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第22話 王子 板橋 火薬弾薬廠 - 爆薬と真鍮の川

慶応四年(一八六八年)四月中旬。


 江戸城が無血開城され、新政府軍の先遣隊が市中での警戒を強めつつあった頃。小石川の関口製造所が、工作機械から心臓部を抉り出し、新たな国家のためのコアを切り出しているその裏で、もう一つの巨大なプロジェクトが狂気的なペースで進行していた。


 関口から中山道を少し北へ下った板橋の地。そこには、銃の血液とも言うべき弾薬の製造を担う、「板橋弾薬薬莢(やっきょう)製造所」が存在していた。


 石神井川の豊かな水力を動力源として引き込んだ広大な木造工場群の扉を開けると、まず鼓膜をつんざくような連続した金属の打撃音が暴力的に押し寄せてくる。それに混じって、摩擦熱を持った真鍮の匂いと、むせ返るような機械油の匂いが工場内に充満していた。


 だが、この工場で最も目を引くのは、米国から輸入された巨大なプレス機械そのものではない。その冷たい鋼鉄の機械を見事に操り、油にまみれながら立ち働いているのが、揃いの前掛けを締め、手ぬぐいで髪をきっちりと束ねた、数百人にも及ぶ女工たちであるという事実であった。


「ほら、手が止まってるよ! 真鍮の板に油を均等に塗りな!」

組長を務める年の頃は三十代の位の大柄な女、おカヨの鋭く通る声が、喧噪を切り裂いて工場内に響き渡る。


「少しでも油が切れりゃあ、プレスした瞬間に金属が焼き付いてヒビが入る。そのたった一つのヒビが、戦場で兵隊さんの命を奪うんだからね! 一瞬たりとも気を抜くんじゃないよ!」


 彼女たちの目の前で地響きを立てているのは、深絞り(ディープドローイング)プレス機(・プレスマシン)と呼ばれる最新鋭の金属加工機であった。

 金属加工の素人が見れば、それはまるで魔法か手品のように見えるだろう。最初に機械へ放り込まれるのは、平らで丸い一円玉のような真鍮の円板である。それが最初のプレス機でガシャンと打ち抜かれると、「浅いお椀」の形に押し込まれる。それを隣の機械にセットして再び打ち抜くと「深いコップ」になり、さらに次の機械で極限まで引き伸ばされ、細長い筒へと変貌していくのである。


 硬い金属の板を、まるで柔らかい粘土のように引き伸ばし、薄く、かつ均一な薬莢の筒を成形する極めて高度な技術。これが深絞りであった。


「おカヨさん、この筒……どこまで薄くすればいいの?」

 今年で十五になる新入りの小夜さよが、出来上がったばかりの熱を帯びた真鍮の筒をピンセットでつまみ上げ、額の汗を拭いながら尋ねた。


「アタシたちの髪の毛の太さの、さらに半分以下の狂いも許されないよ」

 おカヨは、小夜が持っていた筒をヒョイと奪い取ると、首から下げていた専用の真鍮製定規(ゲージ)の穴にスッと通してみせた。完璧な引っ掛かりのない、滑らかな動き。おカヨは満足げに頷いた。


「関口の工場で造ってるどの銃の薬室にも、スッと入らなきゃならない。そして、火薬が爆発して撃った直後に、真鍮がフワッと膨らんでガスを完全に密閉する。全部が全く同じ形、同じ薄さじゃなきゃダメなのさ。それが『メリケン・システム』ってやつだよ」


 この板橋の弾薬工場では、男たちの力任せの筋力よりも、女たちの繊細な指先の感覚と、単調な作業を何千回、何万回と正確に繰り返す忍耐力が重宝されていた。


 彼女たちは単なる下働きではない。幕府から正規の賃金を受け取り、自らの腕と技術一つで生計を立てる、日本で最初の自立した女性技術系公務員の集団でもあったのだ。

 武家屋敷への奉公や、遊郭へ売られるといった旧時代的な女の宿命から逃れ、機械を操ることで自らの運命を切り拓いた誇りが、彼女たちの背筋をピンと伸ばしていた。



「ねえ、おカヨさん。あたしたちも、本当に南山へ行くの? 船に乗って、遠い海を渡るなんて……」


 小夜が、巨大なプレス機の鋳鉄フレームを拭きながら、ふと不安げにこぼした。江戸の街には官軍が溢れ、いつこの工場が接収されるか分からない恐怖が、少女の心を揺らしていた。


