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ビターキューブ

 面子ばかりこだわる俺の一族に相応しい、ゴテゴテとした見かけの墓石があった。

 墓地にある墓の過剰な立派さは、強迫観念ともいえるほどの見栄によるものだろう。

 俺は、墓石の上に柄杓でブリキの桶から汲んだ水をかけると、菩提寺の入口で買った菊の束を、無造作に花入れにさす。


「久しぶり」


 墓前に屈み、挨拶をする。

 恋する者達の日は、朝からどんよりと曇り、ダウンジャケットの背中にまでじんと凍みるような天候だった。

 正直、この寒さに億劫になった俺だったが、優美子に言った手前、タイミングをはずすのは嫌だったので、街から電車で一時間、バスで三十分のこの場所までやってきたのだ。


「一応、伝えとこうと思ってな」


 俺は手に持った線香に火をつけようと、反対の手でライターを点火する。その時少し吹いた風に、焔がゆらめく。俺はその火に囚われるかの様に、あの日を事をまた思い出した。


  ◆ ◆ ◆


 深夜にもかかわらず、この家は昼よりも明るかった。ただしそれは内側からしか見えない。全てを焼き尽くす火炎が、二階へとその勢いを伸ばす。


「ここまで来るとは、テメエの執着にもあきれるぜっ」


 野球帽のアイツは、心底馬鹿にした顔で、罵倒しながら俺へと圧し掛かってくる。その目は、俺への蔑みに溢れていた。


「……何かたくらんでいるとは思ったけど」


 俺は首へと近づくナイフの切っ先をそらそうと、相手の手首を堅く掴んだ。離せば俺の喉元に突き刺さるだろう。俺は腕に力を込めて声を張り上げる。


「お前、なんでこんな事!?」


 俺の非難に、相手は激昂して叫ぶ。まるで平民が貴族に不敬を働いたのが許せない、そんな態度だ。


「お前だと!? ちゃんと呼べ! ガキの頃から死ぬほど殴ってやったのに、まだどっちが上かわかんねえのかよ。テメエはただ影で目立たず従ってればいいんだよっ」

 

 そのまま俺に向かって唾を飛ばす。

 

「屑の修二のクセに!」


 醜悪な表情でこちらを睨みつけ兇刃を持つ慶一を、俺は見返す。

 弟の好きなチームの帽子を被り、弟の服を着た兄の歪んだ姿を。


 俺は、兄と刃物の奪い合いをする形で組みあう。力が均衡し、静止状態になった俺は、怒りとともに兄を責めた。


「慶一兄貴! 優美子さんは兄貴の奥さんじゃないか。なんでこんなっ」


「はっ! 優美子なんてな、素直なトコぐらいしか取り得の無い女だ。大して美人でもないのに、俺の妻になれただけでも光栄だろうが。なのに病気になって子供も生めねえなら長男の嫁の意味ねえだろ」


 兄と俺は、ぶつかりそうなほどの距離で、顔を突き合わせる。階下から火と煙が昇る中、互いに煙たさで目から涙を流しながら、激しく罵りあう。


「兄貴は優美子を好きだったんだろ!」


「全然。まあ、思ったよりいい体してたけどな。お袋が見かねて取引銀行頭取の一人娘と見合いをお膳だてると言ってきた。いい話だが離婚調停でガタガタ言われたくねえ。さっさとこの世から退場してもらおうと思ったのさ」

 

 兄は自分の妻を使い捨ての娼婦の如く語る。

 俺にはそこまで彼女を蔑む理由がわからない。

 「心から好きな女が出来た。一生大切にしたい」と俺に言って優美子と結婚したじゃないか。

 首を激しく振りながら問い返してしまった。


「じゃあ、なぜ!?」


 兄は一瞬黙った。そして薄っすらと口角をあげる。堪らないほどの愉悦に満ちた表情。


「修二、気づいてねえと思ったのか?」


 その顔には見覚えがあった。俺に答えを伝えるのが心底楽しい時の慶一の顔だ。

 いつもは朗らかと称される兄の声が、いまは裏返るように甲高く響く。


「テメエが優美子を好きだったから、取ったのさ。屑のお前に手に入るモノなんてねえんだよ」

 

 俺の驚愕の姿がどす黒い感情を呼び起こしたのか、兄は勝ち誇った仕草で腕に力をこめる。

 床の絨毯にも火が広がり、部屋の中はすでに危険な状態になっていた。

 

「外面の良さなら俺様の独壇場だったしな。こっちを向かせるなんて簡単だったぜ」


 俺は、目の前が真っ赤になった。それは周囲に燃え盛る炎のせいじゃない。

 慶一はわざとおどけるように声の調子を変える。

 

「けっ。優美子は面倒くせえ高校の日記も、家での携帯メールも、俺の代わりにテメエがやってたなんて知らねえぜ。普段は他の女達への返事を殴られながら嫌々代行してたくせに、優美子相手には熱心だった事ぐらいお見通しだよ。ええ?修二。」

 

