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プロポーズが「お嬢さん、俺の嫁にならないか?」ってどうなの!?  作者: SAKURA MOON


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12/39

あなたのことを、もっと知りたい

「……アル」


 すぐ近くで、自分を呼ぶ声がした。


「ん……」


 ゆっくりと瞼を開く。


 最初に目に入ったのは、黒い服だった。


 ぼんやりとした頭のまま瞬きをして、それから頬のあたりに伝わる温もりに気づく。


 何かに寄りかかっている。


 ――いや。


「あっ、私、寝てた……!?」


 一気に意識が浮上した。


「ああ。もうすぐ着くぞ」


 顔を上げれば、すぐ隣にカイがいる。


 近い。


 そして自分がつい先ほどまで、その肩にもたれかかって眠っていたのだと理解した瞬間、アルは弾かれたように身体を起こした。


「もっ、申し訳ありません!」


「何が?」


「だって寝てしまって、カイ様の肩にもたれかかって……」


 どれくらいそうしていたのだろう。


 考えれば考えるほど恥ずかしくなってくる。


 けれど、カイはそんなアルを見て、ふっと笑った。


「気にすんな。俺に会うのが楽しみで、昨日寝られなかったんだろ?」


 からかうような声音だった。


 いつもなら、ここで否定する。


 そんなことはありません、と。


 アル自身も、カイがそう思っているのだろうと思った。


「……はい」


「!!」


 カイの表情が止まった。


 アルは少しだけ視線を落とす。


「昨日……なかなか眠れなくて」


 バハードへ行くこと。


 カイの暮らす場所を見ること。


 これから自分が過ごすかもしれない土地へ向かうこと。


 考えているうちに、気づけば夜が更けていた。


 カイはしばらく何も言わなかった。


 やがて口元を手で覆い、


「……そうか」


 それだけ言って、窓の外へ顔を向けた。


 耳がわずかに赤い。


 今ここに、あいつらがいなくてよかった。


 心の底から、そう思う。


 レイなら黙って笑う。


 レンは絶対に面白がる。


 ユウトはしばらくこの話を擦るだろうし、ソラに至っては、一言だけで致命傷を与えてくるに違いない。


 そんなカイの心境など知る由もなく、アルも窓の外へ目を向けた。


 ちょうど馬車が緩やかな坂を越えたところだった。


「わあ……」


 思わず声が漏れる。


「これが、バハード王国……」


 遠くまで続く山々。


 その麓を覆う深い森。


 石造りの家々が並ぶ街。


 そして、そのすべての上に広がる厚い雲。


 ここバハードは、今は一応、夏季にあたる。


 けれど、アルが知る王都の夏とはまるで違っていた。


 陽射しは薄く、青空はほとんど見えない。


 馬車の窓をわずかに開けると、ひやりとした風が頬を撫でた。


「……涼しいですね」


「寒いか?」


 すぐにカイが聞く。


「いいえ。驚いただけです。王都とは全然違うんですね」


「ここじゃ、これでも暖かい方だぞ」


「これで……?」


 アルはもう一度、外を見た。


 森の木々が風に揺れている。


 夏だというのに、どこか冬の気配が遠くに残っているような土地だった。


「冬になったら、もっとすごいんでしょうか」


「雪で何も見えなくなる日もある」


「そんなに……!」


 アルの目が輝く。


「見てみたいです」


「…………」


 カイが黙った。


「どうされました?」


「いや」


 小さく笑う。


「そのうち嫌でも見られる」


「?」


 アルは首を傾げた。


 その言葉に含まれた意味を、今はまだ深く考えなかった。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくして、馬車はヴァルグレン邸へ到着した。


