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プロポーズが「お嬢さん、俺の嫁にならないか?」ってどうなの!?  作者: SAKURA MOON


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十二年の重み

婚約破棄から数日後。


 王太子は、国王と王妃の前に座っていた。その隣には、リリアがいる。


 重い沈黙を破ったのは、国王だった。


「お前は、自分が何をしたのか理解しているのか」


「理解しております。私はアルヴェインとの婚約を破棄し、リリアを――」


「婚約を破棄したという事実を聞いているのではない」


 国王の低い声に、王太子は口を閉じた。


「お前の婚約は、王家とロゼリア公爵家、双方の合意によって結ばれたものだ。それを誰にも話を通さず、大勢の貴族が見ている前で一方的に破棄した。その意味を問うている」


「ですが父上、アルヴェインはリリアを虐げていたのです」


「では、その件について説明なさい」


 王妃が静かに口を開いた。


「いつ、どこで、何をされたのです。あなた自身が目にしたことから話してください」


 王太子は答えかけ、言葉を詰まらせた。


「……私は、リリアから聞いております」


「あなた自身は見ていないのですね。では、侍女や教師、同席していた令嬢などに確認はしましたか」


「必要ないでしょう。リリアが嘘をつく理由がありません」


 王妃はしばらく息子を見つめた。


「つまり、一方の話だけを聞いて、公爵令嬢を大勢の前で断罪したのですね」


「母上、それは――」


 否定しようにも、続く言葉がなかった。


 その隣で、リリアがおずおずと顔を上げる。


「王妃様……私が悪いのです。もっと我慢すればよかったのです。アルヴェイン様はきっと、殿下のことを大切に思っていらしたから……私と殿下が親しくしていることが、お辛かっただけで……」