 俺は答えられずに唇をかみしめ、それでも兄を正面から見据える。反抗的な態度が腹に据えかねたのか、兄は昔の話をさらに持ち出して愚弄してきた。


「俺の代わりにバイクの違反切符切られるぐらしか能が無い屑が」


 双子だからこそ、兄は全ての悪事は俺の名前で実行した。巧妙に立ち回り、現行犯で捕まる事は絶対になかった。


「お情けで義理チョコもらったぐらいでいい気になりやがって」


 あの時、学校の女生徒から山ほどのチョコをもらっていた兄。

 哀れな弟の俺やもてない男子達に、スーパーで買った袋入りチョコをばら撒く女子グループは、兄の取り巻きだ。


 そんな俺の机の上に、きちんと白と銀の袋でラッピングし、青いリボンで飾られたチョコがひとつ置かれた。何も考えず見上げると、俺の前にはアヒル口で笑う女生徒が立っている。


「義理チョコってのはお世話になった人にも送るんだよ」


 ちょっと照れながら渡してくれた一つ上の先輩。それが優美子だった。

 あの時、俺が暴力に怯えず兄の本当の姿を伝えていれば、優美子は……


 げらげらと哄笑していた兄の顔がふいにこわばる。

 ナイフを握った手首が軋んで締め付けられていく。太い枝が折れる音と同時に、刃物が床に落ち、兄が悲鳴をあげた。


「手、手首があ」


 俺はナイフを拾うと、激しい痛みの余りその場にうずくまる相手から離れ、ベッドに横たわったままの優美子へと近づいた。


 優美子は眠っていた。母親達の陰口から、最近不眠で睡眠薬を処方してもらっていると聞いていた。

 部屋の入口とは反対側のためか、まだベッドに炎は届いていないが、早く助けないと危険だ。

 俺は彼女をゆっくりと抱きあげようとかがむ。


 その時、俺は背中の下側に刺すような灼熱を感じた。

 振り返ると、さっきとは別の小ぶりなバタフライナイフを血まみれにして握る兄がいた。

 砕かれた痛みのためか、利き腕はブラリとしたまま、油汗をかいた顔で俺に告げる。

 

「油断大敵だぜ、修二」


「ああ、今度は最後までだ、慶一」


 俺もナイフを握りなおす。後ろのわき腹の出血が服をあっという間に赤く染めていく。

 俺と兄は、互いに紅蓮の家から生き残るため、天敵の獣同士の様に向かい合った。


  ◆ ◆ ◆ 


 結局、俺と優美子は劫火に包まれる二階から飛び出し、生命を失わずにすんだ。

 だが俺はひどい怪我と火傷を何箇所も負った。何日も意識不明のまま、一時は危篤状態におちいったと後から聞いた。

 助かってからも、長い間入院する事になってしまったしな。

 

 兄は、焼け落ちた家の中から発見された。炭化が酷く、人間として満足な形を保っていなかったらしい。これも後日両親が来たとき、密かに教えられた。


 そして俺が意識をとりもどした時、ベッドの横には優美子がいた。

 頭や腕に包帯をしているが、大きな怪我が無い彼女に、俺はほっと息をついた。


 その動きが呼ぶ麻酔切れの激痛に耐えた俺は、なんとか声をだそうとあがく。

 全身を包帯に巻かれた俺に、優美子が泣きそうな声でささやく。


「助かって良かった……慶一さん」


 俺はみつめる。

 真っ赤に泣きはらし、涙を浮かべた彼女の瞳を。

 その声は、愛する人が命をとりとめた安堵に震えていた。


  ◆ ◆ ◆


 俺は、手元の熱さに我にかえる。

 いつのまにか、線香が握った部分まで灰になっていて、指の先を焼いていたのだ。


 俺はあらためて、線香を供えると、傍にチョコの包みを置いた。

 墓石を睨みながら、低い地声でつぶやく。


「今は俺が慶一だ」


 空から、粉雪が降りだしていた。

 俺は白い息を吐きながら立ち上がると、去りかけて、墓石をふりかえる。


 墓石には黄色い菊と黒い包みがひとつ。

 解けず積もる雪は、しばらくの間全てを覆うだろう。


 兄の行いを。そして俺の罪を。

 いつか白日の元にさらされる日が来るとしても……

 俺は前を向くと、病院で待つ優美子のもとへと歩きだした。


 寺の山門を出たところで、鞄から白い包みを取り出し、リボンをほどく。

 中には、可愛い形をしたチョコが並んでいた。どこかで見覚えがある様な気がする。


「あのデパートで見かけたのかな?」


 独り言を言いながら一粒口に含んだ。

 舌先にはとろける様に甘く、かすかな苦味が奥にひそむ複雑な味わい。


 俺は自分の顔が緩んで来た事に気づく。


 優美子に美味しかったと伝えないとな。お返しについてねだってくるかもしれない。

 そしてホワイトデーの由来について俺が説明した時、彼女はどんな解釈をするのだろう。

 俺はその時に言う言葉を思いついて微笑んだ。


「俺は、心から愛する人にしか送らない」


 





 





―― 完 ――







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