それを確認する術はないのだから、意味などありませんよ」

「そういう言葉を返すような人間なんだなと、わかるだろう」

 直巳が即答すると、Agの動きがピタリと止まった。レースの奥でどんな表情をしているのかはわからない。

「――なるほど。そう、そうですね。そのとおりですよ、椿さん」

 Agがベールの奥から、じっと直巳を見つめてきた。

「私より、あなたの方が言葉の使い方も、交渉術も上なのでしょうね。こちらも、急に確かめられるようなことをされて、警戒していたのです。失礼しました」

 静かに頭を下げるAg。直巳も、軽く頭を下げた。

「いえ、こちらこそ」

「で、私のクリエイターとしての腕前ですが、そうですね……物によるとしか言いようがありませんが、場合によっては私の方が上です」

「Agさんの方が?」

「あだ名のようなものですから、Agと呼び捨てで構いませんよ」

「では、Agの方が?」

「はい。魔術師と同じく、クリエイターにも得意分野があります。先生は武器作りが得意でした。伊武希衣、あなたの持っているフリアエがそうです。他にも、いくつかの――」

「守護剣アルケー、ですか」

 直巳がアルケーの名前を出すと、Agは驚いたように直巳を見つめた。

「おや……そこまで……ああ、高田様とお知り合いなら、そうですね……ありえますか」

 アルケーの話をしている途中で、高田の名前が出てきた。ならば、マルジェラのこともHgから聞いているのだろう。

「そのとおりです。まあ、アルケーについては私も協力しました。魔力暴走を抑える、天使の力をコントロールすることに関しては、私の方が得意かもしれません」

 直巳はそっとアイシャに目配せをする。アイシャは静かに目を閉じてうなずいた。

「――Ag。とりあえずは、あなたの言葉を信じることにします。あなたは僕達が求めている能力を持っているようだ」

「それは何よりです。では、お話を聞かせてください。もちろん、秘密にしますので」

 直巳はAgに向かって、つばめのことを話した。天使の奇跡を受けたこと、天使遺骸で治療をしてきたこと。先日、突然に症状が進行したこと。

 話を聞き終ったAgは、しばらく黙り込んでいた。それから、一つだけ直巳に質問をする。

「椿さん。最初の治療というのは、どうやったのですか? ただ、天使遺骸を使っただけで無理矢理に治療できる、なんていう話は聞いたことがないのですが」

 Agが気になるのも無理はない。最初につばめを治したのは、直巳だけが持つ特別な能力である、「神秘呼吸」を使ったのだ。対象に魔力を送り込む力を使って、無理矢理につばめを目覚めさせた。

 直巳が答えあぐねていると、アイシャの後ろに立っていたAが口を開いた。

「その魔術は、私が仕掛けたのですよ。方法については秘密ということで、ご勘弁ください。ただ、それをいくらやっても完治はしない、ということです」

 Agは人差し指で机を叩いて考えていたが、やがて、「わかりました」と話を終わらせてくれた。

「結論から申し上げますが、私にも完全な治療は難しいでしょう」

 はっきりと言われ、直巳の体から力が抜ける。覚悟はしていたものの、血が引いて、全身を絶望が駆け抜けるような感覚は止められなかった。

「――そう、ですか」

 そう返事をするのが精一杯だった。

「ただ」

 Agが、直巳を励ますかのように言葉を続ける。

「その急激な進行を止める方法なら、試してみたい方法があります。幸い、通常の進行はそんなに早くないようですし、ある程度までなら治療も可能なようです。治療方法を発見する時間を稼ぐ、読みやすくするという点では、かなり有効かと思いますが」

「それで! それで十分です! お願いします!」

 直巳が大声を出しながら、机に身を乗り出す。ある朝、突然につばめが石膏像になっているかもしれない、という恐怖から逃れることができるのだ。それだけでも、涙を流すぐらいにありがたいことだった。

 Agは身を乗り出した直巳の頬を、すっと撫でる。やはり、冷たい感触だった。

「椿さんは、本当にお姉様が大事なのですね。それでよいなら、ぜひともご協力させていただければと思います」

 Agは、フフッと笑った。

「あ、ありがとうございます……本当に……ありがとうございます」

 直巳は体を折り曲げて、Agに礼を言う。もう、交渉上手で狡猾な少年の面影はなかった。 しかたのないことだろう。愛する家族を治療できる医者に感謝をしない人間はいない。

 アイシャは、直巳のその姿を見ると、苦々しい顔で小さく舌打ちした。直巳はもう冷静に交渉できないと判断し、自ら交渉に参加することにした。

「それでAg。代金はおいくらほどお支払いすれば?」

 アイシャがふんぞり返ってたずねると、Agは微笑んだ。

「いえ、お金などはいりません」

「お金じゃ買えないものが欲しい、ってこと? はっきり言いなさいよ、面倒くさい。それともなに? タダでやってくれるって? それならありがたいんだけど、違うでしょ?」