「君が謝ることじゃない。悪いのは君じゃない」


 王太子がリリアの手を取った。リリアは潤んだ瞳で彼を見上げる。


 王妃はその様子を黙って見届けてから、問いを重ねた。


「あなたは、リリア嬢を次期王妃として迎えるつもりなのですね」


「もちろんです。私はリリアを愛しています。妻に迎えるなら、彼女以外には考えられません」


「殿下……!」


 リリアの顔が明るくなった。


「私もです。殿下のためなら何だって頑張ります。立派な王妃になって、ずっと殿下のお側に――」


「王家の婚姻を、何だと思っているのです」


 王妃の声に、リリアの言葉が途切れた。その視線は息子へ向けられている。


「好きな女性を選び、愛せない相手を退ける。それだけで済む話ではありません」


「ですが、私はアルヴェインを愛しておりません」


「愛せないのなら、そう申し出ればよかったのです。王家に相談し、公爵家と話し合い、正式な手続きを踏んで婚約を解消する。それがあなたのすべきことでした」


 王太子は不満を押し込めるように唇を結んだ。


「リリア嬢への思いも、その時に話せばよかった。どうしても手放せないというのなら、側妃として迎える道を検討することもできたでしょう」


「側妃……?」


 リリアが小さく呟いた。王妃はそちらを見ず、続ける。


「自分の感情だけで、国の都合も家同士の約束も投げ捨ててよい立場ではないのです。まして、事実確認すらしていない話を理由に、一人の令嬢を辱めるなど」


 そこで初めて、王妃の声に強さがにじんだ。


「王太子として、あまりにも軽率です」


 王太子は答えなかった。リリアの手を握ったまま、視線を落とす。


 王妃は息子から、その隣へ目を移した。


 華やかなドレスに、宝石をあしらった髪。喜びも不安も、そのまま表情に現れる。


 年若い令嬢として見れば、華やかで愛らしい。それ自体に、何の問題もなかった。


 だが、王妃の座に就く者となれば話は違う。


 ふと、十二年前の少女の姿が脳裏に浮かんだ。


 まだ幼かったアルは、緊張した面持ちで王妃の前に立っていた。


 華美な装いを避けること。その場に相応しい髪型を選ぶこと。感情をそのまま顔に出さないこと。


 立ち方も、座り方も、歩き方も。視線の向け方から言葉の選び方まで、王妃は何度も注意し、やり直させた。


 アルが生まれつき完璧だったわけではない。


 失敗もした。覚えられずに悔しそうな顔をしたことも、涙を堪えていたこともある。


 それでも翌日には、また来た。


 そして、一つずつ身につけていった。


「……王妃様?」


 リリアの声に、王妃は目の前の娘へ意識を戻した。


「王妃は、王に愛されていれば務まる役目ではありません。学んでいただくことは山ほどあります」


「はい! 私、頑張ります。殿下のためなら、何だってできます!」


 王妃はわずかに目を伏せた。


 ――殿下のため。


 アルも昔は、似たようなことを言っていた。


 いつからだっただろう。あの娘が、何かをしたいと言わなくなったのは。


「心配なさる必要はありません、母上。アルヴェインにできたことです。リリアにできないはずがありません」


 王妃の目が、ゆっくりと息子へ向いた。


「――その考えは、お捨てなさい」


 王太子の顔から、リリアへ向けていた笑みが消えた。


「あの娘も、最初からできたわけではありません。歴史、政治、外交、語学、礼法。王家の慣習も、各貴族家の歴史や関係も、長い時間をかけて学んだのです」


 王妃は膝の上で手を重ねた。


「私はあの娘に厳しくしてきました。いつかこの国の王妃になる娘だと思っていたからです。そして、あの娘は応え続けた。あなたの隣に立つために」


 王太子の表情がわずかに強張る。


「それをあなたは、一度の話し合いも、事実確認もなく、大勢の前で終わらせました。婚約だけを捨てたのではありません」


 王妃は息子を見据えた。


「――あの娘が費やした十二年まで、踏みにじったのですよ」


 部屋が静まり返った。


 王太子はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。


「……だからといって、私がアルヴェインと結婚しなければならない理由にはならないでしょう」


「結婚を強いているのではありません。婚約を解消することと、あのような形で破棄することは別だと言っているのです。一人の女性を大勢の前で辱める必要など、どこにもなかった」


 言い返せずにいる息子へ、今度は国王が口を開いた。


「お前がリリア嬢を愛すること自体を咎めているのではない。だが、誰を愛するかと、誰と婚姻を結ぶかは別だ。王太子の婚姻は、お前一人のものではない」


 王太子はうつむいた。その姿を見ながら、国王の胸にも苦い思いがよみがえっていた。


 数日前、倒れたアルの寝室でのことだ。


『北部の状況を……知っているな』


『そのお話を、なぜ今、娘の前で?』


 ロゼリア公爵は、国王の言葉を遮った。


『娘はまだ何も知りません』


 あの時、国王は焦っていた。


 北部の不作。痩せていく大地。迫る冬。


 そして、ロゼリア家からかつて聞かされていた秘密。


 国の利益を考えれば、期待せずにはいられなかった。


『この国を、見捨てないでくれ』


 何も知らない娘に、あんな言葉を向けてしまった。婚約を破棄され、倒れたばかりの娘に。


 国王は目を閉じた。


 王としても、一人の人間としても、あまりに身勝手だった。公爵が止めたのは当然だ。


 そもそも、あの力は人が望んだからといって使えるものではない。


 王が命じても、国が求めても、本人が願ったとしてさえ、それだけでは応えない。


 だからこそ、公爵夫妻は娘に何も背負わせなかった。国王も、その判断を受け入れたはずだった。


「……父上?」


 息子の声に目を開ける。


 その顔をしばらく見つめてから、国王は言った。


「お前の立場には、お前の知らぬところで積み重ねられてきたものがある。王家と公爵家の信頼も、アルヴェイン公爵令嬢の努力もそうだ。それを知らなかったことは、言い訳にはならん」


