次から次に
リリアが去ったあと、五人はすぐにアルのもとへ戻った。
アルは広間の少し離れた場所で両親と話していた。もちろん、五人の視界から外れてはいない。
近づいてくる彼らに気づき、アルが振り返る。
「あら。皆様、お話は終わったのですか?」
「ああ」
カイが答える。
「何のお話をなさっていたの?」
「……まあ、いろいろだ」
妙に歯切れが悪い。
アルは首を傾げた。
「何かございました?」
五人の顔を順番に見ていく。
「皆様、少しお疲れのようですけれど……」
「…………」
心の底からこちらを気遣っている顔だった。
先ほどまで目の前にいた女性とのあまりの違いに、五人の間に何とも言えない沈黙が落ちる。
ソラがぼそりと呟いた。
「……違いすぎるだろ」
「え?」
「なんでもねぇ」
「でも――」
「アル」
カイがぽん、とアルの頭に手を置いた。
「そのままでいてくれ」
「……?」
ますます意味が分からない。
「わ、私は何か変わる予定があるのでしょうか?」
レンが吹き出した。
「ないない。アルさんはそのままでいて」
「だから、どういう意味ですの?」
答えは返ってこなかった。
ただ、なぜか五人とも少し機嫌が良くなっていた。
◇
一方。
リリアはレオンのもとへ戻るなり、不満そうに唇を尖らせていた。
「どうした?」
「先ほど、あの五人の騎士に声をかけてみましたの」
「騎士たちに?」
「ええ。あれほど腕の立つ方々ですもの。セレディア王家に仕えてくださらないかと思って」
もちろん、その後の話はしない。
自分個人に仕えるよう誘ったことも。
彼らを退屈させないと告げたことも。
まして、紫の瞳の騎士から芋を抱いて寝ると言われたことなど、絶対に言えるはずがなかった。
「それで?」
「全員に断られましたわ」
レオンは少し驚いた。
「全員?」
「ええ。待遇も地位も今より良くすると申し上げましたのに」
その言葉に、レオンは五人へ目を向けた。
彼らはもうアルのそばへ戻っている。
ならば。
「……そうだ」
「殿下?」
「騎士たちが無理なら、アルヴェインに頼めばいい」
「アルヴェイン様に?」
「ああ」
レオンの顔が明るくなる。
「リリア。君はまだ王太子妃として学ばなければならないことが多いだろう?」
「それは……」
「アルヴェインなら全部知っている。十二年間、王太子妃になるための教育を受けてきたんだ」
それは名案だとでもいうように、レオンは頷いた。
「アルヴェインに君の教師になってもらえばいい」
「……よろしいのですか?」
「もちろんだ。アルヴェインだって喜ぶさ」
リリアが首を傾げる。
「喜ぶ?」
「ああ。そうすれば、あいつが十二年間頑張ってきたことも無駄にならないだろう?」
レオンに悪意はなかった。
だからこそ、自分が何を言っているのか分かっていなかった。
◇
「アルヴェイン」
聞き慣れた声に、アルが振り返った。
「王太子殿下」
レオンの隣にはリリアもいる。
五人の騎士の空気が、ほんのわずかに変わった。
「少しいいか?」
「はい」
「頼みたいことがあるんだ」
「私に、ですか?」
「ああ」
レオンはためらうことなく告げた。
「リリアの教師になってくれないか?」
「…………」
アルは一瞬、意味が分からなかった。
「……教師、でございますか?」
「そうだ。王太子妃として必要なことを教えてやってほしい」
広間のざわめきが遠くなったように感じた。
「君なら分かっているだろう? 礼儀作法も、外交も、王家の慣例も。十二年間ずっと学んできたんだから」
「…………」
「君も十二年間、頑張ってきたんだ。そうすれば無駄にならないだろう?」
その瞬間。
アルの隣で、空気が冷えた。
「……は?」
低い声だった。
ソラだった。
「今、なんつった?」
「ソラ」
レイが制する。
だが、ソラの紫の瞳はレオンから動かなかった。
「無駄?」
「……何だ?」
「アルが十二年やってきたことを、あんたが無駄だったとか無駄じゃねぇとか決めんのかよ」
「ソラ!」
今度はカイが名を呼ぶ。
相手はセレディア王国の王太子だ。
ソラにそれが分かっていないはずがない。
それでも、止まれなかった。
「自分から婚約破棄しといて、次の女の教育までアルにやらせんのか?」
レオンの眉が寄った。
「口を慎め。これはアルヴェインと私の話だ」
「だったら――」
「ソラ様」
その声に、ソラが止まった。
アルが一歩、前へ出た。
ソラを庇うように。
「ありがとうございます」
「……アル?」
「でも、ここからは私に言わせてください」
アルはレオンへ向き直った。
逃げなかった。
俯かなかった。
「王太子殿下」
「……なんだ」
「私の十二年間を、あなたが無駄だったかどうか決めないでください」
レオンの目が見開かれる。
「私は確かに、王太子妃になるために多くのことを学びました。ですが、その時間も、そこで得た知識も、今は私のものです」
「だからこそ、それを――」