「行くに決まってるじゃないか」

 おカヨは、ドン、とプレス機の分厚い鋳鉄のフレームを力強く叩いた。


「江戸に残ったって、侍の着物を縫うか、飯屋でこき使われるしか女の生きる道はないんだ。でも、南山あっちへ行けば、この腕で真鍮を絞って、自分の家だって買えるって、小栗の旦那が言ってたんだ」


おカヨは、油に汚れた手で小夜の頭をポンと撫でた。

「怖かないよ。この機械と一緒に海を渡るんだ。アタシたちの新しい故郷は、土地じゃない。この機械が動く場所さ」




 女たちの真鍮絞りラインのさらに奥の区画では、また別の異様な機械が低い唸り声を上げていた。

 鉛線押出機リード・ワイヤー・エクストルーダーである。


 ドロドロに溶けた鉛を冷やして半固体にし、それを巨大な水圧シリンダーの力で極小の穴から押し出す。すると、機械の先端から、まるでうどんの麺のように細長く均一な鉛のロープが、ニュルニュルと絶え間なく吐き出されてくるのである。


 その鉛のロープを待ち受けているのが、自動弾丸成形機オートマチック・ブレット・モルダーであった。

 鉛のロープが機械に吸い込まれると、ガシャン、ガシャンという規則正しいリズムとともに内蔵されたカッターが鉛を一定の長さに切断し、同時に金型が強烈な圧力で叩き潰す。次の瞬間には、先端が美しい流線型に丸く成形された弾丸(弾頭)が、滝のような勢いで下の木箱の中へとこぼれ落ちていくのだ。


 かつての古い戦において、弾丸とは鍛冶屋や足軽が一つずつ鋳型に溶けた鉛を流し込み、冷ましてからヤスリでバリ(はみ出た部分)を削り落として作る、気の遠くなるような手作業の産物であった。

 だが、目の前にあるこの機械は、人間が鉛の重さや熱さに喘ぐことなく、たった一日で数万発という弾丸を「全く同じ重量」「全く同じ形状」で無限に吐き出し続ける。



「真鍮の筒に、火薬を詰めて、この鉛の弾を押し込み信管を付ける。これで実包カートリッジの完成だ。……この一発一発が、新しい国を守る剣になる」

 工場の責任者である幕臣の技官が、滝のように流れる真新しい弾丸の山を見つめながら、静かに呟いた。


 彼らがこの板橋で行っていたのは、単なる部品作りではない。日本の歴史上初めて「殺傷能力の完全規格化」を作り出したのである。この規格化された死の雨を降らせる能力こそが、彼らが南山に渡った後、西欧列強から独立を勝ち取るための、絶対的な担保となるはずであった。


「よし、最終ロットの生産終了だ! これより、機械の解体と搬出にかかる!」

 技官の鋭い号令とともに、板橋の工場は生産拠点から「解体現場」へと一瞬にしてその姿を変えた。


 おカヨや小夜たち女工も、作業着の袖をまくり上げ、男たちに混じってスパナと油壺を手に取った。

 彼女たちは、自分たちが使い込み、手のひらのように熟知している深絞りプレス機のダイ(金型)や、自動弾丸成形機のカッターヘッドといった、機械の命とも言える心臓部を、次々と取り外しにかかった。


 関口製造所で行われていたのと同じ、徹底した合理主義に基づく”外科手術”である。重たい鋳鉄の台座は江戸の地にデコイとして捨て置き、新しい国で再び命を吹き込むための、必要最小限の”臓器摘出”が、この真鍮と鉛の工場でもまた整然と実行されていたのである。





 一方、活気と金属音に満ちた板橋から、石神井川を少し下った王子おうじの谷間。

 ここには、板橋の熱気とは対極にある、氷のように冷たく、極限まで張り詰めた静寂が支配する空間が存在していた。「王子火薬製造所」である。


 鬱蒼とした深い木立の中に点在する、黒ずんだ木造の建屋群。ここでは、金属同士がぶつかる高い音は一切聞こえない。

 職人たちは皆、言葉を発することすら極力控え、底に金属の鋲を打っていない藁沓わらぐつや、柔らかい布靴を履き、まるで薄氷の上を歩くように抜き足差し足で作業を行っていた。