 王太子の目が、わずかに揺れた。


「王になるというのは、自分の決断によって何が失われるのかまで考えるということだ」


「……承知しております」


「本当にそうならよいがな」


 国王はそれ以上、言葉を重ねなかった。


     ◇ ◇ ◇


「リリア嬢。王太子妃教育は、明日から始めます」


 王妃が告げると、リリアの笑顔が止まった。


「明日、でございますか?」


「何かご予定が?」


「い、いえ……ございません」


「では、まずは王国史、近隣諸国の情勢、王家の慣習、外交儀礼から確認しましょう。外国語は、何を学んでいますか」


 リリアは口を開きかけたものの、答えられずにうつむいた。


 王妃はそれで察したらしく、静かに頷く。


「語学も基礎からですね。教師を手配しておきます」


「……はい」


 先ほどまでの勢いは、すっかり消えていた。


 それでもリリアは、思いついたように顔を上げた。


「ドレスや宝石についても、教えていただけるのですか?」


「もちろんです。まずは、なぜ王族が好きなものを好きなだけ身につけてはいけないのか、そこからお教えしましょう」


 期待を取り戻しかけたリリアの表情が、再び固まる。


「装いは政治です。祝いの席、弔いの席、外交の席。相手の国や家、宗教、立場。そのすべてを考えて選ばなければなりません」


 王妃は微笑んだ。


「楽しみですね」


「……はい」


 リリアも笑った。ほんの少し、引きつった笑顔だった。


 国王も王太子も、何も言わなかった。


 王妃はリリアを見つめながら、必要な教師と授業を頭の中で数えていた。


 アルに長い年月をかけて教えたことを、この娘はこれから学ばなければならない。


 ――間に合うのかしら。


 それだけは、王妃にも分からなかった。


     ◇ ◇ ◇


 王太子とリリアが部屋を出た後も、王妃はしばらく扉を見つめていた。


「陛下。本当に、あの娘を次期王妃にするおつもりですか」


「それを決めたのは俺ではない」


「ええ。息子が決めれば済むと思っているから、困っているのです」


 王妃は深いため息をついた。


「アルヴェイン公爵令嬢なら、何の心配もありませんでした」


「……そうだな」


「それも、私たちがそう思っていただけかもしれませんね」


 国王が顔を向けると、王妃は自分の手元へ視線を落とした。


「立派な王妃になってほしかったのです。だから、できるようになれば、また次を求めました。いつの間にか、できて当然だと思うようになっていたのかもしれません」


 重ねた指先に、わずかに力がこもる。


「あの娘がどれほど苦しかったのか、私は一度でも聞いたでしょうか」


 国王は答えられなかった。


 自分もまた、倒れた娘を前にしてなお、国のために何ができるかを考えてしまったのだから。


 しばらくして、王妃が静かに息を吐いた。


「王太子にも、必要なものはすべて教えてきたつもりでした。歴史も政治も外交も、王族としての責任も。ですが、その責任が何を意味するのか、あの子自身に考えさせてこなかったのかもしれません」


 国王は黙って耳を傾けていた。


「王太子だから学びなさい。覚えなさい。こうしなさい。私たちは、答えを与えるばかりだったのでしょうか」


「……俺にも責任がある。いずれ王になるのだからと、失敗させまいとしてきた」


 国王は額を押さえた。


「だが、失敗した時に何が失われるのかは、教えられていなかったらしい」


 二人の脳裏に、同じ少女の姿が浮かんだ。


 幼い頃から与えられた役目を果たし、王太子の隣に立ち続けた少女。


「アルヴェイン公爵令嬢には、王太子妃になるための責任を教え続けました。なのに、肝心の王太子に、その重さを教えられていなかった」


 王妃は目を伏せた。


 あまりにも皮肉だった。


 やがて顔を上げると、その表情にはいつもの厳しさが戻っていた。


「ですが、今は後悔している場合ではありません。リリア嬢を教育します。徹底的に」


「少し加減してやれ」


「時間がありません。十二年分です」


「……そうだったな」


 国王は額を押さえたまま、深く息を吐いた。


「とんでもないことをしてくれたものだ、息子め」


「まったくです」


 王妃は机の上の呼び鈴へ手を伸ばした。


「早速、明日からの教育予定を組みます」


「今からか?」


「時間がありませんので。十二年分です」


「それは先ほど聞いた」


     ◇ ◇ ◇


 一方、廊下を歩いていたリリアは、王太子の腕に自分の腕を絡めていた。


「殿下。王妃様って……いつもあんなに厳しいのですか?」


 王太子は少し考えた。


「アルヴェインには、もっと厳しかった。服装も髪型も、立ち方や表情まで注意されていたな」


「まあ……アルヴェイン様、大変だったのですね」


「そうだな」


 何気ない返事だった。


 自分の隣にいた少女が、何をしていたのか。


 なぜいつも質素な装いで、人前では感情を大きく表さず、王太子である自分より先に周囲へ気を配っていたのか。


 その理由を、彼は今まで一度も考えたことがなかった。


 母の言葉を聞いた今も、思い浮かぶのは、注意を受けて静かに頷くアルヴェインの姿だけだった。その後、彼女が何を思い、どう努力していたのかまでは知らない。


「でも、私、頑張ります」


 リリアが明るい声を出した。


「だって、殿下が選んでくださったんですもの。アルヴェイン様より、立派な王妃になってみせますね」


 王太子は微笑んだ。


「ああ。君ならできる」


 迷いのない言葉だった。その自信はどこから来るのか。


 二人はそのまま、並んで廊下を歩いていく。


 明日から何が始まるのか。


 王妃が言った「十二年分」という言葉が、どれほどの重さを持つのか。


 今の二人には、まだ実感がなかった。


 ただ、王太子の隣にはもうアルヴェインはいない。


 いつも半歩後ろを歩き、彼が気づかないところで周囲に目を配り、何も言わずにその立場を支えていた少女は、もういないのだ。


 王太子は、隣で楽しそうに話すリリアへ目を向けた。


 そしてそのまま、一度も後ろを振り返ることなく歩いていった。

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