「……ここが」


 馬車を降りたアルは、その場で足を止めた。


「カイ様のお家……」


「ああ」


 目の前に建つ屋敷は、アルヴェイン公爵邸とはまるで違っていた。


 華美な装飾は少ない。


 重厚な石造りの外壁。


 高く頑丈な門。


 遠目には、貴族の邸宅というより、小さな城塞のようにも見える。


 北方を守るヴァルグレン家。


 その言葉が、そのまま形になったような屋敷だった。


「すごい……」


「そんな珍しいか?」


「はい」


「ただの家だぞ」


 アルは思わずカイを見た。


「カイ様にはそうでも、私には違います」


「……そうか?」


「はい」


 ここでカイが育った。


 この玄関を何度も通り、この庭を歩き、この窓から外を見たのだろう。


 嬉しかった日も。


 悔しかった日も。


 騎士になってからも、遠征から帰るたびに、この場所へ戻ってきたはずだ。


 そう思うと、ただの壁や窓まで特別なものに見えた。


 もっと知りたい。


 カイが生きてきた場所を。


 玄関へ入ると、使用人たちが一斉に頭を下げた。


 その先頭に立っていた女性が、一歩前へ出る。


「ようこそお越しくださいました、アルヴェイン様。侍女長のイザベラと申します」


「アルヴェイン・ロゼリアです。本日よりお世話になります」


 アルも丁寧に頭を下げる。


 イザベラは穏やかに微笑んだ。


「どうぞ、ご自分のお屋敷と思ってお過ごしくださいませ」


 張っていたものが、少しだけ解けた。


「ありがとうございます」


「アル」


「はい?」


「長旅だったし、少し休め」


「大丈夫です」


 即答だった。


 カイはじっとアルを見る。


「……何でしょう?」


「アルの『大丈夫』は信用しねぇことにした」


「えっ」


 その言葉に、アルは瞬きをする。


 カイの脳裏には、婚約破棄の日のアルが浮かんでいた。


 血の滲んだ踵。


 空腹。


 疲労。


 それでも何も言わず、最後には自分の腕の中で力を失った。


 あれを見た以上、簡単に「大丈夫」を信じる気にはなれない。


「でも、本当に今日は大丈夫です!」


「……まあ、今日は顔色もいいな」


「はい!」


 返事にも力がある。


 目も死んでいない。


 むしろ、ここへ着いてからずっと落ち着きがないほどだった。


「じゃあ少し休憩したら、家の中を案内しよう」


「今行きたいです!」


 思った以上に大きな声が出た。


 玄関にいた使用人たちの視線が集まる。


 アル自身が驚いて、口元を押さえた。


「あ……申し訳ありません」


「いや、いいけど」


 カイまで少し目を丸くしている。


 恥ずかしい。


 けれど、それ以上に今は知りたいという気持ちの方が強かった。


 アルは今度は目を逸らさず、カイを見る。


「カイ様のこと、この街のこと、もっと知りたいんです」


「…………」


「なんだか……居ても立ってもいられないんです」


 自分でも、こんなふうになるとは思っていなかった。


 初めて王都を離れた不安もある。


 知らない土地への緊張だってある。


 それなのに、それ以上に胸の内を占めているのは好奇心だった。


 カイはしばらくアルを見つめた。


 やがて、ふっと表情を緩める。


「わかった」


「本当ですか?」


「ああ」


「ありがとうございます!」


 ぱっと笑ったアルを見て、カイが呟く。


「……生き生きしてきたな」


「え?」


「最初に会った時とは全然違う」


 アルは目を瞬いた。


 カイは特に何かを考えて言ったわけでもないらしい。


 ごく自然に、