 少しでも硬いものがぶつかり合い、一瞬の火花が散ればどうなるか。この工場はおろか、王子の村ごと地図から跡形もなく消し飛ぶ。それが、弾薬の命である黒色火薬を練り上げる現場の常識であった。


動力を伝えるためのシステムも、関口や板橋の工場とは全く異なっている。

 石神井川の水流を水車で受け、それを火花の出ない木製の歯車と、静電気の起きない特殊な革ベルトのみを使って建屋内に伝達していた。ボイラーの火の粉が入るのを完全に防ぐため、蒸気機関そのものが防爆壁の遥か外側に隔離されているという、徹底した防爆動力伝達エクスプロージョン・プルーフの思想が貫かれていた。


 最も大きな建屋の中心に鎮座しているのは、巨大な二つの石の車輪が、すり鉢の上をゴロゴロと重々しく回る「三種混和機エッジランナー」であった。

 硝石、硫黄、木炭。この三つの原料を、絶えず少量の水を加えて湿らせながら、何十時間もかけて極限まで細かくすり潰し、均一に練り合わせる。


 練り上がった黒い泥のような火薬のペーストは、隣の造粒機グラニュレーターへと運ばれ、乾燥させられながら一定の大きさの「粒」へと濾し出されていく。

 火薬は、粉のままでは燃焼速度が安定せず、爆発力にムラが出る。全く同じ大きさのグレインに揃えることで、初めてライフル銃の中で一定のガス圧を生み出し、弾丸を正確な距離へと飛ばす「弾薬」へと昇華するのだ。



「親方。最後の弾薬、木樽に詰め終わりました。これで、ここでの作業は全て終了です」

若い職人が、息を殺し、囁くような声で報告した。


 火薬製造の全責任を負う老技師、吉岡平蔵は、深くシワの刻まれた顔を厳しく引き締めたまま、無言で頷いた。


「よし。これからが本番だ。混和機と造粒機を解体し、箱に詰めるぞ」

その言葉を聞いた瞬間、周囲の職人たちの顔から、サッと血の気が引いた。



 火薬工場の解体は、製鉄所や精密機械工場のそれとは、全く次元の違う恐怖と危険を伴う。

長年火薬を練り続けてきた機械には、目に見えないほどの微細な火薬の粉末が、歯車の隙間やボルトのネジ山、フレームの継ぎ目にまで、びっしりと入り込んでいるのだ。

 この状態で、もし鉄のスパナをボルトに噛ませて力を込めればどうなるか。金属同士の摩擦熱や、ほんのわずかな圧力による発火で、隙間に詰まった火薬が起爆デトネーションを引き起こす。

 それは、見えない地雷を素手で解体するような、極限の精神力を要求される作業であった。


「いいか、絶対に鉄の道具は使うな! 真鍮のハンマーと、木の棒だけだ! それから、機械を完全に水没させろ!」

 吉岡の低く、しかし凄まじい気迫の籠もった怒号が飛ぶ。


 職人たちは、建屋のすぐ横を流れる石神井川から、バケツリレーで身を切るように冷たい春の川水を運び、混和機の巨大な車輪や、造粒機のギアに向けて、滝のように水をぶちまけた。

 彼らは頭からびしょ濡れになり、寒さに歯の根を合わなくさせながら、木製のヘラと豚毛のブラシを使って、ボルトや歯車にこびりついた黒い火薬のペーストを、削り落としては水で流していく。