「どう使うかを決めるのも、私です」
アルは静かに言い切った。
「婚約を破棄した女性に、新しい婚約者の教師になれとおっしゃるのですか?」
「アルヴェイン、私はただ――」
「どこまで私を馬鹿にすれば気が済むのですか」
レオンが言葉を失った。
アルの声は荒れていない。
だからこそ、はっきりと届いた。
「リリア様が王太子妃として何を学ばれるかは、リリア様と殿下がお考えになることです。必要であれば、相応しい教師をお探しください」
「…………」
「私は、お引き受けいたしません」
深く一礼する。
そして顔を上げた。
「私はもう、殿下の望みに従って生きる者ではございません」
その言葉に、レオンは何も返せなかった。
目の前にいるアルヴェインは、彼が知っているつもりでいた女性とは違っていた。
「それと」
アルは一度、後ろのソラを見た。
「ソラ様をお責めになるのでしたら、私にもお言葉を」
「なぜ君が?」
「私のために怒ってくださったからです」
「だが、彼は私に――」
「分かっております。ソラ様の言葉遣いが正しかったとは申しません」
そこはきっぱりと言う。
「それでも、私を守ろうとしてくださったお気持ちまで否定されたくはありません」
「アル……」
ソラが小さく名前を呼んだ。
「――何の騒ぎだ」
低く通る声が、広間を切った。
人々が一斉に道を開ける。
国王と王妃だった。
二人はレオンとリリア、アル、そして五人の騎士を順番に見た。
「祝宴の最中だぞ」
「父上、これは――」
「レオン。まず黙れ」
「……はい」
国王はアルへ視線を向けた。
「アルヴェイン嬢。何があった」
アルは簡潔に説明した。
レオンから、リリアの教師になるよう求められたこと。
そして、十二年間の努力が無駄にならないと言われたこと。
聞き終えた国王は、ゆっくりと息を吐いた。
「……お前は、自ら婚約を破棄したアルヴェイン嬢に、リリア妃の教育を頼んだのか」
「ですが父上、アルヴェインが学んできたことを生かせるのなら――」
「そこではない」
レオンの言葉を、国王が切った。
王妃も息子を見つめる。
「その十二年間をどう生かすかは、アルヴェインが決めることです。あなたが決めることではありません」
「……母上」
「あなたには、それが分からないのですか」
レオンは黙り込んだ。
国王の視線が、今度はソラへ移る。
「そなたが王太子に強い言葉を向けた騎士か」
ソラの表情が変わった。
先ほどまでの荒々しさを引っ込め、一歩前へ出る。
「はい。ソラと申します」
背筋を伸ばし、正式な礼を取った。
「先ほどは王太子殿下に対し、礼を失した発言をいたしました。申し訳ございません、陛下」
「理由を述べぬのか」
「理由があったとしても、他国の王太子殿下に対する非礼がなくなるわけではございません」
ソラは言い訳をしなかった。
「私の未熟さでございます」
その横へ、カイが進み出る。
「陛下。部下の非礼につきまして、ヴァルグレン家当主である私からもお詫び申し上げます」
カイも頭を下げた。
国王は二人をしばらく見つめたあと、静かに頷いた。
「顔を上げよ」
二人が顔を上げる。
「ソラ殿。先ほどの非礼については、そなた自身から謝罪を受けた。ヴァルグレン卿からも正式な謝罪があった」
一拍置き、国王は告げた。
「この件は、ここまでとする」
「……恐れ入ります」
ソラが深く一礼した。
それで、この件は終わった。
だが、カイはその場を動かなかった。
「陛下」
「何だ」
「もう一点、お耳に入れておくべきことがございます」
その言葉に、リリアの肩がわずかに揺れた。
「先ほど、リリア妃殿下から我々五人へ、セレディア王家に仕えないかとのお誘いがございました」
「それは聞いている」
レオンが答えた。
カイは彼を見た。
「では、その後のことは?」
「……その後?」
「我々が王家への仕官をお断りしたあと、今度はリリア妃殿下個人に仕えるよう、お誘いを受けました」
レオンがリリアを見る。
「個人に?」
「ち、違いますわ、わたくしは――」
「まだ何も申しておりません」
カイの静かな言葉に、リリアが口を閉ざした。
王妃の目が細くなる。
「ヴァルグレン卿。続きを」
「はい」
カイは一瞬だけ言葉を選んだ。
「その際、我々を夜伽の相手として望んでおられるとも受け取れるお言葉がございました」
「…………」
沈黙が落ちた。
「ち、違いますわ!」
リリアが声を上げる。
「わたくし、そのような意味では――」
「では」
王妃が静かに尋ねた。
「何とおっしゃったの?」
「それは……」
答えられない。
カイは淡々と事実だけを告げた。
「『皆様ほど素敵な殿方がいつもそばにいてくださったら、わたくし、とても嬉しいわ』と」
リリアの顔が強張る。
「そして、『もちろん、十分に報いるつもりですわ』と。そのうえで――」
一瞬の間。
「『わたくしなら、皆様を退屈させることもありませんもの』と」