「今の方がいい」


 と言った。


「……っ」


 頬が一気に熱くなる。


 けれど言った本人は、もう何事もなかったかのように歩き始めていた。


「行くぞ」


「……はい」


 ずるい。


 そういうことを平然と言うところが、少しだけずるい。


 アルは熱くなった頬を押さえながら、その後を追った。


 ◇ ◇ ◇


 ヴァルグレン邸は、外から見た以上に広かった。


「ここが食堂。こっちは客間」


「はい」


「その先が中庭だ」


「綺麗……!」


 庭には派手な花々こそ少なかったが、北方でも育つ低木や草花が整然と植えられていた。


「で、向こうが俺の執務室」


「ここでカイ様がお仕事を?」


「ああ」


 アルは扉を見つめる。


 この向こうで、領地に関する書類を読んだり、騎士たちと話したりするのだろうか。


 頭の中に次々と光景が浮かんでくる。


 廊下に飾られた歴代当主の肖像画。


 壁に掛けられた北方の地図。


 古びてはいるが、丁寧に手入れされた武具。


 何を見ても、つい足が止まった。


「あちらは?」


「訓練場」


「カイ様も使われるんですか?」


「使う」


「レイ様たちも?」


「ああ」


「見てみたいです!」


「訓練を?」


「はい!」


 カイが不思議そうな顔をする。


「面白いか?」


「もちろんです」


「……そういうもんか?」


 カイにはいまいち理解できないらしい。


 アルは小さく笑った。


 カイにとっては当たり前の日常なのだ。


 けれどアルにとっては、そのひとつひとつが知らないカイだった。


 王都の夜会で見たカイ。


 自分を助けてくれたカイ。


 馬車で隣に座るカイ。


 それだけではない。


 ここには、自分の知らないカイがまだいくらでもいる。


 そう思うだけで、胸が弾んだ。


 一通り屋敷を案内してもらった頃。


 廊下の窓から街並みが見えた。


 アルはまた足を止める。


「……カイ様」


「ん?」


「街も、見てみたいです」


「今から?」


「はい。……駄目でしょうか」


 カイはアルの顔をじっと見る。


 さっきから歩き通しだ。


 それでも疲れた様子はない。


 むしろ最初より目が輝いている。


「いいぞ。行くか」


「はい!」


 アルの顔がぱっと明るくなった。


 ◇ ◇ ◇


 外出の支度を終え、二人は玄関へ向かった。


「じゃあ、行ってくる」


 カイが使用人たちに声をかける。


 アルもその後を追おうとした、その時。


「アルヴェイン様」


「はい?」


 呼び止めたのは、侍女長のイザベラだった。


「ひとつだけ、お伝えしておきたいことがございます」


「なんでしょう?」


 アルは振り返った。


 先ほどまでと変わらない、穏やかな表情。


 けれど声だけが、わずかに低くなった気がした。


「アルヴェイン様」


「はい」


「カイ様を含めた五騎士には、くれぐれもお気をつけくださいませ」


「…………?」


 アルは瞬きをした。


 一度。


 二度。


「あの……何に、でしょうか?」


 思わず聞き返す。


 イザベラは少しだけ黙った。


 何か言葉を選んでいるようにも見えた。


 そして、


「……いずれ、お分かりになるかと」


「え……?」


「アル、行くぞ」


 玄関の向こうからカイの声がした。


「あっ、はい!」


 慌ててそちらへ向かう。


 けれど、何歩か進んでから一度だけ振り返った。


 イザベラは何事もなかったかのように、一礼している。


 ――五騎士に、気をつける?


 しかも、カイ様も?