 アイシャの遠慮の無い物言いを聞くと、Agはクスクスと笑いながら言った。

「ええ、ええ……そうです。そのとおりですよ、高宮さん。報酬は、きちんといただくつもりです。あなたの言うように、お金では買えないものをね」

 Agは何がおかしいのか、クスクスと笑い続ける。低く美しく、耳障りな声だった。

 アイシャとAgのやり取りを聞いた直巳は、黙って椅子に座った。当然だろう。Agが黙って自分を助けてくれるわけがない。そして、Agが何を欲しがっているか――まったく想像は付かないが、きっと入手が難しく、ろくでもないものだろう。

 直巳は気持ちを切り替えると、自分からAgにたずねた。

「……それで、Agは何が欲しいというんですか?」

「ご存じかどうかはわかりませんが」

 Agは、胸のあたりから扇を取り出すと、口元を隠した。

「私が欲しいのは――「聖堂乙女の核」という魔術具です」

「聖堂乙女の……核?」

「ええ。そうです。どなたか、ご存じですか?」

 Agが全員を見回す。アイシャもAも知らないらしい。伊武も知らない。

「……それ、結構前に市場に出たとか出ないとか、話題になったやつ?」

 口を開いたのは、意外にも高田だった。

「あら、ご存じでした?」

 Agも、高田が知っているとは思ってもいないようだった。

「名前を聞いたことがある、ってだけだよ。結構前かなあ。そんな名前の魔術具が、裏市場に出るっていう噂が流れたのを聞いたことがある。ただ、噂だけで実際は出なかったみたいだけどね。そりゃそうだよ。持ってるだけでやばいんだから」

「持ってるだけでやばい? 呪いでもかかってるの?」

 直巳の質問に、高田は、苦笑した。

「呪いの方がマシかもね。聖堂乙女だよ? 聖堂――元々、天使教会の持ち物だったのさ。それが、どういう経緯か裏市場に出回ったんだ。そんなもの、天使教会が怖くて、売ることも使うことも自慢することもできないよ。天使教会に取り入りたい人が手土産にするぐらいしか、使い道ないんじゃないかな」

 たしかに、高田のようなコレクターが収集品として狙うにはリスクが高すぎる。それでも欲しがるのは、高田が言うように天使教会の手土産にするか、天使教会と対立してでも、欲しがる狂人だけだ。

 Agはどちらだろうか――聞くまでもないだろう。

「私は研究に使いたいだけです。天使教会にすり寄るつもりはありません」

 Agは当たり前のように笑顔で言った。狂人側だ。まあ、そもそもクリエイターなんてやってる時点で、天使教会と仲良くするつもりなど毛頭ないのだろうが。

「で、「聖堂乙女の核」っていうのは、何の研究に使うの? どんな効果がある魔術具なの?」

 高田が無邪気にたずねると、Agは困ったように首をかしげた。

「それが、私にも詳しいことはわからなくて」

「とぼけるんじゃないわよ。あんたは効果のわからない魔術具を使って研究をするの?」

 アイシャが適当な言葉は許すまいと、厳しく追及する。

「先生――Hgが欲しがっていたんですよ。研究を完遂させるためにどうしてもと。設計図はあって、後は、「聖堂乙女の核」があれば完成ということらしいのです。だから、私が研究を引き継いで結果を確かめたい。先生の意志を継ぐ、と言ったら格好つけすぎですが」

 Agが質問の答えをはぐらかそうとすると、アイシャは露骨にいらだった。

「効果はわからないけど必要……いいわ。なら、研究の内容は?」

「先生が秘密にしていたのですから、私もそれに習おうかと」

「ハッ――死人は便利ね」

 アイシャは悪態をつくと、直巳に顎で指図した。「あたしはもう、こいつと話したくないから、後はあんたがやりなさい」ということだ。

「Ag。僕はあなたの条件を呑もうと思っている。とにかく、「聖堂乙女の核」という魔術具を持ってくればいい?」

「ええ。そういうことです。椿さんはお話しが早くて助かります」

 Agはアイシャの方を見ながら言う。アイシャは目を背けたまま、舌を出した。

「で、それを探すヒントとかはあるの? 一からだと、さすがに厳しそうなんだけど」

「大丈夫ですよ。どこにあるかは、わかっていますから」

 Agがこともなげに言うと、直巳は表情を曇らせた。

 場所がわかっているのに、取りに行けない。どういうことかといえば、すでに誰かが所持しているということだ。草花じゃないんだから、当たり前か。

 どうも、また荒事は避けられないのかなと、直巳は内心で暗い気持ちになった。また、伊武や悪魔達を危険な目に遭わせることになるのだろうか。

「……それで、どこの誰が持っているんですか?」

「本当に、椿さんは話しが早くて助かります――聖堂乙女の核、持っているのは」

 その後、Agの口から出てきた名前は、意外なものだった。

「PORラボです――彼らが裏市場に出回る前に入手したのです」

 その偶然の連なりに、直巳は目眩すら覚えた。

 Hgを調べている時に、直巳達を襲ってきたのがPORラボだ。

 マルジェラ、高田、Hg、PORラボ。

 何もかもが、繋がっている。

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