「…………」
レオンの顔から表情が消えた。
「……リリア」
「殿下、違うのです」
「先ほど、なぜその話をしなかった?」
「それは……」
「お前は、王家への勧誘を断られたとしか言わなかっただろう」
リリアは俯いた。
国王が深く息を吐く。
「……承知した」
そしてカイへ向き直った。
「その件については、こちらで然るべき対応をする」
「お願いいたします」
カイが一礼する。
国王は五人を見渡した。
「我が王家の者が、客人であるそなたたちに不快な思いをさせた。詫びよう」
国王が頭を下げた。
「陛下」
カイがすぐに応じる。
「どうか、お顔をお上げください。我々も先ほど非礼を働いた身。この件を両国間の問題にするつもりはございません」
「……感謝する」
国王は顔を上げた。
ソラは自らの非礼を認めた。
ヴァルグレン家当主であるカイも、正式に謝罪した。
そしてセレディア王家もまた、自らの側の非を認めた。
互いの非をなかったことにするのではない。
それぞれが、それぞれの責任を引き受けた。
国王は周囲を見渡した。
いつの間にか楽団の演奏は止まり、招待客たちも息を潜めてこちらを窺っている。
「皆、騒がせたな」
国王の声が広間に響く。
「祝いの席を乱したことを詫びよう。だが、心配には及ばぬ。こちらで収める」
そして楽団へ目を向けた。
「演奏を続けてくれ。料理も酒もまだ十分にある。今宵は祝いの日だ。どうか皆、引き続き楽しんでほしい」
王妃も客人たちへ微笑んだ。
「どうぞ皆様、お気遣いなく。引き続きお楽しみくださいませ」
やがて、止まっていた音楽が再び流れ始めた。
給仕たちも動き出す。
初めこそ遠慮がちだった話し声も、少しずつ広間へ戻ってきた。
それを確認してから、国王は息子とその妻を見る。
「レオン。リリア妃」
二人の背筋が伸びる。
「私と来い」
「……はい」
王妃もリリアへ告げた。
「あなたからも、きちんと説明してもらいます」
「……はい」
四人が広間を離れていく。
その姿が扉の向こうへ消えたところで。
「…………」
ソラが長い息を吐いた。
そして、ぽつり。
「……俺、やっぱ言いすぎたか?」
「はい」
レイが即答した。
「即答すんなよ」
レンが堪えきれず笑い、ユウトも肩を揺らした。
アルも思わず笑ってしまった。
「ソラ様!」
「……なんだよ」
「ありがとう!」
「……は?」
ソラが目を瞬く。
「もちろん、王太子殿下にあのような言い方をするのは駄目ですけれど」
「……おう」
「でも、それとは別です」
アルはまっすぐソラを見た。
「私のために怒ってくださって、本当にありがとうございました」
ソラの紫の瞳が、わずかに揺れる。
やがて、ふいと顔を逸らした。
「……礼なんかいらねぇよ」
「私が言いたいのです」
「……勝手にしろ」
「はい!」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ……」
また笑いが起きた。
先ほどまでソラの瞳に宿っていた怒りは、もうどこにもなかった。
◇
その様子を、少し離れた場所から見つめる二人の姿があった。
近すぎず、遠すぎず。
騒ぎの中心から距離を置きながらも、その一部始終を見ていた二人。
ユニリス王国第一王子、アレクシス。
そして妹のルシエラだった。
「あの方が、アルヴェイン様……」
ルシエラの視線の先では、アルがまだソラたちと笑っている。
「騎士を庇いましたわ。それに、とても……堂々となさっているわ」
「ああ」
アレクシスが頷いた。
「あの方が、カイ殿の奥方となるお方だ」
「…………」
ルシエラの視線が動く。
アルから、その隣に立つカイへ。
じっと見つめる妹の横顔を、アレクシスは黙って眺めていた。
やがて、口を開く。
「……ところで、ルシエラ」
「はい、お兄様」
「お前は本当に、カイ殿が好きなのか?」
「……?」
ルシエラが振り返った。
「どういう意味ですの?」
「そのままの意味だ」
「何をおっしゃいますの。わたくしはずっと昔から、カイ様を――」
「っ……!」
突然、ルシエラが頭を押さえた。
「ルシエラ!」
身体がぐらりと揺れる。
アレクシスがすぐに肩を支えた。
「どうした!」
「……っ、頭が……」
「医師を呼ぶ」
「いいえ……!」
ルシエラは目を閉じ、何度かゆっくりと呼吸した。
痛みは、現れたときと同じように唐突に引いていった。
「……もう、大丈夫ですわ」
「本当か?」
「ええ。一瞬だけ、痛みが……」
「…………」
「もう何ともありません」
ルシエラは兄を安心させるように微笑んだ。
そして再び、カイへ目を向ける。
アレクシスは何も言わなかった。
ただ、妹の横顔を見つめていた。
かつて。
まだ幼かったルシエラが、頬を染めながら口にした言葉を、彼は覚えている。
だからこそ、ずっと引っかかっていた。
――ルシエラ。
――お前が本当に好きだったのは……。