 アルは首を傾げた。


 何に気をつければいいのか、まるで分からない。


 ◇ ◇ ◇


 街へ出ると、アルはすぐに驚くことになった。


「カイ様! お帰りなさい!」


「おう」


「あっ、カイ様だ!」


 子どもたちが嬉しそうに手を振る。


 カイも片手を上げて応えた。


「遠征から戻られたんですか?」


「ああ」


「今度また店に寄ってくださいよ!」


「わかった」


「カイ様、あとで母ちゃんにも顔見せてくださいよ!」


「時間あったらな」


 歩くたびに、あちこちから声をかけられる。


 アルは何度も周囲を見回した。


 王都で見る、貴族への挨拶とは違う。


 皆、カイに敬意を払ってはいる。


 けれど、畏れて距離を取ってはいない。


 もっと近い。


 名前を呼び、笑いかけ、気軽に話しかける。


「カイ様は、皆様ととても親しいのですね」


「そうか?」


「はい」


「昔から知ってる奴ばっかだからな」


 カイは当然のように言う。


 向こうから走ってきた少年の頭を軽く撫で、そのまま歩き続ける。


 きっと、カイにとっては何でもない光景なのだ。


 けれどアルには、とても新鮮だった。


 王都で見ていたカイとはまた違う。


 ここでは彼は、北方の名門ヴァルグレン家の当主であり、騎士たちを率いる人間であり――


 同時に、この街で育った一人の青年でもある。


 その姿を知ることができるのが、嬉しかった。


 アルは隣を歩くカイを、そっと見上げる。


 ――やっぱり。


 イザベラは、一体何に気をつけろと言ったのだろう。


 こんなにも皆から慕われている人なのに。


 その時だった。


「……?」


 アルの足が止まった。


「どうした?」


「カイ様」


「ん?」


「あれは……なんでしょう?」


 アルが指差した先には、大きな掲示板があった。


 街からの知らせや、店の告知。


 いくつもの紙が貼られている。


 その中の一枚に、大きな文字でこう書かれていた。


 ――『五騎士共同浴場使用禁止』


「…………」


 アルは黙った。


 目を細める。


 もう一度読む。


 ――『五騎士共同浴場使用禁止』


 変わらない。


 読み間違いではない。


 アルはゆっくりカイを見た。


「……カイ様」


「ん?」


「五騎士というのは……」


「ああ。俺たちだな」


「ですよね」


「ああ」


「…………」


 なぜ。


 騎士が。


 共同浴場を。


 禁止されるのだろう。


「あの、これは……」


「ああ、それか」


「ご存じなんですか?」


「知ってる」


「どうして禁止されているんです?」


「さあ」


「さあ!?」


 思わず声が裏返った。


「使うなって言われてるから使ってねぇ」


「そういうことではなくて……!」


 カイは本当に分かっていない顔をしている。


 アルがどう聞けばいいのか考えていると、ふと、その隣に貼られた紙が目に入った。


 ――『五騎士公開訓練 事前告知禁止』


「…………」


 アルの視線が止まる。


 さらに、その下。


 ――『祭礼時、五騎士全員の同一区画配置を禁ず』


「…………」


 先ほどまで輝いていたアルの目から、少しずつ光が消えていく。


 何かがおかしい。


 少し離れた店先にも紙が貼られているのが見えた。


 ――『混雑時、五騎士の店内同時入店はご遠慮ください』


「…………」


「アル?」


 カイが覗き込んでくる。


 アルはゆっくりと彼を見る。


「カイ様」


「なんだ?」


「先ほど、イザベラに言われたんです」


「何を?」


「カイ様を含めた五騎士には、くれぐれも気をつけるように、と」


「…………」


 今度はカイが黙った。


 しばらくして、


「……あいつ」


 ぼそりと呟く。


 その反応で、アルの疑念がさらに深まった。


「カイ様……」


「ん?」


「五騎士の皆様は、この街で一体何をなさったのですか?」


 カイがほんの少し視線を逸らした。


「……色々だ」


「色々?」


「ああ」


「共同浴場で何を?」


「俺に聞くな」


「では公開訓練は?」


「知らん」


「お祭りでは?」


「…………」


「カイ様?」


 返事がない。


 アルは一歩詰め寄った。


「何をなさったのです?」


「アル」


「はい」


「腹減ってないか?」


「話を逸らさないでください!」


 通りのあちこちから笑い声が上がった。


「カイ様、とうとう説明させられてるぞ」


「頑張れー!」


「何を頑張るんだ!」


 カイが声のした方へ言い返すと、さらに笑いが広がる。


 アルはますます分からなくなった。


 怖がられている様子はない。


 むしろ、皆とても楽しそうだ。


 だからこそ余計に謎だった。


「カイ様」


「……なんだ」


「帰るまでに、全部教えてくださいね」


「全部?」


「全部です」


「…………」


「約束してください」


 カイはしばらくアルを見つめ――


「……善処する」


「それは約束ではありません!」


 また、街のどこかで笑い声が上がった。


 アルはまだ知らなかった。


 北方最強と名高い五人の騎士たちには、この街で長い年月をかけて積み上げてきた――


 数々の、妙な逸話があることを。


ちょくちょく修正しています…申し訳ありません

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