国王の悩み
バハード国王には、悩みがあった。
国境のことでもない。
税のことでもない。
今年の冬の備えでもない。
もっと身近で。
そしてある意味、それらよりも国王自身の力ではどうにもならない問題だった。
「……あやつらは、いつになったら結婚するのだ」
執務机に肘をつき、王は深々とため息をついた。
向かいに立つ側近は、何も答えない。
「聞いておるのか」
「聞いております」
「ならば何か言え」
「私に解決できる問題ではございません」
「役に立たんな」
「昨日も同じことを言われました」
「昨日は何の話だった」
「書類を三枚に減らせと」
「それはお前にもできるだろう」
「できません」
即答だった。
王は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「……で?」
「はい?」
「あの五人だ」
王が言っているのは、もちろん――。
バハード王国五騎士。
その名は、国内のみならず近隣諸国にも知られている。
北方ヴァルグレン家当主にして、五騎士を率いるカイ・ヴァルグレン。
そして彼の傍らには、四人の男がいる。
恐ろしいほど頭の切れる男。
人の小さな変化を見逃さない男。
口は悪いが、誰より己を律する男。
そして、カイに次ぐ剣の腕を持つ男。
生まれも、育ちも、性格も違う。
元々、共に育った幼馴染というわけでもない。
彼らを結びつけたものは、ただ一つ。
――カイだった。
「最初の一人を連れてきた時は、何事かと思ったがな」
「覚えております」
「次も連れてきた」
「はい」
「また次もだ」
「はい」
「最後には自分より年上まで連れてきおった」
「はい」
「……あやつは犬猫でも拾っているつもりなのか?」
「本人にお尋ねください」
「聞いたことがある」
「何と?」
「『なんか気になった』だそうだ」
「……ヴァルグレン卿らしいですね」
「人材登用の理由が『なんか気になった』であってたまるか」
だが。
王は知っている。
カイは家柄で人を選ばない。
肩書きにも、さほど興味がない。
目の前の人間を見て、気に入れば手を伸ばす。
そして一度、自分の側へ引き入れた者を簡単には見捨てない。
そうやってカイが一人、また一人と見つけてきた若者たちは――。
いつしか、王国五騎士と呼ばれるようになっていた。
◇ ◇ ◇
「問題はだ」
王が腕を組む。
「揃いも揃って、結婚する気配がない」
「……左様でございますね」
「縁談は来ておるのだろう?」
「それはもう」
「カイだけではないな?」
「もちろんでございます」
当然だった。
五騎士としての名声。
容姿。
能力。
そして、王からの信頼。
どれを取っても、縁談の話が来ない方がおかしい。
なのに。
「一人も決まらん」
「決まりませんね」
「なぜだ」
「ご本人たちにお尋ねください」
「お前、今日それしか言っておらんな?」
「私に聞かれましても」
王は再び大きなため息をついた。
特に問題なのは――カイである。
ヴァルグレン家当主。
北方を預かる男。
二十五歳。
結婚していても何らおかしくない。
それどころか、王のもとには以前から、
『ぜひ我が娘をヴァルグレン卿に』
という話がいくつも届いていた。
そのたびにカイ本人へ話を持っていく。
そして、そのたびに。
『いりません』
終わる。
「一度くらい会ってから断れと言っているのだ、俺は」
「おっしゃっていましたね」
「なんと言ったと思う?」
「存じております」
「言わせろ」
「どうぞ」
王は当時を思い出すように、低い声を作った。
『結婚する気ないんで』
「……だぞ!」
「存じております」
「腹が立つだろう!」
「陛下」
「なんだ」
「ご本人の人生です」
「分かっておるわ!!」
王の声が執務室に響いた。
「だから無理強いはしておらん!」
「はい」
「だがな!」
「はい」
「気にはなるだろうが!」
「……まあ、それは」
「ほら見ろ!」
王は勢いよく立ち上がった。
「以前、直接聞いたこともある」
「何をでしょう」
「女だ」
「……はい」
王は、そこに本人がいるかのように指を差した。
『カイ。好きな女はおらんのか』
『いません』
『気になる女は?』
『いません』
『では何に興味がある』
『剣とか』
『他には』
『馬』
『…………他には』
『酒』
『……お前は人前であまり飲むな』
『なんでです?』
『…………知らんならいい』
『?』
『もういい。帰れ』
側近は黙った。
王も黙った。
「……帰りましたね」
「帰った」
「陛下がお帰りになれと」
「本当に帰る奴があるか!」
「そういう意味ではなかったと?」
「当たり前だ!」
王はどかりと椅子へ座り直した。
そして、さらに頭が痛いことがある。
「カイがあれだから、下も続かん」
「残りの四名ですか」
「そうだ!」
側近も、今度ばかりは否定しなかった。
四人には四人の人生がある。
それぞれに縁談も来ている。
にもかかわらず――。
「ヴァルグレン卿が結婚なさらないうちは、自分たちもする気はないようですから」
「そこだ!!」
王が机を叩いた。
「なぜ結婚まであやつに合わせる!」
「慕われているのでしょう」
「限度があるだろう!」
王は額を押さえた。
「特にユウト!」
なぜか本人のいない場所で名指しされた。
「あやつが一番年上だろう!」
「現在、二十七歳でございます」
「そうだ! カイより二つ上だ!」
以前、王はユウトにも尋ねたことがある。
『お前はどうなのだ』
『何がです?』