 少しでも水が切れ、火薬が乾き始めれば、吉岡が容赦なく頭からバケツの水を浴びせかけた。


「ひぃっ……!」

 極度の緊張と寒さで手元が狂った若い職人が、真鍮のスパナを滑らせ、機械のフレームにカチンと当ててしまった。


 その瞬間、吉岡の容赦ない平手打ちが、若者の頬を激しく張り飛ばした。

「馬鹿野郎! てめえ一人が死ぬのは勝手だがな、ここが吹き飛べば、南へ持っていくための火薬の種が永遠に失われちまうんだ!」


 吉岡は、若者の胸ぐらを掴み上げ、血走った目で睨みつけた。

「俺たちが運んでるのは、ただの鉄の塊じゃねえ。新しい国が、誰にもにひれ伏さずに自分の足で生きていくための命綱なんだぞ! 命を懸けてボルトを回せ!」


 吉岡の気迫のこもった叫びに、若者は涙目になりながらも震える手で真鍮のスパナを握り直し、再び凍えるような水をかけながら、慎重にボルトを回し始めた。




数時間後。


 完全に分解され、火薬の微粒子を水で徹底的に洗い流された混和機や造粒機の部品たちは、今度は赤道直下の過酷な航海で決して錆びないよう、分厚く特上の鯨油を塗りたくられ、厳重に油紙で梱包されていった。


 死と隣り合わせの緊張感を乗り越え、箱詰めを終えた職人たちの顔には、凄惨なまでの達成感と、プロフェッショナルとしての誇りが浮かんでいた。

 彼ら自身もまた、深夜の石神井川に高瀬舟を浮かべ、誰にも気づかれることなく家族と共に、王子と板橋を後にしていったのである。





四月二十三日。


 品川の沖合に停泊する、南山へと向かう大型輸送船の深く薄暗い船倉では、さらなる驚くべき荷積みが行われていた。


 通常、荷物を積んでいない船は、外洋の波でひっくり返らないよう、船底にバラスト(底荷)として大量の無価値な石や砂を積む。だが、小栗忠順と南山の船乗りたちは、この空間すらも無駄にしなかった。


「クルップ鋼のインゴット、右舷の船底へ! バランスを取れ!」


 現場監督の怒号が飛ぶ中、クレーンで吊り降ろされているのは、遥々プロイセン(ドイツ)から輸入された最高級の「クルップ鋼」の鋼材であった。大砲や小銃の銃身を削り出すための、世界で最も硬く強靭な鉄の塊である。


 さらにその鋼材の隙間には、銃床を作るために何年も乾燥させた極上のウォールナット(クルミ材)の原木が、船の揺れを抑えるパズルのように、隙間なく敷き詰められていく。


「南山産の高純度硝石麻袋、五十トン! 水濡れ厳禁だ、一番底の防水区画へ積め!」

 火薬の主原料である硝石。南山の鉱山から掘り出され、江戸へ運ばれてきたこの戦略物資は、今度は船の重心を極限まで下げる「究極のバラスト」として、再び南山へと送り返されていくのだ。


 工作機械だけでなく、これから兵器を生み出すための原材料すらも、船の構造の一部として組み込み、一グラムの無駄もなく運び去る。これこそが、大脱出の裏側にあった究極の兵站作戦の正体であった。



太平洋の黒潮に乗って出航した巨大な輸送船団。

 その暗い船底の居住区画では、クルップ鋼の冷たい輝きと、南山産硝石の匂いに包まれながら、おカヨや小夜たち板橋の女工が、毛布にくるまって静かな寝息を立てていた。

 彼女たちの腕の中には、深絞りプレス機の真鍮の金型が、まるで赤子のように大切に抱きしめられている。


日本列島から近代の剣を創り出す機能は、かくして完全に切り離された。

 小石川の巨大な銃砲工作機械群と、板橋・王子の弾薬プラント。二つの巨大な兵器産業の核達は、船の揺れに身を任せ、南十字星の待つ新天地へと向かって力強く脈打ち始めたのである。



第四部 第22話 完


最後までお付き合いいただき感謝します。

気に入っていただけたら、ページ下部よりブックマークとポイント評価をお願いします。


渾身の新連載!

「サレ夫が神様転移で異世界へ!〜マッドなサイエンティストな部下や可愛い未亡人と一緒に、チートな要塞でまったりスローライフ建国記〜」

https://ncode.syosetu.com/n7215lz/


シリーズの短編もアップしました。

「異聞 五稜郭」

https://ncode.syosetu.com/n4984mc/


宜しければこちらもどうぞ

「南山共和国建国史シリーズ」

https://ncode.syosetu.com/s0124k/


ご興味がある方はご一読くださいませ。


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