『結婚だ』
『ああ』
『ああ、ではない』
『兄貴がまだなんで』
『お前の方が二つ上だろうが!!』
あの日も王の声は、よく響いた。
「……なぜ年上の男が年下を兄貴と呼んでいるのだ」
「今さらでございますか?」
「いや、もうそこは諦めた」
「賢明かと」
王は額を押さえた。
国のために働けとは言った。
自分の人生は自分で歩けとも言った。
誰も結婚しろと強制するつもりはない。
ないのだが。
「……五人揃って歩く方向が偏りすぎではないか?」
「仲がおよろしいのでしょう」
「そういうところまで足並みを揃えるな」
側近がわずかに口元を緩めた。
国王は、彼らを気に入っている。
国を守る騎士だから、というだけではない。
まだ若かったカイが、一人、また一人と妙な男を連れてくるたびに、王は彼らを見てきた。
失敗する姿も。
ぶつかる姿も。
それでも互いの背中を預けられるようになっていく姿も。
カイは、四人を見つけた。
そして四人もまた、カイを見つけた。
家族を失い、それでも立ち続けてきたカイの傍に、いつしか彼らがいた。
だから王にとって五騎士は、単なる優秀な部下ではなかった。
「……まあよい」
王は呟いた。
「好きにすればよい」
「先ほどまでのお話は何だったのでしょう」
「うるさい」
「はい」
「そのうち一人くらい、面白い女でも連れてくるだろう」
「そうでしょうか」
「知らん」
「……」
「俺だって知らんわ!」
その時だった。
執務室の扉が叩かれた。
「陛下」
「今度はなんだ」
「ヴァルグレン領より、早馬にございます」
王の表情が変わった。
「入れ」
先ほどまでとは別人のような声だった。
届けられた書状を受け取る。
封を確認し、開く。
北方から早馬が来る。
それ自体は珍しいことではない。
だが、急ぎの知らせとなれば話は別だ。
国境で何かあったか。
兵の動きか。
他国からの報告か。
王の目が素早く文字を追っていく。
そして。
「…………」
止まった。
側近が王を見る。
「陛下?」
「…………」
「北方で、何かございましたか」
返事がない。
王はもう一度、書状の最初へ視線を戻した。
読む。
もう一度読む。
「……陛下?」
「カイが」
「はい」
「…………結婚するそうだ」
「…………」
「…………」
「……はい?」
今度は側近が固まった。
「ヴァルグレン卿が、でございますか?」
「そう書いてある」
「……本当に?」
「俺も今、二度読んだ」
「どちらのご令嬢と?」
王の目が、再びその名を追った。
「……アルヴェイン・ロゼリア」
「まさか。セレディアの――」
「ああ」
王太子との婚約を破棄されたばかりの、公爵令嬢。
アルヴェイン・ロゼリア。
しばしの沈黙。
そして。
「…………ふ」
王の肩が震えた。
「陛下?」
「ふっ……はは……」
次の瞬間。
「ワッハッハッハッハッハ!!」
大笑いが、執務室いっぱいに響いた。
「やりおった!!」
「陛下!?」
「あのカイが! とうとう嫁を見つけてきおった!!」
王は手紙を握ったまま笑う。
「いや、待て! あやつ、いつの間にだ!?」
「私に聞かれましても!」
「ついこの間まで剣と馬と酒だったではないか!」
「私も存じません!」
「しかもアルヴェイン・ロゼリアだと!?」
王はもう一度手紙を見た。
間違いない。
その顔に、さらに大きな笑みが浮かぶ。
「……そうか」
今度の声は、先ほどより少しだけ静かだった。
「カイが、あの娘をな」
婚約を破棄され、国を離れることになった娘。
そして、結婚などする気はないと言い続けてきた男。
その二人が出会った。
それだけで、王には何やら愉快な予感がした。
「ワッハッハッハ!」
再び豪快な笑い声が響く。
「長かった! ようやくだ!」
「陛下が結婚なさるわけではございませんが」
「分かっておる!」
王は笑いながら書状を机へ置いた。
「しかし、これで一つ片づいたな」
「左様でございますね」
「まったく。長年俺を悩ませおって――」
そこで。
王の動きが止まった。
「…………待て」
「はい?」
「カイが結婚する」
「はい」
「四人は、カイが結婚しないうちは自分たちも結婚する気はないと言っていた」
「……はい」
沈黙。
王と側近の視線が合った。
「ということは……」
「…………」
「残り四人も、ようやく動くのではないか?」
「……可能性はございますね」
王の目が輝いた。
「いけるではないか!!」
「何がでございますか」
「全員だ!」
「陛下」
「なんだ!」
「まだヴァルグレン卿一人です」
「最初の一人が一番大変なのだ!」
「そういうものでしょうか」
「知らん! だが勢いは大事だ!」
「先ほど、ご本人たちの人生だと申し上げたばかりですが」
「無理強いはせん!」
「はい」
「だが期待くらいしてもよかろう!」
「……まあ、それは」
「ほら見ろ!」
王は再び書状を手に取った。
先ほどまで悩みの種だった五人の男たち。
そのうち一人が、ようやく動いた。
「よし」
王は満足そうに頷いた。
「次は四人だな」
「何も始まっておりません」
「そのうち始まる!」
「根拠は?」
「勘だ!」
「人材登用の理由が『なんか気になった』というヴァルグレン卿を笑えませんね」
「…………」
王が黙った。
「お前」
「はい」
「今日の仕事、増やすぞ」
「八つ当たりはおやめください」
その日。
王宮には、国王の上機嫌な笑い声が長いこと響いていた。
そして王の勘は――。
のちに、思いのほかよく当たることになる。




